美少女剣士と焦る少年
「じゃあねー千早」
「うん、また明日」
今日のすべての授業を終え、背中まで伸びるポニーテールを揺らしながら、近藤千早は帰路につく。
彼女は剣道部だ。いつもは学校の道場に寄るのだが、今日は違った。
彼女の家にも道場がある。千早の父も剣道家だ。
今日は自宅の道場を手伝うように言われている。そこには年齢、男女を問わずあらゆる剣道家が集まる。
彼女は幼少の頃から父に、そして集まる大人たちに鍛えられ、今では日本有数の剣士となっていた。
今では彼女が教える側に回るほうが圧倒的に多い。そして教えることも好きだった。
「近藤」
教室を出る前に、声を掛けられる。その主は幼馴染の鷹見蓮だった。
「鷹見くん、どうしたの?」
「今日、家の道場に行く日なんだろ。俺も……連れて行ってくれねーか」
「うちの道場に? 何の用?」
「俺に剣を……教えて欲しいんだ」
* * *
「では素振り、始め!」
道場内に、号令が響く。
複数の門下生が姿勢を正し、竹刀を振る。
そしてその中に、蓮の姿があった。
一秒たりとも集中を切らさず竹刀を振る。
この一振りずつが自分を強くしてくれると信じて。
「鷹見くん、いいね。初めてにしてはしっかり形になってるよ」
千早が声をかける。褒められて悪い気はしないが、それを真に受けるほど蓮は自己評価が高くない。
周りには子供もいるが、それと比べても自分は素人なのだ。
「ハンドボールをやってたから、体のつくりがしっかりしてるんだろうね。あとはもっと肩甲骨を意識するともっと良くなるよ」
近藤の助言に合わせて、一心不乱に竹刀を振り続ける。
腕が怠い。汗がじんわりと体にまとわりつく。
「次、足さばきをするよ」
近藤に合わせて足を動かす。
「基本は、左足が右足を越さないこと。右足は、紙一枚が入るくらい軽く浮かせて」
これがなかなか上手くいかない。しかし、しっかりと剣を打つためには必要な動作なのだと言う。
「じゃあ面をつけて、技の練習いくよ」
俺は防具をつけて近藤と向かい合った。
いよいよ剣道をしているのだと実感が湧いてくる。
「じゃあ、思い切り面を打ってみよう」
竹刀を握る手に力がこもる。俺は大きく振りかぶって、勢いよく面を打った。
「めーーん!」
道場に、竹の激しい衝撃音が響く。
「気合は良いね。でも無駄な力が入りすぎかな。足さばきも雑になってる。さっきの練習を思い出して」
近藤に言われたことを念頭に置き、再度振りかぶる。
「めーーん!」
四本打ったところで交代。次は近藤が俺に打ってくる番だ。
「………!」
気迫が変わった。さっきまでの指導者の顔とは違う。俺に攻撃をしてくる姿だ。
「面っ!」
相手が動いたと思った次の瞬間には、既に打たれていた。
俺のものとは違う、完成された剣士の動き。
無駄のない流れに、感動すら覚えた。
(この前の爺さんよりも、さらに速い……)
まさに俺が追い求める動き。逃すまいと、必死で目に焼き付けた。
* * *
「はあっ……はあっ……」
全身を襲う倦怠感。俺は膝に手をついて肩で息をしていた。
「疲れた? でもすごいよ。初心者でここまでついてこれる人なんてまずいないよ」
近藤は軽く汗をかいたようだが、息を切らしていない。
比べてもしょうがない。彼女は自分なんかとは比較にならないくらい竹刀を振ってきたのだから。
「鷹見くんは今日はこれで終わり。あとは実戦練習だから、そこで見学していて」
座り込んだ俺は、疲れた体を壁に預けて道場の中央を見る。
経験豊富な剣道家たちが試合を想定した練習を行っている。
誰もが経験者としての動き。だが中でも近藤千早は別格だった。
素人の俺が見てもそれがわかる。年上の男性をも上回る実力。
現に何度も全国大会に出て優秀な成績を収めているのだ。
* * *
「ありがとうございました!」
皆が一礼し、この日の稽古が終わる。
こんなに体を動かしたのは久しぶりだ。だが爽やかな気分にはなれなかった。
「近藤、頼みがあるんだけど」
「何?」
「俺が注文した竹刀が届くまで、一本貸してくれないか。自主練したいんだ」
「うん、いいよ。道場のがいくらでもあるから、好きなの持っていきなよ」
「ありがとう」
まだまだ、こんなもんじゃ足りないんだ。家に帰ってから今日のおさらいをしなくては。
「でも鷹見くん、なんで急に剣道をする気になったの? ハンドボールはもういいの?」
「ああ……ハンドボールはもう、いいんだ」
かつてはそれで一流を夢見たこともあった。
でもこれからの俺に必要なのは、戦うための力だから。
「今は強くなりたいんだ」
「………」
しばしの沈黙。近藤が俺のことを見つめてくる。
「な、なんだよ」
「……最近の鷹見くん、変わったよね。いや、戻ってきたというべきかな」
「なんだよそれ」
「昔の鷹見くんはなんでもできたじゃない。運動も、勉強も。いつからか本気を出さなくなった」
「……そんなことは……」
無い、とは言えなかった。近藤は昔から俺のことを知っている。ごまかしはきかない。
「そんな鷹見くんを見て、もったいないなって思ってた。でも嬉しいよ。鷹見くんはもっと自分の才能に自信を持つべきだよ」
「………」
俺は近藤の言葉に返事ができなかった。
「あーあ、天才ハンドボーラーを引き抜いちゃうなんて、ハンドボール界には悪いことをしちゃうな」
「………」
* * *
道場の竹刀を携えて、蓮は帰っていた。
その姿は、誰が見ても剣道家なのだと思うだろう。
(……戻ってきたとは言ったけど)
彼は変わった。それは間違いない。でも、昔ともまた違うとも思っていた。
(鷹見くん……君はそんなに、何を焦っているの?)




