第四十三話 普通選挙と憲政の常道
一 政治を動かすもの
大正十三年(1924)、わしは六十歳を迎えた。
還暦という節目を迎えてから、わしは自分の人生を振り返ることが多くなった。江戸時代の終わりに生まれ、明治維新を幼い目で見つめ、軍人として明治国家の成長に携わり、そして大正という新しい時代を生きてきた。
かつて父が刀を差して歩いていた町には、今では洋服姿の会社員が行き交い、電車が走り、新聞売りの声が響いている。
変わったのは町並みだけではない。
政治というものも、わしが子どもの頃とは随分と違うものになっていた。
「あなた、また新聞を読んでいらっしゃるの?」
ある朝、妻の愛海が茶を運んできた。
「うむ。近頃は政治の動きが激しくてな」
「このところ、毎朝そのようなことをおっしゃっていますわね」
「軍のことばかり考えておった若い頃とは違う。今は国民が政治をどう動かすか、気になって仕方がないのじゃ」
愛海は微笑み、わしの向かいに腰を下ろした。
「昔のお義父様も、よく政治のお話をなさっていましたわね」
「父上か…」
わしは新聞から目を離した。
父・権兵衛は、幕末の動乱を生き抜いた元武士だった。
明治維新によって武士という身分を失い、廃刀令によって刀を差すことも許されなくなった。それでも父は、時代の変化から逃げようとはしなかった。
自由民権運動が盛んになった頃、父は政治に参加する権利について、わしに何度も語ってくれた。
『蔵之助。国を動かすのは、いつまでも一握りの者だけであってはならぬ』
その言葉が、今も耳に残っている。
「父上が今の政治をご覧になったら、何とおっしゃるじゃろうな」
「きっと、まだまだこれからだ、とおっしゃるのではなくて?」
「ははは。違いない」
父が亡くなって四年。
それでも父の言葉は、わしの中で生き続けていた。
そして、この年の政局は、父が生きていたならば大いに関心を寄せたであろうものだった。
二 第二次護憲運動
大正十三年(1924)一月、清浦奎吾内閣が成立した。
この内閣は貴族院を中心とする勢力によって組織され、衆議院の主要政党を基盤とするものではなかったため、政党側から強い反発が起こった。
立憲政友会の高橋是清、憲政会の加藤高明、革新倶楽部の犬養毅。
この三派が協力し、護憲三派として清浦内閣に対抗したのである。
「また護憲運動か」
新聞を読みながら、わしは呟いた。
大正二年(1913)の第一次護憲運動では、桂太郎内閣が民衆と政党の反発によって退陣していた。
あれから十一年、再び憲政擁護の声が高まっていた。
その日の夕方、長男の修蔵が仕事帰りに訪ねてきた。
「父上、今度の選挙は随分と騒がしくなりそうだな」
「うむ。護憲三派が結束しておる。政党政治の行方を決める選挙になるかもしれぬ」
「鉄道会社でも、その話ばかりだよ。政治が安定しなければ、鉄道の事業にも影響が出るからね」
「お前たちの仕事は、国の経済と直結しておるからのう」
修蔵は新聞を手に取った。
「それにしても、政治家が政党を組んで政府を動かそうとするなんて、父上が子どもの頃には考えられなかったんじゃないか?」
「そうじゃな。わしが幼い頃は、まだ国会すらなかった」
「祖父上が生きていたら、随分と驚いただろうな」
「いや、父上ならば、ようやくここまで来たか、とおっしゃるかもしれぬ」
やがて五月、衆議院議員総選挙が行われ、護憲三派が多数を占めた。
六月、清浦内閣は退陣し、加藤高明を首相とする護憲三派内閣が成立した。
選挙で示された衆議院の勢力が、内閣の成立を左右したのである。
わしはその知らせを聞き、しばらく考え込んだ。
「民の声が、内閣を動かしたか…」
日本では首相を直接選ぶことなどできなかった。内閣を組織する過程にも、元老や宮中の意向が深く関わっていた。
それでも、政党が選挙を通じて政権を担うという考え方は、以前よりも確かなものになりつつあった。
「わしが生まれた頃は、将軍が国を治めておったというのにのう」
六十年という歳月の長さを、わしは改めて思い知らされた。
三 十円と三円の壁
政治への参加について考えるとき、わしには忘れられないことがあった。
二人の息子が経験した選挙権の差である。
明治二十三年(1890)に初めて衆議院議員総選挙が行われた頃、選挙権を持つには満二十五歳以上の男子であること、直接国税を十五円以上納めるなどの条件が必要だった。
その後、明治三十三年(1900)に納税資格は十円へと引き下げられた。
しかし、十円という金額は、決して誰もが納められるものではなかった。
修蔵が成人し、鉄道会社で働くようになった頃も、その壁は残っていた。
ある年、修蔵はわしにこう言った。
「父上、俺はもう立派に働いているつもりなんだけどな」
「どうした?」
「選挙権がないんだ。税金を納めていても、条件に届かない」
「そうか…」
「鉄道で働いて、国の産業を支えているつもりなのに、政治には参加できないというのも妙な話だよ」
軍人として国に仕えてきたわしは、国家というものを大きな組織として考えることが多かった。
息子にとって国家とは、毎日の仕事や暮らしに直接関わるものだった。
そして大正八年(1919)、納税資格が三円に引き下げられた。
修蔵は、ようやく選挙権を得た。
「父上、今度は俺も投票できるようになったよ」
その報告を聞いたとき、わしは素直に嬉しかった。
「そうか。よかったのう、修蔵」
「これで少しは、自分の暮らす国の政治に参加できる気がするよ」
ところが、次男の光蔵は違った。
光蔵は機械製造の仕事に携わっていたが、当時の納税額は三円にわずかに届いていなかった。
「兄上は選挙に行けるのに、僕は行けないんだね」
ある晩、光蔵が苦笑した。
「そうじゃな…」
「別に税金を納めていないわけじゃないんだ。ただ、三円という線に届かないだけなんだよ」
「お前も立派に働いておるのにな」
「機械を作る人間も、鉄道を動かす人間も、同じ国で暮らしているのにね」
光蔵は穏やかな性格だったが、その言葉には小さな悔しさが滲んでいた。
「僕は政治家になりたいわけじゃない。でも、自分の一票くらいは持ってみたいよ」
わしは息子の顔を見つめた。
十円の時代には修蔵が選挙権を持てず、三円になって修蔵は投票できるようになった。しかし光蔵は、わずかな差でその資格を得られなかった。
二人とも働き、家庭を持ち、社会を支えている。なのに、納める税額によって政治に参加する資格が分けられていた。
「光蔵。わしは、いつかその三円という壁もなくなると思っておる」
「本当に?」
「そうならねばならぬ。国を支えておるのは、金持ちだけではないからのう」
光蔵は少しだけ笑った。
「その日が来たら、僕も兄上と一緒に投票に行きたいな」
わしは頷いた。
その願いが実現するまで、長い年月は必要なかった。
四 普通選挙法
大正十四年(1925)。
加藤高明内閣の下で、男子普通選挙を実現するための衆議院議員選挙法改正が進められ、ついに普通選挙法が成立した。
満二十五歳以上の男子について、従来の納税資格が撤廃されることになったのである。
その知らせが新聞に載った朝、わしは思わず声を上げた。
「愛海!ついに決まったぞ!」
「まあ、何がです?」
「普通選挙じゃ。納税資格がなくなる!」
愛海は新聞を覗き込んだ。
「それでは、光蔵も選挙に参加できるようになるのですね」
「うむ。そういうことじゃ」
「それはよかったですね」
ちょうどその日、光蔵が家を訪ねてきた。
わしはすぐに新聞を見せた。
「光蔵、読んでみい」
「えっ…普通選挙法?」
光蔵は記事を読み進め、やがて目を丸くした。
「父うえ、これって…」
「そうじゃ。もう三円の壁はない」
「僕にも選挙権があるのか」
「うむ」
光蔵は新聞を置き、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと笑った。
「嬉しいな。機械を作っている僕にも、ようやく一票が来たんだ」
そこへ修蔵も加わった。
「光蔵、これで俺と同じだな」
「兄上、今度は一緒に行こう」
「ああ、もちろんだ」
二人の息子が笑い合う姿を見ながら、わしは胸が熱くなった。
かつて十円に届かず悔しがった修蔵。
三円に届かず、兄を羨ましがっていた光蔵。
二人の間にあった制度上の壁が、ようやく取り払われたのである。
しかし、愛海がふと口を開いた。
「でも、あなた。私たちはどうなるのです?」
「む?」
「女性には、まだ選挙権がありませんのでしょう?」
わしは黙った。
そうだった。普通選挙と呼ばれてはいても、女性には選挙権が与えられていなかった。
愛海も、節子も、春子も。
わしの家族の半分は、依然として国政選挙に参加できなかったのである。
「愛海…」
「私だって、この国で生きています。子どもを育て、家を守り、社会のことを考えています。それでも一票は持てないのですね」
愛海は怒鳴ることもなく、静かにそう言った。
その声は、かえってわしの胸に深く響いた。
「そうじゃな。まだ道半ばじゃ」
「ええ。でも、光蔵が投票できるようになったことは嬉しいです」
愛海は微笑んだ。
「いつか節子や春子も、同じように選挙へ行ける日が来るとよろしいですね」
わしは頷いた。
普通選挙の実現は大きな前進だったが、国民すべてが政治に参加できる時代には、まだ至っていなかった。
五 治安維持法というもう一つの法律
ところが、普通選挙法が成立した同じ年、もう一つの重要な法律が制定された。
治安維持法である。
この法律は、国体の変革や私有財産制度の否認を目的とする結社の組織・加入などを取り締まるものだった。
政府側には、共産主義運動の拡大を警戒する考えがあった。
しかし、わしには気になることがあった。
「選挙権を広げる一方で、政治運動を取り締まる法律を設けるか…」
新聞を読んでいると、娘の節子が訪ねてきた。
「父上、治安維持法のことを考えているの?」
「うむ。お前はどう思う?」
節子は少し考えてから答えた。
「政府が社会の秩序を守ろうとする理由は理解できるわ。でも、法律の運用によっては、思想や言論を必要以上に制限することにならないかしら」
「そうじゃな」
「私は教師だから、子どもたちが自分の頭で考えることの大切さを知っているつもりよ」
節子は新聞に目を落とした。
「国を大切に思うことと、政府の考えを何でも受け入れることは、同じではないでしょう?」
わしは思わず顔を上げた。
「節子、お前は立派な教師になったのう」
「急に何を言うの、父上」
「いや、昔の父上を思い出したのじゃ」
「お祖父様?」
「父上も、国を思うからこそ政治を考えねばならぬ、とおっしゃっておった」
わし自身、軍人として秩序と規律を重んじてきた。
命令に従うことの重要さも、組織が乱れる恐ろしさも知っている。
だが、軍隊の規律と国民の政治的な自由は、同じものではない。
軍人が命令を受けることと、国民が政治について自由に考えることを、混同してはならぬ。
その違いを忘れたとき、国家は危うい方向へ進むのではないか。そんな不安を覚えていた。
六 昭和最初の普通選挙
昭和三年(1928)二月二十日。
この日、日本で初めて男子普通選挙制度による衆議院議員総選挙が行われた。
わしは六十三歳。
長男の修蔵は三十九歳、次男の光蔵は三十歳だった。
すでに現役の軍務を退いていたわしは、この日を楽しみにしていた。
朝、身支度を整えていると、愛海が声をかけた。
「あなた、今日は随分と早いのですね」
「うむ。修蔵と光蔵と一緒に投票へ行く約束をしておる」
「まあ、三人で?」
「そうじゃ。光蔵にとっては初めての選挙じゃからな」
愛海はわしの上着を整えた。
「お気をつけて。帰ってきたら、どんな様子だったか聞かせてください」
「うむ」
家の外へ出ると、修蔵と光蔵が待っていた。
「父上、おはよう」
「おお、二人とも早いのう」
「光蔵が楽しみにしていたからな」
修蔵が笑うと、光蔵は少し照れた。
「兄上だって、今日はいつもより早く来たじゃないか」
「まあ、そうだけどね」
わしら三人は並んで歩き始めた。
道には投票へ向かう男たちの姿が見られた。
洋服を着た会社員、仕事着の職人、商店を営む者、年配の男性。
かつては納税資格によって選挙権を持たなかった者たちも、今では同じ一票を持つことになった。
「父上。僕、初めて選挙に行くのに、三十歳になってしまったよ」
「ははは。そうじゃな」
「兄上はもっと前から投票できたのにね」
修蔵が笑った。
「俺も十円の頃は投票できなかったんだぞ」
「そうだった」
「三円になって、ようやく一票を持てた。それでも光蔵には届かなかったんだ」
「今となっては、何だか不思議だね」
わしは二人の話を聞きながら、昔のことを思い出した。
明治二十三年(1890)最初の帝国議会が開かれた頃。
あのときは、議会政治という制度そのものが新しかった。
それから三十八年。今、わしは息子二人と並んで投票所へ向かっている。
「父上は、どう思う?」
修蔵が尋ねた。
「何がじゃ?」
「こうして三人で選挙へ行けることだよ」
わしは少し考えた。
「嬉しいのう」
「それだけ?」
「いや…不思議な気持ちでもある」
わしは歩きながら続けた。
「わしが生まれた頃、この国には将軍がおった。国会も、選挙も、今のような憲法もなかった。それが今では、わしの息子たちが政治に一票を投じる」
光蔵が頷いた。
「父上は、その変化を全部見てきたんだね」
「そういうことになるのう」
やがて投票所に到着した。
人々は順番を待ち、係員の案内に従って投票を済ませていた。
わしは候補者の名前を記し、投票を済ませた。
続いて修蔵。最後に光蔵が投票した。
投票を終えた光蔵は、外へ出ると大きく息を吐いた。
「終わった…」
「どうじゃ、光蔵」
「何だか、思っていたよりあっけなかったよ」
「ははは!」
修蔵が笑った。
「そんなものさ。でも、その一票が大切なんだ」
「そうだね」
光蔵は投票所を振り返った。
「僕が作っている機械は、誰かの生活を便利にするためのものだと思っている。でも今日の一票は、僕自身がこの国の行方を考えて投じたものなんだね」
わしは静かに頷いた。
「その通りじゃ」
その日の夕方、家に帰ると愛海が出迎えてくれた。
「お帰りなさい。いかがでした?」
「無事に三人で投票してきたぞ」
光蔵が嬉しそうに言った。
「母上、僕もちゃんと投票できたよ」
「まあ、光蔵。よかったですね」
愛海は息子の顔を見つめた。
「あなたが三円に届かないと残念がっていた頃を、今でも覚えています。それが、もう立派な有権者なのですね」
「うん」
そのとき、愛海はわしの方を向いた。
「あなた。いつか私たちも一緒に行けたらよいですね」
わしは頷いた。
「そうじゃな。家族みんなで投票所へ行ける日が来れば、どれほどよいことか」
昭和三年(1928)の普通選挙。
わしにとって、それは単なる政治制度の変化ではなかった。家族の歴史に刻まれる、一つの節目だったのである。
七 憲政の常道
普通選挙が実施された頃、日本の政党政治には一つの慣行が形づくられつつあった。
憲政の常道である。
衆議院で多数を占める政党が内閣を組織し、その内閣が退陣した場合には、反対党が政権を担うという考え方だった。
これは憲法に明記された規則ではない。
それでも、政党を中心に政治を運営することが、次第に当然のものとして受け止められるようになっていた。
昭和二年(1927)には憲政会と政友本党が合同して立憲民政党が成立し、立憲政友会との二大政党を中心とする政治が進んでいた。
昭和三年(1928)の総選挙では、政友会と民政党がほぼ同じ議席数を獲得した。
「随分と競り合ったものじゃな」
わしが新聞を読んでいると、修蔵が言った。
「父上、これからは政党同士の争いがますます激しくなりそうだな」
「うむ。だが、争うこと自体が悪いわけではない。意見が違う者同士が、議会で議論し、選挙で民の判断を仰ぐ。それが政治の一つのあり方じゃろう」
修蔵は頷いた。
「鉄道会社でも、方針が違う人たちが話し合うことはある。全員が同じ考えになるわけじゃない」
「そうじゃ。異なる意見があることと、国が乱れることは同じではない」
わしは新聞を畳んだ。
「わしは軍人として、命令を重んじてきた。だが、政治家は軍人とは違う。意見を戦わせることも仕事なのじゃろう」
そして昭和四年(1929)。
田中義一内閣が総辞職し、立憲民政党総裁の浜口雄幸が首相となった。
政党内閣から別の政党を中心とする内閣へ。
憲政の常道と呼ばれる慣行が、政権交代という形で示されたのである。
「浜口雄幸か…」
新聞に載った新首相の写真を眺めながら、わしは呟いた。
後にライオン宰相と呼ばれることになる浜口は、力強い風貌と財政・行政に関する豊富な経験を持つ政治家だった。
わしはその政策のすべてに賛成していたわけではない。
しかし、政党を率いて内閣を組織し、議会で責任を負うという政治の仕組みには、時代の変化を感じていた。
「父上が夢見ていた政治とは、こういうものだったのかもしれぬな…」
父はすでにこの世にいない。
それでも、父の生きた明治と、わしの生きる昭和は、確かにつながっていた。
八 ライオン宰相の襲撃
昭和五年(1930)十一月十四日。
その日、わしは新聞とラジオ放送の知らせによって、耳を疑うような事件を知った。
浜口雄幸首相が、東京駅で狙撃されたというのである。
「何じゃと……?」
わしは思わず立ち上がった。
浜口首相は、陸軍特別大演習の視察へ向かうため、東京駅にいた。
そこで一人の青年に拳銃で撃たれ、重傷を負ったという。
「あなた、どうなさったの?」
愛海が驚いて尋ねた。
「浜口首相が撃たれたそうじゃ」
「まあ…!」
愛海は口元に手を当てた。
「命は?」
「重傷とのことじゃ。まだ詳しいことは分からぬ」
わしは椅子に腰を下ろした。
東京駅。その場所を聞いた瞬間、九年前の出来事が頭をよぎった。
大正十年(1921)、原敬首相が東京駅で暗殺された事件である。
あのときも、わしは大きな衝撃を受けた。
そして今、再び首相が東京駅で襲われた。
「なぜじゃ…」
思わず声が漏れた。
「なぜ、政治の意見が違うというだけで、人を撃つのじゃ」
愛海は静かにわしの隣へ座った。
「あなた…」
「政治には賛成も反対もあろう。浜口首相の政策を批判する者がおるのも当然じゃ。だが、それなら議会で論じればよい。選挙で民に問えばよいではないか」
わしは拳を握った。
「銃で政治を動かそうとするなど、あってはならぬことじゃ」
軍人として、わしは銃の恐ろしさを知っていた。
日清戦争でも、日露戦争でも、銃弾が人の命を奪う場面を見てきた。
だからこそ、政治的な対立に銃を持ち込むことが、どれほど危険なことか分かっていた。
その日の夕方、修蔵が訪ねてきた。
「父上、浜口首相の事件、聞いた?」
「うむ」
「東京駅で起きたなんて…」
修蔵の表情は険しかった。
鉄道に携わる者として、駅という場所には特別な思いがあったのだろう。
「駅は、人が仕事や旅のために集まる場所だ。そこで首相が撃たれるなんて、信じられないよ」
「そうじゃな」
「父上、政治はこれからどうなるんだろう」
わしは答えられなかった。
そこへ光蔵もやってきた。
「僕も聞いたよ」
「うむ」
「僕たち、二年前に初めて三人で普通選挙へ行ったよね」
「覚えておるとも」
「選挙で政治を決める時代になったと思っていたのに、こんなことが起きるんだな」
光蔵は悲しそうに言った。
「僕は、政治の意見が違っても、話し合えばいいと思うんだ」
わしは息子の肩に手を置いた。
「わしもそう思う」
「銃で相手を黙らせたら、もう話し合いなんてできないじゃないか」
「その通りじゃ」
しばらく沈黙が続いた。
わしは窓の外を見つめた。
かつて、武士は刀を持っていた。
父も祖父も、刀を差して生きた時代を知っていた。
しかし父は、刀を失っても誇りを失わず、政治に参加することの意味を考え続けていた。
わしは軍人として銃を持った。
だが、軍人として学んだのは、武器を使う技術だけではなかった。
武器を持つ者ほど、その力を慎重に扱わねばならぬということだった。
「修蔵、光蔵。覚えておいてほしい。国を思う気持ちが強いことと、人を傷つけてよいことは、決して同じではない」
わしは静かに続けた。
「政治を変えたいのなら、言葉を尽くさねばならぬ。選挙があるなら一票を投じればよい。異なる意見があるなら議論すればよい。それを銃で解決しようとすれば、最後には誰も安心して物を言えなくなる」
修蔵が深く頷いた。
「分かったよ、父上」
光蔵も答えた。
「僕も、そう思う」
わしは二人の顔を見つめた。
明治生まれの息子たちが、昭和の政治について自分の言葉で考えている。
それは、わしにとって大きな希望だった。
九 明治から昭和へ続く一票
その夜、わしは一人で机に向かった。
机の上には、古い家族写真が置かれていた。
父・権兵衛。
母・志帆。
兄・寛之助。
妻・愛海。
そして、まだ幼かった修蔵、節子、光蔵、春子。
写真を眺めていると、長い年月が胸に押し寄せてきた。
わしが生まれた元治元年(1864)には、まだ江戸幕府が存在していた。
明治になって身分制度が変わり、自由民権運動が起こり、大日本帝国憲法が発布され、帝国議会が開かれた。
最初の選挙では、限られた男子しか投票できなかった。
それが十円となり、三円となり、ついには納税資格そのものが撤廃された。
そして、わしは二人の息子とともに普通選挙へ行った。
あの日の光蔵の笑顔を、わしは忘れないじゃろう。
しかし、その一方で、女性はまだ選挙権を持たず、政治的な自由を制限する法律も存在していた。
そして今、首相が銃で撃たれる事件まで起きてしまった。
「父上…」
わしは小さく呟いた。
「この国は、随分と変わりましたぞ」
返事はない。
それでも、父がわしの話を聞いているような気がした。
「国会ができ、選挙が広がり、わしの息子たちも一票を持つようになりました。父上が若い頃には、考えられなかったことでしょう」
わしは写真に目を落とした。
「じゃが、まだ安心はできませぬ」
政治の制度が整ったからといって、それだけで国が平穏になるわけではない。
憲法があり、議会があり、選挙があっても、それを支える人々が力による解決を選ぶようになれば、制度は揺らいでしまう。
わしは軍人として長い年月を過ごした。
その人生を誇りに思っている。
だからこそ、軍人が政治に対してどのような距離を保つべきか、考えずにはいられなかった。
「軍は国を守るためにある。政治を銃で動かすためにあるのではない…」
わしは静かに言った。
やがて、愛海が部屋に入ってきた。
「あなた、まだ起きていらしたの?」
「うむ。少し考え事をしておった」
「浜口首相のことですか?」
「それもある」
愛海はわしの隣に立った。
「難しいことを考えるのも大切ですけれど、あまり思い詰めてはいけません」
「ははは。お前にはかなわぬのう」
「あなたは昔から、国のことになると何でも一人で背負おうとなさるのですから」
わしは苦笑した。
愛海は机の上の家族写真を見た。
「でも、あなた。修蔵も光蔵も、立派になりましたね」
「そうじゃな」
「二人とも、自分で考え、自分の言葉で政治を語るようになりました」
「うむ」
「それは、あなたが長い年月をかけて教えてきたことでもあるのではなくて?」
「いや、わしだけではない。父上や母上、そしてお前も、皆で育ててきたのじゃ」
愛海は嬉しそうに微笑んだ。
わしはもう一度、家族写真を見つめた。
国の行方を、一人の人間が決めることはできない。
しかし、家族に何を伝え、次の世代にどのような考えを残すかは、自分にもできる。
それだけは、これからも忘れずにいたかった。
大正デモクラシーが育てた政党政治は、昭和という新しい時代に受け継がれた。
だが、その行く手には、すでに不穏な影が差し始めていた。
それでも、このときのわしには一つの願いがあった。
修蔵や光蔵が、そしていつの日か節子や春子たちも、武器の力ではなく、自らの意思と言葉によって国の未来を選べること。
その願いを胸に、わしは静かに目を閉じた。
昭和五年の秋。政党政治の行く末には、まだ答えが見えていなかった。




