441話_side_Militear_黒い森
~"もう一人の転生者"ミリティア~
なんだか、奇妙な感覚があった。
ここ最近の日々に対してだ。
スレイさんからの情報提供もあって、ここで起きている異常事態の元凶が魔公ベルフェルテであるということはほぼ確定した。王宮での開催を目前に控えた王太子殿下の誕生パーティーを思えば、魔公勢力がことを起こすならばそこに重ねてくる可能性が高い。各地の有力な貴族の多くが王都に向かい、相対的に地方への関心と即応力が低下するからだ。
ベルフェルテの存在を知らずとも、水面下で何らかの陰謀が蠢いていて、件の日に何かが起こると予見している者は少なくないだろう。
だから、奇妙だ。
きっと多くの人が頭のどこかでそれを予見しつつも、ただ粛粛と日々を過ごしている。
少々異常な日常と状況に疑問を抱きつつ、ただ漫然と進んでいく。
まるで、見えない大きな力に飲み込まれて、抗いようのない流れの中を進んでいるみたいだ。流れる水は透明で、冷た過ぎず清涼だ。単純に居心地がいい。故に流されていることに危機感もなく、抜け出そうとも思わない。
かくいう私もその一人で、魔公に対する脅威を覚えど、事態に対する焦燥を覚えど、それに対抗する意思があれど、結局何をするでもなく、気付けば日々は進んでいるのだ。
来るべき日に向けて、流れは収束していく。
――なので、ある意味でそれは、予想外の襲撃であった。
シリウスさん率いるパーティーの一員として黒い森で活動していた私達は、突如として碧い光に包まれた。視界全てにフィルターが掛かったように、見慣れた黒い森の景観が『碧』を帯びたのである。
先頭を行くシリウスさんを筆頭に、私達は即座に戦闘態勢を整えて周囲を警戒する。私とミアベルを含めた六人パーティーと、私の護衛であるリゼルの計七名の戦力がここには居る。
「……おいおい。パーティーには早くねえか?」
挑戦的な笑みを浮かべたシリウスさんがぼやくのが聞こえる。
王太子殿下の誕生パーティーの開催日は明日だ。誰もが、仕掛けてくるならばそこだと、なんとなく察していたからこそ、今日このタイミングでの襲撃は予想外であった。
そう、襲撃だ。
私達の視界に降り掛かった碧は、広域に展開した結界魔法の効果であった。前兆もなく発動した碧い結界に、私達はなす術もなく取り込まれてしまったのである。
下手人は、すぐに姿を現した。
「――わりいが、それとは別件だ」
私達と相対するように前方から現れたのは、漆黒の装備で全身を固めた一人の男であった。
鍛え上げられた屈強な長身に、騎士の礼装を思わせる軽装の甲冑を纏う。甲冑には精緻なエングレービングが施されていて、碧い魔力で脈打つように明滅していた。闇を凝固させたような色彩のマントを羽織っていて、それはまるで生き物のように不定形に蠢いている。
荒々しい黒い頭髪にはクラウンを思わせるアシンメトリの角が並んでいて、その下の男らしく整った容貌には、魔物特有の反転瞳がある。
どこか既視感のある翡翠色の右眼に、莫大な魔力を燻らせる碧い左眼のオッドアイだ。
原作を知っている私には彼の正体が一目でわかったし、そうでなくとも明らかであったことだろう。少し前にバッヘル男爵領で発生した事件の情報は共有され、討伐者達に広く注意喚起が行われていたからだ。
黒衣を纏った若い男性体の魔物――――フェンリス。
等級は低く見積もってもCランク。実際はおそらくBランク。即ち、討伐者で言うならばシリウスさんと同じ『レベル4』相当。
碧い左眼を媒介にして結界を展開しているフェンリスを前にして、警戒を強める周囲の人達とは、私一人だけ別種の動揺を覚えていた。
だって、そうだろう。目の前の男を見ろ。こんなにフェンリスだ。
そして、ここには居ないがベルフェルテは居るのだ。
私は知っていたのだ。彼等が現実に存在していて、暗躍もしていて、どれほど危険な魔物であるのかを。
だというのに、何故、今の今まで、私はそれを誰にも告げなかったのだ。
厳密にはレックスやスレイさんには話しているが、それとて最初から事情を知っている人達に共有していただけだ。そうでなく、例えばシリウスさんや、あるいはミアベルにこれを教えなかった理由が自分でもわからないのだ。
こうしてフェンリスと相まみえて、取り返しのつかない事態に追われてようやく、今更になって疑問を抱けたのだ。
そうか。これは――
「……怠惰?」
知らないはずのなにかがぽろりと口をつく。
無意識だった。
だからこそ私は咄嗟に叫んでいた。
「魔公ですっ!! 気を付けてッ!!」
同時、
「まあ、そういうこった」
爆発的に踏み込んだフェンリスがありえない速度で間合いを詰め、黒焔の中から抜刀したバスタードソードでシリウスさんに斬りかかっていた。
シリウスさんは反応していて、彼の碧い魔力で編んだ魔力の大剣で以て受け止める。シリウスさんの魔力の碧は、フェンリスのそれとよく似ているが若干だけ色彩が淡い。シリウスさんは初撃を防いだが、そこに余裕はない。身体強化魔法を加味したとしても、人間である彼と魔物であるフェンリスには厳然たる膂力の差がある。だからフェンリスが片手で振り下ろしたバスタードソードを、シリウスさんは両腕で大剣を握って渾身で受けねばならなかった。
フェンリスが剣を握らない片腕を翳し、碧い魔力を集束させる。
魔力の集束から魔法の結実までの速度が早すぎる。殆ど連撃と言ってもよいタイムラグで繰り出された二撃目。
『――Dignify,』
割り込んで響くのは魔法言語の音声による詠唱。
シリウスさん以外で唯一フェンリスの速度に反応していたミアベルが握る、マギアドライブ式の片手剣が発した声であった。
「でえぃ!!」
雑多な魔物であれば二秒で両断するミアベルの魔力斬撃が、フェンリスの二撃目を横合いから弾き飛ばす。
信じられないことにフェンリスには傷一つなく、顔を顰めてミアベルを一瞥しただけであった。
「アンタの相手は俺じゃねえよ」
意味深なことを言うフェンリスのマントに弾かれ、ミアベルが悲鳴を上げて飛んでいく。その隙を突いて大剣を操り反撃を繰り出したシリウスさんをいなしつつ、フェンリスは飛び退いて距離を取った。
そこでようやく動くことが出来た私は得物の弓を構え、魔力の矢を番えようとする。そうしてフェンリスを注視した瞬間、
「お嬢ッ!!」
「っ!?」
リゼルの叫びとともに、私の頭上でなにかがぶつかる音が聞こえ、そして視界にひらりと羽毛が舞い散る。なにか大きなものが羽音を立てながら飛ばされ、そして私の頭上に陣取ったリゼルはいつの間にか転神していて、アヴァターの翼を雄々しく広げていた。
『劈く矛先ぅ!!』
深緑色の豪風が鋭利な槍となって飛翔する。
発動速度を重視したための宣言によって威力が減衰しているとはいえ、歴とした風属性上級魔法である『劈く矛先』の連弾を、向けられた相手はあろうことか徒手空拳で捌いて見せた。
対抗するようにばさりと翼を波打たせるのは、鳥獣の特徴を有する人型の魔物であり、フェンリスの従者の片割れである魔物メイドのハーティであった。肌の露出が多過ぎる改造メイド服と、作中最強の爆乳が特徴的な人外キャラだ。
「うむ! よい反応だ! 同じ鳥族としてハーティも鼻が高いぞ!」
『え。あざっす』
思考レベルが同じっぽい会話はともかくとして、察するにフェンリスに気を取られた私を、ハーティが頭上から不意打ちしてきたのだ。そこにリゼルが間一髪で割って入ってくれて、直上から迫るハーティを撃墜してくれたということだ。
その時、他方からも魔力の弾ける衝撃と轟音が聞こえてきて、見れば残りのパーティーメンバーのほうにも敵の襲撃があったらしい。立ち昇る砂煙のせいでよく見えないが、その中で蠢く触肢のシルエットと、巨大な鋏を打ち鳴らすような異音から判断するに、もう一人の魔物メイドであるスコールの仕業だろう。
なんということだ。
強引な力技で、あっという間に戦力を分散させられた。
私の知識ではフェンリスの配下は魔物メイドの二人だけだったが、バッヘル領での目撃証言やスレイさんからの情報提供によれば、もう一人居るはずだった。
スメラギと名乗る、黒髪の少女が。
彼女がどこに居るのかはここからではわからないが、味方と分散させられた今、差し当たり私はリゼルと二人で眼前のハーティをどうにかしなくてはならない。私なんて戦力的にはクソザコナメクジも良いところなので、完全にリゼル頼みなのが辛いところだ。
「――――おい! お前等!」
スコールが巻き上げた砂煙のベールの向こうから、剣戟の音に混じってシリウスさんの呼びかけが聞こえてくる。
声が明瞭に届かずとも、リゼル以外は彼の連繋魔法に参加しているので、その意思は明瞭に伝わってくるのだ。
「俺がコイツをぶっ倒すまで、なんとか生き残れ!!」
そのなんとも大味な指示に、私を含めた全員が『了解』と応じた。
ちゃんとミアベルの意思も感じて、今のところ全員が無事だ。
私達を異空間に隔離して閉じ込めている結界を維持しているのはどう考えてもフェンリスなので、私達が現状を脱せられるかどうかは、彼と一騎打ちをしているシリウスさんの戦果に掛かっているわけだ。
つまり、彼がフェンリスを打倒するか退かせるまで、私達はハーティを引き付けておかねばならない。
「随分と周到な襲撃ね。なにが目的?」
時間稼ぎの意味もあってハーティにダメ元で問い掛けてみると、彼女は若干浮遊したまま両腕を組んで、たぶん無意識だと思うが巨大な乳を更に強調する姿勢で以て答えた。
「ハーティ達の目的は二つある。一つはおチビの手伝いをすること!」
「おチビ? もしかしてスメラギのこと?」
「うん! 御館様がチビと呼んでいるので、ハーティ達もそれに倣うことにしたのだ!!」
「おチビさんの目的は?」
「知らんっ!!」
なんだろう。訊けば全部教えてくれそうな雰囲気があるけど、そもそも全然知らない雰囲気もある。
そういえば原作登場時からして見た目通りの鳥頭キャラだったもんなぁ。というかハーティが喋るたびに例のアレの自己主張が……。
そこで、私の頭上に滞空しているアヴァター姿のリゼルがぼぞりと呟く。
『ちちたぷ』
「うるさい」
『お嬢の反応速度がえげつない件』
僻みではない。過ぎたるは及ばざるが如しという言葉がある。何事も程々がいいのだ。乳とか。
『お嬢のは程々も無』
「うるさい」
あとはそう。あれだ、チタタプへの風評被害とか。よくないから。ウン。
「大きくなりたければ牛乳を飲め! このハーティが言うのだから間違いないぞ! うむ!!」
「貴女もノッて来ないで……」
ちょっと牛乳飲もうかな、とか思ってないから。ほんとに。
いかん駄目だ。この鳥どもに好き勝手に喋らせたら、この場だけシリアス空気が死んでしまう。
それはそれで時間を稼げるならば悪くはないのだが、まあ流石にハーティもそこまでお気楽ではないだろう。
「もう一つの目的は?」
軌道修正のために私が尋ねると、ハーティは「うん?」と唸って首を傾げた。
コイツまさか、ほんの少し前に自分が言ったこともう忘れてる。
「目的は二つある、って貴女が言ったんでしょ」
「おお! その通りだ! おまえよく覚えてたな!?」
『どうしようお嬢。ちょっと親近感湧いてきた』
「私は頭が痛いわ。すごく」
『おいたわしや』
半分はおめーのせいだよ!
本気で頭痛がしてきた私に、ハーティがびしりと指を突き付けた。
……え?
「ハーティ達の目的、一つはおチビの手伝いをすること! そしてもう一つは、おまえを確保することだぁ!!」
「は? 私? なんで?」
ちょっと待って意味がわからない。
なんで私がフェンリス一行に狙われなくてはならないのだ。
そんな『何故私なのか』という疑問に、ハーティは例によって自信満々に答えた。
「ピンクと一緒に居る少女が有格者である! つまりたぶんきっとおまえのことだろ!?」
『まずピンクが誰だよ』
「さっき御館様に吹っ飛ばされたやつ」
「ミアベル?」
「そうそれ。そのピンク」
ああ成程、ミアベルのストロベリーブロンドのことね。
つまりハーティ達は、『ミアベルと一緒に居た少女』とやらを確保するのが目的の一つというわけか。
うーん。
「……それほんとに私?」
『対象範囲広過ぎてウケる』




