三章6話 the beginning of second life
光が、見えた。やわらかな金色の光が。
肌を刺す冷たさと包み込むような温かさを感じた。
「ん…」
澪はゆっくりと意識を覚醒させる。目の前にあるのが他でもない現世の光景であると理解するのに数瞬を要した。そこはベッドと小さな丸い木の椅子しかない白い部屋。
「い…生きてる…」
喉が掠れて声がガビガビになる。澪が軽く混乱していると、コンコンとノックの音がする。入ってきたのは女性だ。紺色の髪をハーフアップにし、バレッタでまとめている。
「起きた?」
澪はびくっと体を縮こまらせ、毛布を被る。
「あぁ〜…そんなに警戒しないで欲しいなぁ…。まあ、仕方ないか。おかゆ、作ってきたんだけどさ、食べる?」
声の主は親しげに話しかけてくる。澪はそーっと毛布をずり下げ、弱々しく問う。
「助けて、くれたの…?」
「うん。すんごい勢いの川で流されてたからね。あなたが生きててよかった。詳しくは、食べながらしない?私は優雅に紅茶飲ませてもらうから。」
「…ありがとう。」
澪はお椀に口をつけ、お粥を啜る。優しい味だった。涙が出てきた。
「…私は椎陽葉っていうの。あなたは?」
「…有栖川澪。」
「いや苗字かっこよ。…って、それはどうでもよくて、どうしてあんな大雨なのに堤防の向こう側にいたの?」
「…それは…」
澪の脳裏によぎる、辛い記憶。さっきの涙も乾かぬうちに新しい涙が染み出す。そんな澪を、真剣な目で見つめる陽葉。
「話して楽になるなら、聞くよ。あなたのしたいようにしてね。」
澪はぽつりぽつりとこれまでのことを話す。途中まで語った時、唐突に陽葉は澪の頭を抱きしめる。
「辛かったね…!よく耐えた。えらいよ。頑張ったね…!ここにはあなたに危害を加える人はいないから。さっきも言ったけどっ…!私はあなたが生きててくれててほんとによかったって思ってるから!!自分を卑下しないで。誇らしげに胸を張って!!大丈夫、大丈夫って自分を肯定してあげて!!」
「うん…うん…!!」
泣きじゃくる澪が落ち着いた時、澪は急に抱かれているのが気恥ずかしくなってするっと脱出。
「およ?もうちょっとお姉さんの柔らかい胸の中で泣いとかなくていいの?」
「…別に、いい。そんなに柔らかくなかったし…」
「こんのマセガキが。空気を読めい空気を…!!」
「でも、ありがとう。私を助けてくれて。」
そう言って微笑む澪を見て、陽葉はくるっと後ろを向く。
(何この子…可愛すぎる…!!!)
ひとしきりニヤニヤしてから、陽葉は澪を連れてダイニングルームへ。
「まだ足りないでしょ?何か欲しいのある?」
「…りんごってある?」
「おうとも。今剥いたげよう。」
台所に向かい、包丁を取る陽葉に、澪の母が重なる。
「…ッ!!はぁっ…はぁっ…!!」
「!!」
自分の行動が何らかのトラウマを刺激したと思った陽葉は、包丁を即座に片づけて澪に笑いかける。
「はいは〜い!澪ちゃん!!何も持ってないよ〜!ただの幼気な乙女だよ〜。深呼吸深呼吸。」
澪は深く息をつき、ようやく落ち着く。
「ごめんなさい。」
「ん〜ん。いいのよ。じゃ、りんごは後にして、先にお風呂入ろっか。川で汚れまくってるし。」
「え!!」
「恥ずかしがることないでしょ女同士なんだから。」
陽葉は顔が赤い澪を引きずって脱衣所へ直行したのだった。
数十分後。澪と入浴を済ませた陽葉は、澪の髪の毛をいじっていた。
「んん〜…何が似合うかな?」
おさげ。お団子。ハーフアップ。
(どれも可愛ぃ〜…けど。まあ、これが一番それっぽい!!)
「でーきた!!じゃん!!!!」
陽葉は鏡を差し出す。ゆるくウェーブをかけられた髪の澪も驚いている。
「これが…私…?」
「うんうん似合ってるよ。気に入ってもらえると嬉しいな。さてりんご食べよっか。」
「ありがとう。」
りんごをとって戻ってくる陽葉。
「さて!りんごがあります!しかし剥くためのものがありません!どうしましょう!!」
「……そのままかじる?」
「ウォゥ野蛮!!…見ててね。」
陽葉は大きなテーブルにりんごをただ一つ乗せ、澪に離れるよう言う。
天井に左腕を掲げた陽葉は、それを直角に振り下ろし、水平に保つ。左手は人差し指と中指を伸ばし、薬指と小指を折り畳む。人が手で銃を作るようには親指を立てず、寝かせて人差し指の横につける。右腕を折り曲げ、左腕の手首に何かをつまむようにした右の五指をつける。まるで弓を引き絞るかのように右腕だけを後ろに引き、右の五指を解放。サクっと軽い音がして。
「ふう。」
テーブルに置かれたりんごは綺麗に剥かれ、6等分の櫛形切りにされていた。陽葉は澪に少し後ろを向くように言い、櫛形にされたりんごの上部に残る種や軸を手早く包丁で取り除く。
「はい、今度こそ完成。澪ちゃーんこっち向いて〜」
「わあ…すごく綺麗…どうやって剥いたの??」
澪の疑問に、陽葉は少しいたずらっぽく笑って、
「澪ちゃんにも自覚があるんじゃないの?こんなことができそうな力の。」
澪はぞくっと鳥肌が立つ。
「あ…ごめん怖がらせちゃった。澪ちゃんがうわごとでずっと言ってたの。『きちゃダメ』って。何に対して言ってるんだろう…って思ったんだけど、他にも色々呟いてて。『手』とか『他の誰にも見えない』とか。」
「うん。その通りだよ。私は‘手’が見えるの。私以外には見えないけど。」
「へぇ?その子とは意思疎通できるの?できるのなら呼び出してみてよ。」
「…頭がおかしいって思わないの?」
「どうして?そんなこと思わないよ。…ってか、あれだよね。今このベランダにいる『モノ』。これが澪ちゃんの言ってた‘手’だよね。」
と言いながら陽葉がカーテンを開けると、確かに‘手’がいた。
「…!!!何で…!?」
「薄々さっきから気配に気づいてたんだけどね。澪ちゃんが『きちゃダメ』って思えば思うほど、この子は心配しちゃったんだね。入っていいよ〜。」
窓を開けると、するっと‘手’が入ってくる。そして陽葉をペタペタ撫でる。まるで、澪に害をなすか見極めるように。
「…その人は何もしないよ。命の恩人なんだ。」
‘手’は澪の後ろに移動する。
「すごい。本当に意思疎通ができるんだ。」
「陽葉さんこそ…見えるんですね。」
「当然でしょ。だって私がさっき使ったのも、幽霊や呪い、怪異を祓うための力だもの。今のは『不射ノ射』。有名な弓使いの話から名前パクったんだ。」
「!!!」
澪は‘手’を庇うように前に出る。
「大丈夫、この子はただの心配症な寂しんぼだよ。だから私も攻撃しない。」
「…。よかった…」
「さっきから思ってたんだけどさ。なんかさ、聞いてた話だと初めに見えた時は幼児くらいの大きさだったんだよね。なんか、おっきくない?」
今は小学生でも少しごついぐらいの大きさだ。
「成長(?)してるのかも…」
「そのうちとんでもないデカさになるんじゃ…まあいいや。それで、ここからは提案なんだけど、澪ちゃん、もうお家には戻れないでしょ?私と一緒に来ない?あなたと同じく不思議なものが見えたり力があったりする子がいっぱいいるの。勉強なら、すっごく賢い金髪の可愛いお医者さんがいるから、その人に頼んで教えてもらう。ね、楽しく暮らそうよ。」
「いいのかな…?」
澪は形だけ迷っているが、目はもう泳ぎまくりだ。
「うん。いいよ。誰が何と言おうが、私が許可する。有栖川澪。あなたは幸せになりなさい。失ったものなんて数えなくていい。今がどん底でもいい。ここからやり直そうよ。再生しよう。第二の人生…始めよ?」
もう澪は迷わなかった。
「お願い…!!一緒に連れて行って…!!」
「その返事が聞きたかった。じゃあ行こう。私たちのホームへ!!」
そうして、澪は今につながるルートを歩み始めたのだった。
◆ ◆ ◆
目を覚ました澪は、自分が誰かにおんぶされていることに気づいた。そして、体がものすごく揺れていることにも。
「何かすごく残酷で…でも幸せな夢を見てた気がする…」
「澪!!!起きたのか!!よかった!!」
朔の大声が聞こえる。どうやら澪は彼に背負われているようだ。隣には「ひぃ…ひぃ…」と荒い息で走る輝登がいる。
「ぇ…何がどうなったの?確か部屋に入って」
即座に朔が遮る。
「幻を見せられてたんだ!!ここの主によってな!んで、俺が目覚めたら起きてるのは輝斗だけ。澪はまだ昏倒中で、マリンとつばさに至っては姿がなかった!!とりあえず澪が起きるまで待ってから2人を探そうとしたけど…」
輝登が後を引き取る。
「急に…激しい揺れが…起こったんですよぉ…!!まずいと思って…急いであなたを…背負って2人を探し、外に…出ようとしたんですけど…。他を探し終えて地下室に向かおうと階段を…降りてる途中で…」
「ぬおお話が進まん!!んで、俺らは空中に走った黒い裂け目に吸い込まれた!俺らがいるその中は明らかに元の屋敷と比べられないぐらい広い!!空間のねじれがある!今俺らはここにいる無数の異形に追われてる!割と手詰まりだ!!」
「…ありがとう。」
澪は後ろを振り向き、心の中で語る。
(大切なことを思い出した気がする。あの‘手’…いやおーちゃんは…!不気味な存在なんかじゃない。邪悪な霊じゃない。ただの…)
澪はきっ、と後ろを睨め付ける。そして叫ぶ。
「友達だ!!!!」
(来て、おーちゃん!!!)
その想いに応え、成人男性のサイズを少し上回ったおーちゃんが快哉を叫ぶように出現。異形を薙ぎ払う。
澪は2人に言う。
「ここは少しは持つから、休憩できる場所を探して…!!」
突如叫んだ澪をびっくりして見ていた輝登は、ふっと笑って言った。
「任せてくださいよ…!ああほんとに、早く休みたいですねぇ!!!」
輝登は考える。
(ここは広いけど、無限に広がっているわけじゃない。それにすごく暗いけど、時々ある緑の光のおかげでうっすらとわかる。ここは…おそらく現実世界のではないけど、病院だ。それもものすごく大きな。多分、この緑の光は非常口の色のオマージュなんだろう。なぜここに飛ばされたんだろうか…?)
朔は考える。
(なんだろう…ここ、来たことがあるような気がする…いや、どうだろう。ただの勘違いか。そもそもここがなんの空間なのかもわかっちゃいないのに…)
少し広いところに出た。
朔が小声で2人に話しかける。
「さっきまで手に触れてた壁がなくなった…何かの広間なのか?」
「分かりませんが…この辺の…どこかに隠れましょう。おそらく部屋が…あるので。」
「…え?輝登はここがどこかわかるの?」
「ここは…多分病院の中です。もちろん…現実のではないですが。」
「まあお前がそう言うんならそうなんだな。っしゃここでいいか?確かにドアがある。」
「はい、こっそりと隠れましょう。」
ドアを開け、3人は飛び込む。すると、朔の肩のあたりに柔らかい感触。朔は、これはもう肝を潰して叫ぶ。
「ひんgy」
朔は急に口を押さえられ、引きずられる。耳元で、焦ったような声が聞こえる。
「ちょっと!!こんなとこで叫んだら見つかっちゃうから!!」
それはずっと聞きたかった、頼もしい相棒の声。口の覆いを外された朔は少し冷静になる。
「マリンか。つばさもいっしょ?」
「うん。私はここだよ。」
つばさの声も聞こえた。
「相棒こそ、もう2人は?」
「ちゃんと揃ってるよ。澪も、輝登も。」
「よかったあああ…」
つばさが安堵している。澪はきちんと役目を成し遂げて戻ってきたおーちゃんと戯れている。輝登が極小の魂を出して微かな光を灯す。これで互いの顔は見えるようになった。
「ここにあの赤ちゃんがいるんだよね?」
「おそらくは。」
「ここ広すぎない…?この中から探すの…?」
「あたりはあるんですよね…」
「マジか!?じゃあ行こうぜ!!」
つい興奮する朔に、全員が「しーっ」と朔を黙らせる。恥ずかしい。
「この空間の核となる位置。それは多分ここの創造主にとって一番意味がある場所。おそらく一般病室ではなく、特別な部屋です。」
「なるほど…マリンちゃん、わかる?」
「院長室とか?この巨大病院の長なんだし。」
「まあそれも考えたんですけど、一番意味があるのは…」
そこまで輝登が言って、ついに朔は悟る。
「死に場所…ってことだろ。」
「朔さん…!?」
険しい顔で、朔は告げる。
「なら、俺らが向かうべきところは一つ。NICU、新生児集中治療室だ。」
確証は、あった。
1度目の幻から覚めた時、『書斎の主』は生まれたばっかりで亡くなったと言った。
それに、朔自身もNICUに入っていたことがある。自分が生まれた時の状況は、母はすでに他界しており父は急な出産に間に合わなかったためあまり詳しくは知らされていない。だから自分でNICU についてぐらいは調べた。
日本のそれは優秀で、その中の新生児の死亡率はものすごく低いと言うこと。しかし、不幸にして亡くなってしまう人も少ないながらもいること。おそらく、『書斎の主』は、ごく低い確率に当たってしまった自分の死に対して、まだやりきれない気持ちを抱えている。
だからこそ朔は、全てを分かった上で受け止めるしかないのだ。悲しみも、怨嗟も、ぜんぶ。
「行こう、みんな。決着をつけよう。」
マリンたちは、真剣な顔でこくっと頷いた。




