54話 提案
盛況のまま終わった公演。
ホール内には観客たちのどこか浮き足だった感覚が充満し、騒音に慣れた耳の寂しさもひとしおだ。
「……」
猪介は次々と立ち上がる観客たちを眺めながら、平井が掲げたスカウトノルマをどうこなそうか頭を捻っていた。
彼の目は行き交う人の群れを写しとっている。
人々が視界の端に消える中、一人だけ客席に根を張り必死にメモを書き進める青年がいた。
名は知らないが、猪介はこの青年が何者か見当がついていた。
かつて酉脇城愛好家として五万字にも及ぶブログを更新し、現在はToy Boxを専門的かつ熱心に評する代表的なアンチ。
そのブログ主こそ、この青年であろう。
猪介は気まぐれに青年へと近寄った。
分厚い前髪とメガネのフレームが顔の八割を隠しており、メモ書きに使われている革製の手帳は、強く握り込んだのか不自然に湾曲している。
膝の上には公演の案内ビラと金属製と思われるオペラグラスが置かれており、傍から見れば熱狂的なファンにしか見えないだろう。
猪介自身、珍しいファンだと気にかけていた時期もあった。
しかし、背後から覗き込んだメモ書きの内容や、深いため息、表情の変化からして、彼がToy Boxを好意的に見ていないのは明らかだった。
(……社会経験あるかは知らねぇけど、あのブログ書いてんなら頭は良いよな)
ここ数日、ノルマ消化に脳のリソースを割いている猪介は、半ば投げやりだった。
猫谷陽登に声をかけてから二日経っており、なんとなくの焦りもあった。
(よく見えねぇが、鼻筋は通ってるし輪郭も整ってる…これは美形つってもいいだろ)
猪介本人は、芸能人に興味がなくルッキズムとは程遠い位置にいる。
それでもなんとなく、大衆に好まれる容姿の特徴はわかっていた。
「あの」
「………はい?」
嫌悪の瞳に、低く冷淡な声色。
ゆっくりと上げられた顔は、突き刺すような視線を向ける。目元のほくろが印象的な想定以上の美形だ。
青年の警戒に、猪介は機嫌の良さを隠さず名刺を差し出した。
「私、こういうものです。」
「…私になにか?」
「よろしければ少々、お時間いただけませんか?」
「………構いませんが」
青年は顔にかかっていた癖のある髪を耳にかけると、腕を下ろし姿勢を正した。
余裕と自信。
そんな印象を抱かせるほど堂々としている。
「公演をご覧になられて、どう思いましたか?Toy Boxのことは…」
猪介が怯むことなく発言すると、青年は口の端に笑みを浮かべた。
「どう?…言いたいことはいくらでもありますが…言わなくてはならないことははっきりしています」
「と言いますと?」
「御社では『演劇×アイドル』をコンセプトに掲げていますが…Toy Boxは明確に失敗しています」
「なるほど」
青年は猪介の表情が微塵も動かないのを見ると、緩やかに声のトーンを落とした。
「表面上では確かに目を惹く構造を持っています。しかし肝心の中身があれでは…お話になりません」
猪介が静かに頷き満足そうに微笑むと、青年は目を細めた。
「何か…?」
「やはり、ブログを執筆しているのはあなたですよね」
「訴えでも起こすおつもりですか?…私は構いませんが」
「訴え??いいえ、私がしたいのはご提案です」
「示談ですか。そもそも私は彼らを貶める意図の文章など…」
「そこが最も必要な要素だと感じています」
猪介が言葉を遮ると、青年は彼を睨みつけた。
「一体、何の話でしょうか?」
「Toy Boxのライバルになりませんか?」
「………はい?」
「あなたはToy Boxを正しく拒絶できます、正しく対立できる。これはなかなか難しいですから」
青年は困惑気味に眉を下げると、額に手を当てた。
「……全く要領を得ません。何のお話ですか?」
「Toy Boxのライバルユニットとして結成される新規ユニットのメンバーを募集しています。選考はありますが、オーディションほど仰々しいものでもありません。ご興味ありませんか」
「道化になれと?」
「Societyです」
「はい???」
猪介は傍に抱えていたビジネスバックを開くと、資料を取り出し青年へ手渡した。
「Toy Boxを夢のユニットとするのならSocietyは現実のユニット。対立関係にありますが、明確な是非を問うことはできません」
「……」
青年は資料を慎重に捲りつつ、猪介の抑揚のない語りを聞いていた。
「公演上勝敗がつくことはあっても、それはあくまでも舞台上の流れや観客の反応…脚本で決まっていることではないんです。プロレスではないので」
「…すみませんが、その界隈には明るくなく」
「勧善懲悪を作りたいのなら、スカウトなんて面倒な手段は取りません。私たちが求めるのは本物の価値観の不一致です」
「ではあなたは、今まで積み上げてきたToy Boxの物語を、ぽっと出の新規ユニットに壊されてもいいと?」
「壊れません」
猪介の即答に、青年は呆れ気味に言葉を飲み込んだ。
「起こりうることは壊れないまま負けるだけです。」
「…そうなってもいいと?」
「結果が決まっている勝負ほど面白くないものはないですから」
当たり前のように言い切ると、猪介は一歩引き青年を見つめた。
青年はしばらくの間考え込んでいたが、手元の資料と手帳を丁寧にまとめる。
そして静かに猪介を見つめ返し、どこからか取り出した名刺を手渡した。
「後日詳しく伺えますか?日程はそちらの都合で構いませんので」
猪介は青年の名刺をよく見ずに受け取り、深く腰を折る。
「承知しました、本日中にでも候補日時ご連絡いたします」
「はい。では失礼いたします」
青年が会釈し立ち去ると、猪介は手に収めていた名刺に目をやった。
肩書きや役職の記載はなく、連絡先と名前だけが記され、シンプルながら厚みのある滑らかな紙面は品質の高さを物語っている。
猪介はそれをスケジュール帳に挟み込み、自らの予定を確認し早々と候補日時を選定するのだった。




