指輪の契約 俺は彼女の騎士となる
街外れにある廃ビルは、何年も前から放置され、危険だからと誰も立ち寄らない場所である。
沈みかけた陽は空を赤く染め、無人のビルは不気味な影に覆われ始めていた。
その中で、二人の男女と一人の少年が対峙する。
そしてその様子を、鷹見蓮は息を潜めて崩れた外壁の隙間からうかがっていた。
(なんでここまでついてきてるんだ、俺は……)
普段なら、あのまま別れて帰ってしまうのが普通のはずだった。だが、少年のただ事ではない雰囲気がどうしても気になった。
自分の身を顧みずに人助けをした彼に危機が迫っているなら、見過ごすことに抵抗があったのだ。
(女の方はともかく、あんな男と付き合いがあるようには見えないしな……)
もし彼に危険がありそうなら、通報しよう。蓮は中で何が行われようとしているのかを固唾を飲んで見守っていた。
「ここなら邪魔は入らない。では、始めましょう」
女がそう話すと、彼女の体は光に包まれる。
「!?」
その光景に蓮は目を疑った。
次の瞬間、彼女はダークブラウンのドレスを身にまとい、頭上には金色のティアラが輝いた。
右手に握られるのは、先端に金色の宝石が取り付けられた杖。まるで魔法使いのようだ。
そして同時に、男も光をまとって姿を変えた。
彼は女のドレスと似た色の胸当てを身につけ、手足にもまた同じ色のグローブとブーツ。そして右手には金色に輝く剣が握られた。
(何だ……何が起こってる!?)
目の前で手品でも行われたというのか。いや、それにしてはあまりにもリアリティに満ちている。
「名乗りを上げましょう。私の名はジル。ピエトラ国の王女です」
ジルと名乗った女は、隣の男に目を向けて言葉を続ける。
「そして彼の名は岩田隆盛。私の騎士です」
二人に応じるように、少年も光に包まれる。
粒子は銀色のティアラへと変わり、右手には先端に水色の宝玉が取り付いた銀の杖。そしてふわりと靡く水色のドレスを身にまとった。
その姿は、まごうことなき美少女。まるで童話の世界から飛び出したようなプリンセスだ。
「……僕の名前はリヴ。クリュスタ国の王女です」
(あいつ……女だったのか? いや、それより)
少女たちは王女と名乗った。手品やコスプレじゃなければ、本物の王女様だというのか。まさか。
「まだ騎士を見つけていなかったとは軽率でしたね。ですが、容赦はしません。悪く思わないでください。岩田!」
名前を呼ばれた男は、剣を握り締めたまま前に出る。
「けっ、女を一方的に痛ぶるつもりでお前と契約したわけじゃないってのによぉ」
対して、リヴと名乗った少女も応戦するように杖を構える。
お互い、ジリジリと間合いを図り移動する。少女の背中が、俺の正面にやってきた。
痺れを切らした男は剣を彼女に向かって振り下ろした!
「くっ」
それを少女は両手で握り返した杖で受け止める。
その光景は穏やかではない。一方的に少女が襲われているようにしか見えない。
力負けした彼女は後方へと弾き飛ばされ、さらに俺の側へと近づいた。
なんとか体勢を立て直すと、杖を大男に向けて叫んだ。
「フィズラス!」
次の瞬間、またも俺は度肝を抜かれた。
杖から放たれたのは氷の柱だった。バットほどの大きさのそれが三つ、男に向かっていく。
「ぐうっ!」
そのうち一つが男の正面に直撃した。衝撃で彼は姿勢を崩し倒れた。
(何だよ、今のは!?)
まるで魔法だ。それも、相手を攻撃する手段。
男が崩れた隙をついて、少女は間合いを詰めて杖を振りかぶろうとする。
「ストルス!」
今度はもう一人の女性の杖から、ボウリングの球ほどの石つぶてが三つ放たれた!
少女は身を低く下げ、それを回避する。
そして一つは、俺が身を隠すのに利用していた外壁に直撃した。
「うわっ!」
思わず声が出た。そしてガラガラと俺の身を隠していた壁が崩れ、俺の姿が露わになる。
しまった、と思った時にはもう遅い。女と大男の目線が、俺と合ってしまった。
「あなたは……」
少女も、俺の存在を認識した。
「あなたは、先程の……覗きとは感心しませんね」
石つぶてを放った女がこちらを見つめる。俺を歓迎していないのは明らかだ。
「……あんたたち、ここで何をやってるんだ? 俺には、その子を二人がかりでいたぶってるようにしか見えないが」
「あなたにはわかりません。我々が行っているのは神聖な儀式。あなたが考えているようなものではありません」
「儀式……?」
何だそれは。こいつら、宗教の関係者か何かか?
「部外者には退場していただきたいですね。この場に残ることはあなたのためになりません」
「……」
確かに、こんな得体の知れない奴らに関わっても俺には何の得もない。
「ここは危険です。離れてください」
水色のドレスの少女も、俺を遠ざけようとする。彼女にも望まれていないのだから、俺がここに残る理由はない。
残った謎に後ろ髪を引かれる思いをしながら、この場を去ろうとしたその時──
ガラガラッ!
石つぶてで崩れた壁に伴って、天井の一部が崩落した。
いくつものコンクリート片が、俺と少女に襲いかかる──!
「きゃああっ!」
大きな音と埃を立てて、瓦礫が地面に降り注いだ。
だが少女は無事だった。
俺が突き飛ばしたからだ。
代わりに容赦なく瓦礫を浴び、地面に倒れ伏して動けなくなっているのは俺。
全身に激痛が走る。頭から流れるのは生暖かい感触。流血しているのだろう。
朦朧とした意識の中で、数秒経ってから俺は自分の身に何が起きたのか理解した。
「──っ! 大丈夫ですかっ!」
少女の俺の身を案じる声が聞こえてくる。
(大丈夫なわけねぇだろ……)
致命的なのは頭の傷。助からないことはもうわかる。
俺は、死ぬんだ。こんなにあっさりと。
(何でこんなことになってんだ……?)
考えて動いたわけではない。気がついたらこうなっていたのだ。
よくわからない連中を追いかけた気まぐれで、俺は今、16年の人生に幕を閉じようとしている。
だが、死にたくないとは思わなかった。
(まあいいか……生きていたってつまらなかったしな……)
努力しても報われない。誰にも期待されない人生に未練は無い。
すべてを諦め、拒絶し、目を閉じる。
少女が泣きながら何かを呼びかけている。
だがその声は、もう届かない。
彼女が懐から何かを取り出したことも。
彼女がそれを、俺の左手の薬指に嵌めたことも。
もう何もわからなかった。
───それがこれから、奇跡を起こすということも。
薬指は光を放ち、それは体の中へと流れ込んでいく。
…………
(……あれ……?)
コンクリートの下敷きになりながら、俺は動けそうだと思った。
その通りに動いてみると、あっけなく脱出することに成功した。
体は何も問題なく、思うように動かすことができている。
「!?」
何かがおかしい。
そう思って何が違うのか考えてみると、俺は先ほどまで感じていた痛みがなくなっていることに気がついた。
頭に手を当てると、べったりと血がつく。
そのままさすってみると、すでに血は止まっているようだ。
どうなっている。まるで一瞬のうちに怪我が治ってしまったというのか。
「……良かった……」
少女が涙ぐみながら喜んでいる。
そんなことを感じている場合じゃないのに、その顔を俺は美しいと思った。
自分の左手の薬指から不思議な力を感じる。
そこには銀色に輝く指輪。そして砂粒程度の小さな石が、水色に美しく輝いている。こんなもの、俺は身につけてなどいなかった。
「これ、お前がつけたのか?」
「はい」
この指輪が俺の命を救ったのか。そんなことがあり得るのか?自分の身に何が起きているのかがわからず、混乱するしかない。
「無事で良かったですね。でも、そんな通りすがりに指輪を使ってしまって良かったのですか?」
女は半ば呆れた様子で少女に語りかけた。
「……僕はこの方を巻き込むつもりはありません。あなた方は僕一人でお相手します」
そう言って少女は、女と大男に立ち向かうように歩を進める。
この子は、さっきまでのように一人で二人と戦うつもりなのか。
そんなこと――
少女の身を案じた瞬間、俺の体はさらに異変に襲われた。
先程の三人と同じように光に包まれると、それは水色と白の胸当てに変わった。
両手両足には白いグローブとブーツ。
そして右手には、湖のように静かに輝く水色の剣。
色は違うが、目の前の男と同じ、騎士の姿になったのだ。
「……何だよこれ!?」
「面白え。女を一方的にいたぶるのはつまらねえと思っていたんだ」
大男の視線が俺を捉える。
「岩田! 私の狙いは彼女だけだ」
「うるせえ。俺はお前に誘われた戦いが面白そうだから契約したんだぜ」
二人の意思は決裂し、大男は狙いを明確に少女から俺へと変える。太い右腕で金色の剣を握りしめながら、近づいてくる。
「ダメです! 逃げてください!」
リヴの悲痛な声が飛ぶ。
あんな大男に襲われたなら、ひとたまりもないはず。
だが俺は、不思議と恐れを感じていなかった。
「おらあっ!」
頭上に振り下ろされた剣を、俺は両手で握った剣で受け止める。
キィンッ!
「──っ!」
重い! だが俺は受け止めた。
(なんだこれ……力が湧いてきやがる)
戦闘などしたことのない素人の俺が、巨漢の剣を防いだのだ。
何となくわかる。今の俺は、指輪に勇気と力を与えられていると。
恐怖の代わりに、少女を守りたいという感情が胸を満たしていた。
(……命を救われた、借りもあるしな)
───やる気のないふりをしていても、本当は探し続けていた。自分が役目を負える、何かを。
「お前、リヴって言ったか」
「は、はい」
「乗りかかった船だ。俺がお前を守ってやる」
巨漢の剣を弾き返し、俺は堂々と相手に向き直る。
「そういえば名乗ってなかったな。俺の名前は……!」
目の前の相手に、そしてリヴに語りかける。
「鷹見蓮だ!」




