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第二十話 日露戦争

美嘉が亡くなってから、まだ半月ほどしか経っていなかった。

家の中には、美嘉のいない静けさが残っていた。

誰かが笑えば、以前ならそこにもう一つ声が加わっていたような気がする。

食事をすれば、一人分だけ場所が空いているように見える。


光蔵は、美嘉が触った玩具をまだ大切に持っていた。

節子は時々、何かを言いかけて、


「美嘉――」


と口にしてから黙った。

修蔵はもう十五歳だった。

以前より口数が少なくなっていた。

そして春子は、まだ二歳にもならない。

姉がいなくなったということすら、理解してはいなかった。


そんな家に、今度は戦争の知らせが入った。

ロシアとの交渉が決裂した。

そして明治三十七年(1904)二月。

日本とロシアは戦争へ入った。


「また戦なのですか」


愛海の声には、日清戦争の時とは違う重さがあった。


「ああ」


わしは答えた。それ以上、言葉が続かなかった。

ついこの間、娘を葬ったばかりである。

愛海も泣いた。

修蔵も、節子も、光蔵も泣いた。

わし自身も、父親としてどうすればよいのか分からないまま、美嘉の小さな棺を見送った。


その直後に今度は、わし自身が家を離れなければならない。


「いつ行くのです」


「まだ詳しいことは言えん」


「帰ってきますよね」


日清戦争の時と同じ言葉だった。

だが今回は、すぐに「必ず」と答えられなかった。


わしは戦争を知ってしまっていた。

敵弾を知っている。

病を知っている。

命令一つで人が死ぬことを知っている。

だから「必ず帰る」とは、本当は誰にも約束できないことも知っていた。


それでも愛海を見て、


「必ず帰るつもりで行く」


と言った。


出征の日、修蔵は十五歳。

節子は十一歳。

光蔵は六歳。

春子は一歳だった。


日清戦争の時には愛海の背にいた節子が、今ではもう事情を理解してわしを見送っている。

一方で、愛海の腕には今度は春子がいた。


同じような光景なのに、一人足りない。

美嘉がいない。

それを誰も口にはしなかった。


「父上」


修蔵が拳を握りしめながら言った。

声はもうすっかり少年の高い声ではなくなっていた。


「母上たちは俺が守る」


わしは息子の顔を見た。


「お前まで無理に父親の代わりをせんでよい」


「でも長男だから」


「長男でも十五歳じゃ」


修蔵は何か言おうとした。

わしは肩に手を置いた。


「母上を助けてやってくれ。それで十分じゃ」


「…分かった」


節子は泣くまいとしていた。


「父上」


「なんじゃ」


「今度も帰ってきてください」


「ああ」


光蔵は、


「ロシアって遠いの?」


と聞いた。


「遠いな」


「父上、寒いところに行くの?」


「そうなるかもしれん」


「じゃあいっぱい着て」


子どもらしい言葉だった。

だが後に、わしは何度もその言葉を思い出すことになる。


そして愛海に抱かれた春子。

わしの顔を見ながら、


「とううえ」


と呼んだ。

わしは春子の頭を撫でた。

黒く柔らかな髪が、以前より少し伸びていた。

美嘉が最後に褒めた髪だった。


「春子」


小さな手を握った。


「大きくなって待っておれ」


そうして、わしは戦地へ向かった。


――ここから、少しだけ愛海の話。


私の名前は神楽坂愛海。


蔵之助が見えなくなるまで、私は見送った。

あの人は、一度も振り返らなかった。

たぶん、振り返ったら行けなくなると思ったのだろう。


私は分かっていた。日清戦争のころの蔵之助とは違う。

あのころは、まだ若かった。

戦争に勝つとか、国のためだとか、そういう言葉をまっすぐ信じていた。

今も国を思う気持ちは変わっていないけど、戦争で人が死ぬことを、家族も死ぬことを知っている。


美嘉を亡くしたばかりなのに、夫まで戦地へ送らなければならない。

腹が立った。

悲しかった。

怖かった。


でも、軍人の妻なのだから、「行かないで」とは言えなかった。

せめて祈ろうと思った。


私は紙を出した。

上手な歌ではない。

誰かに見せるためでもない。

ただ、蔵之助が帰ってくることだけを願って、一首書いた。


君征きて

遠き満洲

雪の野に

春待つ家へ

かならず帰れ


「春待つ家」は、


この家のことだった。


私。

修蔵。

節子。

光蔵。

春子。


みんなで、あの人が帰ってくる春を待つ。

その紙を私は、しまっておいた。

蔵之助には、帰ってきたら見せようと思った。

「帰ってこなければ」は考えないことにした。


ただ毎朝、今日も生きていますようにと祈った。

夜になれば、明日も生きていますようにと祈った。

妻にできる戦争など、それくらいしかなかった。


――ここから、また、蔵之助の話に戻る。


今度の敵は、清国ではない。

ロシア帝国。世界でも有数の大国だった。


日清戦争に勝った後、日本は三国干渉によって遼東半島を返還させられた。

その中心にいた国がロシアだった。

あの屈辱を、軍人の多くが覚えていた。

わしも覚えていた。

しかし実際に戦争となると、屈辱を晴らすなどという言葉だけでは済まなかった。


わしは陸軍中佐として戦地へ入った。

そして最初に感じたのは、


「これは日清戦争とは違う」


ということだった。


ロシア軍は強かった。

砲兵もいる。

堅固な陣地を築く。

そして何より、機関銃が恐ろしかった。

一度撃ち始めれば、銃弾が続けざまに飛んでくる。

歩兵がまとまって前へ出れば、その列に弾が襲いかかる。


「伏せろ!」


叫ぶ。

土へ身体を押しつける。

頭を上げれば撃たれる。

少し前まで動いていた兵が、次の瞬間には倒れていた。


日清戦争でも銃火は恐ろしかった。

だが今度の戦争では、機械そのものが人間を大量に倒しているように見えた。


「これがこれからの戦争なのか」


わしは思った。

人間が勇敢だから勝つ。

精神力が強ければ勝つ。

そんな単純な話ではない。

敵の機関銃陣地へ正面から兵を送り込めば、勇敢な兵から死んでいくのが現実だった。


わしは部下に何度も言った。


「姿をさらすな」


「地形を使え」


「命令がないのに飛び出すな」


一人の若い兵が言った。


「しかし中佐殿、恐れていては――」


「恐れることと、無駄に死ぬことは別じゃ」


強い口調で答えた。


「生き残って次の命令を果たせ。それも兵の務めじゃ」


そう言いながら、美嘉の顔が浮かぶことがあった。


死んだ人間は帰らない。

どれほど勇敢と褒められても、どれほど立派と言われても、家族にとっては、その人間がいなくなる。

そのことを、わしは誰より強く意識していた。


そしてもう一つの敵が、寒さだった。

満州の冬は、わしが知っていた日本の寒さとは違った。

空気そのものが痛い。

息を吐けば白くなる。

手足の感覚が鈍くなる。

夜になれば、身体の芯まで冷える。


「光蔵の言った通りじゃったな」


わしは一人で苦笑した。


「いっぱい着て」


六歳の息子の言葉だった。

だが戦地では、防寒が命に関わった。

眠る時でさえ完全に身体を休められるわけではない。


寒さ。

疲労。

空腹。

緊張。

そして敵の砲撃。

兵たちの顔から、少しずつ余裕が消えていった。


日露戦争の中でも、とりわけ凄惨だったのが旅順の戦いだった。

ロシア軍は強固な要塞を築いていた。乃木希典大将率いる第三軍は、その攻略に当たり、旅順を攻略した。※1


だが、「攻略した」という一言の陰には、あまりにも多くの死者がいた。

命令を受けた兵たちは、銃火の中へ進んでいった。


乃木将軍の名は国内で大きく知られるようになった。

旅順攻略を成し遂げた将軍として称えられた。

だが現場で兵の死を見ていたわしにとって、その戦いはただ「乃木将軍の活躍」という言葉だけで片づけられるものではなかった。


「あれほどの人間を失わねば、要塞一つ落とせんのか」


そう思ったこともある。

それでも乃木第三軍は旅順を落とし、さらに満州軍へ合流した。


そして明治三十八(1905)年三月。

奉天会戦。

日本軍約二十五万。

ロシア軍約三十一万。

それまでわしが経験したどの戦いよりも巨大だった。※2


地平の向こうまで兵がいるように感じた。

大砲が鳴る。

煙が上がる。

命令が飛ぶ。


人間一人の目では、戦場の全体など到底分からない。

わしは戦時中、その働きを認められ、大佐へ昇進した。

階級章が変わった。

だが、嬉しさより先に責任の重さが来た。

中佐の時より、さらに多くの兵の命に関わる。


「大佐殿」


そう呼ばれるたびに思った。

偉くなったのではない、 背負う人間が増えたのだ。


一方、海では兄上・寛之助が戦っていた。

兄上は戦争前にすでに海軍大佐になっていた。

日清戦争では互いに若い将校だった兄弟が、今では陸海軍それぞれで大佐になっていた。


後になって兄上から聞いた海の戦争は、陸とはまた違うものだった。


帰国後、兄上が言った。


「今回はな、日清戦争の時より、ずっと大きな賭けだった」


「バルチック艦隊か」


「ああ」


ロシアはヨーロッパ側から大艦隊を送り出した。

第二・第三太平洋艦隊。

日本ではバルチック艦隊と呼ばれていた。


何か月もかけて地球を半周するように航海し、日本近海へ迫ってきた。

それを迎え撃ったのが、東郷平八郎大将が率いる連合艦隊だった。


明治三十八年(1905)五月二十七日。

日本海海戦。

兄上はその時のことを、珍しく興奮した口調で話した。


「敵艦隊発見の知らせが入った時は、艦の空気が変わった」


「怖くなかったか」


「怖いに決まっておる」


兄上は即答した。


「相手はロシアの大艦隊じゃ。あれに抜かれてウラジオストクへ入られれば、戦争そのものがどうなるか分からん」


そして東郷平八郎。※3

兄上がその名を口にする時、声に敬意が混じっていた。


「東郷長官はどうだった」


「落ち着いておった」


「本当に?」


「少なくとも、周りにはそう見えた」


兄上は笑った。


「だから皆も動けたのじゃろう」


「海の上から見ても、ロシアに勝てると思っていたのか」


わしが聞いた。

兄上は少し考えた。


「勝たねばならんとは思っていた」


「同じじゃな」


「だが、勝てると決めつけてはおらんかった」


それも同じだった。


そしてついに、戦争は講和へ向い、日本がロシアに勝った。

その知らせを聞いた時の衝撃は、日清戦争の時とは比較にならなかった。

清国に勝った時も、日本中が沸いた。

だがロシアは違った。


西洋の大国。

三国干渉で、日本が屈服させられた相手の一つ。

世界でも強国として知られる帝国。

そのロシアを相手に、日本は戦争を続け、講和へ持ち込んだ。


「本当に勝ったのか」


わし自身でさえ、そう思った。


ただし実際には、日本にも戦争を続ける余力が限られていた。

多くの兵を失い、金も弾薬も使った。

ロシア軍そのものを完全に消滅させたわけでもない。

戦場にいたわしには、


「ロシアを完全に叩き潰した」


などとは、とても思えなかった。

勝利は勝利だった。だが、苦しい勝利だった。


そして明治三十八年(1905)九月五日。

アメリカのポーツマスで講和条約が結ばれた。

日本は南樺太や南満州の鉄道権益などを得た。

しかし国民の多くが期待していた賠償金は得られなかった。


「賠償金がない?」


国内では激しい不満が広がった。

戦争に勝った。

多くの人間が死んだ。

莫大な戦費を使った。

それなのになぜ金を取れないのか、そう考える者が多かった。


九月五日、東京の日比谷公園では講和条約に反対する集会が開かれようとした。

それを警察が阻止しようとしたことから衝突が起き、騒ぎは拡大した。


警察署。

交番。

電車。

さらには一部の教会まで襲われ、火が放たれた。※4


知らせを聞いたとき、わしは複雑だった。


「勝ったのに、今度は国内で焼き打ちか」


兵士たちも戸惑っていた。


「大佐殿。皆、そんなに怒っているのですか」


「それだけ期待しておったということじゃろう」


だが同時に思った。

国民は戦場を知らない、それを責めるつもりはなかった。

新聞では、日本軍が勝ったと報じられる。

旅順陥落。

奉天占領。

日本海海戦大勝利。

それだけを見れば、ロシアを完全に屈服させたように感じるのも無理はない。


だが実際の日本軍は、勝ちながら疲れ切っていた。


「勝った」という一言と、「まだ戦える」という言葉は、同じではないのだ。


やがて、帰還の日が来た。

日本の土地を踏んだ時、日清戦争から帰ってきた時と同じ感覚が蘇った。

銃声がない。

砲声がない。

凍えるような満州の風もない。


そして何より家族がいる。

家へ近づいた。

門が見える。

人影がある。


最初に飛び出してきたのは光蔵だった。


「父上!」


「光蔵!」


大きくなっていた。出征した時には六歳だった。

今は八歳。顔つきも少し少年らしくなっている。


「父上、帰ってきた!」


「ああ」


次に節子。十三歳、少女らしい姿になっていた。


「お帰りなさい、父上」


以前のように泣いて飛びついてくる歳ではなくなっていた。

だが声が震えている。


「ただいま」


修蔵は十六歳になっていた。

わしと目が合った。しばらく何も言わない。

そして、


「お帰り、父上」


と言った。


青年の声だった。

わしが出征した時の十五歳の少年とは、どこか違って見えた。


「背が伸びたな」


「父上がいなかったからね」


「一年そこそこでそんなに伸びるか」


「伸びるよ」


笑った。


そして愛海。

その隣に、小さな春子がいた。


「春子」


呼んだ。


春子はわしの顔をじっと見た。

出征前にはまだ一歳。

長く離れていた。

忘れられていても仕方がない。


「…だれ?」


一瞬、胸が痛んだ。

日清戦争の帰還時の節子と同じだった。

愛海が笑った。


「父上ですよ」


春子はこちらを見る。


「ちちうえ?」


「ああ」


わしはしゃがんだ。


「父上じゃ」


春子は少しずつ近づいた。

そして、わしの軍服に触れた。

黒い髪は随分伸びていた。

美嘉が見た最後のころよりも長い。


「春子、大きくなったな」


頭を撫でた。


その瞬間、わしは四人を順番に見た。

修蔵。

節子。

光蔵。

春子。

全員生きている、それだけで胸がいっぱいになった。


「ああ…」


思わず息を吐いた。

愛海がわしを見た。何を考えているのか分かったらしい。


「みんな無事ですよ」


「ああ」


「蔵之助さんも帰ってきました」


「ああ」


それ以上、言えなかった。


美嘉だけはいない。だが、残された四人は生きている。

わしも帰ってきた。それで十分だった。


その夜、愛海が一枚の紙を持ってきた。


「出征した日に書いたの」


わしは読んだ。


君征きて

遠き満洲

雪の野に

春待つ家へ

かならず帰れ


「……これを、わしが戦地にいる間に?」


「ええ」


「なぜ送らなかった」


「送れば、あなたが余計なことを考えるでしょう」


「余計なこととは何じゃ」


「帰らなければ、と」


「…ずっと考えておったよ」


愛海も泣いた。

わしは、紙を大切にしまった。


父上・権兵衛にも帰国を報告した。


七十を越えた父上は、新聞を読みながらしばらく黙っていた。


「ロシアに勝ったか」


「はい」


「…ロシアにのう」


父上の表情が妙だった。


「そんなに驚きますか」


「当たり前じゃ」


父上はわしを見た。


「わしが若かったころの日本を、お前は知らん」


「聞いてはおります」


「聞くのと見るのは違う」


父上は昔を思い出すように言った。


「黒船が来た。異国の軍艦を見ただけで、幕府中が揺れた。外国とまともに戦えば国がなくなると本気で恐れた」


そして笑った。


「その日本が、ロシアと戦って勝ったと言うのじゃ。何の冗談かと思うわ」


元旗本だった父上にとって、その変化はわし以上に大きかったのだろう。

徳川の世に成人し、西洋列強の力に震えた世代。その人間が、日本がロシアと戦って講和した時代まで生きている。


「日本も変わったものじゃな」


父上はそう言った。


だが母上・志帆は、まるで違った。


「ロシアに勝ったのですって?」


「ああ」


「そう」


それだけだった。


「母上、もう少し驚かないのですか」


「驚いていますよ」


「そうは見えませんが」


母上はわしの顔を見た。そして言った。


「国が勝ったことより、あなたたちが帰ってきたことの方が大事です。母親なんて、そんなものですよ」


母上は穏やかに笑った。

その言葉を聞いて、愛海のことを思った。

戦勝。

領土。

国威。

軍人には重要な言葉である。


だが家族にとって最も大切なのは、帰ってくること、ただそれだけなのかもしれない。


そして美帆祖母。

八十六歳になろうとしていた祖母にも報告した。


「ロシアに勝ったって?」


「はい」


祖母は何度も聞き返した。


「本当に?」


「本当です」


「あのロシアに?」


「はい」


祖母は長く黙った。


美帆祖母が生まれたのは文政二年。

まだ異国船を警戒し、鎖国が当たり前だと思われていた時代である。

祖母が若かったころ、海外など普通の人間には遠い別世界だった。


「私はね、若いころ外国なんてものは、海の向こうにある話だと思ってたよ」


わしは黙って聞いた。


「日本人が外国へ行くことさえ珍しかった。異国の人間を見るだけで騒ぎになった」


そしてわしを見る。


「それが今じゃ、日本人が大陸でロシア兵と戦って帰ってくるのかい」


「そういう時代になりました」


「長く生きるものだねえ」


祖母は笑った。


「でもね、戦に勝った話より、お前がここに座ってる方が、私は嬉しいよ」


母上と同じだった。

わしも笑った。


「女というものは皆、同じことを言いますな」


「当たり前だよ」


祖母は即答した。


「国が勝っても、家族が帰ってこなけりゃ、残された者にとっては負けたのと同じだよ」


その言葉は胸に残った。


勝った、負けた、占領した、撤退した。

そんな言葉が新聞を埋める時代だが、その一つ一つの裏には、帰ってこなかった人間の家がある。

日露戦争を終えた四十一歳のわしは、そのことを以前より深く理解するようになっていた。


日本はロシアに勝った。

世界は驚いた。

父上も驚いた。

美帆祖母は、自分が若かった鎖国の時代と比べて言葉を失った。


そして国中が勝利に沸いた。

だが、わしにとって最も大きかったことは、もっと小さなことだった。


門を開けた時、修蔵がいた。

節子がいた。

光蔵がいた。

春子がいた。

愛海がいた。

そして皆が、「お帰り」と言った。


日露戦争に勝ったことよりも、大佐になったことよりも、その言葉をもう一度聞けたことの方が、わしにはずっと重かったのである。

※1 乃木希典大将率いる第三軍は、その攻略に当たった。第三軍は1904年に旅順攻囲戦を開始し、複数回の総攻撃の末、攻撃目標を二〇三高地へ移し、12月にこれを奪取した。そこから旅順港内のロシア艦隊への砲撃が可能となり、1905年1月、旅順要塞は降伏した。(引用元:アジア歴史資料センター)


※2 乃木の第三軍もロシア軍の側面へ回り込み、退路を脅かす役割を担い、ロシア軍は退却、日本軍は3月10日に奉天を占領した。(引用元:防衛研究所)


※3 東郷率いる連合艦隊は、対馬海峡周辺でロシア艦隊と交戦し、これを撃破した。戦後、日本海海戦は日本の勝利を象徴する出来事として広く語られ、東郷も国民的英雄として扱われることになる。(引用元:アジア歴史資料センター)


※4 後に日比谷焼打事件と呼ばれる騒擾である。(引用元:国立公文書館)

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