768話_side_Clarice_某所
~"御傍付"クラリス~
準備が整ってさあランチにしようという段になって、私の隣に座ったミアベルさんが不安そうにキョロキョロと周囲を見回し始める。そして彼女は困り顔になって口を開いた。
「あのぉ~、ところでわたしのごはんはあるのでせうか……?」
きょとんとする男性陣を他所に、お嬢様がしれっと口を開く。
「あるわけがなかろう」
「ふぇ!?」
びっくりした様子のミアベルさんがお嬢様を見るも、お嬢様はどこ吹く風だ。そもそもミアベルさんをこの場にお連れしたのはお嬢様だ。その際にお嬢様がなんと言って彼女を招待したのかはわからないが、ミアベルさんの慌てぶりを見るに、どうやら彼女は自分の昼食が用意されているものと思っていたらしい。
切なそうな顔でお腹を押さえたミアベルさんが、隣から私を上目に見つめて懇願の眼差しを送ってきた。
「クラリスさぁん」
「……申し訳ありません、ミアベルさん」
私が持参したバスケットには、いつも通りにお嬢様のために調理した昼食が詰まっている。ということは即ち、お嬢様がおかわりを所望した場合に備えて多めに用意しているのもいつも通りだ。ついでに言えば今日は私自身の昼食分も含まれている。だから、ミアベルさんに分け与える余裕があるのかというと、全然ある。
しかしながら、お嬢様が『ない』と仰った時点で私からその選択肢は消えたのである。前期の頃に私がミアベルさんに昼食を分け与えていたのは、あくまでも私のわがままを寛大なお嬢様が黙認してくださっていただけなのだ。こうしてお嬢様がお隣に居られる以上、黙認もなにもない。
私は努めて、ミアベルさんのうるうるビームを受け流した。
次に彼女が視線を向けた相手はルークさんであった。単純に気安さから彼を頼ろうとしたのだろうが、しかし彼の手元を見てミアベルさんは悟ったように消沈する。
「俺のメシわけてやろうか?」
「いやぁ、いいよ。リタに怒られちゃう」
婚約者であるマルグリットさんがルークさんのために用意したのであろうランチボックス。これをわけてもらおうとは流石に中々思えないだろう。ミアベルさんは恋愛的な機微には疎くとも、常識がないわけではない。
ついでに彼の従者であるランディーさんも同じような状況だ。たぶん彼のほうのランチボックスを用意したのはセラフィーナさんなのだろう。彼らがどういう関係性なのかはお嬢様から概要程度は教えられているし、私の同僚といえるヴァイオラ改めシザーリオがまさにそのセラフィーナさんのメイドとして出向しているので、彼もとい彼女からもそれなりに情報が入ってくるのだ。
そこでミアベルさんに救いの手を差し伸べたのは勿論カーマイン殿下である。
「アトリー、俺の分をわけよう」
弾かれたように殿下のほうを振り向いたミアベルさんは感激した面持ちになりかけ、だが少し戸惑うように殿下の隣のフォルカさんを窺い見た。フォルカさんは苦笑気味に頷き、
「死ぬほど用意しているから遠慮しなくて大丈夫だ」
その言葉の通り、彼が殿下のために持参した昼食はどう見ても一人分の量ではない。フォルカさん自身の分を含めても遥かに多すぎる。お嬢様のために多めに用意している私のバスケットなど可愛いものである。術理圧縮という便利な技術を用いてフォルカさんが持ち込んだランチの量はちょっとしたワゴンくらいはあるだろう。
これが大袈裟なのかというと、別にそんなことはない。何故ならば彼の主人であるカーマイン殿下は正真正銘の王族なのだから。それこそ『ランチが来い』とばかりに料理人を店ごと持ってこないだけ自重しているほうである。というか、それをいったらお嬢様やルークさんが庶民的過ぎているだけまであるのだが。
余談だが、殿下はこの場に料理人を連れてきてこそいないが、彼のランチを用意したのは当然プロの料理人である。カーマイン殿下はこの学院に留学するにあたって自身の専属料理人を従者として同行させているのだ。ポルコなるその男性は立場的にはフォルカさんの同僚であるわけだが、私は話に聞くだけで直接お会いしたことはない。
一緒に食事をするために殿下のほうに身を寄せたミアベルさんを横目で眺めたお嬢様は、ふんと小さく鼻息を吐いた。勿論、最初からお嬢様はこのつもりでミアベルさんを連れてきたのだろうし、殿下としてもミアベルさんに食事を分け与えるのは迷惑どころか本懐とすら言えるだろう。
流石はお嬢様だ。誰も損をしない完璧な采配である。
それから、適当な雑談などを交えながら食事を進めていると、ふとしたタイミングでカーマイン殿下が名を呼んだ。
「ルークよ」
「おん?」
殿下が視線を向けているのはルークさん本人ではなく、彼が手に持っているランチボックスだ。一人分にしてはかなり大きめのサイズで、お嬢様であればそれだけで三食賄えそうな内容量である。ルークさんは健啖家らしく、既にその大半を平らげてしまっているが。
「お前の食事は、婚約者が用意しているのか?」
「ああ、リタだよ。知ってるだろ?」
「ベリエだな。そうか……ベリエが……」
なんだか奇妙な含みを感じる殿下の呟きに、ルークさんは不思議そうに首を傾げている。そんな微妙な空気を塗り替えるように大笑してみせたのはフォルカさんである。
「はっはっは! 流石のポルコもあれと比較されては形無しですな」
ああそういうことか、と私は腑に落ちる。
マルグリットさんがルークさんのために料理をするようになったのはつい最近のことらしい。それまではそもそも料理の経験も殆どなかった彼女の腕前は拙いものだ。今ルークさんが食べているランチボックスの中身だって、いかにも不慣れなことが見て取れる感じで、彩や栄養バランスも優れているとは言い難い。
だけど、ルークさんに合わせた量で、彼の好むものを詰め込んで、それでいて可能な限り健康面にも気を遣っていることが窺える、いわば『愛の結晶』のようなランチなのだ。ルークさんもそれがわかっていて、本当に幸せそうに食べるものだから、殿下も思わず気になってしまったのだろう。
殿下の食事はプロであるポルコさんが調理したものだ。素人であるマルグリットさんとは比較にならないものだし、かく言う私だってプロと比べれば素人同然である。そしてルークさんのためだけに作られたランチと、殿下のためだけに作られたランチという条件も同じだろう。それでも殿下の目にルークさんのランチが輝いて見えるのは、きっとそういうことなのだろう。
「ポルコって誰だ?」
誰にともなく問うたルークさんに、お嬢様が答える。
「フォルカではないほうの従者だ。ガルムの宮廷料理人だぞ」
「へぇー。つまりどういうことだ? リタとは比べ物にならねえのはわかったけど」
「ちなみに私はクラリスの料理が世界一美味いと思っている」
「お、おう?」
お嬢様……!
クラリスは感無量にございます。
とはいえますます首を傾げるルークさんに、お嬢様はそれ以上教えて差し上げるつもりはないようで「自分で考えろ」と返す。突き放されたルークさんは隣のランディーさんに助けを求めた。
「どういう意味かわかるか?」
「あん? いやルークおまえ、リタの作った料理が世界一美味いと思ってんだろ」
「おう!」
「つまりそういうことだ」
「だからどういうことだよ!?」
まあ、要するにカーマイン殿下にとって世界で一番美味しい料理を作れる可能性があるのは今まさに彼の隣に居る少女なのだけど、きっとミアベルさんのことだから何も察していない顔をしているのだろうな。
と思ってミアベルさんを見やると、何故か彼女は焦っていた。
何故かフォークを咥えたまま、視線があわあわと彷徨っている。
これはたぶん、絶対なにか素っ頓狂な勘違いをしている顔である。
「ミアベルさん?」
私が呼び掛けるとミアベルさんはぴしりと動きを止め、他の方々も彼女のほうを見る。
ミアベルさんは咥えていたフォークを片手に取ると、非常に気まずそうな顔で言う。
「そのぅ、わたしなんも考えずにパクパク食べちゃってましたけど……もしかしなくてもわたしなんかが口にしていい料理ではなかったのでは……?」
するとルークさんが思案気に上を見上げながら、
「そりゃあ宮廷料理人が王族のために作ったもんだから……まあ」
「ひぇぇ」
顔を蒼くするミアベルさんに、お嬢様がここぞとばかりに口を開く。
「正当な対価を払えば問題あるまい」
「対価?」
「ん? なんだアトリー、貴様まさかタダメシのつもりだったのか?」
「しょ、しょんなことは!?」
ミアベルさんは更に蒼くなって首をぶんぶんと振るが、彼女は対価が必要だなどと考えてもいなかっただろう。というかそもそも殿下の側からわけてくれると仰られたのだから。
ニヤニヤしているお嬢様がミアベルさんを揶揄っているだけなのは明らかだ。ポルコさんが作った料理が王族しか口にできないものであるならば、フォルカさんが相伴に預かっている説明が付かないわけで。
勿論、ミアベルさんから対価を取るつもりなど微塵もないであろうカーマイン殿下は否定のために口を開こうとしたが、それより先に被せるようにお嬢様がフォルカさんに水を向ける。
「どうなんだフォルカ、ん?」
「そうだな……とはいえポルコの仕事を奪うのも忍びないからな」
腕を組んで考えるフォルカさんの言わんとすることは私にもわかる。対価と称してミアベルさんに『世界一美味い料理』を作ってもらおうという算段だろう。そうなればカーマイン殿下は大喜びだろうが、しかしそれをすると、それこそポルコさんの立場がなくなってしまう可能性がある。
ややあって彼はぽんと手を打った。
「そうだミアベル、殿下の望みをひとつ、叶えてやってくれないか?」
「望み、ですか?」
「そう。具体的には食事を手ずから食べさせてあげてほしい」
その爆弾のような提案に、ミアベルさんはきょとんと首を傾げ、カーマイン殿下は赤くなって「おまっ」と声を上げた。ついでにルークさんは口笛を吹いた。
だがしかし、流石のミアベルさんは全然ピンと来ていない様子だ。
そこでお嬢様が、
「つまりこういうことだ。クラリス――――んぁ」
と、小さなお口を開けた状態のお嬢様は、どう見ても『あーん待ち』の態勢!
いいのですかお嬢様。クラリスがそんな幸せを享受しても。
私のお嬢様が本日も最高に可愛くて尊い。
「はい、お嬢様。あ~ん」
「んむ」
もぐもぐするお嬢様を微笑ましそうに眺めていたミアベルさんは、最後まで見届けてからようやくハッとなる。
「え!? つまりわたしがカーマインくんに『あ~ん』するということなので!?」
「そういうことだ。ですね、殿下?」
「あ、いや、俺は、それは、しかし、」
「ほら、殿下もそれをお望みだ」
強引にそういうことにしたフォルカさんだが、ミアベルさんは不安そうに眉根を落としている。
「それこそ、とんでもない不敬行為なのでは……?」
「いいや、ミアベル。ここは公の場ではないし、ここでしか殿下の望みは叶えられないんだ」
深刻そうな顔をして声のトーンを変えたフォルカさんに、ミアベルさんも居住まいを正してやや身を乗り出す。
「考えてみてくれミアベル、殿下は王族なのだ」
「は、はい」
「つまりな、そういうことはしたくてもできないお立場なんだ」
「……!」
「誰でもできるようなことができない。だからこそ殿下のささやかな憧れなのだ。どうかそれを叶える手伝いをしてやってはくれないだろうか」
ちなみにフォルカさんの言葉は大体正しいのだろうが、一つ指摘するとすれば殿下はその行為そのものに憧れがあるわけではなくて、ただ一人ミアベルさんにしてもらうことに意味があるということだ。
もはや言うまでもないことだが、案の定そんなことは少しも察していないミアベルさんは、フォルカさんの言葉にすっかり乗せられて使命感に燃えていた。
「わっかりました! 不肖ミアベル・アトリー、カーマイン君のために誠心誠意『あ~ん』させていただきます!!」
「おお、ミアベルならそう言ってくれると思っていたぞ!――というわけで殿下、あとはどうぞ」
「どうぞじゃないが!?」
こうと決めたミアベルさんの揺ぎ無さは尋常ではない。きっと言葉の通り、本気の『あ~ん』を見せてくれることだろう。その様子を横から眺めているのも(主に殿下の名誉のために)忍びないので、私達はそれとなくフェードアウトしてそれぞれの食事に戻ることにする。
ランチボックスの中身を殆ど空にしたルークさんが、最後に残ったデザートらしきフルーツをフォークで刺して、何気ない風に疑問を零す。
「リタの弁当美味いんだけどさぁ。いっこだけ不思議なとこがあるんだよな」
そう言って彼はフォークに刺したそれを私達に見えるように持ち上げてみせた。
「最初からなんだけど、毎回絶対コレが入ってるんだ」
ルークさんはそう言うが、私は特に変だとは思わなかった。ランチボックスの中にフルーツを入れるのは普通にあることだし、マルグリットさんはちゃんと他のメニューと混ざらないように気を遣って、変色をさせないための処理もしているようなので大したものだと思う。
なにが問題なのだろうか、と私が内心で首を傾げていると、ランディーさんが意外そうに言う。
「え? それってルークの好物だから入ってるんじゃねえの?」
「いや、好きは好きだけど。あえて好物にあげるほどじゃないっていうか、別にリタにそういう話した覚えもない気がする」
「じゃあ……リタの好物か?」
「それも訊いてみたけど、そうでもないっぽい。てかなんで入れてるのかも教えてくれなかったし」
頭を悩ませる少年達に、お嬢様がどうでもよさそうに、
「猿だと思われてるんだろ、知らんけど」
「お嬢様、流石にそれは……」
お嬢様のは冗談だろうが、私としてはそこまで深い意味はないのではないかと思う。ただ、少し気になるのはルークさんが理由を聞いても教えてくれなかったということだ。
深い意味がないのであれば正直にそれを言えばいいだけなのだから。
「ま、いいけどね。――バナナ美味いし」
最終的には笑って、ルークさんはそれを頬張った。




