454話_sideout_戦前-2
討伐者ギルドのブラッドフォード支部は、元々対魔物の前線基地として建築された古い砦を改装して再利用しているものだ。外観が厳めしいのも、立派な外郭や物見台を備えているのもその名残である。無論、今回のような有事に際しては砦としての本領を遺憾なく発揮して、黒い森からの侵攻を迎え撃つ前線基地として正しく機能することになる。
支部の外郭は二重に建造されていて、ロイエンタールの街並みを臨む外外郭と黒い森を臨む内外郭である。内郭と外郭、ではなくどちらも外郭であるものを更に内外で呼び分けるという非常にややこしい呼称になってしまっているのは、建築様式としては街側が外郭に相違ないのだが、砦の用途としては黒い森側が真っ先に敵の侵攻を受け止めることになるので、そちらこそが外郭である、などと誰かが言い出したことが由来とされるが真偽は定かではない。
ともあれ、レッドアラートが発令された現在、黒い森を臨む内外郭の上には長距離攻撃用の魔法兵器が所狭しと並べられていた。古くは攻城用に用いられていた移動式衝角の流れを汲むその兵器は、破城槌の威力をそのまま魔力砲撃として投射する高射砲であった。平時には隅っこに押しやられて雨除けのシートと埃を被っていたものを、魔物迎撃のために引っ張り出しているのである。
迎撃態勢の第一弾は、黒い森から境界域へと進出する区域に設置された防壁魔法による足止めと、その状態を一方的に滅多打ちにする遠距離魔法による飽和攻撃であった。境界域に布陣している討伐者の魔法使い達も攻撃には参加するが、最も大きなダメージソースは急ピッチで配置されていく魔法兵器による砲撃に他ならない。兵器の操作を担うのはギルドの一部職員や、普段は支部内で商売をしている魔法具職人など有志の協力者であり、つまりは非戦闘職の魔法使い達であった。有事に魔法使いを遊ばせておく余裕などないが、さりとて全ての魔法使いが戦闘に耐えうるわけもない。技量不足や、メンタルの問題、あるいは年齢や健康状態など理由はさまざまであるが、前線に立てない者を砲手として有効活用するのだ。一昔前の、魔法が特権階級の持ち物であった時代には考えられなかったことだ。
内外郭の上では怒号と騒音が絶えることなく響き、照明の灯りで煌々と照らされている。その中で魔法兵器の配置は決してスムーズに行われているとは言い難い。なにせ、配備されてから一度も実戦で使用されたことがない兵器だ。出番がなかったのは平和な証拠とも言え、それ自体は喜ばしいことであったが、こうして実際に有事が発生してしまった以上は、ノウハウを持たないギルド職員も動員してマニュアル片手に指示を出し、押し合いへし合いながらも準備を整えるしかない。
と、そんな慌ただしい内外郭の一角に、小さな人影があった。
その人影は響く怒号とはまるで無縁かの如く、内外郭の端の石塀の上に腰を下ろし、両足をぷらぷらと無聊そうに揺らしながら、遠く黒い森を見据えていた。背後ではなんとかかんとか配置に付けた魔法兵器を固定するために職人が魔法具を使って術理アンカーの施工を行い、火花のようにパッと閃く魔力光が周囲を照らす。
背後から射す光に照らされた人影は、小さな少女であった。
シンプルで小綺麗なワンピースに身を包み、艶やかな金糸の長髪を有する、齢十にも満たないであろう幼女だ。
あまりにも場に似つかわしくない存在であるが、あるいは単なる幻の類なのかもしれない。そう思わせる程に、幼女は誰の目にも留まらないのだ。こんな場所に一人で登って来られるとは到底思えないような、小さく愛らしい幼女が隠れるでもなく堂々と座っているのに、それを気にする素振りを見せるものが誰も居ない。
幼女は、聞く者の居ない言葉を呟く。
「はてさて、どうなることか……」
蒼穹を思わせる大粒の瞳で見遣るのは、黒々とした森の景色と、それを引き裂く赤い光。
遠く離れたこの場所からは細く小さな導火線のようにも見えるそれは、鬱蒼とした黒い森の内部を侵攻する『サラマンデル種』の軌跡であった。あの無数の導火線の、その全てがサラマンデル種である。
幼女の背後で作業をする人々もその光景には気付いているのであろうが、眺めている暇などないとばかりに声を張り上げ奔走するのは、勿論一刻一秒も無駄には出来ない緊急事態であるからというだけではなく、単純に直視したくないのだろう。
その、絶望を想起させるに充分過ぎる光景を。
「終末的じゃのう。地獄的じゃのう。あの頃を思い出す光景じゃぁ」
いっそ楽し気に、幼女はけらけらと笑う。
「鬼が出るか、蛇が出るか。まあ、鬼も出るし蛇も出るだろうが…………ん?」
自らの呟きに何か気付いた様子で、彼女は小さく首を傾げた。
「ほむ……そういえば、あやつは蛇ではなく竜だったかの」
◇◇◇
『剣の誓い』に割り当てられた戦域の最も前方に立ち、シリウスは黒い森を見据えていた。
ある程度は、予期していなかったわけではない。ここ最近の明らかに普通ではない情勢や、見え隠れしていた人型の魔物や、魔物を強化する謎の薬品などの不穏な情報、諸々を鑑みて、何かが起こるのであれば王都での催しごとに合わせてくる確率が高いと。
ただ、流石にこうも大々的に仕掛けてくるとは思わなかったが。
とてもではないが、ミリティア達を助けに行くどころの話ではなくなってしまった。今ここを守らねば、彼女等が帰ってくる場所すらも失われかねないのだから。
シリウスの背後ではクランの仲間達が慌ただしく戦の準備に奔走しており、その喧騒に混じってギルドが情報を伝える声が響き渡っている。ギルドの魔法使いが操作している術理ドローンが有力クランの布陣地点を始めとした境界域の各地に散って、後方の司令部となっているギルド支部に集約される情報を展開しているのだ。
平時はロビーの窓口で受付嬢をしているレディ達が、有事においては戦域オペレータに変わるわけだ。
尤も、広く通信が機能するのは戦端が開かれるまでの間だけであり、一度魔法が飛び交う戦闘が始まってしまえば魔力バーストの影響で通信など通りはしない。そうなれば『連繋魔法』が頼りの綱だ。
ドローンが空中に投影している戦域マップを一瞥すると、『竜の巣』方面から現出した魔物勢力は一度放射状に広がった後、一様にロイエンタールの街方面――つまり現在シリウス達が布陣している方角へと向かってきていた。
マップに表示されている魔物の情報はギルドの観測施設が捉えたもので、高魔力体の大まかな規模と位置をほぼリアルタイムで反映したものである。広大な森の全域を表示しきることは出来ないので、ここでは『竜の巣』からメインロビー方面の境界域までの区間を主に映している。赤い光点で示されたのが魔物であり、光点の大きさが魔物の規模――即ち魔力量を表す。となれば『竜の巣』の付近をゆっくりとこちらに向かって進行している最大の光点が『サラマンデルロード』であり、各方面に散らばっている一回り小さな光点群が眷属の『サラマンデル種』だ。
ロードの進行が緩やかなのは、おそらくは単純に鈍重なのだろうというのが大筋の予想で、シリウスも基本的には同意見だ。大型種は文字通り巨大な体躯を誇ることが殆どであり、それは眷属の小型種と比べて相対的にという意味であるが、であればあのサラマンデル種の親玉なのだからそれはもう小山の如き巨躯を有しているに違いない。
巨体であれば鈍重であるというのは、大抵の場合において真理だ。身体が大きければそれだけ刺激に対する反応にも時間が掛かり、また動作に消費するエネルギーも大きいのだから。
シリウスは眉を顰める。
このマップにおける魔物の分布を見れば、あまり嬉しくない事実がわかる。それは敵の親玉であろう『サラマンデルロード』は、考える脳みそがあるタイプの魔物だということだ。
何故ならば、サラマンデル種の進行ルートには明らかに戦術的な作為が感じられる。何故『竜の巣』を出発したサラマンデル種達は列をなして一直線にこちらを目指さず、一度分散するような動きをとったのか。その答えが、マップ上でサラマンデル種を示す光点達を取り囲むように犇めいている、無数の小さな光点であった。
この森に生息している、他の魔物種だ。
つまり、サラマンデルロードは眷属達に牧羊犬をやらせているのである。包囲を狭めるように進軍することで、サラマンデル種を恐れて逃走する魔物の群れを一方向に誘導しようとしている。言うまでもなく、それらを討伐者勢力にぶつけるつもりだろう。サラマンデル種が列をなして一直線に向かってくるならばまだしも対処はしやすかった。来るのがわかっていればそこに討伐者側の戦力を集中投入すればいいのだから。しかし、こうなってしまえばこちらも戦力を広く分散せざるを得なくなる。
最早、全面戦争の様相だ。サラマンデル種に追い立てられて遮二無二突っ込んでくるのは、この黒い森に棲息しているあらゆる魔物種であり、つまりは黒い森が総攻撃を仕掛けてきたに等しい。
討伐者側も勿論総力を以て迎え撃つつもりではあった。シリウスの背後で飛行している術理ドローンからは、報せを受けて参戦しに来た後続の討伐者やクランに戦域を割り当てるオペレータの声が響いていた。アラートの瞬間に討伐者ギルドに居なかったとしても、この街を拠点として活動している討伐者やクランは数多い。それらの者達が事態を知って続々乗り込んできているのだ。一応『剣の誓い』はこの戦域のリーダー的立ち位置なので、他のクランが指揮下に入っている。命令系統というよりは討伐者同士の連携を円滑にするために取り決められた上下関係であった。
また、同時にギルド外郭の魔法兵器の配置状況も伝えられているが、どうやらてんやわんやの末になんとか開戦前に準備を終えられそうな見通しではありそうだ。
「長丁場になりそうだな……」
これまでの人生で大小さまざまな『オンスロート』を経験してきたシリウスの所感として、『オンスロート』という非常事態に対する脅威度は年々下がり続けている。それは魔物勢力が弱体化しているからというよりは、人間側の技術力が向上しているからだ。特に近年目覚ましい発展を続けている通信技術、そして交通網の恩恵は大きい。シリウスの背後で今も大活躍している術理ドローンもその一環であると言えるが、あれらの存在によって『オンスロート』へ立ち向かうメソッドは明確に変化した。
個人規模ですら『PiG』などという通信端末を所有しているのが珍しくもない時代である。『オンスロート』発生の報は即座に各方面に伝達され、そして発展した交通網を以てして迅速に戦力が集結してくる。討伐者の仕事はかつてのように、いつ援軍が来るのかもわからない泥沼の戦場の中を必死に戦い続けることではなく、明確に示された援軍到着までの時間を効率的に守り抜くことに変わったのである。
その点、今回の『サラマンデルロード』の決起タイミングは忌々しい程に狡猾だ。
少しでも人間側のアドバンテージを殺すために、計算された日取りと時刻だったと言えよう。
王太子の生誕日に合わせてきたのは、王政府側の初期対応を遅らせるためだろう。国内の有力な貴族は式典に参加するために王都に出向いていて、自領を留守にしている。いかにリアルタイムで遠方と話せる時代とはいえ、状況把握をして派兵を決めるレスポンスとしては、領主本人が自領に居る場合とは雲泥の遅れが出るところもあるだろう。無論、平時から備えていればその限りではないが、社交界に疎いシリウスでもなんとなく知っている程度には昨今の貴族連中は平和ボケしている。あるいは平和故に権力闘争に精を出し、そちらに傾倒し過ぎて本来の闘争の空気を忘れ去っている。
まあ、今も昔も帝国相手にバチバチにやりあってるどこぞの侯爵家のような例外も居るには居るのだが。
また貴族達ではなくその配下の兵隊達だって王国の民なのだから、祝い事に参加する権利がある。それこそ休暇を貰って王都に出向いて祭りを楽しんでいる者だって少なくないだろうから、戦力の編成にも少なからず滞りは出るだろう。交通網も王都での催しに際して特別シフトで動いているはずなので、領地を横断する戦力の派兵もスムーズにいかない可能性がある。単純に、鉄道を走る馬や車が出払ってしまっているという意味で。
そしてロードが日暮れと同時に仕掛けてきたのは、少しでも長く攻撃の時間を得るためだ。『オンスロート』には明確なタイムリミットが存在していて、それは日の出である。日が昇れば黒い森は閉じてしまうので、魔物勢力はそれまでに攻め切って撤退する必要がある。逆に言えば、人間側は朝まで耐え切ればとりあえず次の夜までは備えるための時間が得られるのだ。
「どれだけ防壁を持たせられるかが肝だな」
シリウスの見立てでは、現状の戦力でサラマンデル種の猛攻に一晩耐え切るのは難しい。ロードの実力が未知数なのもあるが、それを抜きにしてもサラマンデル種は強力過ぎる。例えばシリウス本人とか、黒竜卿や女帝のような、単体あるいは少人数でサラマンデル種に対処可能な味方戦力が存在している戦域は守り切れるだろう。しかし、時間を掛ければそうでない戦域から徐々に食い破られるのは目に見えている。
ネックはかの魔物の巨体だ。質量の暴力で突撃をかまされれば、そもそも止められないのである。物理的に止められないなら術理で対処するしかないが、それが出来る者は多くない。だからこそ、術理的にサラマンデル種を足止め出来る設置型防壁魔法を如何に長時間維持するかに掛かっているのだ。防壁魔法のキャパシティは決まっているので、魔力を注げば長く持つという代物ではない。故に求められることは、防壁に負荷を与える要因――魔物の攻撃を如何に効率よく排除するか、である。
夜明けまでもてば御の字。実際には夜半までもたせるのが精々だろうが、そこまで防壁がもてば、残りの時間を耐え抜くことも現実的になるだろう。
明日になれば官軍も集まってくるだろうから、戦力の増強と再編成を行い、万全の態勢で次の夜に備えることが出来る。王政府が編成した戦力が間に合うかはわからないが、少なくとも自領であるブラッドフォード伯爵領軍の参戦には期待出来る。
その時、ふと息子の声が聞こえた気がしてシリウスが背後に振り向くと、少し離れた場所にルークの姿を見付けることが出来た。見慣れた野戦服を着て、大剣を背に負ったルークは、忙しそうに歩き回るクレメンスの後について動いているようだった。クランの参謀であるクレメンスはギルドから提示された情報をもとに構成員の戦力編成を考え、方針と共に周知して回っている。その後ろを歩くルークは真剣な顔をしていて、時折クレメンスに質問をしながら彼の手腕を見て学んでいる様子だった。
そのルークの隣には婚約者のマルグリットの姿もあって、彼女もまたルークと同じように、この経験を自身の糧にしようと熱心に努めているようだった。連れ立つ若い二人はシリウスの目から見ても一丁前にパートナーの顔をしていて、なんだか無性に感慨深くなってしまう。
「いつの間にか、デカくなりやがって」
シリウスは頬を緩める。
勿論、ルークはまだまだ未熟なところが目立つが、それでも今年の初めに学院へと送り出した頃に比べたら見違えるほどに凛々しい顔をするようになった。たった半年程度で、変われば変わるものである。生意気にも、あんなに美人で出来た恋人まで作りやがって、とシリウスは親馬鹿を自覚しながらも誇らしい気分だった。
こうして離れて見ているとよくわかるが、長身のクレメンスと並んでも、もう子供には見えないくらいに大きくなった。体格も、振舞いも。クランの連中は世代交代にはまだ早いと言っていたが、あの姿を目にするとシリウスは、自身が息子にこの座を渡す日もそう遠くないのではと思ってしまう。
若い世代の成長は早い。きっとすぐに、本当の意味でシリウスやクレメンスとも肩を並べるようになるだろう。
それから、と視線を横へと滑らせると、やはり忙しく動き回っているイザベルの姿があって、彼女の傍らには物資を抱えて歩くセラフィーナとランディーが居た。イザベルはクラン内の後方支援を引き受けるグループの長であり、現在はギルドから支給されてくる物資をメンバーに割り振り、また必要なものをヒアリングして手配するという作業を行っていた。勿論彼女だけでなく彼女の麾下のメンバーが一丸となって動いているのだが、イザベル自身は新しく家族に加わった微笑ましい二人に仕事を手伝ってもらって、クレメンスと同じくノウハウを教え伝えているようだ。
「…………なんだ、安泰じゃねえか」
イザベルやクレメンスと直接そういう話をしたわけではないが、きっとシリウスがそうだったように、彼等もまた少なからず後進に立場を譲ることを考えていたのだろう。
社会が発展して討伐者の流儀も変わってきているように、人員にも当然の新陳代謝が必要だ。ロートルは適当な場面で裏方に引っ込まないと、どこぞの女帝や黒竜卿のように祭り上げられて生涯現役を貫く羽目になってしまう。
これからの時代は、彼等が創っていくのだ。
ルークにリタ、セラフィーナにランディー、それからマクダレーナと……この場には居ないノアールは少々幼過ぎるので、クレメンスが引退出来るのは今暫く先の話になるかもしれない。尤も、一番幼いはずのノアールが後継者として現状一番完成されているのも事実であるわけだが。
シリウスは視線を前方へと戻し、黒い森を睨む。
森の上空がにわかに赤く輝き始めている。サラマンデル種が移動した軌跡に沸き立つ溶岩が、夜空に熱と光を放射しているのだ。
開戦の時は近い。
シリウスにはイザベルやクレメンスのように言葉で継承出来るものの持ち合わせは多くない。
だからせめて、背中を見せようと思うのだ。
戦いを通して、その姿で、若い彼等に少しでも何かを伝えられることを願って。




