第7話 顕現せし混沌
第7話 顕現せし混沌
目が覚めて真っ先に感じたのは、異常な静けさだった。
野宿していた時には気づかなかった、不気味さ。
森の中から鳥の鳴き声や、動物の気配が全くしない。
感じたことのある、この静けさ。
それは"死の記憶"――世界から音を全て失う時とよく似ている。
「ナツキ、この森…なんか不気味過ぎない…?」
そう問いかけるも、ナツキも私と同様に沈黙したままだった。
昨日までの楽しい雰囲気は無くなり、今はただ異常なまでの静寂が辺りを支配していた。
「…ユウキ、注意して行こ…」
「う、うん……」
ここまで来たら、後は進むだけだ。
私たちは、生い茂る草花をかき分けるようにして、森へと踏み込んでいった。
*
森に入ってから真っ先に感じたのは、空気中に微かに漂う魔力だ。
しかも、奥に行けば行く程、漂う魔力は濃くなっているようだった。
「この辺、魔力が濃くなってる…。ユウキ、ちょっと離れて進みましょ」
「わかった」
森に入ってからというもの、ナツキの口数は少ない。
それに加えて、昨日までの軽快な足取りがどこか抑えられていた。
「……ねぇ、ナツキ」
「…どうしたの?ユウキ」
「さっきから魔物と全く出会わない…やっぱりなんか変じゃない…?」
森に入ってから数時間が経っているというのに、未だに生物の一匹とも出会っていないのだ。
「森の端だから…だと思うけど……」
そうは言っても、ナツキの顔にも困惑の色が少し混じっている。
いつ何か起きてもおかしくないと思った私は、剣の柄に手を当てて警戒体制を取った。
「ねぇ、ユウキ?もしかして、ずっとそのままでいるつもりなの……?」
「だって、いつ何が起こるか分からないでしょ?」
「ワタシのことは心配しないで、こう見えてもかなり強いんだよ!」
そう言ったナツキの声には、確かな自信が籠っていた。
「わかった、危なくなったらいつでも変わるからね」
「うん!戦闘はワタシに任せなさいよね!」
気が付けば、昨日のような雰囲気を取り戻しつつあった。
ナツキとなら何が起こっても大丈夫だと思えた。
「進もう!ワタシとユウキならきっと大丈夫!」
「そうだね、そんな不気味な場所さっさと抜け出そう」
昨日までは感じなかった"圧"が、今では確かに森全体を支配していた。
*
「ふぁぁ…おはよう、ユウキ」
「んっ…おはよ、ナツキ」
混沌の原始林に足を踏み入れてから数日が経った。
最初の方は本当に酷かった…。
静けさのせいで、寝ようにもなかなか寝付けなくて、連日 寝不足に悩まされたのだ。
今ではもう、この静けさに違和感を覚えることが無くなりつつある。
逆にそれが、何よりも怖かった。
それよりも、この数日間で出くわした魔物が少なすぎることが異常だった。
魔物だけではない、動物も全くいない。
まるでこの森から生命が消えたかのような…。
「これ程までに魔物が出ないって、なんか…快適だね」
ナツキはそう言うが、決して気を緩めてはいけない。
「混沌の原始林を抜けるまで油断は禁物」
「そうよね!」
軽く腹ごしらえをした後、身支度をしている時のことだった。
「ユウキって髪の毛長いわよね、邪魔になったりしないの?」
「…ぶっちゃけ、戦う時少し邪魔なんだよね……」
「あ、やっぱり?それなら、森を抜け出せたらユウキの髪の毛、ワタシが切ってあげる!」
「本当?それじゃあ、約束」
「ふふん、まっかせなさい!」
…あれ?前にもこんな場面経験した気がするぞ……?
まあ…いっか!とりあえず、こんな不気味な場所、さっさとおさらばしたいからね。
そんなやり取りをしたのち、私たちはその場を後にした。
出発してから少し経ったところで、巨大な樹木の根が 複雑に絡みあう地形に出くわした。
葉っぱの隙間から僅かに、太陽光が差し込んでいた。
「はぁ…何日まともなお日様の光を浴びてないのかしら……」
ナツキがため息を吐きながら呟いた。
私だって森林の外が恋しくなってきた頃だ。
久しぶりに太陽の温かさをと、光の下に立ち深呼吸をした。
鼻を通過したのは、湿った樹木の香りでもなく、太陽の温かみを含む匂いでも無かった。
異臭。放置された死体のような…、腐りかけの内臓のような臭い。
「ゲホッ…! けほっ!!」
「どうしたの?もしかして、鼻の中に虫が入り込んじゃった?」
「違う…変な臭いがした……」
嗅いだのはほんの一瞬だったのに、鼻の奥にどっしりと残るような強烈さ。
「え、ええっ?!そ、そんなに…ヒドい…?」

「ん?」
「へっ…?」
本当に何も感じていなさそうな反応だ。
私は臭いの元を探るべく、意識して辺りを嗅いでみるとこの先の方から漂ってきていることが分かった。
確認する必要があるため、意を決して進むことにした。
先に進むにつれ、ナツキも異臭を感じたようで鼻先を摘んでいる。
「…なっ…これは」
複雑な地形を抜けた先には、開けた場所へと続いていた。
そこには、横たわる魔物の姿があった。
「……もう、死んじゃってる…」
その言葉を聞いた私は警戒を解き、剣を鞘に戻した。
「……待って、この"傷"なんか変じゃない…?」
ナツキに指摘されてそこで初めて死体を直視する。
傷口には奇妙な腐食現象が発生していた。
「ユウキ、これ武器による傷口だよ」
「じゃ、じゃあこの腐食現象は……?」
「…多分、何らかの効果を付与された武器による攻撃なんじゃないかな……」
普通ならこんな腐り方はしない、ナツキの言う通り何かしらの効果によるものなのだろう。
数日ぶりに緊張の二文字が胸の内に現れる。
「…ワタシ達の他にも誰かいるのかも…ユウキ、何があってもワタシの傍を離れないで」
「お互い様、ね」
お互いの死角をカバーするようにして歩き出す。
死んでいた森が、まるで息を吹き返したような予感がした。
*
鼻の奥に残る臭いも、次第に薄くなってきた時だった。
「…早くこの森を抜けよう」
普段とは違う、真剣な雰囲気でナツキが言った。
私も同意見だったので頷き返し、さらに警戒を強める。
その時だった。
「――ッ?! 待って、草むらの中に何かいる!」
その瞬間、草むらの中から中型の鮮血狼が飛び出してきた。
鮮血狼が一匹でいるなんて、珍しい。
どうやら群れからはぐれた個体のようだ。
「ユウキ、下がって!」
ナツキが駆け出すのと同時に、私は《家系魔法》である氷魔法を行使した。
同時に首元のペンダントが輝いた。
突如、鮮血狼の足元が凍てつく。
「はあぁッ!!」
その隙を逃すナツキではない。
《空晴流》の見事な一撃が鮮血狼を穿った。
「ガァ"ァ"ッ!」
苦痛に満ちた瞳と一瞬だけ視線が交差した。
その目には激しい"生への執着"が宿っていた。
よく観察してみると、口元と牙の辺りは腐りかけ、全身にも数箇所の傷が付いていた。
「ナイスアシスト、ユウキ!」
「そっちこそ――って、どうしたの?その傷」
私の目に映ったのは、ナツキの純白の手のひらに生まれた一筋の鮮血だった。
「あ、あれ?いつのまにこんなキズ付いたんだろう…」
「動かないで、今すぐ応急処置を――」
「い、いやいや…へーきだよこのくらい!舐めればすぐ治るから…!」
「いや、それでも止血くらいは……」
「だ、大丈夫ったら、大丈夫なの!」
何故か、ナツキは頑なに応急処置を受けようとしなかった。
病原菌とかが入り込んだら大変だからと説得すると、渋々ながら了承してくれた。
包帯を巻くため、手のひらを取って傷を見てみると…
――そこには、さっき見た切り傷が無くなっていた。
「あ、あれ?反対の手だった?」
「……反対の手も無いよ」
両手には綺麗な手相しか見えなかった。
「……え?どうして…」
「ワ、ワタシの…えっと…そう!《家系魔法》なのよね!少しの切り傷くらいだったら直ぐに治っちゃうの!」
自己治癒型の《家系魔法》……?そんなもの聞いたことがない。
「そ、そう言えば!ユウキの《家系魔法》も珍しいわよね!基本の"八大属性"のどれにも属さない魔法なんて…」
「あ〜、えっと…それは――」
「…?」
人には触れられたくない部分ってのがある。
もしかしたらナツキは自己治癒という《家系魔法》を隠したいのかも知れない。
私だって、この《家系魔法》のことを知られたら、きっと面倒なことになるだろう。
それでもナツキには話そうと思った。
けど、それは今じゃない。
「森に出たら私の《家系魔法》のことについて全て話すよ。今はとりあえず前に進もう」
「そうよね…分かったわ!行きましょう!」
この時は気づいてもいなかった。
薄くなったと思っていた"腐敗臭"が単に、慣れによるものだったということに。
*
歩くこと数時間。
先程まで忘れかけていた異臭が、また漂ってきたのを感じて何か嫌な予感がした。
「ねえ、ナツキ。かなり歩いてるけど森の出口まではあとどのくらい?」
一刻も早くこの森を出なくちゃいけない気がする。
ナツキは「そうだね……」と言って地図を取り出し考え込む。
「う〜ん、あと三日くらい歩き続けたらいける…かな」
思ったよりも早めだ、よかった。
そのことに安堵し胸を撫で下ろす。
「あの異臭を嗅いでから調子が悪いんだよね…。ナツキは大丈夫?」
「ワタシは平気よ、ユウキの方こそ大丈夫なの…?」
「うん、頭痛と目眩がするだけだから」
原因はどう考えても魔物の死体から漂ってきた異臭だ。
その時、私はふと見落としていたとある"異常性"を感じた。
「ナツキ、魔物が死んだらどうなると思う?」
「え?どうなるって…この世界に"還る"だけじゃない?」
そうだ、魔物は命が尽きると死体が"魔力"へと分解して空気中に漂う魔力の一部となるのだ。
これを世界に"還る"という。
「じゃあなんで、死体はあのままだったんだろう……」
「…言われてみると…確かに」
「それに、途中で遭遇した鮮血狼もどこか変だった。致命傷が見られなかったんだよね」
傷はどれも浅く、外傷は少なかった。
共通点があるとするなら、不可解な腐食現象だ。
死体には武器の斬撃による傷口付近の腐食現象、鮮血狼は牙が溶け落ちる程の腐食化が進んでいた。
つまり、これはただの腐食現象ではないということだ。
「ナツキ、ちょっと早足で行こう…やっぱりこの森はっ――うっ…」
「…ユウキ?!」
バチンッ、と脳内で何かが弾けた気がした。
突如、ハンマーで殴られたかのような激痛が走る。
「急に頭痛が…」
それだけじゃ無かった。酷い目眩が視界を渦巻き、吐き気が遅れてやってきた。
落ち着け、一旦深呼吸をすれば大丈夫…
息を整え深呼吸をする……
「ガハッっ…!ゴホッ…!ゲホッ……!」
なんだ、これ……
先程まで微弱だった異臭が、気がつくと拒絶反応を起こすほどの存在へとなっていた。
異臭が直接脳に入ってきた感じがする。
「待ってて!ユウ――――」
ナツキの言葉が最後まで発せられることはなかった。
静まり返っていた森に足音が鳴り響く。
背後から何か邪悪な存在が迫って来ていた。
辺りを支配する異臭の元は、背後の存在だと悟る。
「…フシュゥゥゥ――」
いつの間に…いや、そんなことよりも…
これは…マズイ。
この感覚、感じたことがある。
魂が凍りつくほどの――"死の気配"。
あの少女――《始祖の災厄》を彷彿とさせる気配。
「ユ、ユウキ……」
「…今は私のことよりも、自分のことを心配して…!」
力を振り絞り、震えているナツキに伝える。
普段のナツキらしさは消え、今にでも泣きだしてしまいそうな様子だった。
姿を見なくても、背中を刺すような気配だけで理解した。
コイツからは逃げられない、いやそんなことを考えている間に殺される。
殺らなくちゃ…死ぬッ!!
「…はあぁッ!!」
頭が…痛い。痛すぎる。
それでも剣を抜き、全力を込めて斬りかかった。
全力の斬撃は弾かれることも空ぶることもなく命中した。
斬った箇所からは、見たこともない真っ黒な血液が流れ出ていた。
「もしかして…豚頭族なの?」
一本の禍々しい角、黒く変色し溶け落ちそうな皮膚、そして豚の頭部。
「…いや、こんなのオークじゃない…!」
私が知っているオークではなかった。
まず図体がデカすぎる、軽く四、五メートルはある。
もしかしてこれが混沌の原始林に存在する魔物だとでも言うのか…?
「…"一本の禍々しい角"もしかして……」
ナツキがなにやら呟いていた。
目の前にいるオークも反撃を行う様子を見せない。
今の手応えも良かった。
もしかしたら勝てるんじゃないか?
「ナツキ!!連携で仕留めよう!」
「わ、分かったわ!」
私とナツキなら、こんな奴だって敵じゃない!
「光天斬っ!」
「星破斬ッ!!」
《空晴流》と《剣星流》の技が交互に炸裂する。
オークは傷付いても依然として動こうとしない。まるで生きることを諦めた人間のようだった。
いける…勝てる…!このまま攻め続ければ――――
「……弱イ」
「ッ?!コイツ、喋った……?」
「っ!?やっぱり――」
確かにはっきりと聞こえた…『弱イ』と。
それにナツキがなにやら反応していた。
いや、そんな事よりもだ!今はコイツをなんとかしな……きゃ…
「…あ、あれ……?」
急に視界がボヤける。
ポタ、ボタっと地面に鼻血が落ちる。
頭痛と目眩が止まない。
「――ウキ!…ユウキッ――!!」
ナツキの叫びが、凄い…遠いところからのように感じた。
今初めて理解した。
コイツが纏っている覇気その物がある種の"毒"なんだ。
生物を朽ちさせる腐食のオーラ。
最初から戦いなんて…成立してなかったんだ――
「……似テイル…」
…?一体何の…ことだ……
「――ダガ、違ウ…」
そう呟いて、握りしめられた血色の片手斧が構えられる。
そして、天高く振りかぶった。
咄嗟に剣を前に出し防御姿勢を取る。
「…嘘っ――」
前に突き出した剣身は、腐食化が進み今にでも溶け落ちそうな姿へと変わり果てていた。
そんな…旅立ちの日に貰った、大切な剣なのに…。
その時既に、斧による一閃は頭上に到達しようとしていた。
次の瞬間、バシュッ――!!
肉が裂ける音が静かな森に鳴り響いた。
目の前には吹き出る鮮血。激しく揺れる栗色の頭髪。
そこには、身を呈して私を守る友達の姿があった。
「――!ナツキィッ!!」
「…にげ……て――」
…大切なものはいつだって簡単に手からすり抜け落ちる。
それを落とさない為にっ!……私は、力をつけたんだろうが!!
かつてないほど力を込め、怒り、憎しみ、激情の感情全てを剣に乗せ、がむしゃらに剣を振るった。
コイツだけは絶対に許さない!!
しかし、命を奪うという明確な意志を持った剣は、腐食化に抗えず、鈍い音を鳴らして砕け散った。
その時、ふとクレイ兄様の警告が頭に浮かんだ。
『――決して慢心だけはするな』
眼前に立つ不気味な存在を前にして、なんで勝てると思ってしまったのだろう……
…最初から戦いにすらなっていなかったんだ……
その証拠に、私たちが付けた傷跡はとても小さく、生命を脅かす程の傷では無かった。
斧が再び天に向けられる。
「…朽チルガイイ」
重々しい声が響くと同時に振り下ろされる。
空気が引き裂かれ、左肩に冷たい感触が伝わる――
「……ごめん、ナツ…キ――――」
約束を守れなくて、君を守れなくて……ごめん。
私が思い描いていた未来の想像は、いとも簡単に腐り、朽ちてしまった。
世界から音が消え去った。
それと同時に、私の意識は深い混沌へと呑まれ消失した。




