601話_side_Mary_学生区
~"いじめられっこ"メアリ~
エンディミオンに通う学生には、学生個人専用のロッカーというものが与えられている。国中から貴族の子息令嬢が通うだけあって、設備や備品にも大いに投資されて充実が図られているのだ。
個人用ロッカーの用途は人それぞれだろうが、基本的には講義に使う教材の類や、あるいは運動着などを仕舞っておくことが多い。学院は全寮制とはいえ、敷地が広すぎるせいで寮から講義棟までの道のりもそれなりである。毎日教材を鞄に詰めて登校するのも地味に大変ということで、講義棟内の個人ロッカーに所謂『置き勉』をする学生が大多数なわけだ。
学院の備品が充実しているからといって、すべての学生が平等に恩恵を受けられるわけではない。というのも、ここでは同じ学生でも身分の違いというものが存在しているからだ。わかりやすい例で言えば、まさしく学生寮がそうだ。平民用の寮と貴族用の寮では何もかもが違う。それは設備に投資されている金額もそうだし、利用者の境遇もそう。平民学生は一人部屋ですらなく相部屋で、しかも身の回りのことはすべて自分でやらなくてはならないのに、貴族学生は一人で複数の部屋を与えられることもざらで、同じ部屋に使用人を住まわせることすら出来る。
話をロッカーに戻すと、要はロッカーにも同じことが言えて、平民学生は更衣室に併設されたロッカールーム内に個人用のものが一つ与えられるだけなのだが、貴族学生にはそれ以外にも少々グレードの高いロッカーが与えられる。グレードって何かというと、つまり収納量だったりセキュリティだったりだ。平民用のロッカーは鍵こそ備え付けだが物理的な錠だけであるのに対して、貴族用のロッカーは魔法的な防御が施されている。
このロッカーこそが、私の学院生活の生命線と言ってもよい。
決して問題を起こすなと父親から厳命されている私は、どれだけ周囲から嫌がらせを受けようが、受講妨害を受けようが、真面目に講義に出席して必要最低限以上の成績を保つ必要があった。当然、講義を真面に受けるためには教材を持参しなくてはならないが、毎日、毎講義で使う教材を全部馬鹿正直に持って移動することなど出来るわけがない。そんな格好の隙をコリンナが見逃してくれるわけがないから。
教材を抱えた鈍重さでは彼女らから逃げられないし、鞄に汚水でもぶちまけられたらそれこそお終いだ。
なので私は魔法的なセキュリティに守られたロッカーに自分の荷物を仕舞っておいて、都度取り出して講義に向かうという生活をしていた。平民用のロッカーはたびたび抉じ開けられて中身に悪戯されるような事件が起きたりするらしいが、貴族用のロッカーは部屋そのものにセキュリティが働いているのでその心配もない。他人のロッカーにちょっかいを出せばすぐにバレるからだ。
そのロッカーの、鍵を失くした。
気付いた時、間違いなく私の顔からは血の気が引いていただろう。
魔法的なセキュリティが施されたロッカーの鍵は当然魔法的なアイテムであり、魔法具の一種であるが形状や外見は普通の鍵だ。
鍵が無ければ、ロッカーを開けることが出来ない。当たり前だが。
今日の講義はすべて終わっているのですぐにどうこうということはないが、このままでは明日の講義を受けるための教材を取り出すことが出来ない。
対処法は簡単である。学院の管理棟に行って、事情を説明して新たな鍵を用意してもらえばいいのだ。魔法的な鍵はそもそも本人にしか使用出来ないアイテムなので、失くした鍵を仮に誰かが拾っていたとしても、勝手にロッカーを開けられてしまう心配はないのだ。別に古いほうの鍵を回収する必要すらなく、新しい鍵に乗り換えるだけで済む。
でも、私にはそれが出来ない。
何故って、決して問題を起こすなと、私は言われているからだ。
高度なセキュリティを有する魔法的な鍵が、高価でないわけがないじゃないか。それを失くしたとなれば、次の鍵を用意するのは決して無料などではないのだ。
無論、やむを得ない理由があって鍵を失ったなど、事情次第ではその限りではないのだが、その点、私の事情にはなんら汲むべきところがない。だって、ただ単に不注意で失くしただけだからだ。
反省文くらいは書かされるだろう。
新しい鍵を用意するための金銭が必要な以上、実家の父親に知られないようにすることは不可能だ。
途方に暮れそうになる心を叱咤して、私は足を動かす。
幸い、今は放課後で、明日までの時間はある。今日訪れた講義室や通った廊下すべてを虱潰しにしてでも探すしかないのだ。いや、最後にロッカーを使用したのは昼休みなので、その時までは鍵を持っていたのだ。午後の行動範囲だけを探せばいいと思えば決して無理な量ではないはずだ。もしかすると普通に落とし物として管理棟に届けられている可能性だってある。
そうして動き出して、すぐのことだった。
同級生の女子が私に声を掛けてきたのだ。
「あの、すみません。ロンベルクさん……」
及び腰の様子も明らかな、平民学生だった。制服の意匠から同級生であるとわかっただけで、顔も知らなければ名前も知らない相手である。
急いでいるのに何の用だ、と私が苛立ち混じりに答えると、彼女はこう言った。
「あの……ミュラーさんが、ロンベルクさんの鍵を拾ったから、渡したいって」
「……………………そう」
その瞬間の私の内心はなんとも表現に困るものだった。
怒りと悲しみと諦めが綯交ぜになったような、暗鬱とした理解が広がるのを感じた。
ミュラーさんとは即ちコリンナのことだ。
私が落とした鍵を彼女がたまたま拾ってくれた? そんな風に思えるのは頭に綿菓子が詰まっているヤツだけだろう。伝言役の女子はいくつか追加で喋り、それから「じゃあ、ちゃんと伝えたからね」と逃げるように去っていった。大方、コリンナにそれこそたまたま見付かって伝言を押し付けられただけの不運な平民だったのだろう。
私は立ち尽くすしかなかった。
盗られたのだ。
どう考えても。
あの鍵が私の生命線であると、コリンナにわからないはずがなかったのだから。でも、当たり前だが、私だって警戒していたし、生命線を粗雑に扱うわけもない。鍵は常にブレザーの内ポケットに入れて肌身離さず手元に持っていたと言っても過言ではないのだ。
いつの間に、どうやってと思考がから回るも、すぐに沈静化する。
考えても意味などないからだ。
結局、無理があったのだ。私一人の警戒心や集中力にはどうしても限界がある。コリンナ達が徒党を組んで、連携してことに当たれば私に気付かれずに鍵を掠め取れたとしても不思議ではない。例えば、講義中なら私は講師の話に集中せざるを得なかったし、あるいは何らかの魔法を使って鍵を奪われた可能性だってある。そんな真似をされれば流石に私も気付くはずだ、などと自己弁護をしたところで状況は変わらない。
「…………クソ」
伝言役の女子は場所を伝えていった。
おかしな話だ。拾った鍵を渡したいから、わざわざそこまで来いと言っているのだ。コリンナが本当に鍵を渡す気ならば、さっきの女子に言葉ではなく鍵を届けさせれば済んだ話なのだから。
「…………クソ」
罠、などと呼ぶのも憚られるような、目に見えた悪意だ。
行けばどうなるか、想像もしたくないが、間違いなく碌な目には合わないだろう。
「…………くそぉ」
でも。
私は行くしかないのだ。
屈辱で歯が軋もうとも、涙で視界が歪もうとも。
誰も助けてくれないし、誰にも助けを求められないのだから。
◇◇◇
コリンナが指定した場所はいかにもお誂え向きというものだった。
講義棟の裏手に存在している庭園だ。所謂『校舎裏』というやつである。コリンナはそこで手勢を引き連れて私の到着を待っていた。私が来ることを疑っていない様子は、勿論、私が鍵を取り返すために来るしかないのだとわかっているからこそだろう。
庭園の中央は円形に開けた空間になっていて、コリンナはその円を囲うように設置されたベンチの一角に腰掛けて寛いでいた。彼女と相対するためには自然と円の中心に立たねばならず、私は公開処刑場にでも立たされた気分になる。
いや、まさしく。
この場は私の公開処刑場に相違ないのだろう。
「来てくれて嬉しいわ。ロンベルクさん」
笑顔で告げるコリンナの周囲には見慣れた取り巻きの女子学生が四名。前期の頃は私が彼女たちを率いる立場だった。今ではすっかりコリンナの手先といった印象で、まあ結局上に立っているのが私でもコリンナでも彼女たちには大差なかったということだろう。
彼女たちだけでなく、この場には見慣れない男子学生も居た。
粗野な姿勢でだらしなくベンチから足を投げ出し、じろじろと下卑た不躾な視線を私に向けている男子が三人。名前も知らないし、知りたくもない。なにせ、その風貌からして絵に描いたような不良であったからだ。いかにエンディミオンが高等な学び舎であるとはいえ、一定数はこういう輩が居るのだ。大抵は貴族崩れと呼んでも相違ないような下位貴族であることが多いが。
「…………」
私は声を出さず、溜息を吐いた。
絶望というより、諦観が色濃く滲んだ弱弱しい吐息であった。
一目でわかる。詰んでいるやつだ。
私がどんな抵抗をしても無意味だろう。力尽くで鍵を取り返すなど夢のまた夢だ。尤も、決して暴力沙汰など起こすわけにいかない私は、強硬手段を取りたくても取れない。
コリンナの片手には、これ見よがしに銀色の鍵がぶら下げられていた。
「コリン」
私は静かに呼び掛けた。
愛称で呼ばれた彼女は、微笑んで「なぁに?」と返す。
「なんで、こんなことをするの? 私、貴女に何かした?」
「変なことを訊くのね。ロンベルクさん。なんでって、楽しいからに決まっているじゃない」
コリンナは笑みを深める。私は俯く。
「変なことを訊くのね。ロンベルクさん。わたくしにこの楽しみを教えてくれたのは貴女でしょう」
「それは……」
「貴女だってこの楽しさを知っているでしょう。だって、前期の頃はあんなに楽しそうにしていたものね」
違う。違うのだ。
私は首を横に振りたかった。
声を上げて言いたかった。
でも、出来なかった。
私が楽しかったのは、いじめや嫌がらせそのものが楽しかったのではなく――
「ねえロンベルクさん。わたくし貴女の鍵を拾ったの。貴女、これを返してほしいんでしょう? これがないと困っちゃうものね?」
くすくすと嗤う声。悪意的な視線。
私が俯く姿は彼女らを調子付かせたようだった。
「でもぉ、大事な大事な鍵を拾ってくれた相手に、ただで返せっていうのは虫が良すぎる話だと思わない?」
「……謝礼でも払えっての?」
「まさか! オトモダチのロンベルクさんにそんな酷いこと言わないわ?」
わざとらしく言って、コリンナは片手の鍵をチャリチャリと揺らして見せた。
「交換にしましょ? わたくし、貴女の持ち物で一つ、とっても欲しいものがあるんです」
「欲しいもの……?」
私は困惑した。
まったく予想がつかなかったからだ。私とコリンナは実家の家格も同程度で、私が持っているようなものは大抵コリンナも持っているし、今となっては私が手に入れられないものでも彼女ならば簡単に手配出来ることだろう。
そんなコリンナが特別に欲するようなものを私が持っているとは思えなかった。
私の本気の困惑を楽しむように笑みを浮かべていたコリンナは、たっぷり間をおいてから、歌うように告げた。
「スカート♪」
…………は?
聞き間違いかと思うも、コリンナの視線は間違いなく私の腰のあたりに向けられていた。
彼女のその言葉と、この場に男子が居る意味を考えて、私は悪寒を覚えた。
「貴女のスカートとこの鍵を交換。ほら脱いで? いま――――――こ・こ・で♪」




