474話_sideout_奮戦-2
布陣する討伐者達目指して押し寄せる複数の『サラマンデル種』の脅威は、その常駐魔法の効力によって足元で波立つ溶岩の飛沫も相俟って、まるで赤い津波のようであった。我らを妨げるものなし、とでも言わんばかりの勢いであり、そして事実、地形も魔物も人間も全てを溶解させて飲み下すだけの破壊力が彼等にはあった。
その驀進する赤い巨獣を前にして、アウグスタは不遜に鼻を鳴らす。
「はン、ちょいとばか図体が大きいだけの蜥蜴風情が調子に乗るんじゃないよ」
老齢である女帝の肉体は既に錆び付いている。かつてのように武技を振るうことは叶わないだろう。しかし彼女はそれでも最前線に立つことを厭う人間ではなかった。それは彼女の人間性であり、多くの者を導くカリスマ性の現れであり、そして自らの魔法技術に対する絶対的な自信の為せる業でもあった。
アウグスタの自己認識として、己はあくまでも術で戦う者である。かつてのように身体が動かせなくなろうが、体力が衰えようが、老眼に悩まされようが、この思考が冴えわたっている限りにおいて女帝は君臨し続ける。孫娘であるフレデリカや、クランメンバーの近しい者などには常から『ボケたら引退する』と語っていたアウグスタであるが、結局その時が来ることなく今日の日を迎えていた。
あるいは、自分の晩年は今日の日のためにあったのではないか、とすら最近思う。歳を食うと感傷的になってしまっていけない、などと自分自身に呆れつつ、その一方で思考は淀みなく迎撃の魔法を組み立てていく。
「――『零下の徒花』」
アウグスタの足元から前方に向けて、放射状に白い蔦が伸びる。それは霜が降りるように地面を染めつつ尋常ではない速度で広がり、迫り来るサラマンデル種達の足元まで瞬く間に到達した。
そして、白い木々が生える。
氷細工の如き半透明に白一色の木々が、まるで森が生まれる光景を早回ししているかのように、凄まじい速度で成長し増殖し、サラマンデル種達を足元から飲み込んでいく。常駐魔法である『熱域操作』が氷の木々を融解せんと唸りを上げるが、融けて霧散するよりも、それすらを再凍結させて木々が生い茂る速度のほうが圧倒的に速過ぎた。
横並びに押し寄せて来ていた四体のサラマンデル種を残らず氷像と化すのに、掛かった時間は一分にも満たない。サラマンデル種は白く染まって動きを止め、その周囲を美しくも寒々しい氷の木々と、鋭利に透き通った無数の花々が彩る。
「掃除しな」
白い息を吐いたアウグスタが短く告げると、配下の者達が氷像と化した魔物に一斉に攻撃を加えてとどめを刺していく。アウグスタの魔法は拘束用のものであり、あくまでも動きを封じ込めるものだ。ただしそれが氷結という現象を伴っているので、普通の生物であれば拘束=絶命であるし、サラマンデル種は凍っただけでは死にはしないが、しかしその極低温は強力なデバフとして作用して体表の耐久性を著しく低下させることになる。
要するに、動きを封じつつ、脆弱化させる。これを一度の魔法で済ませたのである。
当然規模相応に消耗する魔法ではあるので乱発は出来ない。なのでアウグスタは麾下の討伐者と連携して敢えてサラマンデル種を集結させ、一網打尽にする戦術を採用していた。
魔法使いを戦場の主役とする、というのはこういうことである。突出した個人の実力を最大限に発揮するように全体でサポートするという、王国式のメソッドであった。
『赤原の女帝』ことアウグスタ・メルクーシンは氷属性の魔法使いである。
今、彼女が行使した大規模魔法は、そのビジュアルからも察せられうように、分類的には氷属性と樹属性の複合魔法となる。アウグスタは自身の本領である氷属性に加えて、もう一つのサブ的属性として樹属性を実戦レベルにまで鍛え上げているのだ。
このようにサブ的に二つ目の属性を運用するというのは討伐者界隈では珍しくないことだ。アウグスタであればメインの氷にサブの樹、『剣の誓い』のシリウスであればメインの雷にサブの炎、『パンツァー・ドラグーン』の黒竜卿であればメインの闇にサブの水、といった具合である。
これは主となる武器の他に、予備の武器を携帯するのと似たような感覚で、単一属性の魔法しか使えないと耐性持ちの魔物相手に詰んでしまうので、とりあえずもう一つくらいは使える属性を用意しておくのだ。これは言葉で言うほど簡単なことではないので、若い魔法使いなどは他属性の魔法具を持つことで補うパターンも多い。先に挙げた三者のような実力者中の実力者連中においては、サブ属性をそんじょそこらの魔法使いにおけるメイン属性以上に磨き上げているどころか、二属性を合わせた複合属性魔法を当然のように使い始めるわけだが。
「戦況はどうだい?」
アウグスタが側近の女性討伐者に訊ねると、他所との通信を担っていた彼女は難しい顔で応じた。
「乱戦気味ですね。足並みが揃わなくなっています」
「まあ、そうだろうさね」
『オンスロート』においてはままあることだとアウグスタは頷く。特に今回の場合は戦域が非常に広大だ。更には巨大かつ強力な魔物であるサラマンデルを迎撃するために規模の大きな魔法が飛び交い、大気中の通信魔力伝播を妨げる魔力バーストの頻度も高い。
司令部が戦場を俯瞰し上意下達で足並みを揃えるということが難しいのである。かくいう『赤原同盟』とて、アウグスタの目と声が届く範囲であれば先程のように連繋を維持することも可能であるが、離れた戦域ではそれぞれベテラン連中の自己判断に任せているのが実情だ。
足並みが揃わないということは、場合によっては突出して敵陣で孤立するような者達も出てくるわけだが、それはそれ、仕方がないことだ。自己責任の討伐者をやっている以上、自分達を殺してしまわないように周囲を見ながら立ち回ることが求められているのだ。それが出来ない者達から死んでいく社会だ。
「他所は?」
「今のところ持ち堪えているようです。中央はかなり厳しい状況のようですが」
他所の戦域の情報は魔力バーストの合間に通信が繋がった際に仕入れることしか出来ないので、リアルタイムの情報ではない。最後に確認された限りでは中央の『剣の誓い』も、反対側の『パンドラ』もまだ気炎を吐いているということだった。
アウグスタの所感としては、まあ『パンドラ』のほうはわりと余裕があるだろう。そもそもあそこはクランの規模からして段違いであり、急速に拡大した『赤原同盟』も構成人数だけならばかのクランに迫りつつあるが、盤石さという意味では足元にも及ばない。不動の最大クランとして長年君臨し続けた『パンドラ』には、歴史に裏打ちされた層の厚さと体制があるのだ。実質的にアウグスタのワンマンクランという側面が強い『赤原同盟』とはそこが明確に異なる点だ。
対して、中央を任されている『剣の誓い』は相当厳しいだろう。そもそもクランの戦力的には『パンドラ』が中央を担うのが妥当であったにも関わらず、昨今の情勢を加味して『パンドラ』と『赤原同盟』を両翼に隔離しなければならなかった都合上、貧乏くじを引かされたのが『剣の誓い』であった。しかも泣きっ面になんとやらで、いの一番に敵の親玉である『サラマンデルロード』の襲撃を受け、今尚交戦中であるという。
ロードと交戦しているのはシリウスだろうが、勝敗がどちらに転ぶかはアウグスタでも予想がつかない。シリウスという男の実力を考えれば決して無理な相手ではないだろうが、さりとてロードの実力も未知数だ。
しかし、仮にシリウスがロードを打倒せしめたとしても――
「そろそろかね……」
アウグスタの呟きに反応した側近が視線を向けてくるので、彼女は何でもないと片手を振っておく。
無言で思い浮かべるのは、自身の協力者である魔物の女のことだ。
魔公ベルフェルテを名乗る、胡散臭い奴。
当然のことであるが、アウグスタはベルフェルテを信用していない。どれだけあちらが友好的で協力的であろうと、魔物は魔物だ。人格的に信用出来る出来ない以前に、根本的に相容れないものである。
故に、あくまでもベルフェルテは協力者というスタンスで、彼女に全てを委ねることをしなかった。彼女がいつ裏切ってもいいように、その可能性も想定して事を進めてきたつもりだった。
しかし、結局ベルフェルテはそんな素振りすら見せることなく、終始アウグスタに友好的なまま、ここまで来てしまった。
結局、奴は何がしたかったのだろう。
アウグスタは思う。
感傷的になっているせいか、詮無い思考も過る。
もしかすると、本当にただの善意で協力していたのかもしれない、などと。
一笑にふして然るべきその想像に謎の現実味を感じてしまう程度には、あのベルフェルテという魔物は魔物らしくない魔物であった。
「ふん……」
もやるくらいなら、最後に訊いておけばよかった。
後悔というほどではないが、後味が悪いような気はするのだ。
まあ、今更本当に詮無いことである。
この戦いの結果がどう転ぼうとも、二度と会うことはないのだから。
◇◇◇
ところ変わって『パンドラ』の司令部。
打って変わってこちらでは、戦場には凡そそぐわない平穏とすら言える空気感が流れていた。というのも、リーダーである女帝が側近を侍らせて都度指示を飛ばしていた向こうとは異なり、こちらの司令部には人影が二つしかない。
更に言えば、パッと見で人間は一人しか居ない。
繊細な容姿をした年若い女性である。淡いブロンドをポニーテールに結い上げ、軍服によく似た意匠の『パンドラ』女子用制服をかっちり着込み、その上に戦装備の黒い軽甲冑を纏っている。
片耳には通信用の魔法端末、片手には戦域情報を表示したタブレット。如何にも仕事が出来そうな雰囲気もあって大人びて見えるが、容姿だけで判断すれば十代も半ばほどの年齢であろう。
少女の名はアストレア。黒竜卿の片腕とも秘書とも評される才媛で、巨大クラン『パンドラ』の実質ナンバーツーである。
そしてアストレアの隣には、巨大な全身鎧が鎮座している。
漆黒のフルプレートメイルだ。全高は二メートルを超えるだろう。傍らに居るアストレアがどちらかというと小柄で華奢な少女なので、対比で余計に巨大に見える。流線形と鋭角を組み合わせた意匠はドラゴンの輪郭を模していることが一目でわかるデザインで、表面の所々を紫色の魔力光が走っているせいで、冷たい金属でありながら生物的な脈動が感じられる。
仁王立ちのまま微動だにしないせいでほぼほぼ武器商の鎧コーナーに陳列されたモデルの趣だが、勿論司令部を賑やかすための飾りなどではあり得なく、中にはちゃんと人が入っている。
この鎧の中の人こそが、『パンドラ』を率いるリーダーである黒竜卿その人であった。
高台に置かれた司令部から見渡せる前線の景色を眺めながら、黒竜卿が呟く。
『出番がないのは良いことですね』
微動だにしない兜の奥から響くのは、重低音のくぐもった声音であった。
タブレットに情報を打ち込んで戦況を更新していたアストレアが応じる。
「各員、想定通りの動きができています。末端が若干浮足立っている傾向はありますが、許容範囲内ですね」
『ええ。皆、よくやってくれています』
これこそが『パンドラ』の一番の強みであり、不動のトップクラン故の安定感であった。
『パンドラ』では構成員の役割分担が明確化されていて、同時に指揮系統も厳格だ。役割が明確化しているので、各員それぞれがすべきことを認識して戦場に立っている。上位者間では常日頃から情報共有や認識のすり合わせのための会合がセッティングされているので、クランとしての方針は常に更新され共有される。
つまり、この非常時に逐一黒竜卿が指揮を執らずとも、それぞれの上位者がそれぞれの判断で連携して行動することが出来ているのだ。
昨今急速に規模を拡大してきた『赤原同盟』は、この辺りのバックアップ体制やルールの整備がまったく間に合っておらず、個々人の実力頼りな風潮がかなり強い。上位者に据えている実力者達は経験豊富なベテラン揃いではあろうから、各人の判断で行動することは出来ても、クランとしての認識共有が不十分なので結局女帝が檄を飛ばさなくてはクランとしての団結が図れないのである。
アストレアがタブレットを見ながら、憂いに眉を顰めて言う。
「私としては中央のほうが心配ですね。我々の戦域で勝利を収めようとも、中央が抜かれては意味がありません」
『そうですね。英雄伯殿には貧乏くじを引かせてしまいました』
「場合によっては、貴方に中央の援護をお願いするかもしれません」
クランの指導者が司令部をほっぽって他所の戦域の援軍に向かうなどというのは常識的に考えてあり得ないことであるが、それを提案したアストレアは至って真面目な表情であり、また黒竜卿も驚くことなく了承の返事をした。
偏に、常識的にはあり得ないとしても『パンドラ』においてはわりとあり得ることなのだ。
というのも、クランとして成熟しきっていて、指揮系統と役割分担が明確化している『パンドラ』においては、最早黒竜卿にはシンボル以上の役割が求められていないからだ。要するに、クランを率いるに足る最強の実力者として存在していてくれればそれでいい。どこで力を振るってもらっても構わない。
早い話が、黒竜卿とは遊撃戦力であった。さりとて最高指導者が司令部を留守にしてしまっては、不測の事態にどうやって対処するのだという話であるが、なんのことはない。そもそも不測の事態に対して指揮を飛ばすのは黒竜卿ではなくその意を受けた(という体の)アストレアなので、結局司令部にはアストレアが詰めていれば何も問題はないのである。
『中央も心配ですが、私としては女帝殿のほうも気になります』
黒竜卿の言葉に、アストレアはそっけなく「そうですか」とだけ返した。
『ええ。女帝殿の辣腕は疑うべくもありませんが、あのクランは些か急成長し過ぎている。そして初めての『オンスロート』です。果たして統制が取れているのか……』
「いいんじゃないですか。別にどうでも。むしろそこそこに敗走してくれたほうが支部の風通しがよくなりそうですよ」
『…………いやに辛辣ですね。貴女らしくもない』
黒竜卿が意外に思ったからなのか、微動だにしなかった兜が若干だけ動き、傍らのアストレアを窺うような気配を見せた。
するとアストレアは俯きがちにぼそぼそと、
「せやかてあたし、あのクラン嫌いやもん……」
『なんでまた』
「色々や。余計なお世話やねんほんま」
ともすれば競合相手だからこそのライバル意識かと黒竜卿は思ったが、どうやらそうでもなさそうである。仕事用の口調が崩れてアストレアの素が出ている辺り、おそらくパーソナルな事情なのだろうとあたりを付ける。
「あたし好きであんたの片腕やっとんねん。それを、なんも知らんと横から出てきてぎゃーぎゃーと」
『あー……』
黒竜卿は察した様子で曖昧な声を上げた。
何かというと、最近の『赤原同盟』の一部の活動的な女性討伐者による男性排斥運動――飾らずに言えば男サゲ活動のネガティブキャンペーンの口実としてアストレアの存在が使われているのである。
曰く、黒竜卿は年若い少女を側近にして酷使している、とか。そのような言説は黒竜卿の耳にも届いているが、黒竜卿本人は特に気にするでもなかった。というのも、不動の立場を築いた今でこそ表立ってそういうことを言う輩も見なくなったが、かつては部外者同業者からの揶揄やっかみ脅迫等々は慣れっこだったからだ。それに比べれば取るに足らないものでしかなく、それこそ中身などない鎧の如く微動だにせずガンスルーであった。
とはいえ、やり玉に挙げられていたアストレアはそうも行かなかったようで、仕事用の怜悧な仮面の裏ではそれなりにぐつぐつ煮えたぎっていたらしい。
「あたしンとこに直接引き抜きの勧誘来てんねんで!? ありえへんやろ!?」
『い、いやまぁ……』
「あんたが悪う言われとんのも腹立つし、あたしが簡単に寝返る思われてんのも腹立つわ! しばいたろかほんまに!!」
『ど、どうどう……』
その後もアストレアの鬱憤は留まるところを知らず、なんとか落ち着かせようと頑張っていた黒竜卿はそのうち考えるのを止めた。
とりあえず、呼ばれるまでは鎧のふりをしていることにするのだった。




