補完[スノードロップ-11(end)]
・昨日も更新しているのでまだの方は前話からどうぞ。
~"ソウルジャック"ヘルガー~
静かに目を開く。
メアリ・ラハール・ロンベルクの魂の部屋だ。
「ああ…………ダメだ」
思わず呟く。瞬間でわかった。この魂は真面ではない。
魂というものは非合理、違和感、不自然というものをとかく嫌う。健全な魂にはそういうものが存在しない。逆に言えば、それらが存在する魂とは須らく健全ではない。
残念ながら、あたしにはこの感覚に覚えがある。例え覚えがなかったとしても何故かわかるのが魂を見るという行為なのだが、これに関しては違う。あたしはほんの少し前にも、ある人の魂を見た際にこれと同じ不自然さを感じたことがあったのだ。
ロンベルクの魂の部屋は一室の中に階段を有する階層構造になっていた。目覚めたあたしが立っていたのはその一番下のフロアだ。正面には幅広の階段が上へと長く伸びていて、その左右にいくつかのフロアが造られているようだった。どちらかというと、部屋そのものが階段状になった斜めの空間であるといったほうが近しいかもしれない。
現実の建築様式的にはちょっと見たことがないこの造りが意味するところとは、
「上昇志向……かな」
あたしは外と同じ旅装姿をしてこの場に居た。他者の魂においては異物であるあたしが随意の姿を保てていることと、魔法具による補助があったとはいえ一瞬の交錯で難なく『ソウルジャック』を成功させられたことから、ロンベルクの魂はかなり弱っているのだと判断出来る。
室内は明るく、清潔だ。あらゆる情報にはロンベルクという少女の今を表す意味がある。
特徴的なのは、中心の階段を隔てて左右で部屋の趣がまるで異なっていることだ。あたしから見て右手側は草木を思わせる褐色系の色彩。よく言えば長閑で、悪く言えば田舎くさい印象の素朴なオブジェクトが目立つ。全体的に木目調で、調度品にもハンドメイドの雰囲気がある。窓から見える外の景色はどこまでも続く麦畑。陽光を受けながら風に揺れる姿はまるで黄金色の海原みたいで、雄大で美しい光景だと思った。
きっと、ロンベルク伯爵領の原風景なのだ。
対する左手側は一変して石と金属を思わせるモノトーンの色彩だ。鋭利で硬質な趣が漂い、オブジェクトも職人細工を思わせるアーティスティックなものが目立つ。窓から見える景色は煌びやかな町並みで、どことなく王都の風景を思わせる印象だった。
故郷の景色と王都の景色、その二つが並びあってメアリという少女を形作っている。
「…………やっぱり、よくないよね」
誰の魂を見ても、必ず思うことだった。
罪悪感。
あたしはこれでもう、ロンベルクがどういう人物であるのかがだいたい理解出来てしまう。そしてそれは人間関係における反則であり、個人の尊厳に対する冒涜に他ならない。
ロンベルクは同級生間の評判でいえば、どちらかというと否定的な意見が多い少女だった。彼女に対する人物評が出回り始めたのが夜会の一件を切っ掛けとしていたので、それによるバイアスが掛かっていたことは否定出来ないが、それにしたってロンベルクがやらかしたという事実に対して『まさかそんな』ではなく『やると思った』という意見が主流を占める程度には、彼女の素行に問題があると思っていた者は多いのだ。
だけどあたしは今、ロンベルクのことがちょっと好きだ。
彼女は都会に憧れる田舎の少女だ。だけれど彼女は田舎だと思っている故郷のこともちゃんと好きで、流行の先端に憧れてまっすぐに自らを磨いている。だって彼女の魂は、こんなにも綺麗だ。
正確には――
「綺麗だった」
学院での彼女の振舞いは褒められたものではなかった。それが彼女が元来持っているよくない内面の現れであったのか、あるいはもっと別の理由が齎したものであったのか、当時の魂を見ていないあたしには判断のしようがない。だから今のあたしにわかるのは今の魂を見て判断出来ることだけで、ロンベルクという少女は本来はまっすぐで綺麗な人物であるということだ。
人の魂は不変ではないし、内実と外面が一致していないことだってある。今この魂が綺麗だからって、学院に居た頃の彼女が清廉であったとは言い切れない。
ただ、あたしが言えることがあるとすれば。
メアリ・ラハール・ロンベルクの魂にちょっかいを出してよからぬことを企んだ輩は、絶対に存在しているということだ。
綺麗なはずのこの魂を淀ませている宵色の違和感。これこそが今のロンベルクの異常の根源であるということだけは断言してもいい。
「…………」
淀みの正体を確かめねばならない。
あたしは歩を進め、正面に見えている階段を登り始めた。
左右に見えるフロアには、やはり右手側には故郷を象徴するオブジェクトが、左手側には王都を象徴するオブジェクトが飾られている。極めてプライベートな部分であるそれらのオブジェクトを極力注視しないようにして、あたしはただ上だけを見上げて階段を上っていく。
あたしが見るべき場所は、この上にこそあるのだと感覚的にわかっていたから。
一番上まで辿り着くと、最上部のフロアはギャラリーになっていた。
多くの魂に必ずと言っていいほど存在するオブジェクトである、肖像画や風景画などの絵画を飾る場所だ。故郷を象徴する右手側と、王都を象徴する左手側に分かれて上ってきた心象風景は、最上部のギャラリーで合流して居たのだ。
これまでの傾向的には、記憶力に優れた人ほど魂の部屋に飾ってある絵が多くなる。あたしがこれまで観測した魂の中で最も多くの絵を飾っていたのはアシュタルテであったが、ロンベルクは彼女にこそ及ばないが相当に多い部類だ。
本当に色々な絵があって、故郷や王都の景色を描いた風景画は、ロンベルクにとって思い出深い記憶のワンシーンを捉えたものだ。あるいは家族や学友を描いた肖像画や、彼等と過ごすロンベルク自身の姿を描いたものもある。その中に散見されるクレインワースの絵を見れば、ロンベルクがどれほどかの令嬢を尊敬していてまっすぐな憧憬を向けているのかがよくわかる。それから、これはあたしもあんまり見たことがない例なのだけど、ドレスや装飾品を描いたものも多い。ロンベルクという少女は、人一倍そういう分野に関心が強いのだろう。
そして。
それら全てを覆い潰すように。
「…………やっぱり」
あたしは『それ』を見据えて歯を食いしばる。たぶん、外ではあまり見せられないような凶悪な形相になっていると思う。
それほどまでに許し難く、怒りを煽る光景であったのだ。
ロンベルクの大切な記憶を飾ったギャラリーを、台無しにしやがった奴が居る。
まるで、血色の塗料をぶちまけたようだった。
巨大なブラシでも使って描いたような、稚拙で軽薄な落書きだった。
飾られた絵画の上からべっとりと塗りたくられているそれは、血色で描かれた巨大な『笑顔』であった。
こんなにも不愉快な笑顔は、あたしを以てして初めて見る。
言ってみればそれはただの記号だ。弓なりに笑った目のアイコンと、にっこり微笑んだ口元のアイコンを合わせただけの、よくある構図でしかない。所謂『にこちゃんマーク』とか『スマイリー』とか呼ばれる、ごく一般的なデザインだと言えばその通りだ。
だけどこれは違う。
そもそもこれは笑顔ではない。笑顔の形をした黒い感情――即ち『悪意』だ。
『黒いスマイリー』
負の感情を煮詰めて出力したら、たまたま笑顔に似た何かになった。そんな代物でしかない。
「…………つらかったよね」
こんなのあんまりだ。
大切な記憶に悪意をぶちまけられているのだ。それが笑顔の形をしていたせいで、ロンベルクはああなってしまった。黒いスマイリーはどちらかというとギャラリーの左手側、つまり王都に関連する記憶のほうを汚しているので、これが意図的にされたことだとすれば、ロンベルクが学院に復帰するために王都に戻ってきたらああなるように仕込まれていたのだ。
王都の街並みが、道行く人々が、そして学院生活を共にしていたメイド達が、ロンベルクの記憶の中で王都を連想する全てのものが、歪んだ悪意によって彼女に嘲笑を錯覚させるのだ。きっと、それでもこれは最悪の事態ではない。もしロンベルクがエンディミオンに辿り着いてしまってからこれが起きていたら、もっと取り返しのつかない事態になっていたはずだ。
「許せない…………!」
握った拳が震える。
こんなに怒ったのは生まれて初めてだ。
一体誰がなんのつもりでこんな真似をしたのか。一体何様のつもりなのか。
しかもあたしは、これを見るのが初めてではない。
ロンベルクの魂に踏み込んで、違和感を覚えた時点でわかっていた。
あたしはこれを知っている。この下手人の手管を知っている、と。
何故ならば、あたしはこれと全く同じものをリヒトベルガー先輩の魂の中でも目にしているからだ。
即ち、リヒトベルガー先輩を貶めた存在と、ロンベルクを陥れた存在は同一人物であり。
そしてその冒涜的行為を遊び半分に顕示するようなクソやろうだということだ。
「他人の魂を使って遊んでる…………ふざけやがって」
許せない。絶対に許してはおけない。
あたしの『ソウルジャック』とて、結局やっていることは同じだと言われればその通りだ。だけどあたしは他人の魂に利己的に干渉することをよしとはしないし、そうならないように自分を律しているつもりだ。
何の保証もないあたしの良心だけのリミッターで、自己満足。
それはそう、その通り。
しかしだからこそ、あたしは絶対にこれを見過ごすことは出来ない。これに気付けるのはあたしだけで、止められるとしたらそれもあたしだけ。
「『ソウルジャック』はくそ魔法だ」
他でもないあたし自身がそう思う。
だけど、あたしはそのくそ魔法をせめて正道に使うと決めたのだ。
魂を介して他者を貶めることを厭わない輩が存在するというならば、それを止めるのが『ソウルジャック』を与えられたあたしの使命だ。
……倒すべき敵を見付けた。
きっと今、この瞬間、あたしという人間が定まったのだ。
「――――というわけで、よーしやるぞぉ!」
以前のあたしとは違うのだ。先輩の一件を通して少し成長し、少し自信を付けたあたしは、最早無力ではない。
こと魂の中においては、それなりに出来る魔法使いなのだ。
魂の部屋の中だから出来ることがある。あたしはそれを、誰かのために使うのだ。
「顕現!『もっぴー』!」
取り出したるは二度目の出番。かつてちょっと前に先輩の魂をキレイキレイするためにあたしが生み出した最初の相棒。魂から不純物を抹消する無慈悲なイレイザーことモップのもっぴーである!
ちなみにマジでただのモップ。
続けてバケツと水を顕現し、あたしはもっぴーをそこに浸す。旅装の上着を脱ぎ捨て、ついでに服も靴も脱ぎ、身軽なインナー姿になって髪も結い上げ、両手でもっぴーを構える。
「水ヨシ! ばけつヨシ! もっぴーヨシ!」
見据えるは、血色の塗料のようなもので描かれた、巨大で醜悪な『黒いスマイリー』。
あたしの身の丈よりも全然巨大で、こびり付き、染み付いた塗料は濡れたモップで擦った程度でどうにかなる汚れではあり得ない。
もしここが、現実空間であれば。
しかしここは魂の部屋。
ことこの場においては、あたしはわりと結構すごいし!
「大切な記憶を守り、不躾なくそやろうにはお帰り願う。今日からあたしは『魂の守人』!!」
さあ――――ピッカピカにしてやんよ!
◇◇◇
静かに寝息を立てるロンベルクの顔をベッドサイドから眺めていると、彼女の長い睫毛がふるりと揺れて、それからゆっくりと瞼が開いた。あたしの視線の先で露になったロンベルクの瞳は、ピンクとオレンジの中間みたいななんとも言い難い不思議な色味をしている。
薄く張った涙で潤みを帯びたその瞳がとても綺麗だと思った。
「…………貴女か」
ロンベルクはあたしの姿を認めると、溜息のような声で呟く。
元気はないが落ち着いた様子に、あたしはこっそり安堵の息を吐いた。ロンベルクの視線が何かを探すように室内を彷徨うので、あたしは彼女のお付のメイド達が席を外している旨を説明した。突然の事態のせいで慌ただしく予定変更した帳尻合わせのために出ているのだ。要は王都での滞在先とか学院までの移動手段とか、予め手配していた分がまとめてパーになったので。なおそれはあたし達の旅程にも言えることなので、アイリスも同じ理由で外に出ている。
「私、どうかしてたの……?」
「うん。でももう大丈夫」
あたしが言うと、ロンベルクは「そう」とだけ言った。
それから彼女はぼんやりとあたしのほうを見た。
緋色と白色が入り混じったあたしの頭髪を眺めて、言うのだ。
「変な髪」
「……変かな?」
まあ変だろう。自分でもそう思う。
でもあたしは自分の髪が嫌いじゃない。アシュタルテが好きと言ってくれたから。あたしが毛先を手に取ってくりくりしていると、ロンベルクはその様子を眠そうな目で見つめていた。
「なんか、毒キノコみたいだわ」
あたしはきょとんとし、それから破顔した。
「ありがとう。うれしい」
するとロンベルクはきょとんとし、それから疲れたように目を閉じた。
「…………褒めてないっての」
「あたしにとっては、誉め言葉」
「無敵かよ。寝る」
ふて寝っぽく寝返りを打った彼女の態度に苦笑し、あたしは大丈夫そうだと判断して部屋の出口に向かう。もしかしたら誰かが戻ってきているかもしれないので、一度宿のロビーまで見に行ってみよう。
扉を開けて外に出ようとした時、背後から小さな小さな声が聞こえてきた。
だからあたしも、小さな小さな声で返す。
「……どういたしまして」




