444話_sideout_黒い森
碧い炎雷が形作る大剣を肩に担ぎ、シリウスは辟易と呟く。
「埒が明かねえな」
彼の視線の先には、剣の間合いにはだいぶ遠過ぎる場所で同じく佇んでいるフェンリスの姿があった。闇のマントを蠢かせて、漆黒のバスタードソードを片手に構えているフェンリスは、焦れたようなシリウスとは対照的に寛いだ雰囲気だ。
両者の間に横たわっているのは底の見えない巨大な亀裂。
この場所がほんの数分前まで平坦な地面で、奈落の如き巨大な亀裂は、ぶつかり合う斬撃によって刻まれたものであると果たしてどれだけの者が信じられるだろうか。
奈落の対岸に立つシリウスに向けて、フェンリスがまるで知己にでも接するように気楽な調子で声を掛ける。
「どうしたよ旦那。イライラして」
「……こうも露骨に時間稼ぎされちゃあ、ムカつきもするぜ」
「そんなつもりはねえんだがな」
隙を見せないまま器用に肩を竦めてみせるフェンリスに、シリウスは顔を顰めた。
この程度の苛立ちや焦燥でパフォーマンスに影響を出すほどシリウスは若くないが、状況の不味さは如何ともしがたい。同時に、フェンリスの言葉が誤魔化しではない率直なものであると理解もしている。シリウスは元より、フェンリスとて徒に戦闘を長引かせるつもりなどなくて、倒せるものならとっとと済ましたいところだろう。それがシリウスを以てして『埒が明かない』状況になってしまっているのは、偏に両者の実力が拮抗してしまっているからである。
両者のぶつかり合いは、ただの剣戟によって行われた。
虚飾搦手一切なしの、単純明快な剣のコミュニケーションである。
それが最も話が早いと互いに理解している。
お見合いをしていてもそれこそ埒が明かない、とシリウスは大剣を構え直す。動作に応じて彼を取り巻く碧い炎のオーラが輝きを強めた。
魔法というものには必要に応じて都度発動する選択式のモデルと、一度発動させれば条件を満たす限りにおいて自動で効果を維持し続ける常駐式のモデルが存在している。シリウスが纏っている碧炎は後者の魔法であり、彼が全力戦闘を行う際には基本的に共にあるといえる、ある意味で戦装束のような魔法であった。
その名を『真火兵装』という。複合的な効果を包含した高度な多目的魔法であるが、その最も強力な効果とは攻防一体の爆裂反応装甲である。シンプルに強力なその能力とは、術者に降りかかるあらゆる脅威に対して過剰爆撃を以て自動対応することだ。簡単に言えば、触れた敵性体や遠隔魔法を爆破・排撃するのである。当たり前だが爆撃の威力は全て外向きに処理され、至近距離の爆発で術者がダメージを負うことはない。自身の魔法なのだからそりゃあ当たり前だろうと言うのは容易いが、行うは難しの典型である。
英雄伯シリウス・ツェザル・ダンクーガが戦闘態勢を整えた結果のおまけとして展開されるこの常駐魔法と、フェンリスという魔物が常から纏っている闇のマントは実のところ同系統かつ同等の高度さを有する魔法であった。
つまるところが、互いに纏った戦装束が雑多な小細工を勝手に引き潰すので、この両者の一騎打ちは最大火力による叩き合いにしかなり得ないのである。要するに、剣士にとっての最大火力それ即ち斬撃であった。
切っ先を天に向けて両手で大剣を構え、シリウスは魔力を開放する。
逆巻く碧い炎が雷を伴って、火花を咲かせる。
魔力そのもので象られた武装である炎雷の大剣は、集束する火花を片っ端から喰らって刀身を膨らませていく。
シリウスは英雄伯という肩書の貴族であるが、同時に歴戦の討伐者でもある。
相対するフェンリスが魔物である以上、ここは討伐者の戦場に他ならない。
そしてシリウスという討伐者の戦理は極めてシンプルだ。
古の英雄の末裔であるシリウスと、その息子であるルークはともに雷属性の魔法使いである。息子のルークが雷という現象の『光』としての側面が強く現れた魔法を得意とするのに対して、親であるシリウスが得意とするのは雷という現象の『熱』としての側面を引き出すことだった。ちなみに息子のルークが『二つ名』という栄誉を手にするに至った直接的な理由とも言える魔法が、自身の肉体を雷と化す『昇蒼転雷』なる魔法であるわけだが、ルークがこれを構築するにあたって手本としたのがシリウスの『真火兵装』であった。しかしながら何故か完成系がお手本とは似ても似つかない何かになってしまったのは、ルークの天性の才能が為せる業か、あるいは単なる適当思考がなんか上手いこと噛み合ってしまった結果だとシリウスは考えていた。
ともかく、本来は雷属性の遣い手であるシリウスが炎属性を併用することを好み、効率に劣るはずの異属性を実戦レベルに練り上げることが出来たのは、そもそも彼の雷属性が炎としての側面を強く発揮するものであったからだとも言える。
よってシリウスの戦理とは『熱』だ。
これは現象的な意味でもあるが、それ以上に心情的な意味だ。
冗談を言っているわけではなくて、メンタルが性能に直結する魔法使いにとってはこれ以上ない程の真理。
誰がどう見ても強いものは強い。それを愚直に信じて実行するから更に強い。
ガツン! と爆炎を噴き上げてシリウスの大剣が咆哮する。
「まどろっこしいのは止めだ。コイツで決めよう」
簡単だろう? とそう言わんばかりにシリウスは、男くさい風貌に少年のように挑戦的な笑みを見せる。
大きければ強い。
速ければ強い。
火力とは、即ち『火』の『力』である。
強大な敵は、より強大な得物でぶった切る。
これこそが討伐者として磨き上げられた現代の英雄が辿り着いたバケモノ退治のフォーマルであった。
「……いいねぇ。俺も嫌いじゃねえぜ。そういうノリ」
対するフェンリスも負けじと獰猛な笑みを見せ、その手に携えた漆黒のバスタードソードを燃え上がらせる。
それは炎の特性を備えた闇であった。揺らめき、湧き立つ、漆黒の業火。
燦然と輝く炎雷に対抗する、重く厳かな闇炎。その黒が司るは闇の権能。引き摺り込み、轢き潰す、無慈悲なる引力。いつかに昇格者との戦いで見せたように、フェンリスが掲げたバスタードソードを起点として、周囲の全てを巻き上げ併呑する黒い極光が顕現する。
世界を拉ぐ、破壊の具現であった。
互いの剣はこれ以上ない程に吼え猛り、巨大な奈落の亀裂を挟んで対峙していた両者は、一歩すらも動くことなく相手を斬撃の間合いに捉える。
合図など無く、撃発は同時である。
「「――ッ!!」」
一閃。
碧い斬撃と黒い斬撃が中点でぶつかり合い、一瞬のインパクトの後、鍔ぜり合うことなく互いに弾かれる。
流動する強大な力の具現であるそれらに、静の戦いは存在しない。
ただ只管に、衝撃。後、更に衝撃。衝撃――
二閃。
三閃。
打ち合うほどに加速度的に周囲の世界が壊れていくようだった。撒き散らされる衝撃波が地面を、木々を、岩塊を爆砕し、破片と為して噴き上げる。逆巻く碧い烈火に触れた全てが灰燼と帰し、蠢く黒い業火に触れた全てが微塵に圧されて併呑される。
何もかもが生き残れない。
ただ、剣を振るう互いを除いて。
剣閃が十を数えた頃、ついに二人の立つ地面が限界を迎えて崩れ、奈落へと呑まれる。足場がなくては十全に振るえぬ、と示し合わせたように判断したシリウスとフェンリスは、予定調和のように攻撃を中断して全く同じタイミングで後方へと跳ねた。
地面を割り砕いて掘った先には偶然にも地下溶岩流が存在していたらしく、底の見えない奈落が瞬く間に赤々とした溶岩で満たされぐつぐつと煮え立つ地獄の様相を呈し始めた。
しかし、そんなことは関係がない。
奈落が溶岩に変わろうが、そのせいで遠い間合いが更に開こうが、シリウスの戦理は明快だ。
だったら剣をもっと大きくすればいい。
轟! と火花を噴き上げて巨大化した碧い刀身を見据え、フェンリスもまた『そうこなくては』と言わんばかりに黒い刀身を――
「あ?」
ふいに、フェンリスが明後日の方角を見遣って眉を顰めた。
それは僅かながら明確な隙であったが、狙い撃つには流石に間合いが遠過ぎて、シリウスは虚を突かれた形になる。睨むシリウスを横目に、フェンリスは仕方がなさそうな顔をして溜息を吐いていた。
「ったく。チビラギのやつ……」
そして何故か、その手に構えていた黒炎の剣から魔力を霧散させ、肥大化していた刀身がみるみる小さくなっていくではないか。あろうことか、大剣の媒介となっていた元のバスタードソードですら、闇色の魔力炎の中に解けるように消してしまい、フェンリスは完全な無手となる。
事情は一切わからないが、無論ここで剣を引くシリウスではない。フェンリスが何も考えずに対抗手段を消して無防備になったなどとは少しも考えていなかったが、それはそれとしてシリウスの手元には剣があり、振れば届く距離に敵がいる。
ならば斬る。当たり前である。
そうして斬撃を放とうとするシリウスに、ようやくフェンリスが注意を戻した。
「悪くない時間だったが、ここまでだ」
構わず、シリウスは剣を振る。
「今のうちに言っておくが――」
フェンリスが何かを言い掛けるが、構わずに振り抜かれた碧い大剣が、まるで炎の津波のようにフェンリスが存在する空間を薙ぎ払って通り抜けた。
「……なに?」
フェンリスは躱しもしなかったし、敢えて防ぎもしなかった。シリウスの高火力のせいで半ば以上融解して溶岩の仲間になりつつある地面に突っ立ったまま、攻撃を素通しさせていた。
無論、無傷などではない。フェンリスが身に纏っていた闇のマントが根こそぎ消えている。高度な常駐魔法であろうそれを丸々犠牲にしてシリウスの攻撃を乗り切ったのだ。
――などとは、シリウスは考えていなかった。
(…………なんだ? 今なにをしやがった)
警戒がシリウスの追撃をとどまらせる。
本当にフェンリスが何もせずに攻撃を受けたのならば、マントが消える程度で済むものか。そんなちゃちな火力では断じてない。
だから違う。むしろ、フェンリスは自ずからマントを捨てたのだ。邪魔だとでも言わんばかりに。
そして、言い掛けたフェンリスの言葉の続きが紡がれる。
「――俺は別に、手を抜いてたわけじゃない」
「ああ?」
「要するに、事情があったってことだ」
要領を得ない言葉にシリウスは顔を顰めつつも、フェンリスから警戒を逸らしはしなかったし、視線を外すこともなかった。
だが、だからこそ、フェンリスがいつの間にか片手に握っていたそれが、どこから現れたのかわからなかった。
「アンタ相手に、これを使うわけにはいかなかったんでな」
言って、フェンリスが抜き放つ。
それは白く静謐な光を湛えた、一振りの細剣であった。
シリウスの大剣や、フェンリスが先程まで振るっていたバスタードソードに比べると、あまりにも華奢で頼りない、細く儚い剣であった。そんなものが一体なんなのかとシリウスは思考を跳ね除けようとして、目を見開く。
「これを使えば、流石に気付いちまうだろ?――――俺が何なのか」
まさか、とシリウスの口が動き掛けた瞬間の出来事であった。
まるで前兆もなく、フェンリスの身体はシリウスの眼前に迫っていた。油断も隙も無かったはずの、歴戦の勇士に対して、息をするようにいとも容易く、細剣の間合いの中にまで踏み込んでいたのだ。
そして一閃。
先程までの激突に比べれば、やはり小さく儚い、白い光。
その光は、抵抗感すらなくするりと、シリウスの碧い大剣の刀身を両断していた。
「――ッ!?」
斬撃としての、格が違った。
鍔迫り合いがそもそも成立しない。
何故ならば、刃を合わせた時点で一方的に断ち切られてしまうからだ。
「実は、細剣が本領なんだよ」
気安い言葉と共に振るわれる小さな刃に、シリウスは己の首が落ちる光景を幻視する。
「――クソッ!」
直後、炎が弾けた。




