第二十四話 祖母の死
明治三十九年(1906)二月。
年が明けて間もないころから、美帆祖母は少し風邪気味だった。
最初は、本当にそれだけだった。
「年寄りなんだから、少し休んでいれば治るよ」
祖母自身が笑っていた。
咳が少し出る。
食欲が少し落ちる。
身体がだるい。
八十六歳という年齢を考えれば心配ではあったが、それでも家族の誰も、すぐに最悪のことまでは考えなかった。
何しろ、ほんの数か月前まで大阪へ汽車で旅行していた人である。
東京から大阪へ行き、有馬まで足を延ばし、旅館でもよく食べ、よく話し、帰ってきた後には今度は仙台旅行にまでついてきた。
「八十六まで生きてる婆さんに今さら何を言ってるんだい」
そう笑っていた姿が、まだ昨日のことのようだった。
十二月には、わしと兄上・寛之助、兄上の妻・眞紀子が農村を見に行った話まで興味深そうに聞いていた。
「そうかい。若い娘たちがそんなふうに働いてるのかい」
祖母はそう言った。
文政の世に生まれた人間が、製糸工場や鉄道や鉱山の話を聞いている。
それ自体が不思議な光景だった。
だからわしは、祖母がこの先もまだ何年か生きるような気がしていた。
しかし、風邪は治らなかった。
数日すると、咳が深くなった。
さらに熱が出た。
息をするたびに苦しそうになった。
医師に診てもらった。
肺炎だった。
その言葉を聞いた瞬間、わしは昔のことを思い出した。
父方祖父・金右衛門の最期だった。
祖父は七十九歳の時、肺炎で倒れた。
西南戦争の話を聞きながら、少しずつ身体の自由を失い、時間をかけて弱っていった。
家族にも、
「ああ、祖父上は少しずつ死へ向かっているのだ」
と考える時間があった。
だが、美帆祖母は違った。
ほんの少し前まで歩いていた。
旅行もした。
笑っていた。
それが、肺炎にかかってから急速に弱っていった。
「祖母上」
声をかける。
「…蔵之助かい」
以前ならすぐに身体を起こそうとした祖母が、もう布団の中から顔を向けるだけだった。
「今日は具合はいかがです」
「よくはないねえ」
それでも笑おうとする。
「八十六まで生きたんだから、身体の方が休ませろって言ってるのかもしれないね」
「そんなことを言わないでください」
「冗談だよ」
だが、その冗談に以前ほど力がなかった。
日を追うごとに、祖母は起き上がれなくなった。
食事もほとんど取れない。
水を少し飲むだけで疲れる。
咳をすると、その後しばらく呼吸を整えなければならない。
母上・志帆は、祖母のそばにいる時間が長くなった。
母上にとって、祖母は実の母である。
六十を越えた娘が、八十六歳の母親の布団を直し、額に手を当てている。
その姿を見ていると、不思議な気持ちになった。
母上は、わしにとってはいつまでも母だった。
だが今ここでは、一人の娘だった。
「母さん」
志帆が呼ぶ。
「何だい」
「お水、飲みますか」
「少しだけ」
母上は祖母の身体をそっと起こした。
わしはそれを手伝った。
ほんの数か月前まで自分の足で汽車に乗っていた人とは思えないほど、身体が軽くなっていた。
「軽くなりましたね」
わしが思わず言うと、祖母が笑った。
「旅に行く荷物なら軽い方がいいだろう?」
「祖母上」
「そんな顔するんじゃないよ」
その言葉に、母上は顔を伏せた。
父上・権兵衛もよく見舞いに来た。
義理の母とはいえ、長い付き合いである。
父上がまだ若い旗本だったころから知っている。
祖母は父上を見ると、
「権兵衛さんも歳を取ったねえ」
と言った。
「お義母さまに言われたくありません」
父上が答える。
「昔はもっと怖い顔してたよ」
「今も十分怖いと言われます」
「そうかい?」
祖母が笑う。父上も笑った。
だが笑い終わると、二人とも少し黙った。
祖母が父上の若いころを知っている。
幕府がまだあったころ。
父上が旗本として生きていたころ。
そういう昔を共有できる人間が、また一人いなくなろうとしている。
兄上・寛之助も来た。
「祖母上」
「寛之助かい」
「はい」
「海軍の偉い人になったんだってねえ」
「もう何年も前からそうです」
「知ってるよ」
「なら、なぜ聞くんです」
「昔のお前が、弟と喧嘩して泣いてた顔しか浮かばないからさ」
「祖母上!」
部屋に小さな笑いが起こった。わしまで笑った。
「兄上にもそんな時代があったのですな」
「蔵之助、黙れ」
祖母は嬉しそうだった。
「二人とも、大きくなったねえ」
その言葉には、妙な重みがあった。
わしも兄上も、もう四十を越えている。
陸軍と海軍で大佐になっている。
子どももいる。
それでも祖母にとっては、昔から見てきた孫だった。
数日後、祖母はさらに弱った。
医師の顔も厳しくなった。
「覚悟はしておいた方がよいでしょう」
その言葉を聞いた時、母上は静かにうなずいた。
わしは何も言えなかった。
分かっていた。八十六歳、十分に長く生きた。
江戸時代に生まれ、明治三十九年(1906)まで生きた。
それでも、長く生きたから悲しくないということにはならない。
むしろ長く一緒にいたからこそ、いなくなることが想像できなかった。
二月二十七日。
その日は朝から祖母の呼吸が弱かった。
母上がずっと手を握っていた。
父上も来た。
わしと兄上も呼ばれた。
祖母は目を閉じている時間が増えていた。
それでも時折、ゆっくり目を開ける。
「母さん」
志帆が呼ぶ。
祖母の目が少し動いた。
「志帆…」
「ここにいます」
「そうかい」
しばらくして、祖母は父上を見る。
「権兵衛さん」
「はい」
「長い付き合いだったねえ」
「本当に」
「最初に会ったころは……まだ徳川様の世だった」
「そうでした」
父上の声が少し震えた。
祖母はゆっくり息をした。
「変わったねえ、日本は」
誰も答えなかった。
祖母は続けた。
「私が子どものころは、江戸がずっと続くと思ってたよ」
文政。
天保。
弘化。
嘉永。
安政。
祖母はそのすべてを生きた。
黒船が来た。
幕府が揺れた。
大政奉還。
明治維新。
鉄道が走った。
電信が通った。
西洋の服を着る人が増えた。
日清戦争。
日露戦争。
ついには日本がロシアと戦って勝った。
祖母の人生は、そのすべてを横切っていた。
「ロシアに勝つところまで見るとはねえ」
祖母は小さく笑った。
「若いころの私に言っても、絶対信じなかったよ」
父上も笑った。
「わしもです」
祖母の目は、わしと兄上へ向いた。
「蔵之助」
「はい」
「寛之助」
「ああ」
「二人とも、偉くなったからって… 人を下に見るんじゃないよ」
わしは思わず祖母の顔を見た。
「軍人でも、偉い役人でも、金持ちでも… 人間は人間だからね」
十二月に見た農村の光景が、頭に浮かんだ。
製糸工場の娘。
鉱山へ入る男。
農家。
子どもたち。
祖母は続けた。
「お前たちは、人を守る側にいるんだろう?」
「はい」
「なら、偉くなるほど… 弱い人の顔を忘れちゃいけないよ」
兄上がうなずいた。
「覚えておきます」
「わしもです」
祖母は安心したように目を閉じた。
しばらくして、また口を開いた。
「志帆」
「はい」
母上が祖母へ顔を寄せる。
「お前も長生きしな」
母上の目から涙が落ちた。
「母さんには敵いませんよ」
「私より長く生きりゃいい」
「無茶を言わないでください」
祖母がほんの少し笑った。
そして、ふと遠くを見るような目をした。
「葵……」
わしの胸が詰まった。
わしの弟。
幼くして亡くなった葵。
祖母にとっては孫だった。
「それから… 美嘉ちゃん、一郎」
今度は、わしの娘、そして兄上の長男。
二年前に亡くなった美嘉。
十二年前に亡くなった一郎。
祖母は、美嘉や一郎の葬儀にも立ち会った。
「寂しかったろうねえ」
祖母の声が弱くなる。
母上が泣き始めた。
わしも、もう涙をこらえられなかった。
「祖母上…」
祖母は静かに言った。
「もう大丈夫だよ」
誰に言っているのか、最初は分からなかった。
「葵も…美嘉ちゃんも…一郎も」
そして、ほんの少し笑った。
「おばちゃんが今、迎えに行くよ」
部屋の中から、音が消えたように感じた。
母上が祖母の手を強く握った。
「母さん」
祖母の呼吸が浅くなる。
ゆっくり、一度、また一度。
わしは声をかけた。
「祖母上」
兄上も、
「祖母上」
と呼んだ。
父上は黙って頭を下げた。
祖母の目が、ほんの少し開いた。
「みんな…」
それが最後だった。
息を吐く。次の息が、なかなか来なかった。
そして、来なかった。
母上が祖母の手を握ったまま動かなかった。
「母さん?」
返事はない。
もう一度、
「母さん」
それでも返事はなかった。
田沼美帆。
文政二年(1819)五月生まれ。
明治三十九年(1906)二月二十七日没。
享年八十六歳。
江戸時代に生まれ、明治の終わり近くまで生きた祖母は、静かにその人生を終えた。
母上は、しばらく何も言わなかった。
ただ祖母の顔を撫でていた。
「お疲れさまでした」
やがて、そう言った。
わしはその言葉を聞いて、胸がいっぱいになった。
祖母は本当に長く生きた。
葵を見送った。
幕府を見送った。
江戸を見送った。
孫が軍人になるのを見た。
曾孫たちが生まれた。
鉄道に乗った。
大阪へ行った。
ロシアに勝った日本まで見た。
もう十分ではないか。頭では、そう思う。
だが心では、もっと話を聞いておけばよかった。
もっと昔のことを聞けばよかった。
もう一度旅行へ連れていきたかった。
春子が大きくなるところを見てほしかった。
そんなことばかり考えた。
葬儀には家族が総出で集まった。
父上。
母上。
わし。
兄上。
愛海。
兄上の妻・眞紀子。
わしの子どもたち。
修蔵。
節子。
光蔵。
春子。
兄上の家の子どもたちも来た。
大勢だった。
祖母が生きた八十六年の間に増えた家族が、その死を見送るため一つの場所へ集まった。
修蔵は十七歳になろうとしていた。
祖母の棺を前に、以前よりずっと大人びた顔をしていた。
「曾祖母上、長生きだったんだよね」
「ああ」
「八十六歳って、すごいよな」
「本当にな」
節子は静かに涙を流していた。
「曾祖母上、私が小さいころからずっとお婆さんだった気がする」
「お前が生まれた時には、もう七十を越えていたからな」
「ずっといるものだと思ってた」
その気持ちは、わしも同じだった。
光蔵は祖母について、
「もう大阪行けないの?」
と尋ねた。
「ああ」
「仙台も?」
「ああ」
光蔵は黙った。
しばらくして、
「曾祖母上、汽車好きだった?」
と聞いた。
わしは少し考えた。
「好きだったと思うぞ」
「じゃあ、よかった」
「何がじゃ」
「最後にいっぱい乗れたから」
子どもの言葉だった。だが、その通りだと思った。
春子はまだ三歳。
死を完全には理解していない。
棺の中の美帆祖母を見て、
「おおばあさま、ねてるの?」
と聞いた。
愛海がしゃがんだ。
「もう起きないの」
春子は不思議そうに顔を見た。
「どうして?」
愛海は少し困った。
わしが春子を抱き上げた。
「人はな、ずっと生きているわけではないのじゃ」
春子はわしを見る。
「ちちうえも?」
胸を突かれた。
「いつかはな」
春子の顔が曇った。
「いや」
その一言に、わしは春子を強く抱いた。
「今すぐではない」
愛海が隣から言った。
「春子が大きくなるまで、父上には元気でいてもらいましょうね」
「うん」
春子はわしの軍服を握った。
葬儀が終わった夜。
家へ戻っても、祖母の声が耳に残っていた。
八十六年、長い人生だった。
だからこそ、以前のわしなら、
「大往生だった」
そう考えたかもしれない。
だが美嘉を失い、祖母を見送った今は、少し違った。
死に方だけを見て、幸せな死、不幸な死、そう簡単に分けられなくなっていた。
美嘉は幼くして死んだ。
祖母は八十六まで生きた。
全く違う。
だが残された側が寂しいことは同じだった。
長く生きたから悲しくないわけではない。
早く亡くなったから、その人生が無意味だったわけでもない。
生きた長さと、生きた価値は同じではない。
そんなことを考えるようになった。
そしてもう一つ。死は、突然遠くからやって来るものとは限らない。
戦場で銃弾に倒れることもある。
病が少しずつ身体を蝕むこともある。
美帆祖母のように、つい先日まで歩いていた人が、わずかな間に寝たきりになることもある。
人間は、
「まだ大丈夫だ」
「また今度話そう」
「また次に行こう」
そう思って生きている。
だが、その「また」が必ず来るとは限らない。
それをわしは、ようやく本当の意味で理解し始めていた。
翌日、母上が祖母の遺品を整理していた。
古い物がいくつも出てきた。
江戸のころから持っていたもの。
旅先で手に入れた物。
昔の手紙。
明治になってから買った品。
一つ一つが、祖母が生きた時代そのもののようだった。
母上が言った。
「これでまた、江戸をよく覚えている人が一人いなくなりましたね」
「はい」
祖父・金右衛門もいない。
父方祖母もいない。
母方祖父もとっくにいない。
そして祖母・美帆もいなくなった。
残る親世代は、父上と母上。
兄上とわしも、いつの間にか祖父母から話を聞く子どもの世代ではなくなりつつあった。
今度は、わしらが子どもたちへ伝える番だった。
「母上」
「何です」
「祖母上の話を、修蔵たちに残しましょう、江戸のことも、旅のことも、昔の大阪のことも」
「そうですな」
祖母が死んでも、祖母の見たものまで消えるわけではない。
語れば残る。
書けば残る。
子どもたちがまた、その子どもへ話せばよい。
美帆祖母の死から数日後、わしは一人で空を見上げた。
冬の空だった。
葵。
美嘉。
祖父たち。
祖母たち。
死んだ者がどこへ行くのか、わしには分からない。
軍人だからといって、死を知っているわけではない。
むしろ人の死を多く見たからこそ、分からなくなったことの方が多かった。
だが祖母が最後に言った言葉だけは、信じてみたいと思った。
「おばちゃんが今、迎えに行くよ」
もし本当にその先に何かがあるのなら、幼くして逝った葵と美嘉たちが、長く生きた祖母を迎えているのなら、それは少しだけ、救いのある景色に思えた。
そしてわしは、自分の生き方についても考えた。
人はいつ死ぬか分からない。
ならば、死を恐れて何もしないのではなく、生きている間にできることをする。
家族に会う。
話を聞く。
子どもを育てる。
残せるものを残す。
そして別れる時になったら、
「あれをしておけばよかった」
という思いを、少しでも減らしたい。
美帆祖母の八十六年の人生は、わしにそんなことを教えてくれた。
江戸時代に生まれた祖母が亡くなった。
また一つ、わしの中の江戸が遠くなった。
しかし同時に、その記憶を受け取った者としての責任が、わしの中に残った。
祖母が見た江戸。
祖母が歩いた街道。
祖母が驚いた汽車。
祖母が見届けた明治。
そして、祖母が最後にわしらへ託した言葉。
それらを次の世代へ渡すこと。それが、祖母を見送った四十一歳のわしにできる、一つの弔いだったのである。
神楽坂一郎
寛之助の長男。明治二十三年(1890)生まれ。享年3歳。




