去る記憶と新たなる戦い
「……これで、よし」
椅子の上に上がった蓮が、ぱん、と軽く手を払ってエアコンの外装を閉じる。
ふわっと微かに埃の匂いがしたが、フィルターは汚れひとつなく綺麗になった。
エアコンの上も、ルーバーも、普段掃除しないところまで隅々磨いたせいで、少し腕がだるい。
今日は大晦日。
一年の締めくくりに、皆で大掃除をしていた。
「お疲れ様です。台所周りも、終わりました」
「ありがとう、リヴ。さて……」
これで家の中の大部分は終わった。
残りは各々の部屋。
一番の懸念はフィアの部屋だ。
今日ばかりは彼女にサボりを許さず、自分の使っている部屋の掃除を厳命している。
とはいえ、普段からリヴが掃除してくれているから、大きく汚れてはいないはずなのだが。
「あいつ、ちゃんとやってるだろうな。リヴ、見てきてくれるか」
「はい」
リヴはフィアの部屋に入り、そしてすぐ戻ってきた。
「やってませんでした」
「やってないんかい!」
すかさず蓮も、フィアの部屋に乱入する。
フィアはベッドで横になって漫画を読んでいた。
「コラぁ、フィア! お前という奴は。今日くらいちゃんと掃除しろ!」
「ああっ、レディの部屋に勝手に入るなですぅ!」
「お前の読んでるそれ、俺のじゃねーか。いつ持ってったんだよ!」
「家主が家の物をどう扱おうと、文句を言われる筋合いはないのですぅ」
「誰が家主だ!……ったく……どこまで掃除したんだ?」
「掃除くらい、もう終わったのです。もう必要ないのですぅ」
蓮は、窓の縁を指でなぞる。
指先にはしっかりと埃が付いた。
「……これは何だ? 全然終わってないじゃないか」
「意地の悪い姑みたいなことして。お前と付き合う女は将来苦労するですね」
フィアは全く悪びれない。
「お前は部屋の掃除の前に、心の掃除が必要だな」
「それ上手いこと言ったつもりですか? 全然言えてないのですぅ」
「この野郎……」
ああ言えばこう言う。
彼女がうちに来てそれなりに経ったが、全く自分のペースを変えようとしない。
「フィア、僕も手伝うから一緒にやろう。僕らは部屋を借りてる身なんだから、ちゃんと綺麗にしなきゃダメだよ」
「リヴが手伝ってくれるならやるのです。一緒に綺麗にしてやりましょう」
「リヴ一人に任せるんじゃねーぞ」
これでフィアの部屋も何とかなるだろう。
一階はここで最後だ。
「さて、二階はどうなったかな」
二階はアイリスが担当してくれている。
とはいえ、一人で掃除するには広い。
(一階はもう十分だし、俺も二階を手伝いに行くか)
階段を上ろうとすると、既に綺麗に掃除されていることがわかる。
二階のトイレも完璧だ。
残るは、アイリスが部屋として使っている父の書斎。
ドアをノックし、外から彼女に話しかける。
「アイリス。部屋の掃除はどうだ?」
「……もうちょっとかかるわ。あたし一人でやるから、気にしなくていいわよ」
「そうか。じゃ、よろしく」
蓮はそれ以上何も言わずに部屋から出て行った。
残されたアイリスは、片付けを一旦置いて数枚の写真を手に取っている。
書斎から出てきたそれに写っているのは、若い男性と蓮によく似た顔の若い女性。
彼の両親なのだと、容易に想像がつく。
「………」
他の写真には、幼い蓮とその弟も写っていた。
二人は仲が良さそうに見える。
まだこの時は。
蓮は家族のことを話したがらない。
そのくせ、家族の愛に飢えているのはわかる。
時折寂しそうな顔をする彼を、アイリスは何度も見てきた。
「……今はあたしがいるじゃない。それでも寂しいなんて、贅沢な男ね」
アイリスは写真を元の位置に戻し、掃除を再開した。
「フィア、ちゃんと掃除してよ」
案の定フィアは、掃除に集中できずにリヴを困らせていた。
「おもしれーもんが出てきたです。リヴも見てみるといいです」
「掃除が終わってからにしてよ」
「あいつの子供の頃の写真です。生意気そうな顔してますね」
「えっ……」
その言葉の誘惑に負け、リヴは思わず覗き込んでしまう。
フィアが持っているのは、この家のアルバム。
そこには幼い蓮の姿が写っていた。
「うわぁ、可愛い……五歳くらいかな」
「こっちは、もっと小さいですね」
いつの間にかリヴは、どんどん引き込まれていった。
そこに写っているのは、今はなかなか見せない無邪気に笑う姿。
赤子の頃から、幼児、そして小学校の入学式など、幼い様々な蓮が写っていた。
ある意味、ありふれた家族の写真。
確かに彼が、周囲からの愛を受けていた記録でもある。
(こんなに仲良さそうなのに……何で……)
かつての蓮の言葉を思い出す。
両親は、才能のある弟のために海外に生活を移したのだと。
「………」
アルバムには、蓮と共にもう一人子供が写っている。
間違いなく、彼が蓮の弟。
双子と見まごう二人の姿は、とても仲睦まじい。
「あいつにもこんな頃があったですね」
「……うん、そうだね……」
フィアの部屋の掃除を一通り終え、リヴは自分の部屋に戻る。
ここは元々、蓮の弟の部屋だ。
だから彼女は、部屋を無闇に漁ることは今までしなかった。
だが今は、本棚にあるものを片っ端から取り出しては中を確認している。
そして、ついに目的の物を見つけることができた。
「これは……」
それもまたアルバム。だが、家族の物ではない。
中学校の卒業記念だ。
リヴは指先を滑らせ、ページをめくる。
彼女の想像が正しければ、きっとここに彼が写っている。
一枚、二枚とめくり続け、D組、と記載されたページにその姿はあった。
「……この人だ」
蓮とよく似た顔。
だが髪は金色で逆立っており、派手でやや粗暴な印象を受けた。
表情からも、自信が溢れているのがよくわかる。
鷹見昴。
名前はそう記されている。
(間違いない、この人が蓮さんの弟)
彼がコンプレックスを感じている、才能溢れるという血を分けた弟。
リヴは、それを知ったからといって何かができるわけではないことを理解している。
ただ、それでも知りたかった。
彼の心の奥底にある存在に、触れてみたかった。
(黙ってこんなことして、ごめんなさい、蓮さん……)
───
「できました」
リヴが運んできてくれたのは、温かい蕎麦。
湯気がふわりと立ち上がり、醤油と鶏ガラでとった出汁の良い香りが鼻に届く。
「美味そうだな」
「出汁から手間をかけたのよ。ちゃんと味わって食べてよね」
リヴとアイリスが料理をし、フィアは何もしない。
一年を通じて守られてきた役割は、大晦日も変わらなかった。
器が人数分並び、湯気が揃って揺れる。
皆が席について「いただきます」と手を合わせた。
箸をつけた瞬間、出汁の香りが鼻を抜け、温かい汁が冷えた身体に染み渡る。
「うん、美味いな」
「出汁が効いてやがりますね」
食べる専門家のフィアも、すっかりご満悦だ。
「すっかり日本の味を習得したわ。国に戻ったら、お父様たちにも振る舞ってみようかしら」
蕎麦を食べながら、しみじみ思い出す。
この一年、色々なことがあった。
こいつらに出会って、戦って、一緒に遊んだり、何気なく一緒に過ごすだけでもかけがえのない日々だった。
大変なことはいくらでもあった。
でも、辛いと思ったことはない。
この一年は、生きている意味を実感できるほど充実していた。
「………」
「どうしました? 蓮さん」
「いや、いい一年だったと思ってさ」
ぽつりと漏らすと、リヴが優しく微笑んだ。
来年はどうなるだろうか。
日本での戦いは、ほとんど終わった。
今後はシルエナ達と共に、海外に遠征して戦いを続けることになるのだろう。
──俺はいつまでこいつらを守り続けられるのだろうか。
勝っても負けても、いつかは終わりが来る。
その時は近いのかもしれない。
全てが終わった時、俺はこいつらのことを忘れ、また一人になる。
こいつらの存在は、俺の中で無かったことになる。
「………」
「蓮さん?」
「……なんでもないよ」
俺の心中を察したかのように、アイリスが話しかけてくる。
「……アイリスちゃんの特製のお蕎麦を食べながら、しみったれた顔しないでよ! 良い? あんたには来年もきりきり働いてもらうんだから。ちゃんとあたしをクイーンズクレストの頂点に届けないと許さないわよ。わかった?」
アイリスが、フィアが、そしてリヴが、俺の顔を覗き込む。
なんとなく、来年も一緒だと言われているみたいで、嬉しかった。
「……わかったよ。お前こそちゃんとしろよな」
「誰に言ってるのよ。あんたに心配されるほど落ちぶれちゃいないわよ」
「蓮さん。僕にもあなたのことを頼りにさせてください」
「契約をしていなくても、お前はフィアの騎士なのです。主君に恥をかかせないように、せいぜい馬車馬の如く働くのですぅ」
ここには俺を必要としてくれる奴がいる。
俺の存在価値を認めてくれる奴がいる。
今はそれでいい。
俺はこいつらのために戦うんだ。
「来年も、よろしくな」
激動の一年が終わり、新しい年が始まる。
そして自分の運命がまた大きく動き出すことを、鷹見蓮はまだ知らない。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
今後は更新ペースの維持のため、金曜日の夕方に週1で更新させていただきます。
引き続き読んでいただけたら嬉しいです。
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