第十七話 日清戦争
明治二十七年(1894)。
わしが三十歳になった年、日本と清国の間に戦争が始まった。
朝鮮をめぐって日本と清国の緊張が高まっていることは、軍人であるわしも以前から知っていた。
だが、戦争になるかもしれないという話と、本当に出征命令を受けることは、まるで違った。
命令を受けた日の夜、わしは家へ帰ってから、しばらく愛海に言い出せなかった。
愛海はすぐに気づいた。
「何かありましたか」
「…出ることになった」
愛海の手が止まった。
「戦ですか」
「ああ」
短い返事しかできなかった。
結婚したころなら、もっと丁寧な言葉を交わしていたかもしれない。
だがもう、六年も夫婦をしている。
愛海はわしの顔を見れば、何を考えているかある程度分かるようになっていた。
「怖い?」
突然聞かれた。
私は反射的に、
「軍人だからな」
と言った。
「答えになってない」
「…少しは怖い」
愛海は、小さく笑った。
「最初からそう言えばいいのに」
わしは苦笑した。
「格好くらいつけさせてくれ」
「私の前で?」
「妻の前だからじゃ」
「もう六年も一緒にいるのに?」
「六年一緒にいるからじゃ」
そう言うと、愛海は少しだけ目を伏せた。
陸軍士官学校へ進んだ日から、いつか戦場へ行く可能性があることは分かっていた。
愛海にも結婚前から話していた。
それでも、いざその日が来ると、家の空気は変わった。
五歳になった修蔵は、戦争というものをまだほとんど理解していなかった。
「父上、遠くへ行くの?」
「ああ、少しな」
「いつ帰ってくる?」
その質問が一番困った。
「なるべく早く帰る」
わしはそう言うしかなかった。
わしはしゃがんで、修蔵の肩を掴んだ。
「母さんの言うことを聞けよ」
「うん」
「節子を守れ」
「うん」
節子はまだ二歳にもなっていない。
母親の背に負われ、こちらを見ているだけだった。
出征の日。
愛海は節子を背負い、片手で修蔵の手を握って、わしを見送った。
「父上!」
修蔵が叫んだ。
わしは振り返った。
小さな息子が懸命に手を振っている。
愛海の背では、節子も何か分からぬまま小さな手を動かしていた。
愛海だけは笑っていなかった。
泣いてもいなかった。
ただ、まっすぐにわしを見ていた。
「蔵之助さん」
「なんじゃ」
「帰ってきてください」
わしは一瞬、何も言えなかった。
軍人の妻なら「御武運を」とでも言うべき場面だったのかもしれない。
だが愛海が言ったのは、そんな言葉ではなかった。
帰ってきてください。
それだけだった。
「必ず帰る」
そう答えた。
この時ほど、自分の口にした「必ず」という言葉が重く感じられたことはなかった。
わしは陸軍中尉として戦地へ向かった。
士官学校では戦争を学んだ。
地図を読み、部隊を動かし、射撃を行い、陣地を築き、敵の動きを考える。
だが実際の戦場は、紙の上の戦術とは違っていた。
銃声。
砲声。
土煙。
負傷した兵の声。
命令が届かない。
予定していた場所に人がいない。
昨日まで普通に飯を食っていた兵が、翌日にはもういない。
それが戦場だった。
最初に人へ向けて引き金を引いたときのことは、忘れられない。
遠くに清国兵が見えた。
わしは銃を構え、引き金を引いた。
誰の弾が当たったのかは分からない。
敵兵が倒れた。
わしは、喜べなかった。
初めて本格的な銃撃を受けた時、身体が勝手に縮んだ。
わしは中尉だった。
部下の前で怯えた顔を見せるわけにはいかない。
「伏せろ!」
叫んだ。
弾が飛んでくる。
どこから撃たれているのかも、最初の数瞬はよく分からなかった。
士官学校で何度も教わったことを、頭の中で必死に拾い集めた。
敵の位置。
地形。
味方の配置。
進むべきか、退くべきか。
その判断の一つ一つに人の命がついてくる。
「第一分隊、前へ!」
命令を出す。
兵たちが動く。
その背を見た時、わしは陸軍士官学校を卒業した頃に考えたことを思い出した。(第十四話)
命令する者は、その命令によって動く者の命に責任を持たなければならない。
士官学校では、それを言葉として理解したつもりだった。
戦場では、それが恐怖として分かった。
間違えれば死ぬ。
自分ではない。
自分を信じて動いた兵が死ぬのである。
わしらが進んだ遼東の戦場では、旅順へと戦いが続いた。
日本軍は勝った。
敵陣を奪った。
旗が立った。
周囲では、「勝ったぞ!」と歓声が上がる。
わしも声を上げた。
嬉しかった。
生きている。
仲間がいる。
国が勝っている。
三十歳のわしは、その事実に素直に興奮した。
だが、勝った土地には、死体があった。
日本兵も、清国兵も。
勝敗が決まれば、地図の上では一本の線が動く。
新聞には、「大勝利」と書かれる。
だが戦場では、勝利とは生きている者の隣に死んだ者がいることだった。
わしは戦争というものを、初めて身体で理解し始めた。
戦いが終わった夜、わしは何度も兵の顔を数えた。
戻ってきた者。
負傷した者。
戻らなかった者。
勝った。
そう報告される戦闘でも、部隊から人が消えていく。
「勝利」という二文字だけでは、戦場のすべてを表すことなどできないと思った。
そして、戦場でわしらを苦しめたのは清国軍だけではなかった。
病である。
赤痢。
腸チフス。
脚気。
そして何より恐れられたものの一つが、コレラだった。
昨日まで歩いていた兵が、急に激しい下痢と嘔吐に襲われ、身体から水分が失われ、みるみる弱っていく。
戦争である以上、銃弾に撃たれることは覚悟していた。
だが病は、銃声も立てずにやって来た。※1
ある朝、一人の兵が倒れた。
「中尉殿…腹が…」
顔色が悪かった。
すぐに衛生兵を呼んだ。
その日のうちに別の者も症状を訴えた。
「水か?」
「食い物ではないか」
「まさかコレラでは…」
その言葉が出ると、周囲の空気が変わった。
敵兵が近くにいる時とは違う恐怖だった。
どこにいるのか分からない敵。
誰が次に倒れるかも分からない。
水を煮沸する。
食べ物に注意する。
汚物を処理する。
患者を隔離する。
できる限りのことはした。
それでも病は人を選ばなかった。
「あいつ、昨日まで元気だったでしょう」
若い兵が、亡くなった仲間を見ながら言った。
わしは返す言葉を持たなかった。
「戦とは、人間同士が殺し合うだけではないのだな」
ある夜、わしは一人でそう思った。
食糧。
水。
寒さ。
暑さ。
疲労。
病。
戦場では、人間の身体そのものが敵になる。
その経験は、後の軍人人生でも忘れることはなかった。
戦況そのものは、日本側に有利に進んでいった。
平壌で清国軍を破り、翌日には海軍が黄海で清国の北洋艦隊と戦った。
その黄海海戦の話を、後になって兄上・寛之助から詳しく聞くことになった。
兄上もまた、海軍軍人として戦場にいた。
久しぶりに顔を合わせた兄上は、以前より少し痩せて見えた。
「兄上」
「蔵之助。生きておったか」
「それはこちらの言葉じゃ」
互いに笑った。
だが、その笑いには以前とは違うものがあった。
二人とも本物の戦場を知ってしまった。
「海はどうだった」
兄上は少し黙った。
「逃げ場がない」
「逃げ場?」
「陸なら、伏せることもできる。地形に隠れることもできる。艦ではそうはいかん」
兄上によれば、黄海海戦では砲弾が飛び交い、艦の甲板では負傷者が次々と出た。
砲弾が船体を破壊する。
木片や金属片が飛ぶ。
火災が起きる。
負傷者を運びながら、残った者は戦い続ける。
「船は止まれん」
兄上は言った。
「火が出ても、仲間が倒れても、艦そのものを動かし続けねばならん。沈めば皆終わりじゃ」
「怖くなかったのか」
兄上はわしを見た。
「怖いに決まっておる」
その言葉を聞いて、少し安心した。
子どものころから、兄上はわしより二つ年上で、何でも先に進んでいた。
海軍兵学校へ行ったのも先。
少尉になったのも先。
そんな兄上でも、戦場では怖かったのだ。
「蔵之助は?」
「怖かった」
「そうか」
「それ以上に、部下を死なせるのが怖かった」
兄上はうなずいた。
「それも同じじゃ」
陸軍と海軍。
戦う場所は違っても、背負うものは同じだった。
わしは兄上に言った。
「海軍が負けていたら、俺たちはどうなっていた?」
兄上は、少し笑って言った。
「飯が届かなかったかもしれんな」
「それは困る」
「弾も届かん」
「もっと困る」
「だから海軍にも感謝しろ」
「では兄上も、陸軍が港を取ったことに感謝するのじゃ」
「それは考えておく」
そんな話をした。
兄弟だったから、戦争の話をしていても、最後には昔と同じような口喧嘩になる。
だが、互いに分かっていた。
陸だけでは戦えない。海だけでも戦えない。
わしらは別々の場所で、同じ戦争を戦っていた。
明治二十八年(1895)。戦争は日本の勝利へ向かった。
国内では戦勝を祝う声が広がった。
新聞は勝利を報じ、人々は日本が大国・清に勝ったことに沸いた。
わしも、国の軍人として嬉しくないはずがなかった。
江戸時代の終わりからまだ三十年も経っていない。
西洋諸国に追いつこうと必死になっていた日本が、東アジアの大国と戦って勝ったのである。
四月、下関条約が結ばれた。戦争は講和へ向かった。
「終わった」と、知らせを聞いた時、最初に思ったのは勝利ではなかった。
帰れる。愛海の顔が浮かんだ。
修蔵。
節子。
あの日、背負われていた節子は、わしの顔を覚えているだろうか。そんなことを考えた。
ところが、その喜びに水を差す知らせが届いた。
ロシア。
ドイツ。
フランス。
三国が、日本に対して遼東半島を清へ返還するよう要求したのである。
三国干渉だった。※2
「何のために戦ったのだ」
兵の一人が吐き捨てるように言った。
わしにも、その気持ちは分かった。
戦場で死んだ者がいる。
病で死んだ者がいる。
多くの血を流して得たものを、戦争に参加していない外国の圧力によって返さなければならない。
腹が立った。
悔しかった。
軍人として、屈辱だった。
兄上と話した時も同じだった。
「陸ではどうじゃ」
「皆、怒っておる」
「海も同じじゃ」
兄上は拳を握った。
「勝ったはずなのにな」
「ああ」
勝利したのに、思うままにはならない。
戦争に勝つことと、国際社会で強国になることは別なのだ。
わしはそこで初めて、日本の力の限界をはっきり見た気がした。
ロシア、ドイツ、フランス。
西洋の列強は、日本よりはるかに大きな力を持っている。
「もっと強くならねばならん」
そんな声が国内でも軍の中でも強まっていった。
わし自身も、その時はそう思った。
だが、この屈辱が日本をさらに軍備拡張へ向かわせていく一つの力になっていくかもしれない。
そして、ようやく帰国の日が来た。
日本の土を踏んだ時、不思議な感覚がした。
出征前と同じ国のはずなのに、何もかも違って見えた。
町がある。
家がある。
子どもが走っている。
銃声がしない。
朝起きても、昨日隣にいた人間が死んでいるかもしれないと考えなくていい。
それだけで、世界が静かだった。
家へ向かった。
近づくにつれて、足が速くなった。
門の前に人影が見えた。
愛海だった。
その横に修蔵がいる。
そして愛海のそばには、小さな節子が立っていた。
出征の日には背中に負われていた節子が、自分の足で立っている。
「父上!」
修蔵が走ってきた。
わしはしゃがみ込み、息子を抱きしめた。
「修蔵」
「父上、帰ってきた!」
「ああ」
「本当に帰ってきた!」
その言葉に胸が詰まった。
節子は少し離れたところから、わしを見ていた。
当然だった。長く家を空けていた。
幼い節子にとって、わしはほとんど知らない男になっていたのかもしれない。
「節子」
呼んでみた。
節子は愛海の着物を握った。
「…だれ?」
修蔵が大声で言った。
「父上だよ!」
わしと愛海は顔を見合わせた。
笑った。
だが、わしの目には涙が浮かんでいた。
「そうじゃ。父上じゃ」
節子の前にしゃがんだ。
「ただいま」
しばらくすると、節子が恐る恐る近づいてきた。
小さな手が、わしの軍服に触れた。
その瞬間、戦場で見た多くの顔が脳裏をよぎった。
帰れなかった者たち。
病で死んだ者。
戦闘で倒れた者。
家族を残してきた者。
わしだけが帰ってきた。
その事実が、急に重く感じられた。
愛海が言った。
「お帰りなさい、蔵之助さん」
「ああ」
わしは答えた。
「ただいま」
戦争に勝った。
日本は歓喜していた。
わしも軍人として、その勝利の一部にいた。
だが、わしにとって日清戦争で最も忘れられない瞬間は、敵を破った時でも、勝利の知らせを聞いた時でもなかった。
五歳の修蔵がわしに飛びつき、節子が初めてわしを「父上」と呼んだ時だった。
あの時、改めて思った。
わしが軍人として守りたかったものは、地図の上に描かれた国土だけではなかった。
その土地で暮らしている、一人一人の生活だったのだ。
そして三十歳のわしは、初めての戦争を終えて家へ帰った。
陸軍中尉として戦場へ出た男は、以前より少しだけ、戦争というものを恐れる父親になっていた。
※1 日清戦争では、実際に戦闘による死者以上の戦病死者が出た。日本軍将兵の戦病死は約一万一千九百人に及んだとされ、コレラをはじめとする感染症は軍にとって巨大な脅威だった。(引用元 アジア歴史資料センター)
※2 下関条約で清から割譲されることになっていた遼東半島について、三国はその領有が東アジアの平和を妨げるとして放棄を求め、日本政府は最終的に受諾した。(引用元 国立公文書館)




