476話_sideout_奮戦-4
「――――傲慢、是を許そう。
強欲、是を認めよう。
憤怒、是を容れよう。
偽ること能わず、全て解き放つが良い。
そして相争うが良い。
奮励、是を奮う。
信仰、是を信ず。
希望、是を希う。
背くこと能わず、碧く輝く愛の姿を見せておくれ」
祝福の如く、世界に碧が満ちていく。
荘厳にして純潔。暖かく、そして澄み切った光の坩堝であった。
その渦を切り裂いて、黒辰が迸る。
「――――ポエム垂れ流すのは結構だが、私を忘れてもらっては困るな!」
世界を席巻する碧い輝きに対する、小さな反逆者だ。
吸光する黒い魔剣の姿。
美しい碧を取り込み、穢れなき黒へと染め上げる冒涜。
牙を剥くように猛々しい笑みを見せるスレイの一撃を、ベルフェルテは碧いエーテルを帯びた十字槍で受け止める。衝撃が伝播し、エーテルの碧い渦が戦慄くように波打つ。
「無論じゃ。そちのことを忘れるものか。妾は、そちをこそ救いたいのじゃ」
「そういうの、なんて言うか知ってるか? 大きなお世話ってのよ」
「つんでれの常套句じゃな?」
「誰がツンデレだ!」
ベルフェルテの背の光輪が唸り、魔法の気配を感じ取ったスレイは刃を突き合わせたまま前蹴りを繰り出し、ベルフェルテの腹部を蹴り付けて強引に距離を取った。ベルフェルテはそれに抗うことなく押し飛ばされつつも、光輪から放射状の砲撃を放ち、湾曲する射線でスレイを狙う。
スレイの意思に応じて飛翔した六基の端末が砲撃にて応戦し、ぶつかり合った火力が空間に幾多の火花を咲かせた。
表情にこそ出さないが、スレイには内心の焦りがあった。ここにきて、ベルフェルテがエーテルを集積する速度が格段に上がっているからである。彼女が新たに何かを仕込んだというよりは、単純に機が熟したのだろう。
つまり『オンスロート』が開幕してそれなりの時間が経過し、戦場が混迷を増すほどに人々の感情が大きく揺れ動き、それがエーテルを生んでいる。
『概念励起・傷付きやすい肉人形』
ベルフェルテが司る概念は『受容』であり、それを用いた概念励起術式の効果は人々から相反する根源的な情動の発露である『想衝』を引き出すことにある。簡単に言えば、どんな想いでも無限に肯定し受け容れてくれるベルフェルテの領域内においては、自制心というものが極端にその価値を減ずる。
誰も、己を偽れないのだ。
これはスレイも例外ではないが、ベルフェルテと相対する者にとって彼女の概念は恐ろしいものだ。なにせ、一度己の欲するところを曝け出し、ベルフェルテに肯定されてしまえば、それは抵抗する意思を失うことに等しい。戦意を保てなくなるのだ。ベルフェルテという魔物はそもそも『魅了』の名手であると言われているが、元をただせばこの『魅了』というのも彼女のイデアのほんの一部の活用法に過ぎないのだ。
スレイはこれに対抗する手段として、己の腹心である魔剣に肉体の制御を明け渡すことにした。表層の人格をハイメロートに担わせることで、スレイ自身の人格を保護したのである。『想衝』を有さない人間は存在しないため、ベルフェルテの術計から逃れ得る人間も存在しないが、魔剣にはそのようなものはない。
とはいえこの対策は完全ではない。スレイの肉体、というかアヴァターが魔剣の支配に耐えられなくなってきたのだ。やっていることがそもそも無茶なので無理からぬことではあったが、つまり制限時間という縛りが出来てしまったのである。
状況は、更に悪化する。
「ほむほむ……よいよい。とてもよい」
満足気に両腕を広げ、ベルフェルテが相好を崩す。
「皆、励んでおるようじゃ。エーテルの集まりがよい。時を惜しまず育んだ甲斐があるというもの」
これならば――、とベルフェルテは手にしていた槍を消すと、スレイの方を見遣る。
「少しならば、失敬してもよさそうじゃの?」
「ッ!!」
本能が告げる危機感に従い、スレイは光翼を羽ばたかせてベルフェルテへと斬りかかる。最速最短の黒い斬撃を阻む槍は、既に手放してしまっている。吸光の刃がベルフェルテの胸部を貫かんとする寸前、彼女が身に纏っていた黒骨の甲冑が爆ぜた。
防御手段そのものを外向きの威力に変えることで脅威を阻む、捨て身の防御手段。バリアバーストの一種である。
スレイは自身を守るため、攻撃を中断して魔剣を盾とせざるを得なかった。ただの魔力爆発であれば無視して突き進めたものだが、ベルフェルテの手管はエーテル混じりなので、無防備に受ければ時間魔法でも回帰不能なダメージを負う可能性が否めないためだ。
ただでさえ表面積に乏しかった甲冑を自ずから消し飛ばしたベルフェルテは、正真正銘の一糸纏わぬ姿である。肉感的な裸身に、背に浮かぶ光輪はそのまま。それから頭の角と臀部から伸びる尻尾もそのままであり、スレイはてっきり甲冑の一部だと思っていたベルフェルテの尻尾が自前のものであったことに初めて気付いた。
「再びこれを纏う日が来るとは思わなんだが……妾の死に装束と思えば悪くない」
ベルフェルテの裸身に、周囲で渦を巻いていたエーテルの一部が集束し、神秘的な衣を形作っていく。
それは羽衣であった。この世の物質ではあり得ない透明さと柔らかさを有した白い布地に、どんな黄金よりも高貴な輝きを放つ金色の装飾。そしてそれらを衣として繋ぎ止めるのはエーテルの碧い光である。
黒骨の甲冑に比べれば肌の露出は減ったものの、多くの布地が透き通っているせいで実質何も隠せてはいない。
しかし、それで正しいのだ。これが正しい姿なのだ。そう思わせる程に、あまりにも侵し難く神聖な装いであった。淫靡な気配はまるでなく、芸術品のような均整と美しさだけがある。
そして、背の光輪を戴くように大きく広がるのは、三対六枚の翼。
ベルフェルテの変容を目の当たりにしたスレイは、その表情を引き攣らせて呆然と呟いていた。
「天、使……?」
見た目だけの話ではなかった。
ひしひしと、肌のみならず魂で感じる莫大なプレッシャー。
これは人の理を超越した存在であると、本能が教えるのだ。あるいは術理的生命である魔物に感じる根源的な圧力にも似ているが、それとは完全に次元を異にする、対極にある力の波動であった。
謂わば、正しさの極致。
「もどきじゃ。天使の紛い物である」
気さくに告げるベルフェルテの声音は先程までと同じで、奇しくもそれがスレイに正気を取り戻させた。
「じゃが、そうさの……史書によれば、妾は歴史上最も天使に近付いた聖人であるらしいぞ?」
碧い光が、奇跡を描く。
これまでベルフェルテが行使してきたあらゆる魔法体系とも明確に異なる、スレイが未だかつて見たことがないどころか、眼前に見てもまるで理解が及ばない、未知数の魔力運用であった。
「『霊法・摂理の眼光』」
その魔法、いや、最早魔法と呼ぶのが正しいのかすらわからない上位の術法の効果は劇的だった。
スレイは動くことが出来なかった。肉体は元より、魔力すらも動かない。全能の眼に見据えられ、あらゆる物理的・術理的抵抗は為される前に封じられたのである。
思考することは出来る。そして話すことも。
「まさか……上位法則を理解しているのか……?」
「それこそまさかじゃ。それができたら妾は妾などやっておらん。じゃが、まあ、そちよりは多くを知っておる。年の功というやつじゃ」
自己認識はともかくとして、客観的事実としては間違いなく希代の魔法使いであるスレイは、早くも自らが置かれた状況を分析し、理解の足掛かりを得ることに成功する。
これはつまり、言うなれば事象の昇位である。かつて、時間魔法を掌握する前のこと、時間が停滞した術理空間の中で満足に行動することが出来なかった。あれと同じことが、一段階高位の事象で起きているのだ。
かつてスレイは、術理ゴーストを定義することでこれを解決してみせた。
主観で、一年以上の時間を掛けて、である。
ならば今、スレイが動くために必要なのはより上位のゴーストであり、言うなれば『摂理ゴースト』であろうか。
つまり今、スレイに出来ることは何もない。
「『霊法・黄昏の断罪者』」
碧い光が、奇跡を描く。
動けず、浮かぶだけのオブジェと化しているスレイに照準し、天空から見下ろす碧い砲身が熱量を高めていく。
既存の分類ならば砲撃魔法。たかが、とか、単なる、とか形容される類の、取るに足らない普遍的な魔法形態でしかない。
ただ、位階が違う。
「撃てば終わる。そちは跡形も残らん。わかるであろう」
「…………ッ!」
歯を食いしばり打開策を模索するスレイだが、為す術もないとはこのことだ。
「そち、死を厭うておるな。ならば提案じゃ。敗北を認め、命乞いをせよ」
そうすれば助けてやる、というベルフェルテの言葉には真実があった。
真実味、ではない。真実だ。
彼女が己の言を絶対に反故にしないであろう。何故かスレイにはそれが確信出来た。故にここで、潔く敗北を認め助命を乞うたならば、ベルフェルテはスレイの命を助けるだろう。『オンスロート』の結果としてブラッドフォードが滅びようが、被害が波及して王国が滅亡しようが、そのまま人界が終わりを迎えようが、ベルフェルテはスレイを傍らに置き、慈しみ生かし続けるであろう。
なので、スレイは即答した。
「断る」
「……セールストークが足らなんだかのう。リップサービスではないぞ。この場限りの口約束でもない」
「理解している。貴様はそういうモノだ」
端的に告げると、ますますベルフェルテは不可解そうな顔になった。
ただ負けを認めるだけで助かるのに何故それをしないのか。なによりも死なぬことを第一義としているならば、他の何を差し置いてもその選択をしない理由がないはずであった。
するとスレイは、少しだけ笑って見せた。
「ほむ……?」
「いや、少し前に言われた、耳に痛い言葉を思い出してな」
貴族社会の陰険な陰口にも、裏社会の聞くに堪えない罵詈雑言にも眉一つ動かさないスレイであるが、その言葉は酷く気に障ったのを覚えている。
スレイは意識して口調を当時のものに戻し、言葉を続けた。
「曰く、ただ生きるために生きることは、生きてるとは言わないらしいわ。それはただ死んでいないだけ」
「いかんのか?」
「さぁ? でも私、思ったのよね」
彼は――クロードはこう言ったはずだ。
それは人間としての生ではなく、単なるゾンビとしての生である、と。
「私は確かに生きていたい。でもそれは心臓が動いていて息をしていればいいってわけじゃない、みたいなのよね」
最初は、二度目の生を受けた当初はそれでもいいと思っていた。
というよりつい最近までそう思っていると思っていたのだ。
「でも、違ったみたい」
「…………」
「貴女の提案を受け入れたら、私の生は貴女のモノになる。それじゃ意味ないでしょう?」
「…………」
「ありがとう。私を助けようとしてくれて。でも結構よ。私、貴女にツンデレるつもりないから」
ベルフェルテの茶目っ気を引用して冗談めかすと、彼女は虚を突かれたように目を丸くして、それから苦笑を浮かべた。
慈愛に満ちた微笑みよりも、何故か暖かみが感じられる顔であった。
「そちを哀れんだこと、詫びよう。妾の傲慢じゃった」
「詫びるなら誠意を見せて欲しいわ。具体的にはその物騒なの、仕舞ってくれないかしら」
それはそれとして為す術がないスレイはダメ元で持ち掛けてみるが、ベルフェルテはどこか吹っ切れたような清々しい顔で、
「いやじゃ!」
「あやっぱだめ」
「啖呵を切ったからには、自力で生きてみせよ」
意気揚々と砲撃体勢を整え、砲身から迸る碧い光が臨界を超えて僅かに零れ出す。
どっこいスレイは途方に暮れていた。
別に、実は切り札があるので威勢のいいことを言ってみたわけではないのだ。ただの、己という存在を規定する条件として、ベルフェルテの提案を受け入れることが不可能だったので、そのように告げるしかなかったのだ。
「ハイメロート、なんかない?」
『姫を盾にするというのはどうだろう』
「一緒に吹っ飛ぶだけでしょ」
なお『姫』とは魔剣の根幹人格であり、ハイメロートに表層的な機能の大部分を乗っ取られたので拗ねて引き籠り、こっそりスレイのアヴァターを侵食するという嫌がらせで留飲を下げることに精を出しているという陰険根暗な可愛いヤツ(スレイ談)なのである。
ちなみに仮に姫に支配権を返したとしてもハイメロート以上のことが出来るわけではないので、結局無理でしかない。
『詰んだか……』
「おい諦めんな」
諦めなくても無理なものは無理なのである。
そして砲撃は放たれた。




