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ホリゾント・ヘル  作者: 神無時雨
第三章 揺蕩う飛花に山おろし

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三章5話 The end of nightmare and…

「うあああああ!!!」


叫びながら朔は目覚める。

と同時に耳を抑えてのけぞる輝登がいた。


「み…耳が…」


朔は周りを見渡す。なんと、マリンとつばさはどこかへ行っていて、澪は未だうなされている。


「あ、大丈夫?輝登。」


「はい。今までのって…」


「うん。この子の幻の世界…ってあれ?」


『書斎の主』が忽然と消えた。


「ぬおーーー!!あの2人攫われたの!?」


「ちょっとわかりませんがまた捜索開始ですね…。と、その前に澪さんどうします?」


「これって触れてもいいのかな…?」


「多分ここに放置のほうが危ないかもですね。」


輝登はそーっと澪の体を持ち上げる。その途端。


「うわああああああっ!!!」


澪が手足を尋常じゃなくばたつかせた。まるで見えない何かを追い払うように。夢の海から必死で浮上しようとするように。


「な…なになに!?!?」


「澪さん、落ち着いてください…!!」


朔と輝登は澪を落とさないように2人で抱えるのだった。


◇ ◇ ◇

澪は記憶の奔流に揉まれている。

これは小学四年生、二年前の記憶だ。

ピッ、ピピピピッ!!淡いベージュのパジャマを着た澪は、カーテンを閉め切った薄暗い部屋で目覚める。ドアにもカギをかけ、外界と隔絶されたこの空間は、澪の安息の地であった。時間感覚を失わないように二時間ごとに鳴るように設定した壁掛け時計が午前8時を知らせる。


「ふぁ...ねむ..。」


寝ぼけ眼の澪は、そのまま着替えずにデスクに向かいネットサーフィンを始める。しかし検索エンジンに文字を打ち込んでいる間にその後ろの床から生えた」”手”が、澪の頬を軽く突っつく。まるで、澪の健康を気遣うかのように。


「ん。わかってるよ。」

デスクの前におかれた回転できる椅子からけだるげに降り立つ澪は、ドアを開けいやいやながら下の階へ降りていくのだった。

商社で働く父、化粧品会社で働く母、小学二年生の妹はみなすべて先に家を出ており、居間はがらんとしていた。澪は冷蔵庫を開け、深夜にコンビニで調達しておいた惣菜と缶コーラをとりだす。ほどなくして食べ終え台所のゴミ箱に容器を捨てる。澪の()()洗われていない皿を流しで洗い、自室に戻る。30分ほど動画サイトを見て、外に通学中の小学生の声が聞こえなくなったころ澪は立ち上がり、制服に着替える。


「いい子にしててね。」


そう言って、今朝起きてから初めて微笑み、自室のドアを閉め、玄関のドアも占め、外に出る。七月で、じりじりとさす陽光がまぶしい。暑い。周囲を囲む蝉の声。すぐそこの大通りの喧騒。


     ああ、本当にすべてがわずらわしい。


◆ ◆ ◆

澪は、保健室登校者であった。

といっても、カーテンで仕切られたベッドに腰掛け、小さな机で自分で教科書を用いて自習するだけ。先生との会話はほぼない。たまに休み時間に怪我をした人が来るぐらいで、そのほかは静寂が間を支配していた。トイレに行こうと保健室から出た澪は、向こうから来たツインテールの女の子に呼び止められる。


「澪ちゃんだよね?久しぶりー!!」


「…久しぶりだね。さつきちゃん。」


この『さつき』という少女は転校生で、誰にでもフランクに話しかけるコミュ力の塊のような人気者だった。澪のような目立たない子にも分け隔てなく話してくれる。


「さつきちゃんはさ、…どうして空気みたいな私に構ってくれるの?」


「…。そうねぇ〜。さつきね、教室で1人でも笑顔じゃない子がいると嫌なタイプなの。一緒に過ごす仲間はさ、やっぱ笑っててほしいじゃん?」


彼女はとてもいい子である。しかし、その善意が、今は痛かった。辛かった。

◇ ◇ ◇

澪が自身の周りでうねうねうごめく一本の‘手’に気づいたのは小学ニ年生の頃だった。オカルトなんて言葉を知らない年頃、澪はそれとコミュニケーションをとりはじめた。そしてだんだん澪と他人の世界の把握が乖離していく。


「なあ、お前何してんの?」


「え?『せっさん』だよ?ほら、『せっさん1!』みたいに掛け声かけて親指立てるやつ。」


「いや、それは知ってんの。1()()()何やってんの?って話。」


「?1人じゃないよ?ほら。」


無邪気で多感な年頃の子供たちは、そんな意味のわからない奴への簡単な対処法を学んだ。『無視する』ということ。関わり合いにならないこと。澪の小学一年生からの友達ともだんだん疎遠になった。澪からしてみれば訳もわからず友達が自らを避けるようになっていったのだ。原因を確かめようとしても空回り。とうとう澪は、ぼっちになった。


(失うぐらいなら、初めから持ってなかったほうがよかった。)


そう思ったりもした。しかし、だんだん適応し始めた。そう、これがデフォルトなんだって。グループワークなどで仕方なく話す時の、クラスメイトの声の硬いことよ。目の冷たいことよ。澪は灰色の世界に生きていた。


逆に悟り澄ましたように凪いだ水面に石が投げ込まれたのは、停滞に沈んだ澪に新しい風をもたらしたのは、小学三年生の4月のことであった。


「村田さつきでーす!よろしくね!」


転校生が現れた。彼女は25人クラスで、2人ずつ席が並んでいる中1人余っている澪の隣に座り、澪を「髪の毛つやつやしてるー」と褒めて見せた。表情筋の動かし方を割と忘れていた澪は会釈で返すのが精一杯だった。それでも彼女は気を悪くしたふうでもなく、にっこり笑って前を向く。彼女はだんだんクラスで人気者の座を獲得していく。


「じゃーん!今日誕生日でしょー?さつきとオソロのヘアゴムをつけてしんぜよう!」


「わあ…!ありがとう…!可愛い…。」


「ふっふっふ、くるしゅうないぞ。」


彼女がハマっている時代劇の言い回しをまねながら、澪に彼女がつけている、さくらんぼの飾りのヘアゴムと同じのをプレゼントしてくれた。今までおろしていた髪を三つ編みにしたのはこの頃からである。

そのほかも、何かとさつきは澪に話しかけてくれた。どんどん澪の日常が色づく。笑みも増える。さつきさえいれば、澪は彼女を盲信していた。

澪を空気のように扱っていたクラスに、変化が出てきたのは少し後だった。特に女子。


「ねぇ、あんたさっちゃんと喋りすぎなのよ。」


「どうしたの?ちょっと話しかけてくれたからって味方ゲットしたよーって?マジムリなんだけどー!」


「あなた1人のものじゃないのよ。」


もはや注目を浴びないことを気楽だと思ってさえいた澪にとって、この糾弾は青天の霹靂出会ったし、こうして槍玉に挙げられることは苦痛であった。もう自分は1人でいるしかないのか。やっぱり変われない。そういった諦めが胸をついた。一度そんな気持ちになると、もうダメだった。さつきとの付き合い方が変わる。自分でも意識しないままどこかよそよそしくなる。さつきは利発な子だったから、詳しいことは聞かずに合わせてくれた。小学四年生に上がると、さつきとクラスも離れてしまった。でも、その時に思ったことを正直に述べると、こうだった。


      ああ、気楽になったな。


◆ ◆ ◆

そうした気まずい別れ方をしたさつきとの再会。向こうはあいかわらず親しく振舞ってくれる。すごい子だな、と心から思う。


「その部屋で勉強してたの?」


「…うん。教室の空気がさ、なんかしんどくて。」


「…そっか。…なんかこのタイミングで言うのもあれだけどさ、…ごめんね。さつきとあんまり喋らなくなった理由に気づけなくて。」


「い…いやいや…!さつきちゃんは悪くないって。」


そんな会話を終えて、澪はその日の学校を終える。

マンションの中の我が家に帰ると、澪を迎えたのはガラスが割れる音だった。


「クソが!!」


父がパチンコで大負けしてきたのだと悟った。実直が売りであった父は、澪が小学生になりたての頃にグレた。小さなICチップ開発会社に勤めていて、部長として頑張っていた。しかしこの頃、誰でも名前を知っているような最大手の精密機器会社が父の勤める会社と合併。しかしそれは合併というよりは吸収に近かった。位を下げられた。技術だけを掠め取り、父たち自身のことは蔑ろにされた。社外の友人も「大企業に勤めることになって良かったじゃん」などとわかってくれない。逃げるようにギャンブルにハマったということだ。


「ただいま。」


返事はない。部屋に逃げ込もうとする。


「おい待て。」


遜色なしに十数日ぶりに父に声をかけられる。妹のことばかり気にかける母。姉を見下す妹。この世界は澪の敵で満ちていた。だから、当然警戒する。


「…何?」


「おいおいそうツンケンすんなって。家族間のコミュニケーションだろ?」


薄笑いを浮かべ寄ってくる父。気持ち悪い。無意識に後退りをする。


「…!?かはっ……!!」


直後、澪は吹っ飛ぶ。何かが割れる音。明滅する世界の中、尻餅をつき、前を見ると、拳を振り切った父の姿。殴られたのだ。


「テメェの顔見ると無性に苛立つんだよ!」


(ランドセル間に合わなかった…)


澪の小学校では女子の間で、男子などの暴力対策としてランドセルをとっさに前に構えられるように練習が行われている。


「何とか言えよ!!」


再び殴りかかってくる父。


「…何とか」


今度こそランドセルを構える。


「くっだらねえ…!!…!?イッテェ!!」


タイミングよく拳の位置に金具を当てることに成功。

しかし完全に怒った父のキックが襲い来る。まともに食らう。


「いいか、俺のこれは暴力じゃない。」


澪を見下ろす目が怖い。


「タンスの角に小指ぶつけたら痛いけど、それはタンスによる暴力ではないだろう?それとおんなじだと思え。」


何を言ってるんだろうこの人。正当化?無理無理。無理がありすぎる。


「わかったらとっとと失せろぉ…!」


澪は部屋に今度こそ飛び込んだのだった。


翌朝。寝ぼけている澪はふらふらと居間へ向かった。


「澪ちゃん?これはどう言うことなのかな?」


額に青筋を立て、それでも笑みを浮かべる母に詰問される。彼女が突き出すのは、『保健室登校同意書』と書かれた一枚のプリント。


「学費払ってやってんのに、何してるのかなぁ?」


唇の端がひくついている。


「私立に落ちた澪ちゃんのために。低レベルな公立の学費払ってるんだよ?」


目が開く。あ。目の奥が昏く濁っている。


「そこまでさせといて、何この体たらく。」


もはや母は笑みなど浮かべていない。


「お母さんこんなどうしようもない子に育てた覚えはないわ。まだ美佳ちゃんの方がしっかりしてるわ。年下なのに。」


美佳というのは妹の名前だ。私立の小学校に受かってから、そこに落ちた澪を見下している。


「普通にしてたら教室に行けるでしょ。何でそこに適合できないの?」


好きでやってるわけじゃない。事情も知らないくせに。澪は母を下から軽く睨む。


瞬時に、マズったと思った。母の目に完全な闇が落ちたからだ。


「は?何その目。誰のおかげでここまで大きくなったと思ってるの?あ、大きくないわ、同級生の間ではちっさい方か。どうでもいいわ。あんたが反抗する筋合いはないのよ。何履き違えてんの?こんな出来損ない、産まない方がよかったわ。劣った子供なんて生きてるだけで金だけ吸っていくんだし。何の見返りだってありゃしない。あんたは私に何をもたらしてくれんの?」


ダメだ。話がもう通じない。澪は踵を返そうとして、再びしまったと感じる。右腕がかすかに棚に当たる。揺れる。置いてある時計が落ちる。一瞬の静寂。


「何してんの?その時計高いんだけ…」


「ほっといてよ!!」


遮るように叫んでしまう。再び重い間が満ちる。母が早足で澪の横を通る。澪はビクッと身をかがめるが、母は手を出さなかった。ほっ、と顔を上げた澪の真ん前の床に、包丁が突き立った。般若の形相の母。無言であるが故により恐ろしさが増す。そのまま母は包丁を振りかざす。澪は本能で左へ転がる。包丁が壁に食い込む。泳いだ体勢の母を横から全力で突き飛ばす。


「動かないで!」


その間に壁から包丁を抜いた澪は、母にそれを向け、牽制する。刺すつもりは毛頭無いが。に対して母は。


「いやああああああ!!!!怖いいいい!!誰か来てええええ!!殺されちゃうーーー!!!きゃあああああ!!きゃああああーー!!」


白々しくも、全力で叫んでいた。タイミング悪く部屋から出てきた美佳が、冷静に隣の家に助けを求めにいく。


「…ッ!!!」


澪は旗色の悪さを感じ取る。


「どうしたんですか!!!」


隣の家の男性が入ってきた時、澪は彼を全力で躱し、マンションの共用廊下へ走り出していた。


「くッ…!!!」


様々な思いが胸の中を巡る。わかったのはただ一つ、もうあの家にいてはいけないということだ。がむしゃらに階段を駆け降りる澪。ゴミ捨てに1階まで降りて戻ってくるおばさんを突き飛ばし、出勤するサラリーマンを追い越し、ただまっすぐ下へ。


家というしがらみを捨てた澪は、近くの河川敷に身を潜めた。着の身着のままであり、食べ物もお金もない。水の問題は、雨が降ったから解決した。しかしどんどん空腹で力が失われてゆく。


そんな生活が始まってから約1週間。澪の身に、不幸が降りかかる。大雨が降り、川が氾濫したのだ。洪水、といってもよかった。一応、それは堤防を超えず、大ごとにはならなかったらしいが、堤防よりも川の側に住んでいた澪は当然無事ではいられなかった。湧き上がる濁流に足を取られ、転倒したところを体ごと持っていかれる。逃げようとしても、手足に力が入らない。


(詰んだ…)


沈んでいく澪が、最後に考えたのは。


(神様、仏様。来世はもっといい人生がいいな。)


怒りでも憎しみでもなく、ただただこの年頃に特有の、夢みたいな考えなのだった。

お久しぶりです。

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