第十八話 次男・次女・末娘の誕生
日清戦争から帰って以来、わしは以前にも増して家で過ごす時間を大切にするようになった。
戦地では、帰りたくても帰れなかった者を大勢見た。
家族の話をしながら病で死んだ兵もいた。
だから家へ帰れば、修蔵と節子の声が聞こえる。ただそれだけのことが、以前よりずっとありがたく感じられた。
そして、わしらの家族は、それからさらに増えていった。
明治三十年(1897)五月五日。
次男・光蔵が生まれた。
修蔵は八歳、節子は四歳になっていた。
「男の子ですよ」
産婆からそう聞かされた時、わしは思わず息を吐いた。
三人目ともなれば、修蔵が生まれたころより多少は父親らしく落ち着いていられると思っていた。
だが、そんなものは思い込みだった。
赤子の泣き声が聞こえるまで、わしは家の中を何度も行ったり来たりしていた。
「蔵之助」
父上が呆れたように言った。
「座っておれ」
「座っておれません」
「修蔵の時も同じことをしておったな」
母上が笑った。
「節子の時もですよ」
「…そうでしたか」
「そうでした」
そこへ赤子の泣き声が響いた。わしは立ち上がるように部屋へ向かった。
愛海は疲れ切っていた。
それでも、腕の中にいる赤子を見て微笑んでいた。
「男の子です」
「ああ」
わしはその小さな顔を覗き込んだ。
「光蔵としよう」
修蔵も節子も、弟ができたことを喜んだ。
修蔵はすでに長男らしい顔をし始めていた。
「父上、俺が光蔵の面倒を見る」
「頼もしいな」
「抱いてもいい?」
「座ってからじゃ」
「分かってます」
八歳ともなれば、赤子を抱く姿にも多少の安心感がある。
一方の節子は、光蔵の顔をじっと見ていた。
「どうした」
「小さい」
「お前もこのくらいだった」
「ほんと?」
「本当じゃ」
「こんなに?」
節子は信じられないという顔をした。
母上が笑った。
「節子なんて、もっと小さく見えましたよ」
「いや」
節子が即座に否定したので、皆で笑った。
光蔵は、幼いころから妙に物を触りたがる子だった。
少し大きくなると、家にある道具に興味を示すようになった。
戸の金具。
時計。
ランプ。
玩具。
「光蔵、それは触るな」
何度言ったか分からない。
返事だけはよい。
「はい」
だが、少し目を離す。
すると、
「光蔵!」
部屋の隅で何かが分解されている。
「これは何をしておる」
「中を見てた」
「なぜじゃ!」
「どうなってるか知りたいから」
本人に悪気はない。むしろ真剣だった。
家にあった古い時計を勝手に開けてしまうこともあった。
歯車や小さな部品を前にして、光蔵は目を輝かせていた。
愛海は頭を抱えた。
「またですか」
「またじゃ」
「元に戻せるのですか」
わしは光蔵を見た。
「戻せるか?」
光蔵は黙った。
「光蔵」
「…たぶん」
「その『たぶん』が一番怖いのじゃ」
修蔵が横から笑った。
「父上、もう諦めた方がいいよ。光蔵は絶対またやるから」
実際、その通りになった。
光蔵は大きくなったら機械の世界へ進んでいきそうな気がした。
光蔵が生まれてからしばらくして、わしらにはもう一人、女の子が生まれた。
次女・美嘉である。
そのころ修蔵は十歳、節子は五歳、光蔵は一歳ほどだった。
美嘉は、生まれた時からどこか弱々しいところのある子だった。
もちろん、いつも病に伏していたわけではない。
笑う時にはよく笑った。兄や姉について歩こうともした。
だが、他の子どもたちに比べると熱を出すことが多かった。
咳が続くこともあった。
食欲が落ちることもあった。
「また熱があります」
愛海が言う。
わしは美嘉の額に手を当てた。
熱かった。
そのたびに、わしは昔を思い出した。
幼くして亡くなった弟のこと。
日清戦争の戦地で、病に倒れた兵たちのこと。
子どもの病は、どれだけ経験しても慣れるものではなかった。
美嘉自身は、そんな周囲の心配を知っているのかいないのか、具合が少し良くなるとすぐに笑った。
「父上」
「なんじゃ」
「美嘉、もう大丈夫」
「本当か」
「うん」
「まだ寝ておれ」
「もう元気」
そう言って起き上がろうとして、愛海に止められる。
「今日は寝ていなさい」
「はい…」
少し残念そうな顔をする。
だが、我儘を言い続けることはなかった。
元気な時には兄や姉の後をついて回り、具合が悪くなれば静かに布団へ戻った。
そんな健気さが、かえってわしらを心配させた。
節子は特に美嘉の面倒をよく見た。
「美嘉、お水飲む?」
「うん」
「ゆっくりね」
まだ幼い節子なりに、妹を守ろうとしているのが分かった。
修蔵も、普段は弟たちと騒ぐくせに、美嘉が寝ている時だけは声を抑えた。
光蔵だけはまだ事情を十分理解できず、寝ている美嘉の近くで玩具を鳴らして節子に怒られることもあった。
「光蔵! 静かにして!」
「なんで?」
「美嘉が寝てるでしょう!」
「…ごめんなさい」
兄弟が増えるたび、家の中は賑やかになった。
泣き声がある。
笑い声がある。
喧嘩もある。
誰かが熱を出せば静かになる。
誰かが元気になれば、また騒がしくなる。
父上も母上も、孫が増えるたびに喜んだ。
母上など、
「また増えましたねえ」
と嬉しそうに笑いながらも、
「愛海さん、本当に無理だけはしてはいけませんよ」
と何度も気遣っていた。
父上は表立って大喜びする人ではなかったが、孫の顔を見に来る回数は確実に増えていた。
美帆祖母はさらに面白かった。
「蔵之助の家へ来るたび、子どもが増えている気がするねえ」
「そんな頻繁には増えておりません」
「そうかい?」
「そうです」
「でも、また増えるんじゃないのかい」
その時は笑っていた。
そして祖母の言った通り、本当にもう一人増えた。
明治三十五年(1902)三月三日。
春子が生まれた。
わしは三十八歳になろうとしていた。
愛海は三十三歳。
そして長男・修蔵はすでに十三歳だった。
節子は九歳。
光蔵は四歳。
美嘉は二歳。
同じ兄弟とはいえ、一番上と一番下では、もはや親子と見間違えられそうなくらい年齢が離れていた。
修蔵など、ちょうど声変わりが始まったころだった。
ある朝、
「父上、おはよう」
と言った声が急に低くなったと思えば、次の瞬間にはひっくり返った。わしは思わず修蔵の顔を見た。
「なんじゃその声は」
「俺が知りたいよ!」
修蔵は真っ赤になった。
節子が笑う。
「兄上、変な声」
「うるさい!」
「昨日もひっくり返ってた」
「節子!」
その修蔵が、数か月後には生まれたばかりの妹を抱いている。妙な光景だった。
「父上」
「なんじゃ」
「俺が抱いていいの?」
「十三歳にもなって今さら何を言う」
「だって、小さすぎる」
わしは笑った。
十三年前、修蔵が生まれた時、わしもまったく同じことを言っていた。
「大丈夫じゃ。首を支えてやれ」
修蔵が恐る恐る春子を抱く。
低くなり始めた兄の声を聞きながら、生まれたばかりの妹が眠っている。
十三年という歳月を、これほどはっきり感じたことはなかった。
春子には、生まれた時から一つ目を引くところがあった。
髪だった。
もちろん赤子だから長いわけではない。
だが、黒く、柔らかく、妙に艶のある髪だった。
愛海が最初に言った。
「この子、綺麗な髪ですね」
母上も覗き込む。
「あら、本当」
美帆祖母まで、
「これは将来、立派な髪になるよ」
と言った。
「赤子のうちから分かるものですか」
わしが聞くと、
「女はそういうところを見るんだよ」
と祖母に笑われた。
春子が成長するにつれ、その言葉は本当になった。
髪は真っ直ぐに伸び、黒く艶やかだった。
愛海は丁寧に梳かしてやった。
「春子、動かないで」
「はい」
まだ幼い春子は、鏡の前で大人しく座っている。
節子が横から、
「本当に綺麗な髪ね」
と言う。
美嘉も、
「長いね」
と触りたがった。
光蔵だけは、
「どうしてこんなに伸びるの?」
と別のことを気にしていた。
「お前は何でも仕組みを知りたがるな」
わしが言うと、
「だって不思議だもん」
と真顔で返された。
春子自身は、褒められてもまだよく分かっていない。
ただ愛海に髪を梳かしてもらう時間が好きだったらしい。
やがて、その髪は春子の姿を象徴するものになっていった。
春子が生まれた日の祝いには、兄上・寛之助も来た。
「五人か」
兄上は家の中を見渡した。
修蔵。
節子。
光蔵。
美嘉。
そして春子。
「随分増えたな、蔵之助」
「兄上に言われたくない」
「しかし、お前が五人の父親になるとはな」
「わしも思っておらんかった」
父上が横から言った。
「蔵之助が生まれた時のことを思えば、不思議なものじゃ」
母上もうなずいた。
「本当にねえ」
美帆祖母は、春子を抱く愛海を眺めながら言った。
「こうやって人は続いていくんだねえ」
その言葉に、わしは少しだけ黙った。
祖母は江戸の文化が華やかだった時代に生まれた人だった。
父上と母上は幕末を生きた。
わしと兄上は江戸に生まれ、明治に育った。
そして目の前には、明治しか知らない五人の子どもたちがいる。
修蔵はもう少年から青年へ向かおうとしている。
節子は物事をしっかり考える子になってきた。
光蔵は道具を分解しては怒られている。
美嘉は病弱ながらも懸命に兄姉についていく。
春子はまだ何も知らず、愛海の腕の中で眠っている。
同じ家に、これほど違う年齢の子どもがいる。
一番上の修蔵は、春子が物心つくころにはもう大人に近づいているだろう。
五人を同じように育てればいいわけではない。
それぞれ性格も違う。
身体の強さも違う。
興味を持つものも違う。
ある夜、五人がようやく眠ったあと、わしと愛海は並んで座った。家の中が驚くほど静かだった。
「疲れたか」
わしが聞いたら、愛海は笑った。
「今さら聞くのですか」
「…すまん」
「冗談ですよ」
愛海は眠っている子どもたちの方を見た。
「五人になりましたね」
「ああ」
「修蔵を産んだ時には、こんなに賑やかになるなんて思いませんでした」
「わしもじゃ」
しばらく二人で黙っていた。
「蔵之助さん」
「なんじゃ」
「この子たちを、どんな子に育てたいですか」
難しい問いだった。
以前なら、礼儀正しく、丈夫に、立派に。
そんな言葉を並べたかもしれない。
だが五人を見ているうちに、少し考えが変わっていた。
「同じ人間にしたくはないな」
愛海がこちらを見た。
「修蔵には修蔵の道がある。節子には節子の道がある。光蔵も、美嘉も、春子もじゃ」
「あら」
「なんじゃ」
「昔の武士のお家の父親とは思えない言葉ですね」
「わしは武士ではない」
「でも、お祖父様もお父様も武士でしょう?」
「だからこそじゃ」
わしは答えた。
「祖父上の時代と父上の時代は違った。父上の時代とわしの時代も違う。なら、この子らが大人になる時代は、もっと違うはずじゃ」
愛海は静かに聞いていた。
「親が昔の生き方を押しつけても仕方がない。自分で道を見つけられるようにしてやりたい」
「でも、間違った道へ行きそうになったら?」
「その時は止める」
「頑固ですね」
「父親だからな」
愛海が笑った。
「では私は、困った時に帰ってこられる家にしたいです」
「帰ってこられる家?」
「ええ。外で失敗しても、傷ついても、ここへ帰れば大丈夫だと思える家です」
わしは五人の寝顔を見た。
戦争から帰ってきた時、わし自身がそうだった。
門の前に愛海と修蔵と節子がいた。
あの瞬間、自分には帰る場所があると思った。
「それがよい」
わしは言った。
「わしらで、そういう家にしよう」
愛海がうなずいた。
修蔵。
節子。
光蔵。
美嘉。
春子。
五人の子どもたちは、これからそれぞれ全く違う人生を歩んでいくのだろう。
一つだけ決めていた。
五人を、わしらの思い通りの人間にするのではない。
五人が、それぞれ自分自身の人生を歩けるように育てよう。
軍人として部下を率いることと、父親として子どもを育てることは、どこか似ているようでまるで違う。
兵には命令できる。
だが子どもの人生まで命令することはできない。
そのことを、わしは五人の子どもたちから少しずつ学んでいったのである。




