450話_side_Militear_魔界_螺旋
~"もう一人の転生者"ミリティア~
周囲の全てが遠くなったみたいに、手元の書籍から目が離せない。
表紙には繊細なタッチで描かれた少女の姿。主人公ミアベルだ。長編の連載物では最新の絵柄と初期の絵柄が全然異なるというのはわりとあることだと思うが、『夜明けのレガリア』もまたその例に漏れず、というか初期の絵柄はぶっちゃけそんなに上手くない。表紙のミアベルもなんというか『うん……まあ、才能は感じる』みたいな印象の顔をしている。
導かれるように、書を開き、ページを捲る。
何十回も繰り返し読んだ漫画であり、隅々まで記憶に刻み込まれているような気がしていたが、こうして十数年振りに読んでみると、印象の薄い部分などは結構忘れていたんだなと気付かされる。
そうそう。確かに最初はこんな感じだった。今でこそ、という表現はおかしいが、最終的にはどこに出しても恥ずかしくないバトル物作品と成り果てていた『夜明けのレガリア』であるのだが、何を隠そう元々は少女漫画だったのだ。いや、いざ第一巻を読み返してみると、少女漫画だったのはレーベルだけで、実のところ最初から若干怪しい雰囲気は出てたんだなという気もしなくはないけど。
要するに、第一巻ということは全ての始まりであり、物語の導入であり、世界観の説明であり、どういうことかというと『夜明けのレガリア』がまだ比較的少女漫画をやろうとしていた頃というか、少女漫画の皮を被っていた頃であるということだ。
この時期はまだ作者も手探り感が強かったのか、世界観もわりとふわふわしている。おそらく漠然とした設定は決まっていても、どこまでを描写するのかとか、細部までは詰めていなかったのだろう。だから初期のほうを読むと、わりとしっかりと魔法世界の学園ファンタジーをしているのだ。文明の利器を思わせるアイテムは極力省き、魔法の道具は相応にファンシーな外見をしていて、講義で使う教本だってゴリゴリの革表紙だったり、羊皮紙じみた紙が出てきたり、筆記具は筆だったり。
「かと思えば、制服は最初からこれなのよね……」
エンディミオンの制服と言えば、見慣れた着慣れた白いブレザーに赤チェックのプリーツスカートである。折角小道具でファンタジー世界感出してたのに、制服が普通に現代風なのは一体なんなのかと当時から読者に突っ込まれていたとかなんとか。
まあ結局その辺は『漫画だから!』の一言で片づけられるわけで、作者もだんだんと妥協し始めるというか、拘る意味もないことに気付いたのか、後付け設定でどんどん作中の文明レベルは上がっていた。エンディミオンで生活する上で切っても切れない場所である商業区画とか、あれも実は原作では後付け設定っぽい。元々、学院の敷地内に買い物が出来る場所があるとか、その程度の扱いだったはずなのに、商業施設の集合体になってたり、時代錯誤なお洒落カフェとかが爆誕していたのである。
実際、私が入学した時にはカフェなんてなかったはずなのに、いつの間にか出来てたもんなぁ。
「…………あれ?」
なんか今、おかしなことを考えたかも。
首を捻りつつ、自然と手は動きページを捲っていく。
身も蓋もないことを言っちゃうと、ファンタジーな世界観を作り出す演出も大事なのだけど、それだけだと読者の共感が得難いのよね。折角主人公のミアベルは可愛らしい女子高生なんだから、お友達とはやっぱりそれらしい会話をして欲しい。だから魔法がどうとか魔物がどうとか騎士がどうとか言っているよりは、新作のスイーツがどうとか流行りのファッションがどうとか話題の映えスポットがどうとか、そういう会話のほうが話作りもしやすいし読者にウケるわけで。
じゃあファンタジー世界だけどコスメのブランドがあってもいいよねとか、皆が知ってる娯楽文化があってもいいよねとか、そういう部分に突っ込むだけ野暮だよねって。
だからといっていきなり恋愛小説とか印刷技術が生えてきた時は流石に読者もスルーはしなかったけど。いやそんな技術あるんなら初期の頃の分厚い革の教本は一体なんだったんだっていう。
実際、前期の最初の頃は講義の度に分厚い教本持って移動するのが億劫だった。まあいつの間にか活字印刷の薄い教本に変わってたんだけども。
「…………ん?」
そう言えば一番やりすぎだと思ったのはアレだ、学生ロビーに設置されてるターミナル。
一応はモノリスっぽい石碑の表面に魔法で文字を浮かび上がらせているっていう体だけども、だったらせめてもう少し魔法のふりをする努力をしろよっていう。魔法なら魔法でいいんだけど、表示の仕方が完全に電光掲示板のそれなんだもんなぁ。
あれも元々は定期試験結果の成績上位者の名簿を学内の掲示板に張り出すっていうだけのものだったはずなのに、いつの間にか学生ロビーが巨大モノリスに占拠されて近未来ものみたいな景観になってるんだもんなぁ。
「いつの間にか。……いつの間にか?」
それっていつだ。
おかしい。私の記憶がバグってる。
漫画を凝視したまま動きを止めていた私に、その様子を眺めていたらしいフェンリスが声を掛けてきた。
「よくある話じゃねえのか? 後付け設定なんてよ」
「よくあるけど、違うわ。順序が逆だもの」
そう、あくまでも漫画の作品世界を読者の視点で見ているから、それまで存在しなかったはずの文化やアイテムがいきなり生えてきたように思えてしまうが、作品世界内の住人視点で見ればそれは元々あったものでなければおかしい。ただ、読者に向けて描写されていなかったというだけで。
だから、私が漫画の世界を現実として生きている以上、エンディミオン魔法学院にはお洒落なカフェが不意に湧いたりしないし、教本が突如ダイエットしたりしないし、ロビーにいきなりモノリスが生えたりもしない。
そうであるはずだ、と私が言うも、フェンリスは意味深に笑みを深めるばかりだ。
「どうだろうな。もしかしたら、もっと根本的な部分で『逆』なのかもしれんぞ?」
「それってどういう――」
私が問い質そうとした時、フェンリスは「お」と声を上げて再び光の螺旋を仰ぎ見た。
そして降り注ぐ光の一つへと手を伸ばして掴み取る。
「とうとうこんなモンまで降ってきやがった」
ほれ、と再度フェンリスが私のほうへ差し出したものを見ると、どうやら彼の掌に収まる程度の四角いものであるようだ。やはり形状がブレるように重なっていて安定しないが、それでも私はなんとなく、それがなにか察することが出来た。
先程と同じように私がフェンリスの手からそれを受け取ると、ブレていた輪郭が急速に確かさを帯びていく。
『私』のスマートフォンだった。
前世が終わる前に、最後に持っていたモデルだ。入院中の『私』に両親が買い与えてくれたもの。当時基準では最先端のモデルだったはずだけど、生憎と多彩な機能の大部分は『私』には必要ないものか使いこなせないものでしかなくて、結局両親や担当看護師との連絡や、ネットでレガリア情報を閲覧する程度の使い方しかしていなかった。
私の指では指紋認証を突破出来なかったので、パターン入力でロックを解除する。かつてセットアップの手順に従ってなんとなく設定したまま変更することのなかったロックパターンが、思い出すまでもないくらい非常に簡素だったのが幸いした。
緊張のせいか上手く動かない指で画面をタップしてアドレス帳を開き、目を走らせる。
「…………お父さん、お母さん」
前世の両親の名前が登録されている。勿論日本語である。
奇妙な光景であった。
日本語で登録された前世の両親の名前と、王国語で登録された今世の両親の名前が並んでいるのだ。
これは私のスマホであって、『私』のスマホではない。
私の記憶にある限りは、両親やいくらかの病院関係者の連絡先しか登録されていなかったアドレス帳は、一回指を動かせば一番下までスクロールしきってしまう程度のボリュームでしかなかったはずなのだ。だけど今、私の手の中にあるスマホにはかつて考えられなかったくらいに多くの名前が溢れていた。
今世の両親に始まり、姉さんに、トビー、リゼルやお付のメイドなど伯爵家の関係者。従者達の連絡先は私物の端末ではなく、伯爵家が用意した業務用の端末の番号であると、知らないはずなのに何故か理解出来る。
学院に入学する前に社交界で知り合った他家の貴族令嬢達の連絡先もある。あまり積極的に利用することはないけれど、アドレス帳の登録人数ってのはある意味貴族令嬢のステータスみたいなところがあるので、暗黙の了解でとりあえず連絡先を交換している相手も多い。勿論、中には気が合って普通に友人付き合いをさせてもらっている子だっている。
討伐者活動でお世話になっている『剣の誓い』の人達とも、それなりに交換はしている。パーティーリーダーのシリウスさんの番号も登録してあるけど、あの英雄伯の個人的な連絡先がスマホに入ってる貴族令嬢って、そこそこ凄いと自分で思う。
そして当然、大切な友人達の連絡先もあるのだ。レックス、リタ、ルーク、それからノエル。ミアベルは自分用の端末を持っていないので、ノエルが窓口役なのである。
アドレス帳を下にスクロールしていくと、ふと一人の名前が目に入る。
フランツィスカ・ミア・デリンガー。フランだ。
彼女とは実家同士の付き合いで幼い頃から交流だけはあったが、完全無欠に私の都合で一方的に避け続けていた経緯があるため、学院で再会するまでは連絡先を交換することはなかった。というかぶっちゃけると学院で会った時も私は彼女の連絡先を聞くつもりなど更々なかったわけだが、フラン側からの謎の熱烈猛プッシュに根負けして、諦め混じりに番号を教えたのを覚えている。
それからしばらくはフランが事あるごとに連絡を寄越してきて非常にうざかった。
無論、私にはフランと連絡先を交換した記憶もなければ、夜な夜な彼女が連絡してきてキレそうになった覚えもない。
だというのに私はフランと連絡先を交換した事実を認識しているし、結局ブチ切れて通話越しにフランを泣かせたことも忘れていない。
「このスマホや漫画は、今、この場限りのものね?」
私が言うと、フェンリスは頷いた。
「そうだ。アンタが手に取ったから、アンタに合わせた形を取ったに過ぎねえ。この場から持ち出すことはおろか、アンタが手放せば光に戻る」
聞くが早いか、私は手に持っていたそれらをぽいと放った。フェンリスの言う通り、私の手を離れたそれらは逆回しのように存在を不確かにブレさせ、そのまま解けて霧散してしまった。
フェンリスはあの螺旋が作り出す光の流れを『文明の授受』であると言った。
つまるところが降り注ぐ光がそれそのものであり。文明と言えば大袈裟かもしれないが、『輝界』を通して向こう側の文化や概念がこちら側に流れてきているのだ。例えば漫画、そしてスマホ、あるいはそれ以外にも、きっと膨大に。
「流れ込んだ文明は世界を更新する。俺とアンタはこの場では前後を認識できているが、すぐにわからなくなるだろう」
「世界は元からこうだった。ってなる?」
「そうだ」
即ち、通話でフランを泣かせた記憶が真になり、そうでなかった記憶は更新されてなかったことになる。
元からこの世界には漫画があってスマホがあった。そういうことにされるのだ。
おそらく、これまでも無数に同じことが起こっていたのだろう。先程『夜明けのレガリア』を読んで私が認識した違和感がそれであり、その違和感を認識出来るのはきっとこの光の螺旋が現出している場に限られるのだ。
「これは一体なんなの? 貴方はこれでなにをするつもり? この世界は一体……?」
正直、わからないことしかない。
世界の成り立ちや仕組みという謎は私のキャパには大き過ぎるかもしれないが、差し当たり知りたいことはフェンリスの思惑だ。彼は何のためにこの場に私を招いたのか。
そもそも、彼は何者なのか。何が目的で、何を知っているのか。
「悪ィが、説明してやれることはそう多くない」
語るフェンリスを照らす光は徐々に収まりつつあり、どうやら螺旋が終息していくようだった。
「だがまあ、そうだな……最終目的くらいは教えてやるよ」
最後に仄かな螺旋の残光を浴びて瞳を光らせつつ、フェンリスはニヤリと口元を歪め、私に告げる。
彼の、あるいは彼等の最終的な目的とは――
「『ラスボス』を倒すことさ」
「は?」
「エンディングを迎えるための、所謂お約束ってやつだぜ」
しぱしぱと瞳を瞬かせる私の反応を楽しむように、彼はくつくつと喉を鳴らして笑うのだった。




