602話_side_Mary_学生区
・コリンナさんしゅき(問題発言)
~"いじめられっこ"メアリ~
この場でスカートを脱げというコリンナに、私は息が出来なくなったような感覚に陥る。
彼女達に下着を盗撮されるのとはわけが違う。だって、ここには男子が居るのだ。
「そっ、そんなことできるわけ、」
「あそう。じゃあこの鍵はいらないわね」
なんとか言葉を絞り出した私に、コリンナはそんな反応をわかっていたかのようにあっさりと応じる。これ見よがしに揺らす鍵が、きらりと光を反射して存在を主張する。
私がここで取引に応じなければ、あの鍵は永遠に失われるだろう。別にコリンナはあれを持っている理由もないのだから、最初から知らなかったことにしてどこかに捨ててしまえばいいだけなのだ。私が『彼女に鍵を盗られた』などとどれだけ主張したところで、証拠もないのだからどうしようもない。仮にこの場を『PiG』で撮影しておくなりしても無意味だろう。彼女が盗ったことの証明にはならないし、争いになれば結局、主張を押し通す力が強いほうが勝つだけの話なのだから。
鍵を持つコリンナのどうでもよさそうな手つきに、私の焦燥感だけが募っていく。
「ま、待って」
「ん?」
「待って、お願い……」
私にはあの鍵が必要だ。
鍵はあの一つしかないけれど、最悪スカートは寮に帰れば予備がある。ここから寮までどうやって帰るのかを考えると気が遠くなりそうだけど、なんとかするしかない。
いやらしい笑みを浮かべてこちらを見ている男子達の存在は、努めて思考から追い出す。
「じゃあ、先に鍵をちょうだい……? そ、そしたら、脱ぐから」
「え? もしかしてわたくしが約束を破ると思ってるの? 心外だわ」
せめてもの抵抗でしかない提案に、コリンナはわざとらしく傷付いたような顔を見せた。
そして、きっぱりと告げる。
「交換なのだから、同時に引き換えに決まっているでしょう?」
「うぅ……」
それはそうだ。でも、それはつまり、私は先にスカートを脱がなくてはならないということだ。当たり前だけどスカートを穿いたまま手渡すことなんて出来ない。
ついでに言えば、私はこの期に及んでコリンナが約束を守るなんて少しも思っていないし、私も約束を守る気なんてない。彼女が先に鍵を渡してくれたら私は一目散に逃げ出すだろう。しかしコリンナは同時の引き換えを主張している。なんだこれは、まるで卑劣な無法者は私のほうで、コリンナが正々堂々正しい振る舞いをしているかのようではないか。
「わたくし、この後用事があるのよね。すぐに決められないなら別にいいわ。この話はなかったことに――」
「待って!」
「待たないと言ったのがわからなかったのかしら?」
「わ、わかったから、それでいいから……交換して、お願いよ」
もう、私に抵抗手段はなかった。
まったく急ぐ様子も焦る素振りも見せないコリンナに本当に用事があるのかは定かでないが、圧倒的に弱い立場である私は彼女の言いなりになるしかないのだ。そんな当たり前の論理を無駄に時間をかけてわからされただけ。
私は、震える指で、制服のスカートのホックを外そうとする。
何十回と繰り返した動作のはずなのに、何故か全然うまく外せなくて呼吸がおかしくなってくる。
「じらすねぇ」
楽しそうな外野の声や、いつの間にか当然のように構えられている『PiG』のカメラを気にする余裕すらも私には残っていなかった。
ただ、一刻も早くこれを終わらせたくて。
苦労してようやくホックが外れると、そのままファスナーを下げる。今度は拍子抜けするほどにあっさりと出来てしまって、緩んだスカートが落ちないように咄嗟に手で掴んでしまった。
ああ失敗した。
むしろ落ちるに任せてしまえばそれで終わりだったのに。
咄嗟に支えてしまったから、私はここから自分でスカートを下ろさなくてはならない。手を放すだけのはずなのに、それが何故か出来ないのだ。スカートを掴んだ手が強張って、変な力が入ったまま言うことをきいてくれない。
そのまま硬直してしまった私の視界にコリンナの姿が映った。彼女は片手の腕時計を一瞥していた。
その動作が私を焦らせる。
時間を掛けたらコリンナが行ってしまう。私の鍵を持ったまま。
もう正常な判断など出来るはずもなかった。強迫観念に突き動かされた私の身体がぎこちなく動く。
皺が寄るほどに握りしめたままスカートを下ろし、屈みつつゆっくりと片足を持ち上げて抜く。ふらつきながら、もう片方の足も。
とうとう脱いでしまった。
ああ、私、今とてもはしたない姿になってる。
「はいよくできました♪」
少しでも見られる面積を減らそうと無意識の抵抗が働いたのか、意思とは関係なく私は膝をすり合わせて身を捩る。スカートを持っていないほうの手で必死にブレザーの裾を引っ張って下着を隠そうとするも、そんなので隠せるわけもない。
囃し立てるように口笛を吹いた男子連中が、手を叩いて色めき立つ。
「なにあのエグいパンツ! エロ過ぎじゃね?」
「ロンベルクさんってエカテリーナ様の信者だもの。下着のブランドまで真似してるってちょっと気持ち悪いわよね?」
「マジかよ! てことはクレインワースもあんなん穿いてんの!? うっわやばぁ」
何を言われているのかも、もはやよくわからない。
ただ、只管にこの場から逃れたかった。
私は声を上げる。
「ほら! コリンっこ、交換して。 はやく……っ!」
「ん。いいわよ」
コリンナは不気味なほどに優しく応じると、彼女自らがベンチから腰を上げて、鍵を片手に私のほうに歩いてきた。私も彼女に近づくために、足をもつれさせそうになりながらよたよたと歩み寄る。
向かい合い、まず彼女が鍵を差し出した。私はそれを掴むが、当然コリンナはまだ手を放さない。微笑む彼女の視線に促されて、私は手に持ったスカートを差し出すと、彼女も同じようにそれを掴む。
「じゃあ、交換ね?」
私とコリンナは同時に片手を放し、私の手には鍵が、コリンナの手にはスカートが残る。
私はよろめくように後退しながら、万が一にも手放すことがないように、鍵を両手で胸元に掻き抱く。今この瞬間だけは自分が下着丸出しの痴態を晒していることも気にならなかった。
それだけの圧倒的な安堵感があったのだ。
コリンナはというと、私のスカートを持ち上げて、意味ありげにこちらを見遣る。
「ねえロンベルクさん。もうこのスカートはわたくしの物ってことでいいわよね?」
「え? ええ……」
良いか悪いかで言ったら勿論良いわけがなかったが、もうそれは諦めるしかない。
私が渋々頷くと、コリンナはたおやかに笑った。
「なら何しても自由よね。えいっ♪」
コリンナは片手で持ったスカートを弾くようにもう片方の手を翻す。風属性の魔法使いである彼女が得意とする、疾風を用いた魔力斬撃が迸った。遠隔で物を傷つけることが出来るので悪戯にも大活躍だった、という程度のちゃちな魔法だが、斬撃は斬撃だ。
一瞬前まで私の物だったスカートが、風の刃でズタズタに引き裂かれる。この学院の制服は魔法的な強い防御力を有しているが、それが発揮されるのは基本的に着用時のみで、脱いでいる間はただの丈夫な布でしかない。
「…………?」
私は困惑していた。
確かに、自分が着用していた衣服を目の前で傷つけられるのは良い気分ではないが、不快感や驚きよりも不可解さが勝るのが正直なところだ。
尤も、コリンナはスカートそのものが欲しかったわけではなくて、取り巻きの面前で私を脱がせて辱めるのが目的だったのだろうから、それが果たされた今スカートはただのゴミでしかないのかもしれないが。
コリンナの奇行に困惑しているのは私だけで、彼女の取り巻きや男子達は皆一様に、なにが面白いのかニヤニヤと笑っている。そして男子連中のリーダー格が口を開く。
「あーあ。もったいねえ」
「うふふ。無性になにかを引き裂きたくて仕方なかったのよね。でも自分のスカートでやるわけにはいかないじゃない?」
「いやスカートもだけどよ。そのために自分の鍵を捨てるのは見合わなくねえか?」
ニヤニヤと笑いながら私に集中する彼らの視線から、私にとって何か良くない事態が進行していることだけは察せられるが、私にはそれがわからなかった。
不安に視線を巡らせることしか出来ない私に、とうとう男子が噴出した。
「うける。マジで気付いてないぜコイツ」
「意外と抜けてるのね。ロンベルクさん」
コリンナが、ちょいちょいと指で示したのは、私がしっかりと握り込んだ両手。
その中にあるのは、当然、鍵だ。
「――――!!」
慌てて両手を開き、中の鍵を観察した私は瞠目した。
「こ、コリン……!」
「なぁに?」
「ち、ちがっ! これ、違う。コリン、これ、違うわ!」
それは確かに私が探し求めていたロッカーの鍵に相違なかった。
だが、私の鍵ではなかった。魔法具として個人専用に制作された鍵には、使用者の名前が最初から刻まれている。それ以外はすべて同じデザインなので遠目にはわからなかったが、今私が持っている鍵にはしっかりとコリンナのイニシャルが刻印されていたのだ。
これで開錠出来るのは私のロッカーではなく、コリンナのロッカーである。
しかも、コリンナ本人以外には使えない。
動悸がして、呼吸が早くなる。
「私の鍵は……? 私の鍵はどこにあるのっ!?」
「こーこ♪」
私がコリンナに詰め寄ると、彼女はブレザーのポケットからもう一つ、同じ鍵を取り出して見せた。
この距離ならば刻印まで読み取れたが、それは間違いなく私の鍵である。
私はそれを奪い取ろうとするも、コリンナには軽く身を躱されてしまった。
「返して! 返してコリン! 私はそれを返してもらいに来たのよッ!!」
「えーでもぉ。ロンベルクさんだって納得して交換したわよね? それにぃ、やり直そうにも貴女のスカートこんなになっちゃったしぃ」
「なら鍵同士で交換すればいいでしょ!? 貴女だって、自分の鍵がなかったら困る――」
「困らない♪」
「で、しょ……?」
「ぜぇんぜん困らないわ。だって、お父様にお願いして新しい鍵を手配すればいいだけだもの」
私は首を横に振った。
意味がある動作だったわけではない。
ただ、ただ現実が受け入れ難かっただけだ。
はめられたとか、騙されたとか、憤る気持ちすら出てこなかった。
そこに、コリンナの言葉がするりと入り込んでくる。
「どうしてもって言うなら、もう一回だけ、交換に応じてあげてもいいわ?」
「え……?」
「今度は、貴女のパンティーと交換ね?」
ひくっ、と。私の喉が鳴った。
その音が他人事みたいに耳に届いて、私はようやく自分の両目から涙が溢れ出していることに気付いた。
こいつらの前で決して泣いてなどやるものか、となけなしの意地すらも砕け落ちてしまった。
「わたくし、別に貴女のパンティーなんて欲しくもないけど、ほら、彼が欲しいって」
「んぉ? ああうん、欲しいほしい。マジでマジで」
「む、無理よ……コリン、それは無理だって……お願い」
いやいやと首を振って、私は逃げるように後ずさる。
コリンナ達は追う素振りも見せず、私に圧を掛けるような真似もしなかった。
ただ、私を見ているだけだ。私が耐えかねて逃げ出すのならばそれでもいいのだろう。だけど、私が鍵を取り戻さずに逃げることは出来ないと見透かされているのだ。
「コリン、許して……お願いよ。許して。コリン。許して」
「ちょっと、これじゃあまるでわたくしがいじめてるみたいじゃない? なにも強制はしてないわ。そうでしょうロンベルクさん? 貴女がどうしてもって言うのなら、ここでパンティーを脱いでもいいですよって言ってるだけなの」
「無理なの、無理……私、しんじゃう。死んじゃうから」
私の言葉は決して大袈裟なものではない。
羞恥心で人は死なないが、死にたくなることはあるのだ。
するとコリンナはにっこりと笑った。
「ええ。どうぞ?」
ああ。
この人は、本当にそう思っているのだ。
私が友達だと思っていた彼女にとって、私は死んでも別に構わない存在でしかなかったのだ。
「ねえロンベルクさん。ちょっと真面目なことを言わせてもらってもいいかしら」
「……?」
「貴女さぁ、自分が夜会でなにをしたか忘れてない?」
「なに、って……」
忘れるわけがないし、忘れられるわけがない。
だって、あの一件で私の人生は狂ってしまったのだ。
あれがなければこんな状況にもなっていないのだから。
コリンナは溜息を吐くと、呆れ混じりに言った。
「貴女がぶちまけた変な薬のせいで服が溶けて、下着どころかその下まで見られちゃった子が何人居ると思ってるの?」
「ひっ――」
「その貴女がさぁ、自分の時だけ嫌です許して、なんておかしな話だわ。それこそ、許されるわけがないと思わない?」
「ひっ、ひっ……」
息が。
息が出来ない。
「泣いたってダメよ。貴女、あの時の全員に謝ったの? 謝ってないでしょ? だってわたくし何も言われてないもの」
「ひぃ……ひ」
「貴女が自分を守る権利なんてないの。だから、ね……―――――脱ぎなさい。脱ぎなさいよ! 今、ここで! 脱げよ!!」
豹変したように眦を吊り上げたコリンナが恐ろしかった。
彼女本人が怖いのではなく、その彼女の剣幕に、私のせいで被害にあった多くの学生の怒りが重なって見えて、それがどうしようもなく私を糾弾した。
だけど、それよりも、もっと。何よりも深く私の心を抉ったのは。
まったくもって、何も言い返せない事実に気付いたからだ。
だって、本当に、全然意識になかったのだ。
あの時、私のせいで深刻に傷付いてしまった子がいるなんて、今の今まで考えもしなかった。
居ないわけがない。居ないわけがないのに、こうしてコリンナに言われるまで気付かなかったのである。
その時、私の脳裏にはあの時のエカテリーナ様の言葉が思い返されていた。
――私、今にも羞恥で死んでしまいそうですのよ?
エカテリーナ様も、その一人だった。
私はエカテリーナ様を傷付けて、その自覚もなくのうのうと過ごしていたのか。
私が気にするべくは彼女の顔に泥を塗ったなどという体面の話ではなく、まずはそちらを謝罪して然るべきだったはずなのに。
私の中で、折れる音がした。
私は交換したコリンナの鍵を地面に落としたことにも気付かず、ゆるゆると両手を自分の下着にかける。
もう、鍵がどうこうとか、そんな考えはどこか遠くに行ってしまった。
直視させられていた。自らの罪を。
ここで脱ぐのが贖罪になるわけがない。だけどただ単に、私にはここで抗う道理がないことがわかってしまった。
たぶん。いや間違いなく。
ここで下着を脱げば、最後の尊厳が消える。
私はもうどうでもよくなる。
何もかもがどうでもよくなって、落ちるところまで落ちる。
コリンナ達のおもちゃになって、飽きるまで遊ばれて捨てられるだけの未来が待っている。
でも、しょうがないのだ。
誰も私を助けてはくれないし、助けてもらう権利もない。
すべては自分の行いの結果なのだ。
もう、誰も――――
「ロンベルクさんっ!!」
「…………え?」
気付けば、私は強い力で誰かに抱き締められていた。
まるでタックルでもされたような横合いからの衝撃に、私の身体が泳ぎ、そして強引に支えられる。
明滅するような視界の端に映ったのは、なんでか最近見慣れた気がするピンク色。
「だん、くーが……?」
「うんっ、わたし! セラフィーナです!」
なんでここに、という疑問は声にならなかった。
私を抱き締める彼女のぬくもりが、意味不明なくらいに暖かいのだ。
思わず、言葉を忘れるくらいに。
「…………おい」
すぐ近くから、とんでもなく低い声が聞こえた。
いきなり現れたダンクーガは一人ではなく、傍らにもう一人、女子の姿があった。
ベリエ男爵家のマルグリットだ。
彼女は眉間に皺を寄せて、不機嫌が極まったような形相で、私とコリンナ達を含めた状況を一巡する。コリンナを見て、その足元に引き裂かれて捨てられたスカートの残骸を見て、不良然とした風貌の男子達を見て、取り巻きの女子達が片手に構えたままの『PiG』を見て、舌打ちを一つ。
そして、
「ふざけんなよ」
剣呑なその瞳が、一瞬だけ虹色に煌めいたように見えた。




