第二十九話 明治天皇崩御
「兄ちゃん」
遠い昔の声がした。
「なんじゃ、葵」
「明治って、いつまで続くのかな」
まだ、わしらが子どもだったころ、明治になって、それほど長い年月が経っていなかったころ。
幼い弟・葵が、何の気なしに聞いたことがあった。
「知らん」
幼いわしは答えた。
「ずっと明治なんじゃないか」
「ずっと?」
「たぶんな」
葵は、「ふうん」とだけ言った。
もちろん、子どもの会話だった。
元号が何なのか。
天皇が代われば元号も変わるということ。
一つの時代がいつか終わるということ。
そんなものを、本当の意味では理解していなかった。
やがて葵は六歳で亡くなった。
あの問いだけが、ときどき不思議なほど鮮明に蘇った。
「明治って、いつまで続くのかな」
大人になったわしも、その答えを知らなかった。
そして明治四十五年(1912)七月。
ついに、その答えを知る日が来た。
数日前から、明治天皇の御容体が思わしくないという話は広まっていた。
新聞を見る。
人々が話す。
宮城の周囲にも、天皇の快復を願う者たちが集まっているという。
軍の中にも緊張した空気があった。
わしも落ち着かなかった。
明治天皇。
わしが物心ついた時には、すでにこの国の天皇だった。
わしの人生から明治天皇を取り除くということが、どうしても想像できなかった。
そして七月三十日、知らせが届いた。
明治天皇崩御。
一瞬、文字の意味が分からなかった。
読めている。意味も知っている。
だが、頭が受け入れなかった。
「…崩御?」
もう一度読んだ。
間違いではない。
明治天皇が亡くなった。
嘉仁親王が新たに天皇となる。
元号は大正。
その日から、もう明治ではない。
「大正…」
口にしてみた。聞き慣れない。
まるで外国の言葉のように感じた。
昨日まで、明治四十五年だった。今日は、大正元年。
暦の上では、ただ文字が変わっただけだった。
だが、わしには自分の人生の一部まで突然切り取られたように感じられた。
家へ帰ると、愛海が待っていた。
わしの顔を見ただけで察したらしい。
「聞きました」
「ああ」
それだけで、しばらく何も言えなかった。
修蔵たちも集まってきた。
二十三歳になった修蔵。
十九歳の節子。
十五歳の光蔵。
十歳の春子。
同じ知らせを聞いても、受け止め方はそれぞれ違った。
修蔵は新聞を何度も読み返した。
「本当に明治じゃなくなるんだな」
「そうじゃ」
「俺、生まれてからずっと明治だったから…変な感じだ」
「わしもじゃ」
「父上は明治が始まる前から生きてるだろ」
「ああ」
「なら、もっと変なのか」
「…そうだな」
節子は、
「明日から学校では『大正』と教えることになるのですね」
と言った。
教員らしい受け止め方だった。
「昨日まで明治四十五年と書いていたのに」
節子は自分の手元の紙を見た。
「子どもたちも戸惑うでしょうね」
光蔵は、
「機械とか鉄道は何も変わらないのに、時代だけ急に変わるんだね」
と言った。
「そうじゃな」
「大正になったからって、時計の中身が変わるわけじゃないだろ?」
「当たり前じゃ」
「じゃあ時代って何なんだろ」
十五歳の少年の素朴な問いだった。
わしにも答えられなかった。
春子は、いつものように静かだった。
腰まで伸びた艶のある黒髪を整えながら、
「父上」
と呼んだ。
「何じゃ」
「明治天皇さまは、父上が小さいころからずっと天皇さまでいらしたのですよね?」
「ああ」
「でしたら…父上は、お寂しいのですね」
わしはしばらく答えられなかった。
「…そうかもしれんな」
十歳の娘に言われて、初めて自分の感情の名前が分かった気がした。
悲しい。
驚いた。
不安だ。
それだけではない。寂しかった。
翌日、父上・権兵衛のところへ行った。
父上は七十九歳。元旗本。
徳川の世を成人として生きた人間だった。
わしが部屋へ入ると、父上は新聞を前に座っていた。
「父上」
「ああ」
「聞かれましたか」
「聞いた」
父上が、ぽつりと言った。
「また、わしの時代が終わったか」
その言葉に胸を突かれた。
「また?」
「徳川が終わった。将軍がいなくなった」
「はい」
「明治になった」
「はい」
「そして、その明治天皇まで逝かれた」
父上は遠くを見るような目をした。
「わしは、いったい何時代を生きればよいのだろうな」
冗談めかしていたが、声には重みがあった。
父上は孝明天皇の時代も知っている。
徳川幕府も知っている。
明治維新を知っている。
廃藩置県。
廃刀令。
警察制度。
自由民権。
帝国憲法。
日清戦争。
日露戦争。
そして条約改正。
「大正か、わしが大正まで生きるとはな」
父上がそう呟いた。
その一方、母上・志帆は、父上より静かに受け止めていた。
「そう」
知らせを聞いた時も、その一言だったという。
だが、悲しんでいないわけではない。
「母上は驚かなかったのですか」
わしが尋ねた。
「驚きましたよ」
「では、なぜそんなに冷静なのです」
母上は少し笑った。
「時代が変わるところを、もう一度見たことがありますから」
幕末。明治維新。
母上は若い女性として、その巨大な変化を経験した。
「どんな時代も、始まった時には永遠に続くように思うものです」
母上は言った。
「でも続かない。人も同じですよ」
祖母・美帆のことを思い出した。
母上は続けた。
「だから、明治が終わること自体には驚きません。ただ、随分遠くまで来たとは思いますね」
兄上・寛之助とも会った。
兄上は五十歳になろうとしていた。
「蔵之助」
「兄上」
「大正じゃぞ」
「ええ」
「慣れん」
「わしもじゃ」
二人で新聞を見る。
大正元年。それだけで妙だった。
兄上が笑った。
「明治元年を覚えておるか」
「微かに」
「わしも六歳だったからな」
兄上の方が、わしより少し記憶は濃い。
上野戦争。
町の不安。
新しい元号。
大人たちが、「明治だ」と言っていたこと。
そのころ父上はまだ刀を差していた。
祖父・金右衛門も生きていた。
祖母・美帆も元気だった。
葵もいた。
「葵が言ったことを覚えておるか」
わしが聞いた。
兄上が少し考えた。
「何じゃ」
「『明治っていつまで続くのかな』」
兄上の顔が変わった。
「ああ」
「覚えていたのか」
「覚えておる」
二人とも黙った。
葵がその答えを見ることはなかった。
だが、わしら兄二人は見た。
明治元年から明治四十五年まで。その間に、どれだけのことがあっただろう。
文明開化。
汽車。
ガス灯。
レンガ街。
断髪。
廃刀令。
士族の没落。
西南戦争。
祖父の死。
学校。
軍人への道。
結婚。
修蔵の誕生。
節子。
日清戦争。
光蔵。
美嘉。
春子。
美嘉の死。
日露戦争。
日本の産業化。
鉄道。
工場。
女工。
鉱山。
祖母の死。
条約改正。
そして子どもたちの成長。
「長かったな」
兄上が言った。
「ああ」
だが同時に。
「短かった気もする」
わしは答えた。
明治天皇の崩御後、国全体が喪に包まれていった。
新聞には崩御の記事が大きく載った。
店先や家々には弔意を示すものが見られ、人々はそれぞれの形で時代の終わりを受け止めた。
もちろん、五千万人全員が同じ感情だったわけではない。
だが少なくとも、わしの周囲では、
「明治が終わった」
という事実の重さを感じない者はいなかった。
軍人であるわしには、なおさらだった。
明治という時代に近代陸軍が生まれた。
わしはその陸軍に入った。
二度の戦争を経験した。
明治天皇の名の下で軍務に就いてきた。
その天皇が、もういない。
だが、大正は始まっていた。
時間は止まらなかった。
そして九月十三日。明治天皇の大喪の日。
東京・青山で葬場殿の儀が行われた。
明治天皇の霊柩は、その後、鉄道で京都へ向かう。
修蔵は、
「最後も汽車なのか」
と静かに言った。
「明治天皇の時代に生まれた鉄道が、最後に天皇を運ぶんだな」
その言葉が胸に残った。
明治の初め、新橋と横浜の間を走っただけだった汽車。
その鉄道が全国へ伸びた。
そして今、明治天皇の棺を運ぶ。
まるで明治という時代そのものが、自分で作った鉄道に乗って去っていくようだった。
だが、その日の夜、さらに信じられない知らせが届いた。
乃木希典大将が亡くなった。
「…何?」
最初、病死かと思った。違った。
妻・静子とともに、自ら命を絶った。
明治天皇の大喪の日。殉死。
わしは言葉を失った。
乃木大将。
日露戦争。
第三軍。
旅順。
あまりにも多くの兵が倒れた戦場。
わしにとって、乃木大将は遠い歴史上の人物ではなかった。
同じ陸軍に生きる軍人だった。
その人が、明治天皇の後を追った。
「乃木閣下が…」
手が震えた。
理解できない。
いや、理解できる部分があったからこそ、怖かった。
主君に殉じる。
武士の家に生まれたわしには、その考え方が全く異質なものではなかった。
祖父たちの時代。
主君への忠節。
命を捧げる覚悟。
軍人としても、天皇への忠誠、国家への奉仕。そういう言葉の中で生きてきた。
乃木大将ほどの方がそうされたのなら。
自分も、一瞬。本当に、一瞬だった。
「わしも――」
口から出かけた。
「蔵之助さん」
愛海の声がした。
振り向くと愛海が立っていた。
顔が、怒っていた。
「今、何を考えました」
「…何も」
「嘘です」
二十年以上連れ添った妻だった。隠せなかった。
「乃木閣下が」
「乃木さんは乃木さんでしょう」
愛海の声は震えていた。
「あなたは神楽坂蔵之助です」
「だが、軍人として――」
「軍人なら死ななければいけないのですか?」
言葉に詰まった。
「天皇陛下への忠義を――」
「死ぬことでしか示せないのですか?」
愛海が近づいてきた。
「修蔵はどうするんです」
何も言えない。
「節子は」
「……」
「光蔵は」
「……」
「春子は」
胸が痛んだ。
「私は?」
愛海の目に涙があった。
「あなたには、家族がいるんです」
その一言で、頭の中に、全員の顔が浮かんだ。
修蔵、もう鉄道の道を歩き始めた長男。
節子、教壇に立つ娘。
光蔵、相変わらず機械を分解したがる十五歳。
春子、長い黒髪を揺らしながら、「父上」と呼ぶ十歳の末娘。
そして愛海。わしが二十年以上、一緒に暮らしてきた妻。
「あなたが死んで、誰が喜ぶんです」
「……」
「明治天皇ですか?」
答えられない。
「乃木さんですか?」
答えられない。
「子どもたちですか?」
「もうよい」
「よくありません!」
愛海が初めて声を上げた。
「勝手に先に逝こうなんて、許しません!」
その声を聞いて、修蔵たちも来た。
「父上?」
修蔵がわしを見る。
愛海の顔。わしの顔。何かを察したらしい。
「父上」
「なんじゃ」
「変なこと考えてないよな」
「……」
修蔵の顔から血の気が引いた。
「父上」
節子も理解した。
「まさか」
光蔵も黙った。
春子だけが、まだ完全には理解していない。だが不安そうにわしを見ている。
そして、
「父上」
春子が近づいてきた。わしの袖を握った。
「どこにも行かないでくださいませ」
その一言で、何かが崩れた。
「…すまん」
それしか言えなかった。
翌日、父上にも知られた。
どうやら愛海が話したらしい。
「蔵之助」
父上の声は低かった。
「はい」
「座れ」
七十九歳の父に、四十八歳の息子が叱られた。
「お前、わしより先に死ぬつもりだったのか」
「…一瞬です」
「一瞬でも考えるな!」
父上の怒鳴り声を久しぶりに聞いた。
昔の旗本だったころの父上を思わせる声だった。
「親より先に逝くとは何事だ!」
何も言えない。
「わしらは葵を先に見送った。もう一人、息子を見送れと言うのか」
胸を刺された。
葵。幼くして亡くなった弟。
父上はあの時、父親として子を失った。
「親はな、何歳になっても、子を先に送りたいとは思わん」
母上・志帆は、もっと静かだった。
だが、その静けさがかえって苦しかった。
「蔵之助」
「はい」
「美嘉を失った時、あなたはどう思いました」
答えは明白だった。
「…苦しかったです」
「では、同じことを私にさせるのですか」
「……」
「あなたは四十八歳でも、私の息子ですよ」
母上の目に涙が浮かんだ。
「七十近い母親に、息子の葬式をさせないでください」
頭を下げた。
「申し訳ありません」
「私にではありません」
母上は言った。
「生きてください」
兄上にも呼び出された。
「馬鹿者」
第一声がそれだった。
「兄上」
「お前、本気か?」
「もう考えておらん」
「当たり前じゃ!」
兄上はわしの肩を強く叩いた。
「わしより先に行こうとするな」
「父上と同じことを言いますな」
「同じで当然じゃ」
「兄上の方が二歳上なだけでしょう」
「二歳でも兄は兄じゃ」
こんな時なのに、少し笑った。兄上も笑いかけた。
だがすぐ真顔になった。
「蔵之助、乃木閣下を敬うことと、同じ死に方をすることは別じゃ」
「ああ」
「乃木閣下には乃木閣下の人生があった」
「……」
「お前にはお前の人生がある」
愛海と同じことを言われた。
「修蔵たちがいる」
兄上は続けた。
「春子など、まだ十歳じゃぞ」
「ああ」
「父親を失わせる気か」
「ありません」
「なら、生きろ」
短い言葉だった。
だが、軍人同士だからこそ胸に響いた。
兄上も海軍に生きている。
忠義も軍人の覚悟も分かっている。
その兄上が、「生きろ」と言った。
その夜、一人で考えた。
乃木大将の殉死。わしは衝撃を受けた。
その忠義を、理解できる部分もあった。
だが、わし自身が同じ道を選ぶ必要はない。
いや、選んではならない。
わしには、まだ役目がある。
親がいる。
兄がいる。
妻がいる。
子どもたちがいる。
部下がいる。
教えるべき若い軍人がいる。
まだ見届けていない未来がある。
明治天皇に対する忠節を、死によって示すのではない。
明治という時代から受け取ったものを、大正へ持っていく。それが、わしにできる忠義なのではないか。
そう思った。
翌朝、愛海に言った。
「愛海、昨日はすまなかった。もう、後を追うことは考えん」
「本当に?」
「ああ」
「絶対?」
「ああ」
愛海がこちらを見る。
「約束してください」
「約束する」
「私より先に死ぬな、とまでは言いません」
「そこまでは無理じゃ」
「でも、子どもたちを残して、私を残して、勝手に死ぬことだけはしないでください」
「分かった」
愛海はようやく息を吐いた。それから、
「本当に、あなたは時々とんでもないことを考えますね」
「すまん」
「乃木さんの真似をする前に、家で私の言うことを聞いてください」
「それは別ではないか」
「別ではありません」
少しだけ、いつもの愛海に戻った。わしも笑った。
この夏、東京の空気はいつもとは明らかに違っていた。
明治天皇崩御の知らせが広まると、人々の間には自然と華美なことや賑やかな催しを控えようという空気が生まれ、祝い事や宴席を延期したり、娯楽を慎んだりする者もいた。
町から笑い声が完全に消えたわけではない。商いを止めるわけにもいかず、汽車は走り、店は開き、人々は飯を食い、働き、子どもたちは遊んでいる。
それでも、どこか皆が静粛に暮らしているように、わしには感じられた。
新聞を開けば崩御や新帝践祚の記事が目に入り、町を歩けば弔意を示す光景に出会う。
「もう明治ではないのだ」と頭では分かっていても、四十年以上続いた時代が昨日までそこにあっただけに、誰もがすぐ大正という響きへ切り替えられるわけではなかったのだろう。
盛夏の日差しだけは例年と変わらず強かったが、その下を歩く人々の心には、長い明治を見送る静かな影が落ちているようだった。
大正という言葉には、まだ慣れなかった。
書類に、「大正元年」と書く。
妙な感じがする。
明治四十五年と書きそうになる。
町でも同じだった。
人々が、「大正になった」と言う。
新聞にも大正。
役所の書類にも大正。
学校でも大正。
明治は、過去になった。
だが不思議なことに、元号が変わったからといって、人間の暮らしが一晩ですべて変わるわけではなかった。
汽車は同じ線路を走る。
修蔵は鉄道の仕事をする。
節子は子どもたちを教える。
光蔵は機械を触る。
春子は学校へ行く。
母上は印刷を続ける。
父上のところには、地域の者が相談に来る。
兄上は海の話をする。
愛海はわしを叱る。
生活は続く。
それを見て、ようやく分かった。
時代が変わるということは、前の時代が全部消えるということではない。
明治で作られたものを、大正の人間が受け取る。
そしてまた次へ渡す。
人間も同じなのだろう。
祖父から父上へ。
父上からわしへ。
わしから修蔵たちへ。
祖母が見た江戸。
父上が見た幕末。
わしらが生きた明治。
それらは、誰かが覚えている限り完全には消えない。
ある夕方、春子と二人で歩いていた。
「父上」
「なんじゃ」
「大正という言葉、もう慣れまして?」
「まだじゃ」
春子がくすくす笑った。
「わたくしもですわ」
「お前は十年しか明治を生きておらんだろう」
「十年も、ですわ」
十歳の春子にとっては、人生の全部だった。
わしにとっては四十四年。
修蔵には二十三年。
節子には十九年。
光蔵には十五年。
春子には十年。
父上にとっては、人生後半の四十四年。
同じ明治でも、人によって重さが違う。
「父上」
「なんじゃ」
「大正は、どんな時代になるのでしょう?」
わしは空を見た。分からなかった。誰にも分からない。
明治元年のわしらが、明治四十五年の日本を想像できなかったように。
「さあな。でもわしは見てみたい」
春子がこちらを見る。
自分でも驚いた。
数週間前には、明治天皇の後を追うことすら頭をよぎった。
今は違う。大正を見たい。
修蔵がどんな鉄道を作るのか。
節子がどんな子どもを育てるのか。
光蔵が何を作るのか。
春子がどんな大人になるのか。
父上と母上がどこまで長生きするのか。
兄上と、あと何年酒を飲めるのか。
愛海と、あと何年一緒にいられるのか。
見たい。生きたいと思った。
その夜、ふと、遠い昔の葵の声を思い出した。
「明治って、いつまで続くのかな」
答えは出た。明治は、四十五年までだった。
でも、その時代に生きた人間の中では、明治は終わらない。
葵も。
美嘉も。
美帆祖母も。
金右衛門祖父も。
明治天皇も。
皆もういない。
だが、その人たちが生きたことは、わしの中に残っている。
ならば、わしもいつか死ぬ日まで、受け取ったものを次へ渡していこう。
明治の終わりを見届けた者として、大正を生きる者として、そして何より、神楽坂家の父として、わしは前へ進む。そう決めた。
明治四十五年七月三十日。大正元年七月三十日。
同じ一日が、一つの時代の終わりと、次の時代の始まりになった。
わしの人生もまた、その境目を越えた。
明治は終わったが、わしの人生はまだ終わってはいなかった。
第二章を読んで頂きありがとうございます。
次回から第三章に入ります。大正時代がテーマとなり、蔵之助の家族が増えていきます。幕末生まれの軍人は、大正デモクラシーや大正ロマンにどう衝撃を受けるのか、殉死をやめた蔵之助の人生はどこへ向かうのか!?
第三章へ続く…
追記:明治天皇崩御の夏に起こった自粛ムードについての段落を増やしました。




