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第三十四話 国際協調とシベリア出兵

一 世界戦争が終わった後


大正八年(1919)。

前年十一月、世界戦争はようやく終結した。


欧州では四年以上にわたって戦闘が続き、多くの兵士や民間人が命を落とした。街や村は破壊され、長年続いてきた帝国のいくつかも崩壊した。


わしは五十五歳になっていた。

陸軍中将として戦争の推移を見届けたわしにとって、休戦の知らせは何よりの安堵であった。

しかし、戦争が終わったからといって、世界が直ちに平和になるわけではなかった。


「父上、欧州では講和会議が始まったそうだな」


ある日の夕食時、修蔵が新聞を広げながら言った。


「そうじゃ。パリで戦後の秩序について話し合っておる」


「これほど大きな戦争の後だから、決めることも多いんだろうな」


「うむ。国境、賠償、植民地、軍備…。問題は山積みじゃ」


光蔵も興味深そうに尋ねた。


「父上、これで世界から戦争がなくなるのかな?」


わしは少し考えた。


「そう願いたいものじゃ。しかし、戦争が終わったからといって、国同士の争いまで消えるわけではない」


「そうだよな…」


「大切なのは、争いが起こったとき、武力に頼らず解決できる仕組みを作ることじゃろう」


愛海が頷いた。


「本当にそうですね。戦争のたびに家族が離れ離れになるのは、もうたくさんです」


わしは妻を見つめた。


日清戦争、日露戦争、そして世界戦争。

愛海は三度も、軍人である夫を送り出してきたのである。

その苦労を思えば、平和という言葉は決して軽いものではなかった。


二 パリ講和会議と国際連盟


大正八年(1919)一月、パリ講和会議が始まった。

日本も戦勝国の一つとして参加し、戦後の国際秩序を決める話し合いに加わった。


その中で注目を集めたのが、アメリカ大統領ウィルソンの提唱した国際連盟構想であった。

国家同士が協力し、紛争を平和的に解決するための国際組織を設けるという考えである。


「国際連盟か…」


わしは新聞を読みながら呟いた。


「父上、どう思う?」


修蔵が尋ねた。


「理想としては、素晴らしいものじゃ」


「理想としては?」


「うむ。国々が話し合いによって争いを解決できれば、戦争を防げるかもしれん。しかし、各国が自国の利益ばかりを優先すれば、組織があっても十分に機能せぬじゃろう」


修蔵は頷いた。


「確かに、約束を守らなければ意味がないな」


「そういうことじゃ」


日本代表団は、国際連盟規約に人種差別撤廃の趣旨を盛り込む提案も行った。

しかし、賛成する国があった一方、反対や留保もあり、規約には採用されなかった。


わしはその知らせを複雑な思いで受け止めた。


「人種によって扱いを変えるべきではないという考えさえ、簡単には認められぬのか…」


ただし、日本自身も朝鮮や台湾を統治していた。

外国に平等を求める一方で、自国の支配下にある人々をどう扱うのか。

その問題を避けて通ることはできなかった。


翌大正九年(1920)一月、国際連盟が正式に発足した。

日本は常任理事国の一つとなった。


わしは新聞を畳み、静かに呟いた。


「これが、新しい平和の始まりになればよいのう」


三 朝鮮と中国で高まる民族運動


しかし、国際協調への期待が高まる一方、アジアでは民族運動が活発になっていた。


大正八年(1919)三月一日。

日本の統治下にあった朝鮮で、独立を求める大規模な運動が始まった。

三・一独立運動である。


「朝鮮で独立運動が広がっているのか…」


わしは軍の報告を読みながら考え込んだ。


日本は一九一〇年に韓国を併合していた。

しかし、日本の統治に反発し、独立を望む人々は少なくなかった。

運動は朝鮮各地へ広がり、日本側の警察や軍による弾圧で多くの死傷者が出た。


わしは報告書を置いた。


「国を守りたいという気持ちは、どこの国の人間にもあるはずじゃ…」


わし自身、幕末の動乱を経験した父や祖父から、国のあり方をめぐる争いについて何度も聞いていた。

それだけに、朝鮮の人々が独立を求める気持ちを、単なる騒乱として片づけることはできなかった。


五月には、中国でも大規模な学生運動が起こった。

五・四運動である。


パリ講和会議で、ドイツが山東省に持っていた権益を日本へ引き継ぐことが認められる方向となり、中国国内では強い反発が広がっていた。


「父上、今度は中国でも日本への反対運動が起こっているらしいな」


光蔵が新聞を持ってきた。


「そうじゃな」


「日本は世界戦争で勝ったのに、どうして反発されるんだ?」


「日本にとっては戦争で得た権益でも、中国の人々にとっては自分たちの土地に関わる問題じゃからな」


光蔵は黙って考え込んだ。


「勝った国の都合だけでは、平和にはならないんだな」


「…そういうことじゃろう」


世界は国際協調を掲げ始めた。

しかし、その理想を実現するには、戦勝国自身の行動も問われていたのである。


四 父の死と再び届いた命令


大正九年(1920)九月。

わしの父・権兵衛が八十七歳で亡くなった。


江戸幕府に仕え、明治の警察官として働き、大正には地域の大長老として人々に慕われた父。

その死は、わしの心に大きな穴を残した。

父の葬儀を終えてからも、わしは時折、父の部屋を訪ねていた。

そこには、長年使われていた机や杖が残されていた。


「父上…」


わしは小さく呟いた。


『古いものをただ憎むな。新しいものをただ恐れるな』


父が最期に遺した言葉を、何度も思い返していた。


そんな折、軍から新たな任務についての知らせが届いた。

シベリア方面への派遣である。


ロシアでは、一九一七年の革命によって帝政が崩壊し、翌年から日本を含む各国がシベリアへの軍事干渉を始めていた。


日本軍の出兵も、すでに二年以上続いていた。

当初はチェコスロバキア軍団の救援などが掲げられていたが、各国の思惑は異なり、日本軍は他の主要な出兵国が撤退した後も駐留を続けていた。


わしは、交代要員として現地の部隊運用や補給を監督する任務に就くこととなった。


「…また、国外か」


五十六歳。

父を亡くしたばかりのわしは、再び家族と離れることになった。


五 出征前の家族


出発前夜、わしは家族に任務について話した。


「愛海。わしはしばらくシベリアへ行くことになった」


愛海は静かに目を伏せた。


「…そうですか」


「すまぬ」


「あなたが謝ることではありません。でも、今度は寒い土地なのでしょう?」


「うむ。冬は非常に厳しいと聞いておる」


「もう五十六歳なんですから、身体を大切にしてくださいね」


「分かっておる」


修蔵も心配そうに言った。


「父上、世界戦争は終わったんじゃなかったのか?」


「終わった。しかし、ロシアでは革命後の内戦が続いておる」


「それで日本軍が出兵しているのか…」


節子が口を開いた。


「父上、戦争が終わっても、兵士たちは帰れないのね」


「そうじゃな…」


光蔵も尋ねた。


「父上、シベリアでは何をするんだ?」


「現地の部隊の運用や補給を監督する。寒さや交通事情も厳しい土地じゃからな」


春子は、わしの袖を握った。


「お父様…また遠くへ行ってしまわれますの?」


「ああ。だが、必ず帰ってくる」


「本当ですわね?」


「もちろんじゃ」


春子は少し考えてから言った。


「では、わたくし、お父様がお帰りになるまで、毎日お祈りしておりますわ」


わしは春子の頭を優しく撫でた。


「ありがとう、春子」


愛海は静かに微笑んだ。


「あなた。お義父様が亡くなられて、まだ間もないのですから…無理だけはしないでください」


わしは頷いた。


「父上の言葉を胸に、務めを果たしてくる」


そうして、わしは再び家を後にした。


六 極寒のシベリア


シベリアの冬は、わしが想像していた以上に厳しかった。

雪に覆われた大地。

凍りつく道路。

吐く息さえ白く凍りそうな寒さ。


「…これがシベリアか」


わしは厚い外套の襟を立てながら呟いた。


日清戦争では中国大陸の暑さと病気に苦しみ、日露戦争では満州の寒さを経験した。

しかし、シベリアの寒さはまた別の厳しさがあった。

兵士たちは凍傷や病気に苦しみ、補給にも多くの困難があった。


「中将閣下、物資の輸送が遅れております」


若い将校が報告した。


「原因は何じゃ?」


「鉄道の混乱と厳しい寒さです」


わしは地図を広げた。


「無理に前進させるな。まずは兵たちの食料と防寒具を確保せよ」


「はっ!」


わしは続けた。


「敵と戦う前に、寒さで兵を失ってはならん」


将校は深く頭を下げた。


現地では、ロシア革命後の内戦によって政治勢力が入り乱れ、住民の暮らしも不安定になっていた。

日本軍の駐留に反発する人々もいた。


わしは、ある村を通過した際、家の前に立つ老人と幼い子どもの姿を見た。

二人は、警戒するように日本兵を見つめていた。


「あの子らも、戦争に巻き込まれておるのじゃな」


わしは小さく呟いた。


遠い異国の地であっても、家族を守りたいという気持ちは同じであった。

その光景を見たとき、わしは日本に残してきた義蔵や、まだ幼い孫たちのことを思い出した。


七 国際協調と出兵の矛盾


シベリアでの任務を続けるうち、わしの心には一つの疑問が強くなっていった。

世界戦争が終わり、国際連盟が発足した。

各国は平和と協調を掲げている。

それなのに、日本軍は依然としてロシアの地に駐留していた。


ある日、わしは部下の将校と話していた。


「中将閣下、我々はいつまでここにいるのでしょうか」


「…分からん」


わしは正直に答えた。


「当初の出兵目的と、現在の状況は随分と変わっておる」


「他国の軍隊は、すでに撤退を進めています」


「うむ」


わしは雪原を見つめた。


「国際協調を掲げながら、他国の内戦へ深く関わり続けることには、慎重でなければならん」


将校は黙っていた。


「軍人は命令に従う。しかし、命令の先に何があるのかを考えなくてよいわけではない」


わしは続けた。


「戦争は、始めることよりも終わらせることの方が難しい場合がある」


その言葉は、日清・日露戦争、そして世界戦争を経験してきたわし自身への戒めでもあった。


八 帰国と家族の再会


大正十年(1921)


交代任務を終え、わしは日本へ帰国した。

長い船旅と鉄道での移動を経て、ようやく東京の我が家へ戻った。


「ただいま!」


玄関で声をかけると、真っ先に春子が駆け寄ってきた。


「お父様!」


春子はわしの胸に飛び込んできた。


「お帰りなさいませ!」


「おお、春子。元気にしておったか!」


「もちろんですわ!でも、とても心配しておりましたのよ!」


わしは春子の長い黒髪を優しく撫でた。


「すまなかったのう」


愛海も玄関へ出てきた。


「あなた、お帰りなさい」


「愛海。ただいま」


「無事で何よりです」


修蔵、節子、光蔵も集まってきた。


「父上、お帰り!」


「本当に無事でよかったわ」


「シベリアはどうだった?」


わしは苦笑した。


「寒さだけは、二度と経験したくないのう」


家族は笑った。


そして、義蔵が駆け寄ってきた。


「祖父上!」


「おお、義蔵!」


わしは孫を抱き上げた。


「大きくなったのう!」


「祖父上、どこに行ってたの?」


「とても寒い国じゃ」


「雪がいっぱいあるの?」


「そうじゃ。見渡す限り、雪ばかりじゃった」


義蔵は目を輝かせた。


「すごい!」


わしは微笑んだ。

しかし、その雪原で見た兵士たちや住民の苦しみを、幼い孫にどう伝えるべきか、少し迷った。

やがて、義蔵がもっと大きくなったときに話そう。


九 ワシントン会議と軍縮


同じ大正十年(1921)十一月。

アメリカのワシントンで、海軍軍縮と太平洋・東アジアの諸問題について話し合う国際会議が始まった。

ワシントン会議である。

日本からも代表団が参加し、列強の海軍力や中国をめぐる問題について協議が行われた。


ある日、兄上が我が家を訪ねてきた。


「蔵之助、今度は海軍の軍縮が大きな問題になっておる」


「兄上、ワシントン会議のことですな」


「そうじゃ」


兄上は新聞を広げた。


「主力艦の保有量を制限する話し合いが進んでおる」


「海軍にとっては、大きな転換になりますな」


「うむ。これまで各国は、より強力な戦艦を建造しようと競争してきた。だが、それを続ければ莫大な費用がかかる」


兄上は少し考え込んだ。


「軍縮に不満を持つ者もおるじゃろう。しかし、軍備競争を抑えることにも意味はある」


わしは頷いた。


「陸軍も同じじゃ。軍備を整えることは必要じゃが、国民の暮らしを犠牲にしてまで拡張を続けるべきかは考えねばならん」


翌大正十一年(1922)。

ワシントン海軍軍縮条約が調印され、アメリカ、イギリス、日本などの主力艦保有量に制限が設けられた。


また、中国の主権や領土保全、門戸開放などを定めた九カ国条約も結ばれた。

日英同盟に代わる四カ国条約も成立し、太平洋地域の国際関係は新しい枠組みへ移っていった。


兄上は静かに言った。


「蔵之助。わしらが若い頃は、強い軍艦を持つことが国の力を示すと考えられておった」


「そうでしたな」


「それが今や、軍艦の数を減らすことを各国で話し合っておる」


わしは微笑んだ。


「時代が変わったということでしょうな」


「うむ。願わくば、よい方向へ変わってほしいものじゃ」


十 シベリアからの撤兵


大正十一年(1922)。

日本政府はシベリアからの撤兵を進め、十月にはウラジオストクから日本軍が撤退した。

もっとも、北樺太には日本軍が引き続き駐留しており、すべての派兵が終わったわけではなかった。


わしはその知らせを聞き、静かに息を吐いた。


「ようやく、一区切りか…」


シベリア出兵では、多くの兵士が厳しい寒さや戦闘、病気に苦しんだ。莫大な費用も費やされた。

しかし、当初掲げられた目的と、その後の長期駐留の結果を考えると、得られたものが何であったのか、簡単には答えられなかった。


わしは父上の遺影を見つめた。


「父上……」


江戸幕府の終焉を見届け、明治という新しい時代を生き抜いた父。その父は、わしにこう言った。


『古いものをただ憎むな。新しいものをただ恐れるな』


わしは静かに頷いた。


軍人としての誇りを持ちながらも、軍のあり方を問い続けること。

それもまた、父上から受け継いだ生き方なのかもしれなかった。


十一 平和を願う家族


大正十一年(1922)の冬。

わしは家族とともに夕食を囲んでいた。


「父上、国際連盟ができて、軍縮も進んでいるんだな」


修蔵が言った。


「そうじゃ」


「これで、もう大きな戦争は起こらないといいな」


「うむ。そう願いたい」


節子も口を開いた。


「子どもたちには、戦争のない時代を生きてほしいわ」


光蔵は頷いた。


「僕も、機械が戦争より暮らしのために使われる世の中がいいよ」


春子は両手を胸元で合わせた。


「わたくしも、皆様が平和に暮らせる世界を願っておりますわ」


愛海は微笑んだ。


「本当にそうね」


わしは家族の顔を見渡した。


世界戦争が終わり、国際連盟が発足し、軍縮が進められている。

しかし、朝鮮や中国では民族運動が起こり、シベリアでは長い軍事干渉が続いた。


平和を願うことと、実際に平和を築くことは違う。

わしはその難しさを、軍人として痛感していた。


そのとき、義蔵が尋ねた。


「祖父上、戦争って、もう終わったの?」


わしは孫を見つめた。


「大きな世界戦争は終わったぞ」


「じゃあ、もうみんな仲良くできる?」


わしは少し考えた。


「…そうなるように、大人たちが努力せねばならんのう」


義蔵は嬉しそうに頷いた。


「僕も、大きくなったら頑張る!」


わしは微笑み、義蔵の頭を撫でた。


「そうか。頼もしいのう」


窓の外には、静かな冬の夜が広がっていた。


わしは五十八歳になっていた。

江戸時代に生まれ、明治の戦争を経験し、大正の世界戦争と国際協調を見届けてきた。


そして今、軍人として一つの願いを抱いていた。

軍備の強さだけでは、真の平和は守れない。国々が互いの立場を尊重し、争いを話し合いで解決する努力こそが必要なのだ。


それが容易でないことは、わし自身がよく知っていた。

しかし、だからこそ諦めてはならない。

わしは家族の笑顔を見つめながら、静かに思った。

この平和が、どうか長く続きますように。

そして、義蔵たちの世代が、わしらのように幾度も戦争を経験せずに済みますように。


大正という時代は、国際協調への希望を掲げながら、なお多くの矛盾を抱えて進んでいた。

その行く先に何が待っているのか、わしには分からない。

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