異世界の王女は自らを僕と呼んだ
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目の前にいるのは、神が作ったのかと見紛うほどの美しい少女。
水色のドレスが風になびき、頭上でティアラが銀色に輝く。その姿は、まるで童話の世界から飛び出してきたかのようなプリンセス。
だが彼女は、その口で幻想を現実へと変える。
「僕の名前はリヴ。クリュスタ国の王女です」
* * *
放課後のグラウンドは運動部が占拠し、彼らの声と足音で満ちている。
その横を、170cmの長身女子が、長く黒いポニーテールを揺らして歩いていく。
近藤千早は剣道少女。これから汗を流すために、友人と共に道場へと向かうところだ。
勉学の時間が終われば、部活の時間。全国津々浦々で見られる光景は、この札幌旭山高校でも変わりはない。
だがそんなものは自分に無関係と言わんばかりに、1人の少年が校庭を後にしようとしていた。
「もう帰るの?」
千早の声に、黒髪の少年は振り向く。無表情で、愛想も覇気も感じられない。
「運動部、気合い入ってるね。鷹見くんはもうやらないの?」
「……ああ。家でゲームやってる方が楽しいからな」
それだけ言い残して、彼は下校していった。
「あいつ、スポーツやってたの?」
隣にいた女子が、千早に話しかける。
「うん。ハンドボールで、中学の時は結構すごかったんだけどね」
「あの地味なやつが? 嘘ぉ?」
高校に入学して一年と少し。鷹見蓮は目立たない存在だった。
彼は青春というものに興味がない。なぜそんな風に貴重な時期を潰せるのか。
それは、彼が今までの人生で、努力しても報われると感じられなかったからだ。
──蓮、昴は全国一位よ。あんたはお兄ちゃんなのになんでこんなに昴と違うの?
(…………)
蓮は何かを思い出しながらも、それを振り払って家路を辿る。
(鷹見くんは、もっとやれるはずなんだけどな)
千早は、いつの間にか全力を出すことをやめてしまった幼馴染のことが気がかりだった。それでも彼女にできることは何もない。ただ、勿体ないと思うことしかできなかった。
* * *
下校途中。踏切の手前で、カンカンと警報音が鳴り響く。蓮を含め、そこにいた数人が踏切の前で足を止め、電車が通り過ぎるのを待つ。
だが、一人の男性が蓮の横をふらりと通り過ぎていった。
(……臭っ)
鼻をつくような異臭を漂わせるその男は、格好も薄汚れており、みすぼらしい。
彼はふらふらと前進し、力なく倒れ、なんと線路の上で横になってしまった。
(なんだコイツ……こんな時間に酔っ払いか?)
遮断桿が踏切への侵入を塞ぐように降りてきた。このままでは、この男は電車に轢かれてしまうだろう。
「あの……そこにいると危ないですよ?」
「ちょっと、やばくない?」
その場にいる者達が、口々に声を上げる。
だが戸惑い、心配こそすれ、危険を冒してまでこの男を助けようとする者はいない。
おそらく意識のない大の男を運ぶのは相当な重労働。助けるべきだと分かっていても、その場から動く者はいなかった。
──ただ一人の少年を除いて。
中学生くらいだろうか。彼は警報音の止まない線路に、危険を顧みず侵入し、横たわる男性に呼びかける。
「起きてください! ここは危ないですよ!」
(おいおい、お前も危ねえぞ)
蓮の心配をよそに、少年は倒れた男性に大声をかけ続ける。だが、反応は得られない。
このままでは、二人とも電車に轢かれてしまう。蓮は、そんな男放っておけと、苛立ちを覚えていた。
(……そうだ、ボタン!)
なぜ今まで思い出さなかったのか。蓮は、こういう時のために緊急停止ボタンがあったはずだと思い出した。
周囲を見渡すと、赤いランプを交互に光らせる警報器の下に、確かに備え付けられている。
だが、その瞬間だった。
──ゴオォォオッ。
線路の奥から、唸り声のような轟音が近づいてきた。
彼方から鉄の塊が姿を表す。それは線路の軋む音を響かせながら、みるみる膨れ上がっていく。
もうじきここを電車が通り過ぎる。人がいることも構わず、無慈悲に。
おそらく、ボタンを押してももう間に合わない。それでも少年は、諦めずに男に声をかけ続ける。
「起きてください! ここは危ないんです!」
(……くそっ!)
蓮は、駆け出していた。
遮断桿の下をすり抜け、自らもまた危険な踏切の中に身を置く。
「どいてろ!」
少年を離れさせ、横たわった男の上半身を起こして両脇に手を入れる。
線路から離れられるよう、必死になって引っ張り上げた。
やはり重い。思うようには動かない。それでも、とにかく力の限りを尽くす。
「キャーっ!」
電車は減速を始めるが、到底間に合わない。複数人の悲鳴と共に、踏切の中を通過していった。
見ていられない惨状を思い浮かべて、皆が目を背ける。
恐る恐る視線を戻すと、踏切の奥には転がる三人の姿があった。
今なお眠り続ける男性。それを助けようとした少年。
そして蓮は、息を切らしながらその場にへたりこんでいた。
「おおーっ」
自然と、その場で拍手が巻き起こる。だが蓮は生きた心地がせず、賞賛を受けられる心理状態ではなかった。
「あ、ありがとうございました」
少年が蓮に礼を言う。そんな彼を、蓮は怒鳴りつけた。
「馬鹿野郎! 死にてぇのか!」
その時、蓮は初めて彼の顔を正面からはっきりと捉えた。
「……!」
そして思わず、息を飲んだ。
それはあまりにも、人間離れした美しさだったから。
初めは少年と思ったが、少女とも見紛う中性的な輪郭。
黒い髪は肩に届きそうなショートボブで、陽光を受けて一本一本が絹糸のように煌めいている。
その瞳は海のように美しい蒼。まるで宝石のようだ。
異国の人間のようだが、流暢な日本語を話す。ということは、日本で生まれ育ったのだろうか。
蓮は言葉を失っていた。
美しいものを見て言葉を失う。そんなことは初めての経験だった。
「……あの、どうかしましたか?」
不意に声をかけられて、蓮は我に返る。
「い、いや……怪我はなかったか?」
「はい、僕は大丈夫です。あなたは?」
声もまた、幼さと大人びた様子が同居する不思議なものだった。
“僕”と言った。やはり男の子なのか。
「……俺も、何ともない」
そして二人は同時に、薄汚れた男性を見る。
「うーん、ここは……?」
ちょうど今、目を覚ました。彼も特に問題はなさそうだ。
「……大丈夫みたいだな」
「はい。助けてくれてありがとうございました」
「おい君達! 大丈夫か!」
踏切を数百メートル通り過ぎた電車から、運転士が駆けつける。
「まいったな……色々聞かれるぞ」
二人は事情聴取を受け、しばらく踏切から離れることができなかった。
* * *
「ふぅ……」
ようやく解放されたのは三十分後。思わず深く息が漏れる。
命の危機さえ感じた救出劇。疲れて当然だった。
だが、自分は人助けをしたのだ。そのことに満足感を得ないほど、捻くれてはいなかった。
「改めて、ありがとうございました」
「礼なんていいよ。お前だって助けた側だろ」
少年が先に動かなければ、自分はきっと動かなかった。
むしろ称賛されるべきは彼だ。少年の言葉を、素直に受け取るつもりにはなれなかった。
「みんな無事で良かったよ……じゃあ、俺は行くよ」
そう言ってこの場を離れようとした時、一組の男女が蓮の横を通り過ぎた。
彼らは、少年の前で足を止める。
(……あの子の知り合いか?)
自分より少し年上だろうか。彼女もまた、類を見ないほどの美少女だった。
長い黒髪に、豊かな胸元。そしてスラリと伸びた肢体。女優かアイドルと言われても疑問は持たない。
思わず蓮は立ち止まり、しばらく目を離せなかった。
そして、隣の男性はまた別の意味で目立つ存在だった。
190cmはありそうな大柄な体格。そして粗暴な印象を受ける柄の悪い男だ。
美女と野獣。まさにそのような言葉が似合う二人組。
少年とは一体どういう関係なのか。
ふと彼の顔を見ると、緊張の面持ちで、まるで怯えているようにも見える。
その表情で、蓮は彼らがただの知り合いではないのだと直感した。
美少女は、少年に語りかける。
「ようやく会えた。それじゃあ──クイーンズ・クレストを始めましょう」




