不完全燃焼の闘志 振り上げた拳の下ろす先
鹿野さんの顔が歪む。
迷惑そう、というよりは申し訳そうにしている。
「……俺には妻と二人の子供がいる。ボクシングを続ける上で、家族には随分迷惑をかけた」
鹿野さんは、表情を崩さずに言葉を続ける。
「今だって、俺がトレーナーを続ける上で無理を聞いてもらってるんだ。君たちに協力するとなれば、きっとこれまで以上に負担をかけることになる」
そして、今度は鹿野さんが頭を下げた。
「だから、協力はできない。すまない」
俺たちは慌てて、頭を上げるように言った。
「鹿野さんが謝ることなんてありません! 無理を言ったのは僕なんです。頭をあげてください!」
リヴがそう言っても、しばらく鹿野さんが頭を上げることはなかった。
ああ、この人は誠実で、真面目な人なんだな。
「力になれなくてすまない。君達のことは、陰ながら応援しているよ」
「ありがとうございます。これからもジョギング仲間として仲良くしてください」
そう言って、蓮たちは鹿野さんと別れた。
「残念だったな。でもしょうがないよ」
「そうですね。無理は言えません」
「家族を背負うって、大変なんだよな」
蓮は、海の向こうにいる自分の両親に思いを馳せる。
弟の為に、父と母は拠点を海外に移すことを選んだ。
天才を大成させると言う事に、実は並々ならぬ重圧を感じているのかも知れない。
おそらく、自分はそんな三人の足を引っ張っていた。
今更ながら、申し訳がなかったと思い気分が暗くなった。
そしてそんな蓮の変化をリヴは見抜いていた。
きっと、家族のことを気にしているのだろうと。
だが彼女は蓮のためになんと言ってあげれば良いのかわからず、彼女もまた俯くのだった。
───
ふと、意識が戻ってくる。
隣には、安らかな寝息を立てる最愛の息子。
鹿野真司は、彼を寝かしつける際に自分も眠ってしまっていたのだと気づいた。
息子を起こさぬようそっと起き上がり、灯りの落ちた寝室から、居間へと移動する。
「お疲れ様。寝かしつけありがとうね」
妻から労いの言葉を受ける。
でも家族のことで苦労をしているのは妻の方だ。
彼女は、いつも自分を二の次にして家族を支えてきた。
そんな彼女のことを愛している。
今も迷惑をかけていないとは言えないが、それでも自分にできることをして彼女を支えたかった。
「お風呂入っちゃってよ」
「ああ」
お湯に浸かりながら、鹿野は蓮とリヴのことを考えた。
呪文を操る異世界の王女と、それを守るための騎士。
あまりにもファンタジックな展開に、面を食らってしまった。
だが、確かに彼らは現実として存在していた。
そして自分を必要としていた。
──血が、滾らなかったと言えば、嘘になる。
かつて、ランキング一位にまで駆け上がりながら、その拳はチャンピオンに届くことはなかった。
今もそれは、振り上げたまま下ろす先を見失ったままだ。
彼女たちについていけば、今度こそ戦士として完全燃焼できるのかも知れない。
それはあまりにも魅力的な提案だった。
でも、自分には家族がいる。
父として、夫として、守らなければならないのは王女ではなく家族。
これ以上自分のわがままで迷惑はかけられない。
だから、断ったことに後悔はない。
人生の第2ラウンドは、ここにあるのだから。
湯上がりのビールを開け、テレビを観る。
普段なら笑えるバラエティが、どうも素直に頭に入ってこない。
「……何か、悩んでるの?」
妻から疑問を投げかけられる。普段と違う様子を察したのだろうか。
「……別に、そんなことないよ」
「嘘。いつもと全然様子が違うよ。それくらいわかるんだからね」
敵わない。彼女には、昔から隠し事をすることはできなかった。
それでも、今の悩みを口にするのははばかられる。
「本当に、なんでもないんだ」
「……言いたくないなら別に良いよ。でも、話して楽になることだったら、教えて欲しいな」
「………」
ここまで言っているのだから彼女に話すべきか。
──本当にいいのか?
言い訳して、自分がスッキリしたいだけではないのか。
「あんたの考えている事を当ててあげる。またあたしの迷惑になると思ってるんでしょ」
「………」
「またボクシングの話でしょ? あたしはあんたがひたむきにボクシングに取り組むところに惹かれて、支えたいと思ったんだ。なんでもできる訳じゃないけど、悩んでるなら遠慮しなくていいんだよ?」
妻がここまで言ってくれている。
甘えでもいい。
鹿野は今日の出来事を話すことにした。
「……実は……」




