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第十六話 自由民権運動から帝国憲法・帝国議会へ

自由民権運動

憲法制定や国会開設のための政治運動ならびに社会運動。 1890(明治23年)の国会開設を政府に約束させた。


内閣制度

1885(明治18年)、伊藤博文が初の内閣総理大臣に。


大日本帝国憲法 

公布・1889(明治22)年2月11日

施行・1890(明治23)年11月29日

主な内容

天皇大権・臣民の権利義務・帝国議会(衆議院と貴族院)・統帥権の独立(陸海軍は天皇直属)

わしがまだ少年だったころから、世の中では「国会」という言葉を耳にするようになっていた。


明治七年(1974)。わしが十歳のころだった。


「民撰議院をつくれ」


そんな主張が世に現れた。


初めのころ、意味がよく分からなかった。

政府がある。

天皇陛下がおられる。

役人が国を動かしている。

なのに、なぜ議会というものが必要なのか。


だが成長するにつれ、それを求める者たちの声はますます大きくなっていった。

人々にも政治に参加する権利を認めよ。

国会を開け。

税の使い道を勝手に決めるな。

自由を認めよ。

そうした自由民権運動が、各地へ広がっていったのである。


わしにとって、その運動は新聞の向こう側だけにあるものではなかった。


父上が、それを取り締まる側にいたからである。


武士という身分を失った後、父上・権兵衛は明治の警察へ入っていた。

昔は刀を差して幕府に仕えた男が、今では警察官として新政府の法と秩序を守っている。


ある晩、わしは父上に尋ねた。


「自由民権運動というものは、そんなに危険なのですか」


父上はすぐには答えなかった。


「なぜそう思う」


「父上たちは集会を警戒しておるのでしょう」


「そうじゃ」


「ならば、あの者たちは悪い者なのですか」


すると父上は、少し険しい顔をした。


「物事を、そんなに簡単に分けるな」


意外な答えだった。


「集会の中には、激しい言葉を使う者もおる。役人を脅す者もおる。騒ぎになれば、無関係な町人まで巻き込まれる。法を破れば、警察は止めねばならん」


「なら、やはり――」


「だがな。不満を口にした者のすべてが国を乱そうとしているわけではない」


わしは黙った。


「税が重い。政治に自分たちの声が届かん。役人だけで国のことを決めてよいのか。そう思う者がおることは罪にはできん」


それは、幕末を生きた父上らしい言葉だった。

父上はかつて、幕府を守る側にいた。

安政の大獄のころには、幕府に逆らう者を警戒する仕事にも関わった。

そして幕府は滅びた。


だから父上は知っていたのだろう。

「秩序を守る者」と「変革を求める者」。

歴史が進んだ後から見れば、どちらか一方だけが正しかったとは簡単には言えないということを。


明治十五年(1882)四月。さらに大きな知らせが届いた。


板垣退助が岐阜で襲われた。

自由民権運動を代表する人物が、遊説先で刺されたのである。


その知らせを聞いた日の夜、父上の様子が妙だった。


「父上、板垣退助が、襲撃されたようですな」


父上はしばらく黙っていた。


「昔、一度だけ話したことがある。あのころはまだ、乾退助と名乗っておった」


父上の話によれば、文久二年(1862)。

まだ江戸幕府が存在していたころ、父上は江戸で土佐藩士だった乾退助と短く言葉を交わしたことがあったという。

わしが生まれる二年前。兄上が生まれた年。

明治という元号すら存在しなかった時代の話である。


そして奇妙なことに、襲撃事件からしばらく後、父上は仕事の縁で板垣と再び顔を合わせる機会があったという。


「二十年ぶりじゃ」


父上は言った。


「向こうが覚えておったのですか」


父上は少し笑った。


「『以前、江戸でお会いしましたな』と言われた」


「本当に覚えておったのですか」


「さてな。人づてに聞いておっただけかもしれん」


父上らしい慎重な言い方だった。

だが、その再会は父上にとって忘れがたいものだったらしい。


かつて幕府側の武士だった父上。

かつて土佐藩士だった板垣。

二十年前なら、それぞれ別の立場で幕末の政治を見ていた二人である。

その二人が今では、一方は明治政府の警察官、一方は政府に国会開設を求める政治家になっていた。


「何を話したのです」


わしが聞いた。


「大した話ではない。ただ、互いに年を取ったと言っただけじゃ」


「それだけ?」


「それで十分だった」


そして父上は、ぽつりと言った。


「幕府がなくなり、武士がなくなり、それでもまた国の形を変えようとしておる。世の中とは、止まらんものじゃな」


その言葉を、わしは長く覚えていた。


自由民権運動は、それからも続いた。

政府との衝突も起きた。

運動の中から過激な行動へ進む者も現れた。


父上は警察官として、それを取り締まった。

だが父上は民権派そのものを憎んではいなかった。


「自由を唱えることと、暴力を振るうことは別じゃ」


何度かそう言っていた。

それは、軍人となったわし自身が「勇敢であること」と「無謀であること」を分けて考えるようになったのと、どこか似ていたのかもしれない。


そして明治十四年(1881)、ついに政府は、明治二十三年(1890)に国会を開くと約束した。

十年近く先のことである。


それでも衝撃は大きかった。


「本当に国会ができるのか」


若かったわしは新聞を何度も読み返した。

父上は、


「十年ある。政府も、それだけ準備が要るということじゃろう」


と冷静だった。

だが、その十年の間に国の仕組みは急速に変わっていった。


明治十八年(1885)十二月。

今度は「内閣」という制度ができた。

そして伊藤博文が初代内閣総理大臣になった。


その知らせにも、わしは驚いた。


「総理大臣?」


それまでにも太政大臣や参議、大臣という言葉は聞いていた。

だが「内閣総理大臣」という肩書きは新しい。


わしは父上に尋ねた。


「また政府の仕組みを変えるのですか」


「変えるのではない」


父上は新聞を畳んだ。


「作っておる途中なのじゃ」


「途中?」


「明治政府というものは、最初から完成していたわけではない。幕府を倒した者たちが、その都度、外国を見て、考えては失敗して、また作り直しておる」


それを聞いて、妙な気持ちになった。


子どものころのわしには、政府とは最初から巨大で完成されたものに見えていたが違う。政府自身もまた、わしと同じように成長していたのである。


そして明治二十二年(1889)二月十一日。修蔵が生まれた日。

その日は、わしにとって生涯忘れられない日になった。


大日本帝国憲法が発布された。

町には旗が掲げられ、人々は憲法発布を祝った。

新聞には憲法の記事が大きく載った。

わしも夢中で読んだ。


七章七十六条。


天皇陛下を国家統治の中心とし、その下に臣民の権利や義務、帝国議会、国務大臣、裁判所など国家の仕組みが定められていた。


「ついに、この国にも憲法ができたのか」


わしは胸が熱くなった。

江戸時代に生まれた自分が、憲法というものを持つ国家の軍人になった。


祖父・金右衛門が生まれたころ、この国を治めていたのは徳川幕府だった。

父上が若かったころにも将軍がいた。

そしてわしが少年のころ、幕府はすでになくなっていた。


それから二十年。今や日本は、天皇陛下のもとに憲法を持つ国となった。

軍人であるわしにとって、とりわけ重く感じられたのは天皇陛下の存在だった。


わしは陸軍軍人として陛下に仕えている。

その忠誠は変わらない。

むしろ国家の形が憲法として示されたことで、自分が何に仕えているのかが以前より明確になったように感じた。


だが父上は、わしとは少し違った読み方をしていた。


「どう思います」


わしが尋ねると、父上は憲法の載った新聞をしばらく見つめた。


「大したものじゃ」


「父上もそう思いますか」


「当たり前じゃ。わしが生まれた天保のころ、こんな日本を誰が想像した」


そこで一度言葉を切った。


「ただし、本当に大切なのはこれからじゃ」


「これから?」


「憲法という紙ができたからといって、それだけでよい国になるわけではない。これをどう使うかじゃ」


父上はやはり、長く時代を見てきた人だった。


翌年。明治二十三年(1890)。

約束されていた国会開設の年がついに来た。


まず七月一日、日本で初めての衆議院議員総選挙が行われた。

わしはそれを楽しみにしていた。


「いよいよ国民が議員を選ぶのか」


だが制度の中身を知ると、少し顔をしかめた。

選挙権を持てるのは、二十五歳以上の男子。

それだけなら、まだ分かる。

ところがさらに、直接国税を年間十五円以上納める者という条件が付いていた。


「十五円?」


思わず聞き返した。

十五円は、庶民にとって決して軽い額ではない。

その条件を満たせる者は、国民のごく一部にすぎなかった。


「これでは、ほとんどの者が選べんではないか」


わしは不満を口にした。

愛海が尋ねた。


「でも、国会ができるだけでも大きな変化なのでしょう?」


「それはそうじゃ」


「なら、一歩目ということではありませんか」


わしは少し黙った。

確かにその通りでもあった。

父上にも話した。


「国会を開くというから、もっと多くの者が政治に加われるものだと思っておりました」


「最初から何もかも変わると思うな」


「しかし十五円は高すぎます」


「わしもそう思う」


意外だった。


「父上は政府側でしょう」


「警察官だからといって、政府のすることを何でも正しいと言わねばならん理由はない」


父上は笑った。


「お前も軍人だからといって、頭まで軍に預けるなよ」


その言葉に、わしは返事ができなかった。


十一月二十九日。ついに第一回帝国議会が開かれた。

新聞でその知らせを読んだ時、不思議な感動があった。

本当に議会が始まったのだ。


政府が案を出す。

議員たちが議論する。

予算について意見をぶつける。

必ずしも政府の言う通りになるわけではない。

わしが幼いころには存在しなかった政治の姿だった。


その夜、父上と二人で話した。


「父上」


「なんじゃ」


「板垣退助たちが求めていたものが、ついにできましたな」


「そうじゃな」


「父上は、それを取り締まる側だった」


「ああ」


「複雑ではありませんか」


父上は笑った。


「なぜじゃ」


「かつて警察が警戒していた者たちの要求が、国の制度になったのです」


「だから面白いのじゃ。国というものは、一方だけでできるものではない」


わしは父上を見た。


「政府だけでもない。民衆だけでもない。変えようとする者がおり、守ろうとする者がおり、ぶつかりながら少しずつ形になってゆく」


「では、父上たちの取り締まりも無駄ではなかったと?」


「それを決めるのは、わしではない。後の時代の者じゃ」


父上は少し遠くを見るような目をした。


「ただ、わしは治安を守る仕事をした。板垣は政治を変えようとした。それだけじゃ」


それから父上は静かに付け加えた。


「幕府も永遠ではなかった。今の政府だって、今の制度だって、永遠に同じとは限らん」


わしには、その言葉の重さがまだ分からなかった。


わしは明治という国が、これからますます強くなり、この憲法も、この帝国議会も、ずっと続いていくような気がした。

わし自身、天皇陛下に仕える陸軍軍人として、この新しい国家を守っていこうと思っている。


あの日のわしは、初めて開かれた帝国議会の新聞記事を手に、ただ胸を躍らせていた。

江戸に生まれたわしが、憲法を持つ国に生きている。

将軍の国だった日本に、国会がある。

それだけでも、十分すぎるほど大きな変化だった。


そしてわしは、この新しい国家とともに、自分の人生もまた先へ進んでいくのだと思っていた。

初の帝国議会

貴族院は国民による選挙のない特権階級の代表(かつての公家・大名、藩閥政治家など華族)


第一回総選挙 1890(明治23年)

選挙権は満25歳以上の男子かつ、直接国税(地租や所得税のち営業税も)15円以上の納入者

選挙資格をもつ人口はわずか1.1%

これは令和でいうと、年収約1500万円以上の超富裕層にあたる。

1890(明治23年)当時、選挙権を持つには税率の関係で年収約1000〜1200円以上必要だった。(庶民の10倍以上)

陸軍少尉の初任給でも年収が約200円で、蔵之助も当時は選挙なんて夢物語だった。

国税15円のほとんどが「地租」からであるため、有権者の大半は地主だった。

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