補完[スノードロップ-9]
~"ソウルジャック"ヘルガー~
もうすぐ長期休暇も終わりかけというある日のこと、あたしは専属従者のアイリスと共に王都へと向かう鉄道馬車に揺られていた。広いとは言えないが、わりとちゃんとした座席を備えた個室車両である。若い女の二人旅はそれなりに危険を伴うので、財力にものを言わせて安全を買った結果、おまけでついてきた快適を享受している。要するに貴族御用達の高級列車の車中であった。
実家に帰省中のあたしがアンジュことアシュタルテからのお手紙を受け取った翌々日のことである。手紙の内容を確認したあたしは即日でアイリスに諸々の手配をさせて、父親からの了解を(一方的に)取り付けて出立し、シュヴァルツ伯爵領から王国南部の要衝であるエルンスト伯爵領を目指し、そこから王都直行便に乗車して今に至る。もう幾許もせず王都に到着する頃だろう。
「今のうちに確認しておきたい」
狭い車内、対面に設置された座席に座るアイリスに向けて口火を切る。ちなみに彼女の装いは実家のメイド服ではなく、旅用の外套姿だ。勿論あたしも似たような格好をしているが、あたしの場合は視線を誤魔化すために濃い色の着いたカラーグラスが欠かせない。
走行の振動で揺られて若干微睡んでいたアイリスはぱちくりと目を開け、申し訳程度に居住まいを正して聞く体勢を作った。
「はい。なんですかお嬢様」
「あたしはこの休暇の間、アシュタルテとは会っていなかった」
「はい」
「つまり、これから向かうブラッドフォードで彼女に会えたとしたら、それはひさしぶりの再会ということに…………なる」
「なんで溜めたのかわかりませんが、そういうことに…………なりますね」
ここまではまず、確認の前提だ。
前提を共有しておくことは大事だ。
つまり、ここからが本題。
「もし、アシュタルテに再会した時」
「はい」
「……い、勢いで、ハグとかしても許してくれるかな?」
「勢いで行けばワンチャン」
だよね。そうだよね。勢いが大事だよね。
気を付けなくてはいけないのは、如何に自然にアシュタルテの目を見ないか、である。彼女の美しい瑠璃色の瞳を見てしまったら最後、絶対にあたしの『ソウルジャック』が発動して魂の世界にご案内されてしまう。そうしたら勢いもクソもない。魂の部屋で中の人と触れ合うのもそれはそれでアリだけど、今回はそれじゃない。外のアシュタルテは魂の中での出来事を認識していないという事情もあることだし、あくまでも現実で、久し振りに会えた嬉しさで勢い余って抱き着いてしまうというシチュがいいのだ。
「も、もしかして……」
「はい」
「ひょっとしたらアシュタルテもぎゅっと抱き返してくれたり」
「可能性はあります。もしあれば激アツ」
だよね。そうだよね。ありえなくはないよね。
あたしという人間の好感度が試されている。ぶっちゃけそういう意味ではまったく自信なんてない。あたしは自分自身が他人から好かれる人物であるとは全然思えないし、あたし自身もそうそう他者を好きになったりしない性質だ。
でもアシュタルテは別だ。あしゅたるて無限にすき。
あたしが彼女を好きなように、彼女もあたしを好きであると、夢を見ることくらいは許されるはずだ。
「そしたら……そ、そしたらだよ?」
「はい」
「両想いなら、ほっぺにちゅーくらいは」
「ステイ。お嬢様ステイ。それは勇み足です」
アイリスに遮られ、あたしはハッとする。
危ない危ない、願望に飲み込まれて暴走するところだった。
そうだ、それはまだ早い。一気にことを進め過ぎてはよくない。仮にあたしが暴走してアシュタルテの頬に唇を触れさせたとしても、きっと彼女は怒ったりしないし、引いたりもしないと思う。そこで彼女が少しでも恥ずかしがるような表情を見せてくれたらあたしはその記憶だけを糧に半年くらい生きていけそうな気がするのだけど、まあ流石にそれは夢の見過ぎというやつだ。一番妥当な予測としては、たぶんアシュタルテは『しょうがないなぁ』みたいな顔を見せてくれるはずだ。いわば消極的肯定。
これなら大丈夫。むしろご褒美。きっとあたし「えへへ」とか言ってきしょい笑いでちゃうと思う。
でももし万が一、消極的否定が来たら。つまり『しょうがないなぁ』ではなく『こまったなぁ』である。この一見同じように思えるリアクションのニュアンスの違いは重要なのだ。そうなったらあたしは、いやちょっと待って想像しただけで辛くなってきた。
「きゅうにおなかいたい……」
「錯覚です。心を強く持ってください」
テディベアのプリムを持って歩くわけにはいかないので、現在彼女は丁重に梱包して荷物の中に仕舞ってあるのが悔やまれる。プリムはあたしの特効薬なので、彼女さえ手元にあれば謎の幻痛に苛まれることもないのに。
面倒くさそうに背中をさすってくれるアイリスのおかげであたしがなんとか落ち着きを取り戻してきた頃、彼女がふと思い付いたように呟く。
「でも、折角の機会だからちょっと背伸びしたお願いくらいはしてみるのも手かもですよ」
「なして?」
「だってほら、アシュタルテ様には手紙一枚でお嬢様を呼び付けた引け目があるでしょうから、全力でつけ込みましょうよ」
「……なして?」
えっとごめん、全然心当たりない。
アシュタルテがあたしを呼び付けたとかって何の話?
あたしが本気で首を傾げていることがわかったのか、最初は訝し気にしていたアイリスが徐々に『まさか……!』という顔つきに変わり始める。
「あの、お嬢様は、アシュタルテ様からのお手紙で呼び出されたので、こうしてブラッドフォードに向かっているのですよね?」
「え。違うけど」
「はぇ!? で、ではあの手紙の内容はなんだったんです?」
なにって、普通に相談事の打診だったけど。
手紙で全てを伝えることが出来ないので、休暇が終わる前に一度会えないかというものだ。都合のつく日を訊いてきていたので、おそらくアシュタルテのほうから会いに来てくれるつもりなのだと思った。と、あたしが説明するとアイリスの顎がかくんと落ちた。
「なんでその内容で、お嬢様が乗り込む方向に?」
「アシュタルテがあたしを必要としてくれてるから」
「だから、お返事出して待ってればよかったでしょう。先方にも都合ってものがありますから」
「わかる。でも無理」
あたしが断言すると、アイリスは「はあ?」と首を傾げた。『はぁ↓』ではなく『はぁ↑』であるあたりがアイリスクオリティ。
「今回の休暇を通して、あたしは一つ気付いたことがある」
「はい」
「この世には、アシュタルテと触れ合うことでしか補給できない栄養素が存在している。あたしにはそれが決定的に足りていない」
「……足りなくなるとどうなるので?」
別にどうもしないけど、強いて言えば、
「つらい」
「我慢しなさい」
「むり」
というわけで、あたしは彼女に会わなくてはならないのだ。一刻も早く。
◇◇◇
無事に王都に辿り着いたあたし達は、そのまま鉄道馬車を乗り換えて、王都環状線へと移動した。王都ってそもそもリヒティナリア王家直轄領そのものとか、その中心部の都を指して言う俗称なのだけど、王都環状線はその都を取り巻く円形の鉄道馬車路線である。ちなみに王国各地の交通要衝である四大伯爵領を結ぶ路線が所謂『王国環状線』で、王都環状線と呼び分けるために前者をアウターリング、後者をインナーリングと呼ぶことが多い。
南部エルンスト伯爵領からの王都直行便に乗ってきたあたし達が東部ブラッドフォード伯爵領に向かうためには、まずインナーリングで王都東の馬車鉄道駅に移動し、そこから東部行きの鉄道馬車に乗る必要があるのだ。
腐ってもお嬢様であるあたしは正直その辺ぜんぜん理解していないので、道中の経路は全部アイリス任せである。彼女が言うには、なんか今、王太子殿下の誕生日パーティーみたいなのが間近に控えているせいで王都を訪れる人が多くなっているのだとか。王宮で開かれるパーティーそのものには限られた者達しか参加出来ないのだけど、当然王都の街中でもお祝いの宴が開かれることになるので。
あたしは毛ほども興味が無いので「ふーん」って言っておいた。
「それにしてもお嬢様、いつの間にかだいぶ体力がついたのでは?」
「そうかな?」
アイリスに言われて思い返してみれば、確かに以前よりも結構マシになっている気がしてきた。
だって約半年前、エンディミオンに入学するために実家から王都まで殆ど同じ道中を辿った時には、ただ車両の座席に座っているだけで体力が底をついてグロッキーだったのだ。今回みたいに即座に列車を乗り換えるような強行軍なんて出来るわけもなかったし、列車を降りるたびに宿を取って休息する必要があったくらいだ。
それがどうしたことか、あたしときたらちゃんと自分の脚でアイリスと肩を並べて歩いているではないか。
これは大きな前進である。『やりたいことリスト』に丸が付く日もそう遠くないというものだ。
余談だけど、あたしの頭髪は元々緋色だったのだけど、長年の病的不摂生の影響か、斑に色素が抜けて白髪化している部分が少なくなかった。アシュタルテはそれを見て『キノコみたいで可愛い』と天使みたいなことを言ってくれたわけだが、まあ一般的に見れば奇抜としか言いようがない風体であったことだろう。
だけど最近、欲求が戻ってきて生活習慣が少しずつ改善しているおかげか、休暇中に少しだけ緋色の割合が増えてきた。毛先のほうは真っ白だけど、生え際のほうは結構、元の感じだ。アイリス曰く、髪が伸びる速度にも栄養状態とか睡眠環境とか影響するらしい。
「お身体のほうも少しずつふっくらしてきましたし、このアイリスも磨き甲斐が、」
「ねえ」
歩いている途中にふと見掛けたものが気になり、あたしはアイリスの言葉を遮って呼び掛ける。あたしが足を止めたのでアイリスも「はい?」と反応しながら隣で立ち止まった。
次の列車の出発まで若干の待ち時間があるので、カフェかなにかで時間でも潰そうかと歩いていたところだったのだが、駅舎から出ようとした時に、出入り口のアーチの脇に佇んでいる人影があったのだ。
いや、佇んでいるというよりは、石壁に殆ど凭れ掛かるようにして、項垂れていると表現したほうが正しい。往来から外れた日陰の暗がりに居るので他の通行人は気付かずに通り過ぎているようだが、偶然気付いたあたしは無性に気になってしまった。というのも、
「あの子、見覚えある……気がする」
あたしが着ているのと同じようなケープタイプの旅外套を纏っているが、背格好から判断するに同年代の少女だ。遠目だし、項垂れていて人相がわかり難いが、なんというか、佇まいに既視感がある気がするのだ。
すると同じほうを見たアイリスが、特に苦も無く記憶から名前を引っ張り出してきた。
「ロンベルク伯爵令嬢ですね。供も連れずにどうしたのでしょうか」
「あ。ロンベルク」
同級生だ。確かフルネームはメアリ・ラハール・ロンベルク。
あたし個人とはなんの関係性もない相手だったし、同級生だから何度か見た覚えがあっただけ。しかしながら、同級生の中には彼女の名前だけは知っているという者は多いだろう。
学院前期の一大イベントである『星詠みの夜会』にて、大事件を引き起こした犯人こそが、あのロンベルクであるからだ。
「あの一件の後、自領に帰ってご謹慎されていたはずですよ。このタイミングで王都にいらっしゃるということは、後期からは学院に復帰されるのかもしれませんね」
アイリスの説明を聞きつつ、あたしの視線はロンベルクを追い続けていた。彼女はよろよろと覚束ない足取りで、壁に手を突きながらゆっくりと暗がりに向かって歩いていく。供のメイドもいなければ、手荷物もない。
伯爵令嬢である彼女が、どう見ても異常事態であった。
「いかがしますか?」
あたしは少し考える。
一刻も早くアシュタルテの元に向かいたいのは山々だが、さりとてどう見ても尋常じゃない様子のロンベルクを放置するのも憚られる。
アシュタルテならばどうするだろうかと考えてみたら、答えは一瞬で出た。
「話をきいてみよう」
きっと、なんだかんだで放っておけないと思うから。




