449話_side_Militear_魔界_螺旋
~"もう一人の転生者"ミリティア~
まさか魔界の空を飛ぶ羽目になるとは思わなかったなぁ……。
ハーティに抱えられて飛翔する私は既に諦めの境地である。私が目覚めたあのお屋敷は魔界とはまた別の『幽世』と呼ばれる空間であったらしいが、どちらかというと魔界寄りな術理法則が支配的に働く世界であり、その境界線も魔界側に存在していた。人界と魔界が黒い森で繋がっていて、魔界の更に内側に幽世への入り口があるという認識だ。
そしてフェンリスの現在地は魔界のとある地点とのことで、ハーティのお役目は私が目覚めたらフェンリスの元まで連れていくことであった。
というわけで、私は返してもらった衣服に着替え、ハーティと共に魔界へと繰り出したわけだ。言うまでもないことであるが魔界とは魔物の住む世界であり、魔物にとっては餌でしかない人間の私がほっつき歩いていたら秒で食い殺されてお終いである。大型種であるハーティが一緒であれば雑多な魔物は寄ってこないかもしれないけど、それこそハーティより強力な魔物が出て来たらお終いなので、ハーティは私を抱えて空路を行くことを決定した。空を縄張りにする魔物種の中ではハーティは相当強力な部類なので、陸路を行くよりも圧倒的に安全なのだとか。
私としては最早ハーティだけが頼りの綱なので、彼女の言うことに従って、大人しく彼女に抱きかかえられておくのが賢明である。
「魔界は暗いのね」
「そうか? 人間からすれば、そうかもしれんな!」
幽世の景色が『白い夜』だったとするならば、魔界は圧倒的に『黒い夜』だ。星もなければ月もない、完全に黒一色の空。遥か遠い地表を見れば、魔力で発光する植物や魔物が発する輝きが煌めいていて、頭上ではなく眼下に星空が広がっているかのようだ。
魔界というのは浮遊大陸の集合体みたいなものらしくて、大小様々な浮遊岩からなる世界であるとハーティは言うが、景色が黒過ぎて視えもしなければ距離感もわからないしで実感には乏しい。
「浮遊大陸の下はどうなっているの?」
「海だ!」
「ああ、海はあるんだ」
「うむ。ただ、近付くのはお薦めしないぞ。水棲の魔物は強力だからな!」
「へぇ」
ハーティでもそう言うってことは本当に危険なのだろう。黒い森という陸路を侵攻の足掛かりにしている以上、水棲の魔物というのは殆ど人界のほうに出てこない。精々が黒い森の内部の水場に棲息していることがあるという程度だ――というのが内陸国家である王国における認識なのだが、海洋国家などでは海中に黒い森が発生していることもあるので、そういう場所ではむしろ水棲の魔物が主となって侵攻してくるのだろう。
そんなの、どうやって迎撃するんだろうか。あれかな、海洋国家の魔法使いは水中戦に特化してたりするのかな。
「水棲の魔物は、やっぱり魚みたいな姿をしているの?」
「必ずしもそうではないが、傾向的にはな。気になるならばほら! そこに親玉みたいなのが居るぞ!」
飛びつつハーティが片手を伸ばして、側方を指差して見せた。
私はそちらに目を凝らしてみるも、魔物らしき姿は見当たらないし、そもそも高空を飛行している私達と同じ場所に水棲の魔物が居るわけがないと思うのだが。
「なんのことを言ってるのかよくわからないんだけど」
「だろうな! だがよく見るといい! うっすらとバカでかいアーチのようなものが見えるだろう?」
「ええ、見えるけど……」
魔界の地形は不思議だなーと思いながら眺めていたあれね。
「まさかアレが魔物です、とか言わないでしょ」
「そのまさかだ!」
いやいやいや、嘘でしょ。
暗すぎて距離感よくわかんないけど、ハーティが言う『バカでかいアーチ』はまるっきり地形の一部のような規模感である。言うなれば、そうだなぁ、高速道路を車で走っている時に、窓からの景色を見ていると、近くの標識や街並みは高速で後ろに流れていくのに、遠くに見える山々は不動に見える――って感じ。要するにそういう規模感。
「え? ほんとにあれ魔物なの? 生きてるってこと?」
「長老と呼ばれる、魔界の重鎮だな。見えているのは身体の一部で、大部分は海の下だろう。ウミヘビを死ぬほど巨大化したようなものをイメージするとだいたいあってる!」
「ひぇ」
蛇のような姿をしているとすれば、今見えている山のような巨大アーチは、その全容のほんの一部でしかないということだ。
「おまえたちの呼び名で言えば『リヴァイアサンロード』だな」
「……呼び名があるってことは、人界に侵攻してきたことがあるってこと?」
「いや、長老が向こうに現出するのは、人界と魔界が完全に繋がらねば不可能だろう。眷属のやつらも相当な術理的規模を誇るから、まあここ数百年くらいは魔界から出ていないのではないか?」
つまり、魔王が現役でブイブイ言わせていた頃には、『リヴァイアサン種』なる水棲の魔物が侵攻してきていた地域もあったということか。
たぶんだけど、眷属も『サラマンデル種』とかと同じカテゴリーの超強力な魔物なんだろうな。
「ちなみに、襲ってきたりしないわよね……?」
「ふよういに近付かなければ大丈夫だ」
「私人間だけど、本当に大丈夫? 餌だと思われたりしない?」
「うむ。おまえだって、目に見えないくらいに小さな塵が近くを舞っていたとて、叩き落そうともしなければそもそも気付かないだろう?」
「ああ。なんか納得したわ」
あの長老とやらから見れば、私は元よりハーティであっても目に見えない塵芥の一つでしかないということか。
「あそこまで巨大な身体を持ってしまうと、自己や周囲への認識も相応につきぬけてしまっているし、刺激に対するレスポンスも規模相応に時間が掛かる。もうあれは一個の自然現象みたいなものだな。強いとか弱いとかそういうぎろんをするのがナンセンスなのだ」
「こっちでいう海流そのものが一個体として意思を持っている……みたいなものかしら」
「そんな感じだな!」
「長老って、他にも居るの?」
「いるぞ」
こともなげに肯定したハーティに、しかし私は詳しく聞く気にはなれなかった。
知らなくていいことも、この世にはあるのだ。主に精神の安寧のために。
「魔界ってこわい……」
◇◇◇
それからしばらくは暗く静かな世界を飛び、時間の感覚も曖昧になってきたあたりでハーティはようやく地上へと降り立った。彼女に抱えられていた私は若干ふらつきながらも自分の脚で立ち、凝り固まった身体を伸ばす。
「この先に御館様が待っている。ここからはおまえ一人で行くんだ」
「一人で……って、私丸腰だし、魔物に出くわしたら一瞬で死ぬけど?」
「心配はない。この先には御館様以外の魔物はいない」
「ふぅん……」
まあ、結局私に選択の余地はない。
ハーティの言うことが本当なのかとか、何故魔物が居ないのがわかるのかとか、そもそもなんで居ないのかとか。気になりはするが気にしていても仕方がない。
この場で帰りを待っているというハーティに背を向け、私は奥へと向かって歩き出す。
すぐ近くに小さな川が流れていて、その畔を歩くことにした。水底の苔かなにかが光を放っているのか、ゆるやかに流れる水面がキラキラと輝いていて足元を照らしてくれていたからだ。周囲を見るも草木ばかりの景観だが、どいつもこいつも矢鱈とぺかぺか光っていて非常に主張が激しい。それでいて目に痛いほどではなく、率直に言って不気味ながら美しい景色だった。
とはいえ、私は勿論魔界を訪れたことなどないが、この景色自体は知っている。それほど多くのシーンではなかったけど、『夜明けのレガリア』の作中で描かれていたものだから。
方向感覚などとっくのとうに狂って役に立たないので、とりあえず川沿いに歩いてみた私はこんなんで本当にフェンリスの元に辿り着くのかと若干心配だったのだが、どうやら杞憂で済んだらしく、ややあって目的の黒い背中を見付けることが出来た。
木々が開けた断崖らしき場所に、フェンリスがこちらに背を向ける形で岩の上に座っていた。
私が近付くと、彼は肩越しに視線を向けた。
「よう」
「ええ」
短い挨拶に短く返し、私は彼の斜め後ろくらいで足を止めた。
何故かはわからないが、フェンリスがこちらに危害を加えるとは少しも思わなかったので、そういう意味では警戒もしなかった。微妙な距離を保ったのは、なんというかこう、単に私が異性慣れしていないだけである。
魔物とはいえ男は男。しかも年上の屈強なイケメン。陰キャ女子には刺激が強い。
「それで、なんで私はこんな場所に連れて来られたのかしら?」
ていうか貴方は何をしてるんだって話なんだけども、私の問いにフェンリスは前方を顎でしゃくって見せた。
「見てみな」
「?」
見ろと言われても、前方には断崖があるだけで、その向こうは闇だ。まごついていても話が進まなさそうなので、私はフェンリスの横まで歩み出て、少し離れて彼と同じ方向に目を凝らす。
すると、闇だけの景色の中に、薄らと遠くの地形が見えてくる。
例えるならば、巨大な皿だろうか。あるいはクレーターかもしれない。もしかしたら花のような形にも見える。要は、中心に向かって窪んでいく椀型の地形が断崖の向こう側に広がっているのだ。
先程の長老もそうだったが、魔界は暗過ぎて距離感が機能しないので、具体的な大きさは判断が難しいが、一つだけ言えるのは、先程の長老にも負けず劣らずの巨大さであるということだ。それこそ、皿の上に街一つくらいは乗ってもおかしくない。
「……?」
そして、更に目を凝らすと、巨大な皿の中心部でなにかが光っているのが見えた。
まるで湧水のように沸き立つ、光り輝く何かが、気のせいでなければ徐々に大きくなっているようだ。巨大過ぎる皿との対比で小さく見えるだけで、実際のところはわからないが。
「上も見てみな」
「うえ?」
フェンリスに言われて視線をそのまま空へと向けると、ちょうど皿の直上の天に、やはり何かが光っている。今度は例えるならば砂時計だ。まるで砂時計の砂が下に落ちるように、空の一部から光が下へと流れ落ちている。
「あれを見せるために?」
「いや、本当に見せたいのはこの後だな。どうやら少し時間があるようだから、軽く話すか」
座ったままのフェンリスに名前を聞かれたので、ファーストネームだけを名乗っておく。
フェンリスは一つ頷くと、徐に口火を切る。
「あれは『螺旋』と呼ばれている場所だ」
「タワー要素がなにもないけど?」
「今はな。実際は塔っていうよりは、巨大なネジみたいなもんだ」
「ねじ?」
「そう。世界をぶち抜く巨大な螺旋」
あの光っているのは何か、と訊くとフェンリスは一見して関係なさそうな問いを返してきた。
「ミリティア、ここに来るまでの景色は闇ばかりだったろ?」
「そうね」
「魔界には夜しかねえんだ。…………何故かわかるか?」
何故と言われても、と私は一応考えてみる。
「日が昇らないから?」
「まあ、そうだな。だがそりゃあ原因じゃなくて結果だ」
ではそもそも何故日が昇らないか。
「『魔界』ってのは単体で完結してねえからさ」
「どういう意味?」
「『魔界』と対を為す、逆に夜が存在しない世界がある――――――『輝界』ってんだが」
聞いたことがあるか、と問われ私は首を横に振った。今世はおろか、前世の原作知識の中にもそのような言葉はなかったし、勿論魔界と対を為す世界があるなんて話も初耳だ。
「闇と瘴気の世界である『魔界』に対して、『輝界』は光と信号の世界だ」
あれがそうだ、とフェンリスが甲冑に包まれた指で示したのは、私が先程見ていた空から零れ落ちる光だった。
「あの光は『輝界』から降ってきてる。魔界の空の向こうに背中合わせの別世界があるのさ」
「……スケールが大き過ぎてよくわからないわ」
「無理もねえ。……ところで、アンタを連れてきたハーティは、ここに来るのを嫌がっただろ?」
「嫌がったというか、一人で行けと言われたわね。この先には貴方以外の魔物は居ないからって」
「『輝界』から降る光は魔物にとって劇物と同じだからな」
「こんなに離れていても?」
「今はまだいい。だがすぐに……――――そら来たぞ」
ニヤリと笑ったフェンリスが示すほうを見ると、断崖の先の景色が目に見えて変わり始めていた。
巨大な皿の中心から沸き立つ光と、その直上の天空から降る光が、まるで惹かれ合うように細く長く伸びて近付きつつあるのだ。そしてその細長い光の外周にとぐろを巻くように、やはり上下から螺旋状の光もまた伸びていた。
「なるほど……螺旋、ね」
「螺旋を描くのは、二つの世界の関係性が捩れているからだと言われてるな」
「二つの世界……」
徐々に、徐々に引き合う二つの光が、地上と天空を遂に一本の線で結んだ瞬間、それは起きた。
まるで落雷か、あるいは爆発でもしたかのように、視界を凄まじい光の洪水が埋め尽くしたのだ。
「きゃっ!?」
その輝きのあまりの圧に、私は咄嗟に目を腕で庇う。
最早湧水でも流砂でもない。間欠泉か、それか滝だ。光が強過ぎてどちらに流れているのか定かではないが、とにかく尋常ではない量の『光り輝く何か』が地上と天空を行き来している。
直感的に悟る。これはただの光などではない。そしてこれは確かに魔物にとっては劇物だ。そのわりには涼しい顔で眺めている男がすぐ隣に居るわけだが。
「これはっ……一体なんなの! なにが流れてるのっ!?」
「強いて言えば、文明だな」
「は?」
螺旋を描く光の塔はどんどん規模を増していって、遂には周辺へと拡散すらし始めた。一面の闇しかなかった魔界の景色が嘘のように、あたかも光の吹雪でも降り注いでいるような有様だった。
「魔界と輝界を通して二つの世界が繋がっちまうと、否応なく文明の授受が始まる」
「ちょ、ちょっと待って、二つの世界ってなに?」
魔界と輝界、ではないのだ。それらは表裏一体で、一つのものというよりは同じものだ。
ではそれらが繋げる世界とは、一方はわかる、私達が今まさに生きているこの世界だ。そして他方は――
「そうだな……」
適当な言葉を探すように考え込んだフェンリスは、しかし口で説明するのではなく、降り注いでいる光の欠片の一つを片手で掴み取った。私もつられてそれを見ると、フェンリスの手の中で光は書物のような形状へと変化した。
複数の映像が重なってブレているように、光の書物は一定せず、だから具体的になんの本なのかわからない。
フェンリスがそれを無造作に差し出してきたので、私は目を丸くした。
「持ってみろ」
「え、ええ」
わけもわからず受け取ると、それまでブレてぼやけていた像が嘘みたいに、私の手の中で光は完全な書の形を取った。
私は驚愕する。
それは、私がとてもよく知る本だった。それこそ、何十回も、もしかしたら百回以上も読み返した本だった。
全ての始まり。あるいは、元凶と言えるかもしれない。
「『夜明けのレガリア』……」
単行本の、記念すべき第一巻であった。




