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触れれば死ぬと言われた王子に、なぜか平気で触れられる令嬢  作者:


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【62話】奥の手

男の体から立ち上る気配は、瞬く間に強さを増していった。


風もないのに、その場の空気だけが重く沈んでいく。


「来い」


男が短く呟くと、周囲の闇から、黒い装束を纏った者たちが次々と姿を現した。


礎堂跡地を囲むように立つその数は、十人を超えている。


いつの間にこれだけの人数が潜んでいたのか、私は背筋が冷たくなった。


「アルト」


「分かっている。油断するな」


私たちは互いに視線を交わし、距離を詰めて構えを取った。


けれど、彼らの目的は、私たちに向かってくることではなかった。


一人、また一人と、その場に膝をつき始める。


まるで祈るように両手を組み、低く、何かを唱え始めた。


言葉は聞き取れない。


けれど、その声が重なるたびに、空気の重さが増していく。


「やめて……!」


私が叫ぶのと同時に、彼らの体から、紋章に似た歪んだ光が一斉に弾けた。


光は地面に広がり、渦のような模様を描き出す。


その中心が、まるで何かを呼び込む口のように、黒く深く沈んでいった。


「これが……奥の手」


アルトが、警戒を露わに呟く。


詠唱は、より強く、より激しくなっていく。


男たちの体が震え、肌が裂け、血が地面に滴る。


それでも彼らは止めなかった。


むしろ、その痛みすら糧にするように、声を張り続けた。


「やめさせないと……!」


私は駆け出した。


けれど、目の前で、男たちが一斉に膝から崩れ落ちる。


「――っ」


体から、急速に命の気配が消えていくのが分かった。


誰の目にも明らかな、死だった。


数十人いた人影は、瞬く間に動かない骸になっていく。


彼らは、最初からそのつもりだったのだ。


自分の命そのものを、対価として捧げる。


地面に描かれた渦が、その瞬間、強い光を放った。


光が収まった後、そこに立っていたのは、もはや人の形をしていない何かだった。


全身は闇のように黒く、輪郭だけが、かろうじて人型を保っている。


背からは、何枚もの歪んだ翼のようなものが伸び、その表面には、男たちが浮かべていた疑似紋章と同じ、歪んだ紋が幾重にも刻まれていた。


瞳のある場所には、ただ虚ろな赤い光だけが灯っている。


それが、ゆっくりとこちらを見た瞬間――喉の奥から、勝手に声が漏れた。


「……っ」


言葉にならない。


けれど、確かにそれは、私たちに敵意を向けていた。


「リリィ、下がれ!」


アルトが叫び、剣を構えて前に出る。


けれど、次の瞬間、その何かが軽く手を振っただけで、衝撃波のようなものが辺りを薙ぎ払った。


「くっ……」


アルトは咄嗟に剣で受けたが、それだけでひどく後ろへ弾かれる。


地面を擦りながら体勢を整えた彼の額からは、薄く血が滲んでいた。


「アルト!」


私は急いで駆け寄ろうとする。


けれど、また次の一撃が来た。


今度はアルトも防御に専念し、私を庇うように前に立つ。


「これは……」


アルトの声に、隠しきれない焦りが滲んでいた。


剣を何度叩き込んでも、その何かの体には傷一つつかない。


逆に、向こうの攻撃は、的確にこちらの体力と気力を削っていく。


「効いていない……」


私は、震える声で呟いた。


疑似紋章を使った男たちは、確かにアルトに敵わなかった。


けれど、この存在は、まるで別物だった。


彼らの命を糧にして生まれた、不完全であってもなお、私たちの手の届かない強さを持つ何か。


「アルト、どうすれば……」


「分からない」


アルトの声は、珍しく弱々しかった。


彼ほどの剣士が、まったく手応えを得られないという事実が、何よりも恐ろしかった。


何かが、再びゆっくりとこちらへ近づいてくる。


攻撃は通らない。


逃げる場所もない。


守ってくれていたアルトの息も、すでに乱れ始めている。


これが、組織の本当の狙いだったのだ――私たちを、絶望させること。


地面に転がる、命を捧げた者たちの骸を視界の端に映しながら、私は奥歯を噛んだ。


何か、何か手はないのか。


けれど、答えの見えないまま、その異形の何かは、もう目の前まで迫っていた。

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