453話_sideout_戦前-1
黒い森とは魔界と人界を繋ぐゲートであり、それ自体が一種の魔物である。
侵略の橋頭保となる黒い森の拡大を妨げるため、人は討伐者を組織して魔物勢力の撃退と漸減を図った。故に黒い森を封じ込めるように敷設されたものこそが討伐者ギルドであり、ギルドの支部を起点として、物理的ないしは術理的な障壁を以てして黒い森の外周を隙無く囲っている。
また、黒い森と障壁の間には境界域と呼ばれる緩衝地帯が設けられていて、これは黒い森の拡大が即座に人的被害に繋がらないためのバッファーであり、同時に黒い森からの大規模侵攻が予測された際に迎撃の陣を敷くためのクリアランスでもある。
無論のこと、ブラッドフォード伯爵領の黒い森においてもそのシステムは同様であり、ただし国内最大規模を誇るかの森を物理的に囲い込むのは現実的ではないため、ここでは断続的に配置された観測施設を障壁魔法で連結することで疑似的な結界構造を構築していた。これ等の観測施設とは黒い森を閉じ込める結界の起点であると同時に、その名の通り黒い森の情勢を観測するための場所でもある。黒い森を中心として全方位に満遍なく存在する各施設から、常に観測の魔力波を飛ばし続け、多角的に逐一魔物の動向を見張っているのである。尤も、コストとリソースの問題で高度な観測を行うことは難しいため、広く浅く、明らかな異常のみを検出することに特化した仕様となっている。
ここでいう明らかな異常とは、例えば転移先進魔力。空間転移を可能とする魔法モデルが齎す特徴的な魔力波動を検出することが出来る。これは当然、転移戦術による侵略を警戒してのものである。
あるいは大型種の出現も異常に数えられる。ロードの名を冠する大型種の魔物は存在そのものが災厄級の危険度だ。観測魔法は黒い森の中心部にある魔界との境界線を突破出来るほどの出力はないが、逆に言えば観測魔法が捉えられる地点にまで大型種が出てきているということは、それ即ち非常事態に相違ない。
それと並ぶ事態が魔物種の異常発生だ。何らかの理由で黒い森を徘徊する魔物の数が急激に増加した場合、それらの魔物は高確率で森の外を目指して溢れ出す。
悪いことに、後者二つのケースとは往々にして同時に発生しがちである。
要するに、大型種が出現したことにより、その眷属としての小型種が氾濫し、結果的に魔物の密度が爆発的に増加するのだ。
その結果として発生するのが、大型種という指向性を有する魔物種の同時大規模侵攻という現象。
これを『オンスロート』と称する。
◇◇◇
その日、リヒティナリア王国王太子の生誕日を祝う宴が王都にて盛大に催されている一方、ブラッドフォード支部には突如としてレッドアラートが鳴り響いていた。日が落ち、黒い森が開いた矢先の出来事であった。
観測施設が黒い森の明らかな異常事態を検出し、規定に則って警報を発したのである。
感アリ。大型種出現ヲ確認ノ事。
地区、『竜の巣』方面。
この報を受けたギルド支部には激震が走った。何故ならば『竜の巣』とはこの黒い森で最強を誇る魔物種である『サラマンデル種』の根城であり、そこから大型種が現れたということは、それ即ち、存在そのものが半ば都市伝説と化していた『サラマンデルロード』の侵攻に他ならない。
そもそもが『竜の巣』とは一種の不可侵領域である。強大極まるサラマンデル種が無数に蠢いている危険性も然ることながら、高温環境を好むかの魔物種にとっての安住の地とは、即ち他のあらゆる生命にとっては致死の灼熱地帯であるということだ。更には、強大な魔物が密集しているせいか大気中の魔力密度も尋常ではなく、観測施設の魔力波も通らないので内部の状況はまったくわからない。これはつまり魔界の様子を観測出来ないことと原理的にはまったく同じことであり、言うなれば『竜の巣』とは黒い森の中に顕現した限定的な魔界そのものなのである。
黒い森で『オンスロート』が発生した際の対処方法は王国の法で定められており、それに則って王政府には最速で緊急事態の報せが飛んでいる。討伐者ギルドおよび討伐者の役割とは、報せを受けた王政府が戦力を編成して派遣するまでの間、境界域において魔物勢力を迎え撃ち、侵攻を妨げ時間を稼ぐことであった。
支部長を始めとしたギルド側の人員と、居合わせた有力クランの統率者達を集めて行った協議において、迎撃態勢の割り振りが行われる。まず大枠の役割分担として、討伐者は前線での迎撃行動にあたり、ギルドは後方支援を担う。この後方支援とは即ち、直接戦うこと以外の必要なあらゆる全てであると言える。情報伝達に始まり、物資の調達、負傷者の救護、そして後方に存在するロイエンタールの街で生活する人々への発信や避難誘導等も含まれる。
他の全てをギルドが担ってくれるので、討伐者の仕事は戦うことだけ。言うまでもなく、最も過酷で危険な役割である。
観測施設が捉えた魔物の動向は大筋で予想通りであった。『竜の巣』から端を発した魔物種の侵攻は、放射状に進行ルートを広げながらも最終的にはギルドのメインロビー方面へと向かってきている。つまりはロイエンタールの街が存在する方角であり、魔物種の目的が人間を捕食して魔力を得ることである以上は至極当然の帰結となる。
黒い森を囲む他のロビーにも少なからず拠点としている討伐者は居て迎撃に備えているのだが、今回の主戦場となるのは圧倒的にメインロビー方面であろう。
協議の結果決まった戦域の分担としては、まず左翼方面にRPAこと『赤原同盟』を主軸に据えた布陣。反対側の右翼方面にはパンドラこと『パンツァー・ドラグーン』を主軸に据えた布陣とする。そして両者の間である中央部には『剣の誓い』を主軸にしてその他の中堅クラン等が迎撃態勢を整える。
クランの規模を考えれば中央には『パンドラ』を配するのが最も妥当であるが、そうすることが出来ないのは言うまでもなく昨今の情勢を鑑みてである。良くも悪くもレッドアラートのせいでうやむやになってしまったが、現状の『赤原同盟』と『パンドラ』は戦争状態に突入する一歩手前の緊迫状態まで来ており、とてもではないが共闘など出来る状況ではないのだ。協議に参加した女帝アウグスタと黒竜卿の間に流れる空気もまた寒々しいものであったが、少なくとも優先順位を間違えない程度には両者は冷静であった。冷静に考えて共闘は不可能と判断し、英雄伯シリウスが半ば貧乏くじを引く形で強引に両者を対極に割り振ったのである。結果として『剣の誓い』は間違いなく激戦区となるであろう戦域中央を支えなくてはならなくなった。
国内最大規模の黒い森を取り囲む境界域はなお広く、放射状に展開してから一斉に襲い来る魔物の津波を押し返すには討伐者側も広く展開せざるを得ない。両翼と表現してはいるものの、互いに認識出来ない程に遠い。迎撃の陣を敷くことを想定して均されている境界域はそれなりに平坦で見通しもよいが、如何せん広過ぎる。戦域同士で連携して戦うというよりは、各自が担当した戦域を死守するような戦い方が求められるだろう。
◇◇◇
『剣の誓い』に割り当てられた戦域の一角にて、落ち着かなげに、もう何度目になるのかもわからない装備の確認を終えたセラフィーナは呟く。
「なんか、すごいことになってきちゃったね」
「だなー」
その声を拾ったのは傍らに居た相方のランディーである。彼はセラフィーナとは打って変わって寛いだ様子で物珍しそうに周囲を眺めていた。ランディーとて緊張していないわけではないし、不安を覚えていないわけではないのだろうが、彼はことここに至ってはなるようにしかならない、とある程度開き直っていた。うじうじと悩みがちなセラフィーナと違って、ランディーはこういうところのメンタリティが強いのだ。
クランの面子としては新人であり、実力的にも未熟な二人は後方支援に割り当てられている。『剣の誓い』が担当する戦域内での後衛役であり、クラン内部のグループ分けで言うところの第五グループ、イザベルがリーダーを務める部署であった。二人が属しているパーティーのリーダーがまさにイザベルであり、大きな戦いを前にして新人の様子を見に来たのか、あるいは新しい家族を励ましに来たのか、ちょうどそのイザベルが二人の元へと姿を現して告げる。
「多くのことを考える必要はないよ。とにかく、目の前の脅威を打ち払って、生き残ることだけを考えるんだ」
真剣な面持ちのイザベルに励まされ、セラフィーナは強張った顔を少しだけ柔らかくして応えた。
実際のところ、セラフィーナには戦える力があるはずだった。相方のランディーや、周囲の大好きな人達の協力が不可欠な力ではあるが、バッヘル領での戦いでは実質大型種であったはずのスコールを一方的に撃退するほどの能力を見せたのだから。
だけれどイザベルも、他の誰もセラフィーナにそれを発揮することを求めなかったし、セラフィーナ自身も自分が大それたことを出来るなどとは思えなかった。自惚れることが出来る程に、セラフィーナは自分の力を理解出来ていない。
まずは、イザベルの言う通り、生き残ることを考えるべきだ。ランディーと二人で。他の仲間達のことももちろん心配だけど、一番ザコの自分が彼等の身を案じるのも烏滸がましい話だ。自分の面倒を見ることだけ、まずはそれだけだ。
「なーイザベル。イザベルは『オンスロート』は初めてじゃねえのか?」
そんな風に決意を固めるセラフィーナとは対照的にあっけらかんとしたランディーの疑問に、イザベルは苦笑を浮かべて答えた。
「人生で五回目だね」
「あ、意外と多いんですね」
これがそんなにそうそう起こって堪るかという事態であることくらいはセラフィーナも知っている。そこをいくとイザベルの五回という経験数は中々に稀有なものに思えてくるのだ。
「まあ、そこはウチのクランの性格上、かな」
「ああ、旅するクランっていうやつか?」
「流石に同じ森でそう何度も起きるようなことじゃないからね。一つ所で活動していればそんなに遭遇するものでもない」
なるほど、とランディーと揃って頷く。そう説明されれば然程おかしなことでもないし、そうであればクランの面々が比較的落ち着いて開戦に備えていることにも納得がいくというものだ。きっと、新人のセラフィーナ達や期間限定参加のリタ達以外の面子は、皆多かれ少なかれ『オンスロート』に立ち合った経験があるのだろう。
「それに、一口に『オンスロート』といっても色々だからね。今回のは相当洒落にならない感じだけど、場合によってはむしろ首を突っ込みに自分達から行くことだってあるんだ」
今回のように大型種が意図的に主導して引き起こしたとみられる『オンスロート』に後から参戦するのは難しいが、そうではなく小型種の数が増加したことによって引き起こされる『オンスロート』もあるのだ。これはある程度前から予兆が観測出来る場合が多いので、それに備えて戦力が集結するし、万全の態勢で迎え撃てるので比較的危険も少ない。
となれば討伐スコア目的やスケマティック収集目的で自分から参戦しに行く討伐者だって当然出てくるということだ。
「さて、経験豊富なイザベルさんがルーキー達にレクチャーをしてあげよう。ここからの流れのおさらいだね」
「うす」
「はい。お願いします」
「まずは、黒い森と境界域の更に境目付近に設置された防壁魔法による足止め」
これは黒い森の木立のすぐ外側に張り巡らされた設置型の魔法モデルであり、方向性を有する障壁魔法を展開して侵攻する魔物の足を止めるためのものだ。設置魔法の強みとはその場その場で詠唱・構築する即席の魔法モデルに比して、圧倒的な規模と出力を発揮出来るという点にある。
イザベルが説明した防壁魔法を例に挙げれば、使い切りの魔法モデルであり一度使用すれば再度魔法モデルを引き直さねばらず、規模も相俟ってそれだけで何十日も費やす大仕事で、更にそこに魔力を充填するのにまた何十日――と多大なる時間と労力を要する燃費最悪のものであるが、その代わりとして効力は折り紙付きだ。
理論上は『サラマンデル種』の攻撃にも余裕で耐え得るだけの耐久力がある。無論魔物の攻撃を受けるたびに耐久値は減っていき、いつかは破られるだろうが、少なくとも大挙して押し寄せたサラマンデル種を一定時間足止めするだけの効果は見込める。
「私等のキモは、この足止めの時間をいかに引き延ばすか、だよ」
「引き延ばす……」
「そう。可能ならば白兵戦に持ち込まれることなく、公僕の兵隊が到着するまで耐えたいところだね」
設置型防壁魔法の優れたところは、方向性を有しているため一方からの魔法は素通りさせるというところにある。要するに魔物の攻撃を防いで足止めをしつつ、反対側に陣取っている討伐者からは好き放題に攻撃出来るのである。待ち構える側の利点というわけだ。
「なので足止めをしている間にありったけの魔法をバカスカ撃ち込んでできる限り数を減らす。ここが魔法使い勢の一番の見せ場だね」
「魔法使いって切り札みてーなイメージだったけど、どしょっぱなが大一番なんだな?」
「そりゃもう。だって魔法使いが一番高効率出せるのって、落ち着いて一方的に攻撃できる状況だからね。ていうか接敵されて乱戦とか混戦になっちゃうと魔法使いっててんで使えないヤツばっかりで、ぶっちゃけそういう状況だとデミのが強いまである」
「言われてんぞ、セラ」
「うぐっ」
心当たりがあり過ぎて辛い、とセラフィーナは慎ましやかな胸を押さえて呻く。
基本的に思考だけで完結している魔法モデルの構築には、メンタルの状態が大きく影響するのだ。つまり魔法使い本人が混乱していたり弱気になっていたりすると露骨に魔法の威力が下がったり発動に時間が掛かったりするのである。
「ん? てことはセラ、お前もどしょっぱなに出番がくるってことじゃねえの?」
「え? あそっか! が、頑張ります」
そういえば自分は魔法使い枠だった、と今更ながらに思い出して気合を入れるセラフィーナに、イザベルは微笑ましそうに笑った。とその横でランディーが再度なにかに気付いた様子で声を上げた。
「でもよぉ、セラって遠距離で撃ち込めるような魔法持ってたっけか?」
「あ…………」
ちなみに、基本的には魔法の難度と射程距離は比例する。効果範囲が広くて、尚且つ遠くに届くほどに、魔法としての難度は上がっていくのが普通である。個人の資質に大きく影響される認識圏の大きさにもよるところがあるので、一概に技量だけで決まるものではないが、その点セラフィーナは認識圏の強大さならば相当であるが、反比例するように技量のほうはしょんぼりレベルだ。これは才覚や努力の問題というよりは、単純に魔法を覚えてからの時間が浅過ぎるという致し方ない部分ではあるのだが。
「んで白兵戦もダメってなると……セラお前、どこで頑張るんだよ」
「うぐぅ…………」
ランディーの悪意なき素朴な疑問にぐうの音も出なくなったセラフィーナは、最早条件反射レベルの淀みない動きでポケットから『PiG』を取り出して起動していた。ダンクーガの子供になった際に両親が持たせてくれた、貴族の子供用のシンプルな端末であった。
両手で『PiG』を握って猛然と文章を打ち込み始めるセラフィーナを、ランディーは呆れたように、イザベルは苦笑気味に見遣る。
「お前、弱ったらスレイに頼るのやめろよな」
「むむむ……」
困った時のスレイさん。
セラフィーナも、自分自身に対してどうかと思うところはあるが、仕方ないのだ。彼女が頼りになり過ぎるのがいけないのだ。ちなみにランディーのボヤキは意図せぬ方向でイザベルにも突き刺さったようで、彼女は耳が痛そうな顔をしていた。
「『お願い遠距離魔法貸して』っと……」
「いやそんな、小銭借りるみたいなノリで頼むことじゃねえだろ」
おそらく、スレイもまた討伐者としてこの戦域のどこかには居るはずなのだが、案の定というかなんというか、余裕綽々の雰囲気を感じさせる即レスが返ってきた。
内容をセラフィーナが読み上げる。
「えっと『『烙星の焔』でいい?』――やった! 貸してくれるって!」
「えぇ……貸せるのかよ」
「なんか、常識が壊れる音が聞こえてきたよ……いや冗談だってわかってはいるけれど…………え、冗談だよね?」
勿論、冗談である。少なくともセラフィーナの認識は。
スレイの認識が同じかどうかは、ちょっと自信がないセラフィーナであった。




