480話_sideout_奮戦-8
・かつてない文字数になってしまったのですが、どうしても一話に収めたかったので。ので!
――ノイズ。暗転。
――ノイズ。暗転。
――ノイズ。暗転。
未来が閉じていく。
次々と、無慈悲に。
否応なく押し寄せる未来が、ミアベル・アトリーを圧迫する。
見たくない。知りたくない。解りたくない。
だってこんなのは、あまりにも救いがない。
――ノイズ。暗転。
未来が閉じていく。
命が喪われていく。
面影が消えていく。
知っている顏が、知らない顔が。
大切な人達が。
数え切れないほどの多くが。
――ノイズ。暗転。
未来が閉じていく。
血だまりに沈むノエル・クライエインの姿が。
首を飛ばされたマルグリット・ル・ベリエの姿が。
胴体に風穴を開けられたシリウス・ツェザル・ダンクーガの姿が。
ルークが。
女帝が。
セラフィーナとランディーが。
シトロンとストレガが。
マクダレーナが。
顔も知らないはずの誰かが。
夥しい数の誰かが。
過ぎ去る面影の分だけ、未来が閉じていく。
時を刻む針は、一定の律動を奏でている。
――ノイズ。暗転。
なんとかしなくては。
このままではいけない。
いいはずがない。
「救わなくちゃ」
時を刻む針が、猛然と回り始める。
狂ったように。
壊れたように。
救済せよ。
此れは、その為の力である。
◇◇◇
「うああああぁぁぁぁああああぁぁああぁぁああああああッッ!!!!」
突如として爆裂した魔力に圧され、スメラギは吹き飛ばされる。
不慣れな飛行魔法をなんとか制御して体勢を立て直すものの、放射される凄まじい魔力の波に、堪らず腕で顏を庇う。
「ミアベル……!」
碧い柱、だった。
魔力の根源はミアベル・アトリーだ。
彼女を中心に放射される魔力が碧い光を帯びて、巨大な光の柱となるほどの規模で天へと立ち昇っている。尋常ではない様子であり、尋常ではない魔力量だ。術理的な密度が違い過ぎて、スメラギは近付くことすら出来ない。
「ミアベルっ、ミアベル!」
呼び掛けるも、届くはずもなく。
絶叫しながら魔力を放射し続けるミアベルの姿はどう見ても平静ではない。
なにか、とてもよくない事態が起きている。ミアベルにも予想外の、非常な事態が。
「ッこれは……!?」
スメラギは瞠目した。
ミアベルから放射される魔力の波は大部分が天へと向かっているが、余波が周囲に影響を与え始めていた。
黒い森の木々が枯れ、岩が砕け、水が干上がっていく。
そしてその影響は、スメラギ自身にも。
「風化してる」
スメラギが身に纏った衣服が、裾からぼろぼろと解け始めているのだ。
朽ちている。
違和感を覚えて空を見上げたスメラギは、更に異常な光景を目にする。
「雲が……」
空を流れる雲の流れが異様に速いのだ。月光が作り出す雲との陰影のコントラストが目まぐるしくその表情を変えていく。
まるで、時計を早回ししているようだった。
世界が、加速している。
◇◇◇
「「――――ッ!?」」
戦端を再開しようとしていたプリムローズとベルフェルテは、まったく同じタイミングでまったく同じ明後日の方角を振り仰いだ。
そう遠くはない位置で、黒い森と天空までを一直線に刺し貫くような、碧みを帯びた白い光の柱が立ち昇っている。
ベルフェルテはエーテルへの理解を以てして。
プリムローズは時間魔法が齎す特異な感覚を以てして。
共にその異常事態を感じ取り、そして即座に同じ結論に至る。
「これはいかん。姑娘、この勝負預けるぞ」
「異議なし」
短く告げたベルフェルテに、プリムローズも簡潔に応じる。
言うが早いかベルフェルテは身に纏っていた決戦装備の羽衣を霧散させると、一度吹き飛ばした黒骨の甲冑を再構築して身に纏い、それから背の光輪をゲートとして用いる転移魔法を発動してその場から姿を消した。
一方のプリムローズもまたベルフェルテのことは意識の外へと追い出し、集結させた端末刃を翼として広げ、光の柱が発生した方角へと一直線に飛翔した。
◇◇◇
英雄伯シリウスは地に伏し、追い詰められていた。『サラマンデルロード』を弱体化させるためにどてらを奪うという作戦は失敗し、むしろ枷が消えてパワーアップしてしまったロードに良いように翻弄され、遂には地表に叩き付けられ動けなくなった。
そもそもが全身の負傷を誤魔化しながらの参戦であったのだ。最早気力だけではどうにもならない程に蓄積したダメージのせいで、動くことも魔法を唱えることも儘ならない。それでも、意地でも意識を飛ばすことだけはしなかったシリウスが仰向けに見上げる先に、翼をはためかせたロードがゆっくりと降りてくる。
ロードは片腕に引っ掛けていたどてらを羽織り直すと、寒そうに肩を竦ませた。
そして何気ない所作で片手をシリウスに向けて翳すと、その掌に眩いまでの火焔が集束する。
「ちくしょうが……」
シリウスは歯噛みする。最早憎まれ口を叩くことくらいしか出来なかった。
ロードの掌の火焔が一つの射撃魔法を形成し、シリウスの胴体に向けて放たれる、その寸前であった。
「あや?」
なにかに気付いたようなロードが、あっさりとその魔法を霧散させてどこぞへと視線を動かす。
シリウスも目線だけでその先を追うと、どうやら虚空に魔力が集束しつつあるようだ。転移先進魔力である。
最低限の空間確保だけを行う円環状の転移門から姿を現したのは黒い骨の甲冑を纏った肉感的な女の魔物――ベルフェルテであった。
「そこまでじゃ。ドラ子。退くぞ」
「ほえ? なんで?」
「見よ。森が閉じる」
言われ、ロードとシリウスは同時に空を見上げた。
「んだこりゃぁ……」
暗い夜空なので示されるまで気付かなかったが、見れば空を流れる雲の速度が普通ではない。まるで時間の流れが狂ったかのように、雲が流れ、月が動いている。
「こらあかんなぁ」
のんびりと呟いたロードは翼を広げて舞い上がり、魔力を伝播させる大声で戦域中に呼び掛けた。
「みんなぁー! おうちに帰るえー! 遅い子は置いてくえーっ!!」
起き上がれないシリウスには知る由もないことであったが、ロードが戦域中に呼び掛けたその瞬間に、全ての『サラマンデル種』が侵攻を中断し、踵を返して一路黒い森方面へと戻り始めた。そしてロードに追い立てられる形で侵攻に加わっていた他の雑多な魔物種たちも、本能的に事態を察したのか追従するように森へと引き返していく。
まるで潮が引くように、ただの一声であらゆる魔物が撤退し始めたのだ。
結局、そのままロードはシリウスにとどめを刺すでもなく、ベルフェルテと連れ立ってやはり森の奥へと帰っていった。
取り残されたシリウスは、暫し呆然とし、現実味のない顔で呟く。
「…………助かった、のか?」
◇◇◇
細剣の白刃がマルグリットの首を飛ばす寸前で止まっていた。
「…………?」
予期していた絶望の光景が訪れなかったことに、ルークとマルグリットは揃って疑問を目に浮かべる。その視線の先に居るフェンリスは、ぴたりと細剣を止めたまま別の方向を見ていた。
その彼の口が動き、小さく「チビラギ……」と呼ぶのが聞こえる。
ルーク達は状況が読めずに困惑することしか出来ないが、フェンリスはとうとう剣を下ろすと、ルークを拘束していた闇のマントを動かしてその身体を持ち上げると、無造作に放り投げた。
「うおっ!?」
驚きつつもなんとか受け身を取って着地したルークがフェンリスのほうへと向き直ろうとすると、そこに狙ったように今度はマルグリットの身体が放り投げられた。
「どわぁ!?」「うぎゃあ!?」
見事に衝突した両者であったが、ルークは気力と意地を総動員してなんとかマルグリットが怪我をしないようにその身体を抱き留めることに成功する。とはいえ体勢を崩すことは避けられず、二人はもみくちゃになりながら地面に転がる羽目になったが。
最早戦うどころではない有様になっているルークに、フェンリスが声を掛けた。
「見逃してやる。次会う時までに、もうちっと腕を磨いておけ」
「は?」
「じゃあな。嫁さん、大事にしろよ」
目を白黒させるばかりのルーク達に一方的に告げるだけ告げると、フェンリスは踵を返し、闇を纏って一足飛びに姿を消してしまった。
◇◇◇
――いけない。このままでは。
「ミアベル……ッ!」
他者の魂を観測することが出来るスメラギには、ミアベルの魂が危機的状況に陥っていることがわかっていた。彼女の魂は、その特異性が強くなり過ぎて、より純粋で超越的ななにかになろうとしている。
それはつまり、ミアベル・アトリーという個人の消滅を意味している。このまま放置すれば、ミアベルという少女は消え去り、その魂はただの現象に成り果ててしまう。何故こんなことになってしまったのかはわからないが、スメラギとの戦闘も当然、一因ではあるのだろう。
なんとかしなくてはならない、とスメラギは考える。
もしかすると、これを傍観していたほうがスメラギの目的は達成しやすくなるかもしれない。スメラギが必要としているのは時間を司る特殊な魂そのものであり、それがミアベルのものである必要はない。逆に言えば、ミアベルという自我が失われてしまったほうが、抵抗を受けることなく魂を利用出来る可能性が高い。
「でも、」
だけど、そんなのは嫌だ。
もしそれをよしとするなら、スメラギは最初から苦悩などしていない。
ミアベルのことが好きだから。大切な人だと思っているから。だからスメラギは彼女と真っすぐに向き合っていたかったし、自らの手で引導を渡すと決めたのだ。
「――――!!」
スメラギの赤い瞳に、炎が宿る。
「出力、全開……!!」
ミアベルを打倒するためだけに生み出した決戦魔法である『紅蓮告死蝶鬼面袖具足』を、今、彼女を救うために行使する。スメラギの背に広がる赤い翅が粒子化して湧き立ち、強烈な魔力の奔流となって広がる。荒々しく、威圧的な、光の翅だ。
ミアベルを取り込んだ碧い光の柱は天へと昇っているが、その周囲を荒れ狂う魔力が暴風となって行く手を阻む。最初から近くに居たスメラギだから今の位置を保てているが、外から近付くのは最早現実的ではないだろう。スメラギもまた、消耗度外視で全力稼働させた決戦魔法のリソースの多くを姿勢制御に使わなくては、すぐさま吹き飛ばされてしまいそうな状況だった。
鬼面の魔法端末を防御に回し、魔力の暴風を受け流す。光と化した背の翅は一時的に魔法の出力上限を超過させるブースターだ。そしてスメラギは両手を動かし、連動した左右の『袖』が力ある紋様を描き出す。
「その魂に、安寧を!」
赤い光の翅が空を撃ち、煌めく粒子が鱗粉となって爆発的に広がる。魔力の暴風に翻弄され吹き散らされながらも、形質を変じた夥しい鱗粉が創り出すのは鏡の結界である。
ミアベルの機転で一度は破られた封印の術式を、今一度、ここに結実させる。
無数の鏡が織り成す銀の渦。乱反射するミアベルの碧と、スメラギの赤が極彩色を創り出す。
「閉じよ。一の匣。天知り、人に欲し、修羅に落ちる――」
ミアベルの魂に術理の枷を掛け、その特異性の発露を封ずる。疑似的に可視化された立方体の結界がミアベルを閉じ込めようとするが、内側から溢れ出す光の柱によって瞬く間に罅割れていく。
「閉じよ。二の、は、こ……っ!」
出力が違い過ぎる。スメラギの渾身を振り絞った全力全開の魔法行使ですら、ミアベルの出力の足元にも及ばないのだ。
彼女の魂が司る時間の概念が暴力となって吹き荒れ、スメラギの存在そのものを加速度的に朽ち果てさせる。既にスメラギが身に纏っていた衣服は全て風化して塵と化し、魔法の行使を補助するための愛用の杖までも崩れ去った。
仮にスメラギが普通の人間の少女であったならば、既にその身は朽ちていただろう。裸身を晒しながらも、今もスメラギが変わらぬ肉体を保ち続けていられるのは、偏にその出自が特別だからだ。百年を閲する死霊術士である『闇の巫女』サヤが、その英知を結集して生み出した最高の肉体であるからこそ、辛うじてこの暴風に耐え切れているに過ぎないのだ。
砕け散る寸前の結界を覆うように、一回り大きい二つ目の立方体が形成される。
二つの匣が重なった時、術は完成する。
二つ目の立方体が唸りを上げて徐々に収縮し始めるが、内側からの圧力が強過ぎて思うようにいかない。
「う、うう…………もう、」
魔力を使い過ぎて、スメラギの意識が遠くなっていく。
ここで意識を失ったらお終いだ。
暴風に呑まれ、吹き飛ばされ、命も危ういだろう。
退くなら今だ。今ならまだ、辛うじて引き返せる。術を放棄し、この場を離脱することが出来る。正直に言えば、仮に封印の結界が成ったとして、しかしそれで抑え込める可能性はあまりにも低い。ほんの一瞬で内圧に耐えかねて吹き飛ぶのがオチだろう。
「嫌だ…………ミアベル、いやだよ」
だけど、こんな終わりは嫌だった。
そこにほんの一縷でも望みがあるのなら、賭けてみたい。
スメラギの瞳から涙が溢れだす。
零れた傍から風に散らされ、雫が宙に解けていく。
「あと、少しなのに……っ!」
◇◇◇
黒い森の木々の上を飛び跳ねるように掛けるフェンリスは、光の柱のふもとに辿り着きつつあった。
爆発的に規模を大きくしている光の柱は、既に距離感が狂うほどのサイズになっていた。ふもとと呼べる位置まで来ても、中心地までは随分遠い。遠目には単なる柱のように見えているが、実際的には天に昇る中心部、それを取り巻く力の奔流、放射され渦巻く暴風、いくつもの層が重なって巨大な力場を形成しているのだった。
「チビラギは、中かよッ!」
取り込まれて脱出出来ないのか、あるいは出てこられない理由があるのか。どうやらスメラギは未だ光の柱の内部に取り残されているらしかった。
フェンリスは焦る。どう考えてもこれは尋常な現象ではない。
世界そのものの時間を速めるような力の行使は、最早魔法の領域を超えている。明らかに物理を超え、術理を超え、更なる上位法則下に位置する力の行使であった。
そしてそんな場に取り残されて、スメラギが無事で済むとは到底思えない。強力な魔物であるフェンリスを以てしても、この内部に踏み込むのは相当にリスキーであると判断せざるを得ないのだ。吹き荒れる力の奔流、暴風によるダメージ程度ならば素の耐久力でどうとでもなるが、それらに付加された概念――異時間という性質が厄介なのだ。
「くそっ、どうする……?」
内部に踏み込んでスメラギを引っ掴んで来られれば話は早いが、外向きに放射される力場である光の柱は、そもそも侵入するのが容易ではない。
打開の手を模索するフェンリスは、視界の隅で何かが光ったような気がして目を凝らした。
小さな少女がぶっ飛んできた。
「は?」
「ぬわああああああああああっ!?」
と、絶叫しながら落ちてきた少女の身体を、とりあえずフェンリスは半ば反射的に闇のマントで受け止めていた。
「へぎゅうっ!?」
「お、おい……大丈夫か?」
気を遣っている暇がなかったので胴体を掴み取るような形になってしまい、中の空気が全部抜けたような壮絶な悲鳴を上げた少女は、フェンリスのマントに摘ままれてぷらーんと力無く項垂れている。
思わず心配げな声を掛けたフェンリスに、少女はゆるゆると顔を上げた。
「ん、ああ、なんだ貴様か……」
「あ? んん?」
見知ったようなことを言う少女に、フェンリスは眉を顰めた。
ツートンカラーのゴシックドレスを見に纏った、十代も前半くらいの小柄な少女である。淡雪のような長髪を結い上げていて、瑠璃色の瞳を億劫そうに細めている。
見覚えのない顔だとフェンリスは記憶を漁って首を傾げるが、ふと少女の背に寄り添うように浮かんでいる複雑怪奇なディテールの魔法端末が目に入った。これは見覚えがある。
「んだよ、昇格者のお姉ちゃんか」
「んむ。中の人である」
「色々言いたいことはあるが、まあいい。なんだって吹っ飛んできたんだよ」
呆れ顔でフェンリスが問うと、少女はジェスチャーで『放せ』と主張するので、マントを解いてその場に下ろしてやる。
地面に立った少女の身体は本当に小柄で、フェンリスは視線を合わせるためにだいぶ首を下に傾ける必要があった。少女もまた、だいぶ見上げなくてはフェンリスと視線が合わず、にもかかわらず尊大で偉そうに胸を張るものだから、なんだかとても微笑ましい感じになってしまっているが、気にしている場合でもないのでフェンリスは黙っておいた。
「無論、あそこで性懲りもなく暴走している馬鹿者を止めようとしているのだ。貴様は?」
「その馬鹿者とやらの相手をしてたのがうちのお姫さんでな」
「ふむ……大筋で目的は同じということか」
「一時休戦?」
「異議なし」
実際、この少女と積極的に敵対する理由はフェンリスにはないので、向こうが仕掛けてこない限りは戦うつもりもない。
「アンタ、名前は?」
「ローズと呼べ」
「んじゃあローズ、これアンタの魔法でなんとかならねえのか?」
少女ことローズの実力の程と出鱈目さは交戦したフェンリスがよくわかっているのだ。しかも、おそらくこの光の柱を形成しているものと、ローズのイデアは性質的に非常に近しいはずだ。
「無理だ。あれだけ盛大に逆向きの力を垂れ流されてしまうと、そもそも時間も止まらん。できるとすれば精々が、自分の身を守るために相殺する程度だ」
「ああ、だからぶっ飛んできたのか」
「遺憾ながらな」
つまりフェンリスとは事情が逆なのだ。
同質の力を有するローズはそれを以て光の柱が齎す異時間という概念を相殺することは出来るが、それが出来たところで単純な力の放射――つまり暴力を打ち破ることが出来ずに二の足を踏んでいる。
ローズは少し思案し、フェンリスへと問い掛ける。
「貴様、あそこに通り道を作れるか?」
「腕っぷしで抉じ開けろってことか?」
「そうだ」
「あー、どうだろうな。たぶんやれると思うが」
「道さえあれば、私が内部に踏み込める」
可能か不可能かで言えば、おそらく可能だろう。
そして現状では唯一と言ってもよい方策である。
だがフェンリスはすぐには頷けなかった。何故ならば、それはつまりスメラギの救出をローズに委ねるということになるからだ。ローズの目的はあくまでもミアベルという少女の救出であり、彼女がスメラギを助ける理由はないはずだ。如何にここで約束をしたとて、最終的にはローズ次第になってしまう。
ならばリスクを取ってでもフェンリス自身が踏み入って救出に臨んだ方が確実であるのかもしれないが、
「条件がある。チビラギも助けてくれ」
「そのつもりだ」
「…………よし」
フェンリスは最終的にローズを信用することにした。
フェンリスが道を抉じ開け、ローズが救出のために突入する。
彼女を信じることが出来る、という前提条件さえクリアすれば、これが最も成功確率が高い作戦であるとわかっているからだ。
「信じるからな」
フェンリスが言うと、ローズはきょとんと目を丸くし、それから苦笑を見せた。
「貴様、もう少し魔物らしくする努力をしたらどうだ?」
「よく言われるが、性分だ」
つい最近、サヤにも同じことを言われたばかりだ。それを思い出しつつフェンリスが肩を竦めると、ローズは表情を切り替えて端末刃の翼を広げると、突入に備えて上空へと昇っていった。
後は、フェンリス次第だ。
時間の流れが速まっているせいで、既に空が白み始めている。
夜が明ければ黒い森は閉じる。もしかすると森が閉じればこの事態は収まるという可能性はあるが、確証もないし、待っているわけにもいかない。
「…………」
フェンリスは普段使いしているバスタードソードではなく、本領である細剣を取り出し、闇のマントを解除して霧散させる。
剣を構え、機をうかがう。
光が柱に見える程の高密度の力場。内部で荒れ狂う暴力。放射される魔力。
細剣一本で立ち向かうなど正気の沙汰ではないし、遥かに小さなこの剣で、一体何を切り裂けるというのか。
フェンリスはそこに疑問を持ったことがない。
斬れないものはないと知っているからだ。
闇雲ではダメだ。なんだっていい。ほんの小さな綻びでいい。それが機だ。
機を捉えれば、即ち斬れる。
「…………」
すぅ、と息を吸う。
そしてフェンリスは叫んだ。
「チビラギーーーーッ!!!!」
◇◇◇
もう無理だ、と思った時。
声が聞こえた。
「――――あ」
物理的に、声が聞こえるはずがない。
だけど聞き間違えるはずもない。
大好きな人が、彼がスメラギの名を呼んでいる。
「ああ……」
飛びそうになっていた意識が戻ってくる。
意思の力が滾ってくる。
瞳の中に、炎が燈る。
今だけでいい。
「…………頑張れ、私!!」
崩壊し、霧散しかけていた二重立方体の結界が急速に輪郭を取り戻し、より強固に輝き始める。
「――閉じよ、二の匣!!」
収縮した二つの立方体が重なり、遂に結界が完成する。
「『六道天鎖呪縛陣』ッ!――――封ッ印!!」
◇◇◇
「――――ッ!!」
撓むように、ほんの一瞬、刹那だけ、力の奔流が揺らぐ。
フェンリスはそれを見逃さなかった。
スメラギがやったのだ。やり遂げたのだと、疑いもしなかった。
碧と緑のオッドアイが、その綻びを捉え、漆黒の身体が躍動する。
細く、精緻で、華奢な片手剣が、白刃を閃かせる。
それはまさしく、斬撃というものの一つの極致であった。
かつて剣の道を極めたとまで言われた男の、渾身、本気の一撃である。
光の柱どころかその先の天地をも捉え、美しさすら感じさせる一筋の剣閃が奔り抜けた。
そこに間合いや威力といった概念が介在する余地は最早なく、ただ、斬り裂いたという結果だけがあるのだ。
力が。
光が。
柱が。
音もなく、二つに割れる。
◇◇◇
スメラギが結界を完成させ力の奔流を抑え込んだほんの一瞬。
そして人智を超えた剣閃でフェンリスが斬り開いた一瞬。
逃すことなく、プリムローズは背の魔法端末を出力全開して最高速度で飛び込んでいた。流動する力場を切り裂いたとて、元に戻るのはすぐだろう。むしろ戻る過程で乱流と化した力場に呑まれればお終いだ。
戻ることは考えるだけ無駄なので、背後を省みることなく一心不乱に飛ぶプリムローズは、途中で力無く落ちていく黒髪の少女の姿を見付けた。意識はなく、魔力を使い果たしたのか魔法を纏ってもおらず、更には装備は風化してしまったのか一糸纏わぬ姿でもある。あと少しでもプリムローズが遅れていれば、無防備なまま落ちた少女は地表に落下して死ぬより前に、再び吹き荒れた力場に呑まれて分解されていたことだろう。
「ちょっと乱暴で、ごめんね」
プリムローズは少女の身体を球形の障壁で覆って保護すると、投射魔法を使ってそれごと後ろのフェンリス目掛けて発射した。ちょっとどころかかなり乱暴なやり口であったが、まあフェンリスであればなんとか受け止めるだろう。
これで約束は果たした。
あとは――
◇◇◇
「あああぁぁぁああああぁぁあッ!!!!」
「アトリー! おいアトリー!! クソっ聞こえちゃいないか!」
光の柱の中心に浮かび、絶叫と共に魔力を放射し続けるミアベルにプリムローズが呼び掛けるも、反応らしい反応は得られない。
どうしてこうなったとプリムローズは歯噛みしたい気分だったが、実のところ原因はほぼわかっていて、十中八九傍迷惑な老人会連中のせいである。要するに、ベルフェルテの概念励起の影響で精神のタガが外れやすくなっていたところに、テオスさんとやらが余計なことを言ったせいだ。
テオスさんの様子から察するにまさかこんなことになるとは思っていなかったのだろうが、色々と巡り合わせが悪かったのだろう。それは理解出来るのだが、それでこうして事態の収拾に奔走する羽目になるプリムローズには堪ったものではない。
「かくなる上は――――『悪逆の鎖』!」
不吉な輝きを帯びた漆黒の鎖。
対象を時間的に断絶させる拘束魔法である。通常ならば対象と周囲の空間の時間の流れを断絶させることで強制的に対象(が属する空間)の時間経過を停滞させる魔法であるが、相手がミアベルであれば効果は単純化され、この場合はただミアベルの時間魔法を相殺するだけの魔法に変わる。
しかしリミッターもタガもぶっ壊れたミアベルの出力に対抗し相殺するのは容易ではなく、彼女の身体を取り囲む漆黒の鎖は瞬く間に崩壊し、千切れ飛んでいく。
その中を突き進み、プリムローズはミアベルの眼前に達する。
本当ならば胸倉を掴んで締め上げたいところであったが、生憎とミアベルの衣服は全て風化して消し飛んでいるので、仕方なしに彼女の両頬を掌で挟み込んで顔を突き合わせる。
「アトリー! 私を見ろ!!」
「うあああああああ! ああぁああああぁ!!」
目の前に居るプリムローズの姿をミアベルの瞳が捉えることはない。
彼女はここではないどこかを見続けていて、どうにもならない巨大なうねりに囚われて叫び続けている。
ミアベルが見ているもの。囚われているもの。
それは『未来』だ。
「『未来』に囚われるな! 私を見ろアトリー!! 『過去』から目を逸らすなッ!!」
なまじ未来が視えてしまうせいで、ミアベルは時間の迷子になっている。
彼女に『現在』を取り戻させなくてはならない。
そのための方法はわかっているのだ。『未来』を司るのがミアベル・アトリーであるならば、対極の『過去』を司るのがプリムローズ・フラム・アシュタルテであるのだから。
未来しか見えなくなっているので自らの立つ場所がわからない。過去という指標があれば、その中間に自らの立つ場所を見出せる。
しかしそのためには、ミアベルにプリムローズを認識させねばならない。
だが、いくら呼び掛けてもミアベルの瞳が焦点を結ぶことはなかった。
何故なのか。
プリムローズは思い返す。
そもそも、メンタルおばけと評するほどのミアベルが何故我を失うことになってしまったのか。それはミアベルという少女が抱えるトラウマの記憶に起因している。以前、学院でゴーレムが暴走する事件の際にも彼女は魔力を暴走させているが、その引き金となったのは友人であるマルグリットが目の前で凶弾に倒れたことにある。
死だ。
ミアベルは死に囚われている。
「いいかアトリー! 貴様の見たソレはまやかしだ! まだ誰も死んじゃいないッ!!」
本当のところはわからない。これだけの大規模戦闘だったのだから、ミアベルの知人や友人が死んでいてもおかしくはない。だけれど今この場においてはプリムローズの言葉は真実だった。
何故ならばミアベルが見た景色はその時点ではあくまでも未来の出来事であり、実現していないことであったからだ。
どうすればミアベルを『死』から遠ざけられるのか。
『死』を否定するためにはどうすればいいのか。
「ええい…………ええいっ、もぉ!」
プリムローズは数瞬葛藤したが、最早選択の余地はないと腹を括り、
「…………ほら」
ぎゅっ、と、ミアベルの身体を抱き締めた。
「生きているよ。私は」
「――――」
「私は絶対に死なない。絶対だ」
「――――」
「だから、ほら。貴様は私に二度も同じことを言わせる気か?」
ミアベルの叫びが途切れ、プリムローズは少しだけ身体を離し、鼻先が触れそうな距離で彼女の顔を覗き込んだ。
すると、ミアベルは微妙に焦点が合わない目で、しかし確かに、プリムローズのことを見た。
そして息も絶え絶えながらも、しっかりと、笑顔で。
「しゃんと……しま、す…………」
それだけを告げて、ミアベルは意識を失った。
既に、碧い光の柱も、吹き荒れる魔力の奔流も、何事もなかったかのように消え去っていた。
早回しになっていた時計が元通りに時を刻み始め、丁度、図ったようなタイミングで夜が明けるところであった。
「…………はぁ」
曙光に照らされ、滞空するプリムローズの腕の中には、安らかな顔で寝息を立てるミアベルが居る。まあ、腕の中というか、体格的にプリムローズがミアベルに抱き付いてなんとか支えているという風にはなってしまっているのだが。
プリムローズが手を放せば落下して死ぬしかないのに、何故こうも暢気な顔で寝息を立てることが出来るのか。
というかミアベル、裸である。
「…………」
プリムローズは、若干赤くなった顔で口元をもにもにと動かし。
困り切った、小さな声で呟いた。
「恥ずかしいなこれ……」




