447話_side_Militear_幽家
~"もう一人の転生者"ミリティア~
なんだか、とても懐かしいような何かを感じて、私の意識が浮上する。
ぼんやりと木目調の天井を見上げ、ぼんやりと気付く。
「…………畳の匂いだ」
不思議なものだ。
今世では一度も嗅いだことのない、この独特な香り。
前世の私の実家には畳張りの茶の間があった気がするけど、私の記憶の圧倒的大部分を占めるのは入院生活を送っていた病院の景色であった。懐かしさを感じるほどに畳に慣れ親しんだ覚えもないのに、嗅いだだけでわかったし、ちゃんと懐かしい。
「日本人の魂に刻まれてるのかしら……」
白米信仰てきな。
仰向けに寝たまま視線を巡らせると、なにやらやけに現実感に乏しい部屋だった。畳の匂いが想起させるその通りの内観をした和室で、広い部屋の真ん中にぽつりと敷かれた敷布団に私は寝かされていたらしい。
部屋は暗く、少し明るい。
何を言っているのかわからないけど、そうとしか表現しようがない。室内には照明の類がなく、側方には窓ではなく障子が並んでいて、その向こうはおそらく廊下か縁側だろう。障子は薄らと白く光っているようにも見えるが、その向こうは明るくなく、夜だ。
一番近い表現を探すならば、満月の夜の白い明るさに似ている。
しかしそれとも似て非なる。
夜が明るい世界。とでも言えばいいのだろうか。
夜が闇ではなく、かと言って光でもない。もしかすると、夜しかない世界はこんな風になるのかもしれない。昼夜の区別がないから、明るい暗いという概念もまた希薄なのだ。
「…………」
掛布団を除けて身を起こすと、私は若草色の浴衣のようなものに着替えさせられていた。
元々着ていた衣服はどこにも見当たらない。浴衣の下は裸だが、少しだけ覗いてみると治療を受けた形跡がある。それなりに酷い状態だったと思うが、魔法による治療でも受けたのか、大きな傷は見られない。精々ガーゼが貼ってあったり包帯が少々巻かれている程度だ。
たぶん、私を治療した誰かが浴衣を着せてここに寝かせたのだと思う。
「浴衣なんて、いつぶりかな」
というかそもそも着たことあったかな。
小学校の修学旅行では皆で旅館に泊まって、夜は浴衣姿で枕投げをしたらしい。だけど私は体調的な理由でそもそも旅行に参加出来なくて、とても羨ましかった覚えがある。
今の私は金髪少女なので、ビジュアル的に浴衣はあんまり似合わないかもしれない。
「いや、胸がないからむしろ似合うのか……?」
などと悲しい事実確認もそこそこに、私は行動してみる。ここがどこなのかはわからないが、普通の場所でないことは感覚的にわかる。もしかすると魔界のどこかかもしれないとすら思う。
ただ、危険はあまりなさそうだ。経緯を考えれば私は虜囚の身なのかもしれないが、こうして治療を施されて、拘束されるでもなく寝かされていた以上、差し当たり即座に殺されるようなことはないだろう。
となれば、まず私が確かめるべきことは一つだ。
「リゼルは……」
彼女は無事だろうか。
たぶん一緒に連れて来られたはずだと、朧げな記憶の中で覚えがある。
しかし、私よりも重傷だったリゼルが、同じように治療を施されているとは限らないのだ。相手の目的が私の身柄だったとすれば、むしろリゼルは邪魔なものとして排除されている可能性だって否めない。
とにかく、彼女を探さなければ。
そぉ~っと襖を開け、私は部屋から出る。そこはやはり木造の、長い廊下であった。裸足の足裏に板張りの感触がひんやりと冷たい。
申し訳程度に息を潜めて、足音を立てないように歩いてみたりするが、見つかったらその時はその時だと開き直ってもいた。
「静かね……」
思わず呟いた言葉が、反響せずに静寂の中に消えていった。
ただ単にひと気がないというだけではない。所謂『環境音』と言うべきものがまるで存在しないのだ。本当に、私だけしか生きていない世界って感じ。
もしかして本当に誰も居ないのではないかと若干疑わしくなりつつも暫く廊下を進んで散策すると、いくつかの無人の部屋を経て、ようやく自分以外の存在を見付けることが出来た。
「!……」
意味はないかもしれないが咄嗟に柱の影に身を潜めて部屋の中を伺う。
部屋の造り自体は最初に私が目覚めた和室と大差ないが、ここはとにかく書物が目立つ。魔法書の類と思しき厳めしい書物が適当に、いっそ乱雑なくらいに山と積まれている。
そして本の山に囲まれた部屋の中心に、一人の女性が居たのだ。
後ろ姿はどことなくイオを思わせる黒髪の若い女性のように見える。黒い作務衣のようなものを纏い、静かに手元の書物に目を通している。私は少し考えたが、声をかけてみることにした。
「あの……」
と、細やかな声で呼びかけると、黒髪の彼女はページを捲ろうとしていた指をぴたりと止めた。
それから、ゆっくりと私のほうへと振り向く。
肩越しに艶やかな黒髪が流れ、それと同色の瞳が私の姿を捉えたその時。
私は死んだ。
「…………あ?」
――こぷり、と喉が裂け血が噴き出す。
――視線を下に向けると腹に穴が開いていて、臓物が零れている。
――慌てて押さえようと動かした四肢が腐り落ちていて、その場に頽れる。
――何故、と考えるはずの脳みそが融け出して、目玉が破裂した眼孔から流れ出る。
――これ以上ない程に押し寄せるリアルな死の感触に、私は自分が間違いなく死に至ったことを理解し、
「まてまてっ!」
――納得して鼓動を止めようとする寸前に、なにやらとても暖かいものに包まれた。
――それは私の顔を柔らかく受け止めるようで、とんでもなく肌触りがよくて、蕩けそうなほどにもちもちしている。
――例えるならば大福である。白く輝く大福に顔からダイブしたらきっとこんな感触なのだろう。
――というか柔らかすぎて私の顔にぴったりフィットしてしまっていて、ぶっちゃけ息が出来ない。
――でもこのまま息の根が止まるならそれはそれで幸せかもしれない。大福餅に溺れて死ぬならば本望、
「んなわけあるかぁ! 死ぬわばかぁ!!」
殺す気か、と息を吹き返しながら叫び、私は視界を埋め尽くす巨大な大福を両手で押し退ける。
その大福(意味深)の持ち主であるハーティは憮然とした表情だった。
「失敬な。ハーティはむしろお前を救ったのだぞ」
「はぁ?」
そもそも、何がどうなって私はハーティの大福に溺れる羽目になったのか。
そう言えばと思い出して部屋の中の黒髪の女性を探そうとすると、私の頭はまたもや強引にハーティに抱え込まれてしまう。
「わぷっ。ちょ、ちょっと」
「ばかもの。サヤは人の形をした『死』そのものだぞ。不用意に見てはだめだ。死に誘われてしまう!」
「え……」
告げるハーティの声音が真に迫ったものだったので、私は思わず硬直する。
遅れて実感がやってきて、先程感じた明確な死のビジョンの意味を悟り、全身からどっと汗が出る。
もしかしなくても私、ハーティが居なければあのまま死んでた?
今更心臓がバクバクし始めた私を抱えたまま、ハーティは背後へと声を張る。
「そしてサヤ。おまえはさっさとおチビのところに行くがいい! なにを優雅に読書タイムと洒落込んでいるのだ!?」
それに対してサヤなる黒髪の女性が応える。
「いや……しかし、」
「しかしもかかしもなぁーい!! おまえが行かずに誰が行くというのだばかものぉ!!」
そらいけしっし、とだいぶぞんざいに追い払われて、サヤとやらは私達が居る入り口側とは対面の障子を開けて出ていったことが音でわかった。
なにがなんだかわからない私を解放し、ハーティは腕を組んで尤もらしく頷いた。
「まったく世話の焼ける親子だ。御館様もやつらにはやけに甘いし、やはりハーティのようなできる女が見ていてやらねばいかんな!」
「……よくわからないけど、なんか助けられたみたいね」
「礼には及ばん! おまえに死なれるとこちらも困るのでな! それにしても真っすぐにサヤのもとに辿り着くとは、おまえはちょっとおかしいな!」
ナチュラルに変人扱いされて非常に納得がいかない。主に、お前にだけは言われたくねえんだよ的な意味で。
まあそんなことはどうでもよいのだ。開き直った私は素直にハーティにリゼルの場所を訊ねてみた。するとハーティもまたやけに素直に「案内する」などと言って歩き出すではないか。
ますますわけがわからない。このハーティのいっそ友好的とすら言える態度が、彼女だからこそのものなのか、あるいはフェンリス達の総意としてのものなのかを計りかねている。普通に考えればハーティの性格ゆえのことなのだろうが、それだけでは納得し難いこともある。というのも、
「私の治療をしてくれたのは貴女?」
「いや、スコールだぞ。自慢じゃないがハーティはそういうのはまったくできん!」
「本当に自慢じゃないことを誇らしげに言われても」
というかそもそもなんで魔物のスコールが人間に対する治療技術を有しているのかが謎なのだけど。むしろそう考えたら出来ないというハーティのほうが魔物的には自然なのか……?
「おまえの連れもスコールが治療をほどこしたわけだが、あっちはおまえよりだいぶ重傷だったからな。しばらくは目覚めないだろう」
「そう…………それで、貴女達の目的はなんなの? 私達に何をさせるつもり?」
リゼルも治療を受けているという事実に一先ず安堵した私は、遅過ぎる状況把握に乗り出す。
前を歩くハーティは私の問いに背中越しに答える。
「とりあえず、まずはおまえを御館様のところに連れていく」
「? フェンリスはここに居ないの? というかここどこ?」
「ここはサヤの家だ。そして御館様は『螺旋』でおまえを待っている」
あコイツ理解させる気ないな、と私は悟った。
もしかするとハーティ自身がそもそも理解していない可能性まである。
「ここだぞ!」
そうこう言っているうちに目的の部屋についたらしく、ハーティは一切躊躇なく襖をスッパァーッン! と開け放った。
「静かに入って来られないのですか?」
と、尤も過ぎる苦言を呈したのは、部屋の真ん中の布団の脇に座していたスコールだ。彼女はファンキー過ぎるビジュアルのハーティに比べればだいぶ正統派のメイドに見える装いをしている。蠍の下肢を変化させない限りは、頭の上の角以外は普通に人間と同じ外形をしているからだ。
座ったまま振り向くように視線を向けてきた彼女の向こう側には、布団に寝かされているリゼルの姿があった。スコールの脇に纏めて片付けられている汚れたガーゼや包帯を見る限りは、まさに治療を終えたところなのだろう。
見たところ、リゼルの寝顔は穏やかで、命に別状はなさそうだ。
「スコールよ! ハーティはコイツを連れて御館様のところに行ってくるぞ! 留守は任せたからなっ!」
「はいどうぞ」
その遣り取りに疑問を覚えた私は小首を傾げる。
「スコールは一緒に行かないの?」
「行きません。スコールはこっちのおまえらの様子を見ておかなければいけませんので」
まず『おまえら』は複数形であることに気付いて欲しいところだが、それはさておき。
要するにスコールはリゼルを見ていなければならないのでここに残ると言っているのだ。
それはつまり、
「成程……リゼルは人質ということね」
ここまでくれば、彼女等の目的が勘違いなどでなく本当に私であったことは確かそうだ。となれば私に望むことがあるであろう彼女等にとって、リゼルという札は私を従わせるために極めて有効だ。リゼルは傷を負っていて、意識がなく動くことは出来ないのだから。
リゼルの命が惜しければ、私は彼女等に従わざるを得ないのだ。
そう考えた私の呟きに、スコールは、
「ひと…………じち…………?」
眉を顰め、まるで未知の言語でも聞いたかのように反芻する。
そして、ややあってハッと目を見開いた。
「これが人質という文化かっ!?」
叫び、立ち上がり、片手をバッと翻す。
「つまりこうですね!? おいおまえら! こっちのおまえらの命が惜しければ大人しく従いなさいっ!」
おまえらではなくおまえであるという点を除けば、まあ正しい。
言ってることは悪役として正しいのだが、私はそれにどうリアクションすればいいのだろうか。
私が反応に困って無言でいると、謎のドヤ顔を披露していたスコールが一転して不安そうに眉尻を下げた。そして彼女は小さい声で私の横に居たハーティへと問い掛ける。
「あってますか? 人質という文化。あってる?」
「わからんっ! でもたぶんあってると思う! 勘だけどなっ!!」
「「…………(チラッ)」」
いやこっちみんな。
傷口がじくじく痛むせいか頭痛を覚えた気がした私が渋々「あってる」と教えると、スコールは調子を取り戻したようにドヤ顔になった。
かと思えばすぐに自信なさげに、またもやハーティに問い掛ける。
「次はどうするのです? 人質のおまえらはどこに置いておけばいいのですか?」
「わからんっ! だがやはり瑕疵がないように気を付けて仕舞っておくべきなのではないか!?」
「なるほど。傷がつくと人質としての価値が損なわれるからですね」
得心したように頷いたスコールは、徐に私へと振り向いて告げる。
「ふふふ。おまえらは我々に従うしかないのです。さもなくば人質を看護しますよ!」
「そうだぞ! ……ん? それは逆ではないかスコール」
「え? 逆? どこが逆? 我々がおまえらに従う…………ってコト!?」
「ハーティが従う相手は御館様だけだ! ――はっ、おまえらは御館様だった……!?」
「ああもうぐちゃぐちゃじゃないのォ! お願いだからもうちょっと人質の解像度上げてから喋ってくれますかぁ!!」
頭バグるわマジで!
私がリアルに頭を抱えて叫びをあげると、そこにむにゃむにゃと小さな声が聞こえてくる。
「おじょう……」
「! リゼ、」
「うるさい…………すぅ」
「「「…………」」」
コイツ今、寝ながら主人に苦情言ったか?




