↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
29/51

第二十七話 明治時代の子どもの家庭生活と学校

第27話の主人公および語り手は、修蔵となります。

俺の名前は神楽坂修蔵。鉄道会社で技師として働く者だ。


俺が結婚したのは、大学を卒業する少し前だった。

相手は俺より三か月ほど年下で、五月生まれ。

そして妙なことに、彼女も鉄道会社で働くことを望んでいた。

俺が幼いころから汽車に夢中だったことを話すと、


「では、ずっと鉄道だったのですね」


と笑われた。


「ずっとどころじゃない。物心ついたころからだ」


「そんなに?」


「ああ。父上には何度呆れられたか分からない」


東京帝国大学の工科大学で学び、いよいよ鉄道の仕事へ進む。

人生の次の段階が見え始めたころ、俺は時々、自分が育った家のことを思い出すようになった。


神楽坂家。

父・蔵之助。

母・愛海。

妹の節子。

弟の光蔵。

そして、亡くなった美嘉。

末の妹・春子。


今ではそれぞれ別の道を歩き始めているが、俺が幼かったころは、当然そんな未来など知らなかった。


俺にとって父上は、最初から「軍人」だった。

家では普通の父親だったが、軍服を着ると別人に見えた。

背筋が伸びる。

声も少し低くなる。

俺が幼いころ、


「父上は何をする人なの?」


と聞いたことがある。

父上は少し考えて、


「国を守る仕事じゃ」


と答えた。


当時の俺には、国がどれほど大きいのかもよく分からなかった。

家の門から向こう全部が国なのかと思っていたくらいだ。


母上は、そんな父上とは対照的だった。

父上が軍人らしいことを言えば、


「家ではもう少し普通にしてください」


と平気で返す。


父上も外では大勢の部下を従えていたのに、家では母上に言い返されると大抵負けていた。

子どもの俺には、それが面白かった。


そして明治二十五年(1892)十月。

俺が三歳の時、節子が生まれた。


もちろん、生まれた日の記憶が細かく残っているわけではない。

ただ、家の中が妙に慌ただしかったことと、


「赤ちゃんが来た」


という感覚だけは覚えている。


俺は母上の横に寝ている小さな妹を覗き込んだ。


「これ、俺の妹?」


父上が答えた。


「ああ」


「ちっちゃい」


「お前もこうだった」


「嘘だ」


父上が笑った。


「本当じゃ」


俺はしばらく節子を眺めていた。

小さい。

泣く。

寝る。

また泣く。


正直、最初はどう接すればいいのか分からなかった。

でも、


「お兄ちゃんですよ」


と母上に言われると、不思議と少し偉くなったような気がした。

長男。兄。まだ意味もよく分かっていないのに、その言葉は俺の中に残った。


その二年後、父上が戦争へ行った。

日清戦争だった。

出征の日、俺は五歳。

節子はまだ一歳だった。


父上は軍服を着ていた。

母上は普段より口数が少なかった。


「父上、どこ行くの?」


「仕事じゃ」


「いつ帰る?」


父上は少し止まった。


「戦争が終わったらな」


「すぐ?」


「…なるべく早く帰る」


幼い俺には、その答えの意味が分からなかった。


父上が汽車に乗る。

俺にとって汽車は大好きなものだった。

でも、その日だけは違った。

汽車が父上を遠くへ連れていく。

俺は初めて、汽車が嫌いになりそうだった。


母上は最後まで泣かなかった。

少なくとも俺たちの前では。

帰り道、節子を抱きながら、


「父上は帰ってきます」


と何度も言った。

俺に言っているのか、自分に言っているのか、分からなかった。


それからしばらくして、俺は小学校へ通い始めた。

当時の尋常小学校は四年制だった。


朝、家を出る。

同じ年ごろの子どもたちと歩く。

教室には机が並ぶ。

読み書き。

算術。

修身。

唱歌。

体操。


今思えば、今の俺を作ったものの一部は、あの教室にあったのだと思う。

俺は学校そのものも嫌いではなかった。


ただし、一番好きだったのは行き帰りに汽車が見えることだった。

先生が何か説明していても、遠くから汽笛が聞こえると、「あ」と窓を見てしまう。


「神楽坂」


「はい」


「こちらを向きなさい」


何度言われたか分からない。


冬、学校で石炭を使うストーブを見たことがあった。

家へ帰って、


「父上、学校で石炭のストーブ使ってた」


と話した。


父上は目を丸くした。


「石炭を?」


「うん」


「教室で?」


「うん」


父上はしばらく黙った。


「わしが子どものころには考えられん」


「何使ってたの?」


「火鉢などじゃ」


「教室に汽車みたいな火があるんだよ」


「汽車みたいな火とは何じゃ」


俺にとって石炭といえば機関車だった。

だから何でも汽車に結びつけていた。

父上は呆れながらも、学校の様子をいろいろ聞いてきた。

今になって思えば、父上は俺の話を通じて、自分の少年時代とは全く違う明治の学校を見ていたのだろう。


そして父上が戦争から帰ってきた日のことを覚えている。

家の前、人の声、母上が先に気づいた。

俺は外へ飛び出した。

軍服姿の父上がいた。


「父上!」


走った。抱きついた。


戦争とは何か。

勝ったとは何か。

清国とはどんな国か。

そんなことはまだ分からなかった。

ただ、父上が帰ってきた。それだけでよかった。


母上は少し離れたところに立っていた。

父上が、「ただいま」と言う。

母上は、「お帰りなさい」と答えた。

それだけだったけど、俺には母上の顔が、それまで見た中で一番安心した顔に見えた。


それから家族は増えていった。

明治三十年(1897)、光蔵が生まれた。

俺は八歳。

もう赤ん坊を見ても、「何だこれは」とは思わなかった。


「弟か」


少し嬉しかった。

男の兄弟ができた。


「修蔵」


母上が言った。


「少し見ていてくれる?」


「うん」


俺は光蔵の横に座った。

赤ん坊なのに、やたら手を動かす。

何でも触ろうとする。


「あいつ、昔からだったんだな」


大きくなってから何度も思った。

光蔵の好奇心は、赤ん坊のころから変わらなかった。


明治三十二年(1899)、美嘉が生まれた。

俺は十二歳だった。


そのころには、完全に「長男」という意識があった。

母上が忙しい時は水を運ぶ。

薪や炭の用意を手伝う。

買い物を頼まれる。

節子の相手をする。

光蔵を見る。

赤ん坊の美嘉が泣けば母上を呼ぶ。


洗濯そのものは母上の仕事が中心だったが、たらいを運んだり、水を汲んだりすることもあった。


「修蔵、助かるわ」


そう言われると嬉しかった。


父上が軍務で家を空けることもある。

その時、俺が男では一番上だ。

そんなことを考え始めた。

今考えれば、十二歳の子どもが背負う必要などない。

だが当時の俺は、本気だった。


美嘉は身体の弱い子だった。

よく咳をした。

でも、よく笑った。

大人しい子だった。


明治三十五年(1902)、春子が生まれた。

これで俺には妹が三人、弟が一人。

家の中は完全に子どもだらけになった。


赤ん坊の春子を初めて抱いた時、「髪がきれいだな」と思った。

まだ赤ん坊なのに黒く艶があった。

美嘉も春子を覗き込んで、「きれい」と言った。

あの言葉だけは、今でも覚えている。


俺たち兄弟は五人になった。

修蔵。

節子。

光蔵。

美嘉。

春子。

あのころは、それが当たり前だった。

この五人でずっと大きくなる、俺はそう思っていた。


だが明治三十七年(1904)一月、美嘉が死んだ。

四歳だった。


病気が悪くなってから、家の空気は変わった。

父上も母上も、美嘉のそばにいる時間が増えた。

節子も静かになった。

光蔵もいつものように騒がなかった。

春子はまだ小さすぎて、何が起きているのか分からない。

俺は十四歳。いや、もうすぐ十五歳になるころだった。


美嘉が息を引き取った時、父上も母上も泣いた。

節子も泣いた。

俺は泣かなかった。泣きたかった。

でも、俺が泣いたら駄目だ、そう思った。

理由などない。長男だから、それだけだった。


葬儀の日も泣かなかった。

棺を見ても、美嘉の顔を見ても、節子が泣いていても、光蔵が黙り込んでいても、幼い春子が何も分からず周囲を見ていても、俺は立っていた。


「兄上」


節子が俺の袖を握った。


「美嘉、もう帰ってこないの?」


俺は答えた。


「…ああ」


それだけ。泣かなかった。


でも夜、春子が寝て、光蔵も寝て、節子も疲れて眠ったあと、家に残っていたのは、父上と母上、それから俺。

美嘉のいない部屋が静かだった。

母上が俺を見た。


「修蔵」


「何」


「もう我慢しなくていいのよ」


その瞬間、全部が壊れた。


「…美嘉、まだ四歳だったじゃん」


声が震えた。


「何で死ぬんだよ」


涙が止まらなかった。


「俺、もっと遊んでやればよかった」


父上が何も言わず俺の肩を抱いた。


「兄ちゃんだったのに」


「修蔵」


「俺がちゃんとしてれば…」


「それは違う」


父上が強く言った。


「お前のせいではない」


母上も俺を抱いた。


「あなたは十分、お兄ちゃんをしてくれました」


俺はその夜、子どものように泣いた。

いや、十四歳なのだから、本当に子どもだった。


長男だから泣かない。

兄だから強くいる。

そう思っていたけど、父上も母上も俺にそれを求めてはいなかった。

そのことを初めて知った。


美嘉の死から、わずか二週間ほど、今度は日露戦争が始まった。

そしてまた、父上が出征することになった。

前とは違った。

俺はもう戦争というものを多少は理解していた。


日清戦争の時のように、「いつ帰る?」だけでは済まない。

ロシアは強い。

父上が死ぬかもしれない。

それを理解していた。


出発の日、俺は父上に言った。


「家のことは俺がやる」


父上が俺を見る。


「無理をするな」


「しない」


「母上の言うことを聞け」


「分かってる」


「弟妹を頼む」


俺はうなずいた。

父上が少し笑った。


「立派になったな」


嬉しくはなかった。

そんなことより帰ってきてほしかった。


父上がいなくなった家で、一番怖かったのは母上だった。

いや、普段から怖いわけではない。

だが父上の手紙が遅れたり、戦地の悪い知らせが新聞に出たりすると、明らかに機嫌が悪くなる。


「母上」


「何です?」


「何でもない」


話しかけるのをやめる。


節子も察していた。

光蔵だけが気づかない。


「母上、この中どうなってると思う?」


「光蔵」


「なに?」


「今日はやめとけ」


「なんで?」


「いいから」


母上がこちらを見る。


「何をしているんです?」


「何でもありません!」


俺と光蔵が同時に答えた。

節子がため息をつく。

春子はまだ二歳。母上の膝に座っていた。


戦争中、俺は本当に家事をよく手伝った。

水を汲む。

買い物。

荷物を運ぶ。

弟妹を見る。

母上の負担を減らす。


節子も手伝った。

年齢が上がるにつれ、節子は驚くほど律儀になった。


「光蔵、座り方」


「いいじゃん」


「よくありません」


「家だよ?」


「家でもです」


「うるさいなあ」


「何ですって?」


光蔵が泣く。春子まで近くで見ていて泣く。

俺が間に入る。


「節子」


「何、兄上」


「言いすぎ」


「でも光蔵が」


「分かってる。でも泣くまで言うなよ」


「甘やかしたら駄目よ」


「お前は母上か」


節子は怒る。


「兄上まで!」


今思えば、節子にも教員になる素質があった。


人にきちんとしてほしい。

間違っていたら直させたい。

それが強すぎて、弟妹を泣かせてしまう。

俺はそのたびに、


「節子、もう少し優しく言え」


と注意した。


ところが光蔵も光蔵だった。

少し目を離すと何かを分解する。

時計。

玩具。

道具。


「光蔵」


「なに」


「それ誰の?」


「家の」


「家の誰の?」


沈黙。


「父上の?」


「…たぶん」


「戻せ」


「今やってる」


「戻せる?」


「たぶん」


「お前の『たぶん』は信用できないんだよ!」


戦地の父上が帰ってきたら、自分の物が分解されている。そんなことになったら大変だ。

俺は父上の代わりに光蔵を止めた。

しかし本人は全く懲りない。


「どうして中を見たいんだ」


「動いてるから」


「動いてるなら開けなくていいだろ」


「動いてるから見たいんだよ」


理解できなかった。

後になって、あいつが本当に機械の道へ進もうとしているのを見ると、「あれも全部始まりだったのか」と思う。


春子は、光蔵とは別の意味で変わった子だった。

少し大きくなると、自分の長い髪を本当に気に入った。

母上や節子に梳いてもらう。

腰近くまで伸びる、艶のある黒髪。


さらに、どこで覚えたのか、段々と上品な言葉遣いまで覚えた。


「修蔵兄さま」


初めてそう呼ばれた時は笑った。


「何だ、その言い方」


「いけませんの?」


「いや、別に」


「では、よろしいですわね」


まだ小学生なのに妙に上品だった。


ところが、中身まで完全に大人しいわけではない。

ある日、俺が机の上に鉄道の図面を置いていた。

少し席を外す。

戻ってくる。

図面の端に、小さな花が置いてある。


「…何だこれ」


春子が少し離れたところで笑っている。


「春子」


「はい?」


「お前だろ」


「何のことでしょう?」


「その言い方する時はお前だ」


「まあ」


「図面の上に物を置くな」


「お花一つですわ」


「一つでも駄目」


「華やかになると思いましたのに」


「図面は華やかにしなくていい!」


光蔵が横で笑っている。

すると春子が、


「では光蔵兄さまの道具箱に入れておきますわ」


「やめろ!」


結局、兄弟全員で笑った。


春子のいたずらは妙だった。

前にも、母上の帽子を猫に被せているところをみて、俺が注意をすると、口元に手を当てて微笑むことだってあった。

悪さというより、


「少しくらいならよろしいでしょう?」


という顔で上品にやる。

母上にはすぐ見抜かれる。

俺にも大体分かった。


日露戦争が終わり、父上が帰ってきた。

その時の俺は十六歳。もう幼児ではない。

日清戦争の時のように走って抱きつく年齢でもなかった。


父上が家へ入る。俺は立っていた。


「父上」


「修蔵」


「お帰り」


「ああ」


それだけ言って、次の瞬間、父上が俺の肩を強く叩いた。


「家を守ってくれたそうだな」


俺は母上を見る。母上が笑っている。


「別に」


強がった。


「できることしただけ」


「それで十分じゃ」


父上が帰ってきて、家の空気が元に戻った。


母上の機嫌も明らかに良くなった。

俺が、


「父上がいると母上分かりやすいね」


と言ったら、


「何がです?」


と怖い声で返された。

二度と言わなかった。


俺が尋常小学校へ通っていたころは、まだ四年が基本だった。

ところが光蔵たちの代になるころには、学校の仕組みそのものが変わっていた。明治四十年(1907)、義務教育が六年へ延びたのである。春子は最初から六年通う世代となるのだろう。


「六年?」


父上は、その話を聞いた時、本気で驚いた。


「お前たちは六年も小学校へ通うのか」


「父上のころは?」


光蔵が聞く。


「わしのころなど、寺子屋から新しい学校制度へ切り替わっていく途中じゃった」


俺が横から笑った。


「父上の子ども時代と比べたら、俺の代だって十分新しいよ」


「それが、お前の弟の代ではさらに変わるのか」


父上は妙に感心していた。


しかも変わったのは年数だけではなかった。

俺が小さかったころは、まだ学校へ通わない子どもも珍しくなかった。家の仕事を手伝う者もいたし、地域や家の事情による差も大きかった。


だが日清戦争のころから日露戦争後にかけて、学校へ通う子どもは急速に増えた。

光蔵が学校へ通うころには、町を歩けば同じ年ごろの子どものほとんどが学校へ行っている。


父上はそれを見るたび、


「わしが子どものころとは、本当に別の国になったな」


と言った。


特に女の子まで当たり前のように学校へ通うようになったことを、父上は何度も話題にした。

節子が教員を目指し、春子が小学校へ通うころには、それは俺たちにとってもう自然な光景になっていた。


でも父上にとっては違った。

江戸の寺子屋を知る父が、六年制の小学校へ通う世代を見ている。

俺はその横で思った。

学校というものも、ほんの一世代でこんなに変わるのか、と。


俺たち兄弟は四人になった。

美嘉はいない。でも、美嘉がいたことを忘れたわけではない。


俺と節子と光蔵と春子。

年齢は随分離れている。

俺と春子では十三歳違う。

だから俺は、春子にとって兄というより、時々もう一人の父親みたいだったかもしれない。


それでも四人でよく遊んだ。

外へ出る。

散歩する。

正月には一緒に遊ぶ。

時には寛之助伯父上の子どもたちまで加わる。


光蔵が何か変な遊びを思いつく。

節子が危ないと言う。

俺が、


「少しくらいならいいだろ」


と言う。


春子がついてくる。

そして本当に危なくなったら、俺が止める。


「兄上って、結局いつも父上みたい」


節子に言われたことがある。


「嫌なこと言うな」


「何で?」


「俺はまだ若い」


「父上だって若いころがあったでしょう」


「そういう意味じゃない」


でも、今なら分かる。

俺は父上の真似をしていたのだ。

父上がいなければ、俺が弟妹を守る。

母上が忙しければ、俺が手伝う。

節子が厳しすぎれば止める。

光蔵が危ないことをすれば注意する。

春子がいたずらをすれば叱る。

それを、「長男だから」と思っていた。


でも、それだけではなかったのだと思う。

俺は家族が好きだった。

だから守りたかっただけなのだ。


大学最後の年、結婚した妻にそんな話をすると、彼女は笑った。


「修蔵さん、昔からお兄さんだったんですね」


「何だよ、それ」


「今もそうですよ」


「俺はもう夫だぞ」


「でも、ご家族の話になると急にお兄さんの顔になります」


自分では分からなかった。


「節子さんのことを話す時は、『あいつは昔から真面目すぎる』」


「事実だ」


「光蔵さんなら、『今でも機械を見ると危なっかしい』」


「事実だ」


「春子さんなら、『あいつは上品そうに見えて意外といたずらする』」


「事実だ」


妻は笑った。


「全部心配しているじゃありませんか」


言われてみれば、そうだった。


俺は鉄道技師になった。

線路。

橋。

駅。

機関車。

列車運行。

子どものころ憧れた世界の中で、今度は自分が働くようになった。


小学校へ行く途中で汽車を見て、


「あれはどうやって動くんだろう」


と思っていた子どもが、本当に鉄道を作る側へ来た。


時々、父上のことを思い出す。

学校で石炭ストーブの話をしただけで驚いていた父上。

父上の少年時代には、汽車すらなかった。

それが俺の少年時代には、汽車を見ながら学校へ通った。

そして今、俺は鉄道技師になった。


時代とは、不思議なものだ。

だが、どれほど世の中が変わっても、俺が一番よく覚えている明治は、戦争でも、鉄道でも、学校でもない。

家だ。


父上が帰ってくる音。

母上の声。

節子が光蔵を叱る声。

光蔵が何かを分解して怒られる声。

春子の、「修蔵兄さま」という妙に上品な声。

そして、今ではもう聞くことのできない、美嘉の小さな声。

それらが全部混ざった家の音だった。


俺が子どもだった明治。

父上や母上に育てられ、兄になり、妹を失い、戦争へ行く父を見送り、帰ってきた父を迎え、学校へ通い、弟妹を叱り、一緒に遊んだ。

その日々は、もう戻らない。


でも、鉄道の汽笛を聞くと、時々思い出す。

五歳の俺が、遠ざかる汽車の中の父上を見ていたこと。

そして十六歳の俺が、帰ってきた父上を迎えたこと。

同じ汽車が、大切な人を連れていくこともあれば、連れて帰ってくることもある。

だからなのかもしれない。俺が鉄道を好きになったのは。


機関車そのものが好きだった。

線路が好きだった。

駅が好きだった。

でも、それだけではなかった。

鉄道は、人と人を離し、また結ぶものだった。


そして今度は、俺がその鉄道を作る側になった。

俺の明治は、まだ続いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。