53話 誘導
猪介は従業員出入り口を注視していた。
それは他でもない、先ほどの清掃員の青年をスカウトするためだった。
聞いていた時間より遅かったが、彼は現れた。
どこか暗い表情でも律儀に警備員へお辞儀する。
「あの」
「……ああ、Curtain Riseの」
青年は軽蔑にも似たような表情を浮かべたが、猪介は動じず再度名刺を差し出した。
「お話だけでも、聞いていただけませんか?」
「……はぁ…まぁ…いいですよ」
彼は猪介の腕時計に視線をやり、乾いた笑みを浮かべた。
「ありがとうございます、待機室の一つをお借りしてるのでそちらで」
「はは、よくやりますね」
猪介が誘導すると、青年は大人しく着いてきた。
青年は再び警備員にお辞儀し、来た道を戻る。
途中知り合いらしき人々と愛想よく軽口を言っているのが猪介には印象的だった。
「お時間いただきありがとうございます。」
「はい。でもさっき言った通り、興味ないですよ」
「アイドルにですよね?」
「アイドルっていうか〜…芸能界にも」
「はい。結構です」
猪介の返答に、青年は唖然と眉を顰めた。
「結構って…」
「あなたは、人当たりが良いですよね?」
「はい?まぁ〜そうかもですけど〜」
「閉演後の迷子の対応を見ていました。子供用に対応を切り替えましたよね?」
「そりゃそうですよ〜お子様相手ですよ〜?」
「他の清掃員の方や公演を観に来た観客にも笑顔を向けましたよね?」
猪介の矢継ぎ早な質問に、青年は細く息を吐いた。
「あの〜ほら、清掃員って〜汚いとか思う人もいるじゃないですか〜?だから愛想は良い方がいいんですよ〜?」
「……」
「お掃除ロボットだと思ってる人、一定層いるんです〜」
「なるほど」
「ロボならロボで、可愛いやつのが丁寧に扱う、わかるでしょ〜?」
「そうですか。わかりました、意図的な切り替えなんですね。結構です」
猪介の返答に青年は顔を歪ませた、それを気に留めず猪介は資料の数々をテーブルへ広げた。
「Toy Boxはご存知ですか?」
「多少?公演は観たことありますよ〜?」
「どう思いましたか?」
「…さぁ、好きな人は好きなんだろうなって…」
「そうですか」
青年が怪訝そうに猪介を覗き込むと、彼は濁った瞳で青年を捉えた。
「…すみません、お名前を伺っても?」
「あ…猫谷陽登です〜」
「猫谷さん、私たちは今Toy Boxのライバルグループ、Societyの結成のためにメンバーを募っています」
「そ、そうですか」
「プロデューサーの指定で、社会経験のある方を探していて…あなたは清掃員として誠実に勤めていますし、容姿端麗…どうですか?協力していただけませんか?」
陽登は薄ら微笑んだまま固まっていた。
猪介は彼の返答を待たずに資料を開いたが、陽登は静かにそれを静止した。
「谷口さん?でしたっけ、あのね〜顔がいいだけの社会人ならこの世に五万といますよ」
「そうですか」
「でもアイドルって〜そうじゃないでしょ〜」
「と言いますと?」
陽登は呆れたように首を傾げると、人懐っこい笑みを浮かべた。
「歌とかダンスとかに自信があったり…多くの人を楽しませたいとか勇気を与えたいとか…なんかこー…そういう大衆に向けての自負?そーいうの」
「…」
「それがないと、それこそただの『お遊戯会』ですよ」
陽登は猪介が広げたCurtain Riseのパンフレットの『実力者のお遊戯会』の文字を指でなぞった。
「それに俺、弟がいるんですよ。二人。家族にアイドルがいるって…嫌な言い方ですけど…変な噂になるでしょ?いじめられたら可哀想です。」
「……そうですか?」
「いや、まぁ今も揶揄う子はいますけど〜でも、安定面も…芸能界はやっぱり運もあるでしょ?」
陽登の問いかけに猪介はビジネスバックを開き、ファイルを取り出した。
「こちらが当社タレントの理論モデル賃金です。」
「え?」
「多くの芸能事務所は個人事業主としての契約ですが、弊社では正社員での雇用が可能です。どちらにしても、仕事量に応じて給与が変動いたします。」
「あの…」
「ただし、グッズや個人仕事での収益でお支払いする給与のパーセンテージが大きく変わります。」
「え〜……」
猪介が差し出すと、陽登は恐る恐る資料を手に取り目を通す。
「Toy Boxの活動期間は五年。十月に一年が経過します。Societyはメンバーが揃い次第結成、予定ではToy Boxの活動二年目までに合流。三年間活動を共にする予定です。」
「…三年…」
「準備期間も含めれば四年程度になると思われます。四年間、この程度の金額が担保されます。」
猪介が資料の一部を指さすと、陽登はそこをじっと見つめた。
「……谷口さん」
「はい」
「そりゃあ、確かに〜額面だけ見れば良い話ですよ…Curtain Riseは良い会社ですね、よくわかりました。」
「ありがとうございます」
「それでも俺は…受けられません」
「なぜですか?」
「俺はもっと余裕がないからです。転職すると次の給与まで一ヶ月くらい間、開きますよね?それすら俺は難しいです」
「なるほど…」
猪介が資料をファイルに収めると、陽登はどこか安心したように微笑んだ。
その笑顔の前に猪介は別の資料を差し込む。
「そんなこともあろうかと、前払いの場合の理論モデル賃金をご用意しました。先ほどの額より下がりますが…実際の売上や出演量に伴う差額は翌月分に上乗せされます」
「ええ…?」
「最大で三ヶ月分の基本給を前払い可能です、いかがですか」
「いかがですか…って…で、でも〜こういうのってレッスン料とか…ありますよね〜??」
「ないです」
「え」
「Curtain Riseは基本的に自社でトレーナーを雇っているので…外部講師を呼ぶ際もユニットまとめての指導になるので…個人に請求することはないです。事務所持ちです」
「そ…そうですか」
引き攣った笑みを浮かべる陽登を真っ直ぐ見つめ、猪介はパンフレットを封筒にまとめ始めた。
「猫谷さん、確かにあなたがおっしゃるようにアイドルは確かな信念や見られる覚悟のある人々が多いかと思います」
「…」
「しかし、それは正直あなたがやっていらっしゃる外部への対応と相違ないかと」
「いや…俺のはなんていうか〜ただの愛想笑いですよ〜」
「それが仕事ならと割り切ってできるなら、充分です」
「社会人なんてみんなやるじゃないですか〜」
陽登が顔の前で手を振り、戯けたように笑うと猪介は小さく頷いた。
「…猫谷さん」
「はい〜?」
「私があなたと話していて、一度でも愛想笑いをしたでしょうか」
「………」
「すみません、私はそういうことは不得手でして。そういう社会人もいます、あなたのは一種の才能です」
「そ、それは〜どうなんですかね〜…?」
陽登が目を泳がせると、猪介は強引に彼の胸元へ封筒を押し付けた。
「いや…俺〜顔だけですし、ダンスとかそんなのやったことないですよ〜?」
「一応…当社での選考があります、オーディションほど仰々しくないですが…そこで振り落とされたらそれまで…いかがですか」
「ええ〜…」
「逆に…受かってしまえばあなたが歌やダンスができなかろうと、どれだけ人気が低迷しようと…こちらの責任ですので」
「いや…それはちょっとちが…」
「良い返事を、お待ちしております。」
封筒がそり返るほど押し付けられると、陽登は渋々受け取った。
それを見た猪介は安心したように微笑み、立ち上がる。
「…や、谷口さん…俺…」
「お時間いただき、ありがとうございました」
陽登の声を無視し、猪介は事務的な一礼を残すと音もなく部屋を後にした。
一人残された陽登はCurtain Riseのロゴの入った封筒を抱え、ゆっくり部屋を後にする。
それでも彼はこのスカウトを受ける気は毛頭なかった。
電話を一本入れて辞退しようと考えていた。
キッパリと断りを入れ、パンフレット類は明日にもゴミに出す…そう決めていた
「なにこれ!?」
「…アイドル事務所…」
「にいちゃんアイドル!?!?」
「あぁ〜いや…」
「すげぇ!にいちゃんオーディションうけるの!?」
「GGTみたいになるの!?」
部屋の片隅に放置した封筒が、弟たちに見つかるまでは…




