439話_side_Primrose_『ホワイトファング』クランハウス
~"転生令嬢"プリムローズ~
前提として明らかにしておくが、私はこのルシアという聖女を名乗る幼女が完全に信用に値する相手であるとは考えていないものの、情報源として一定の信頼性はあるものと判断している。つまり彼女が私達に利する存在かどうかはさておき、その語る内容が妄言ではないであろう、という意味だ。
ルシアが本当に聖女であるのか、あるいはベルフェルテの分身的なナニカであるのか、その判断は現時点では難しいところであるが、少なくとも見た目通りの幼女ではない。魔界語を喋っていることや、大峰連合時代のケイさんと知り合いであること、そして似通った容姿から判断しても彼女とベルフェルテが形態を共存していたという説明には信憑性がある。
実際的な話をするためにケイさんと選手交代し、私がルシアの対面に座る。
「貴女に訊きたいことは、集約すれば一つだけでいい。ベルフェルテはここで何をしようとしている?」
「知らん」
ルシアの即答に、視界の端に映っているヴァイオラが肩透かしを食らったような顔になるが、私は特に反応せずにそのままルシアを見る。
すると彼女のほうも肩透かしを食らったような顔になり、それから表情を改めて言葉を続けた。
「奴の目的は妾にもわからん。これは本当のことじゃ。しかし奴が今、何をしようとしておるのかはわかるぞ」
「それは?」
「概念励起術式じゃ」
真剣味を帯びたルシアの言葉に、室内に静寂が落ちる。
ルシア以外の全員の視線が私に集まるのを感じる。説明を求められている圧を感じるが、
「ごめん。わかんない」
なにそれおいしいの、と白旗を揚げるしかない。
するとルシアはきょとんとして、それからにんまりと腹立つ笑みを浮かべた。
「なんじゃぁそち、そんなことも知らんのかぁ?」
「くっ」
「きゃっきゃ! 無教養じゃのぅ嘆かわしいのぅ! これだから乳ばっか育てとる奴は!」
「む、胸は関係ないでしょ……!」
「妾の常識では、魔法に携わる上で概念励起を知らんなど考えられんのじゃがのぅ。そちに妾と同等の知識水準を求めるのはちと酷じゃったかのう!」
きゃらきゃら笑うルシアになにも言い返せねえ。なんたる屈辱。今日限りで魔法オタク廃業します。
一頻り私を煽り散らかして満足した様子のルシアは、ニヤケ面を引っ込めて説明を続ける。
「まあ実際のところ、妾等が現役じゃった三百年前の戦乱期ではそれなりに知られた術法であったことは事実よ。なにせ魔王も魔公もこれを行使してくるでの。知らねば対抗できん」
何故そんな重要な知識が現代に伝わっていないのかと問い質したいところだが、生憎と理解は出来る。
これでも半年かけてエンディミオン魔法学院の図書館で蔵書を百冊単位で読み漁っている私なので、そこで一度も件の『概念励起』とやらの記載を見たことがない以上、少なくとも一般社会レベルでは全く情報が継承されていないことは明らかだ。私は司る時間属性の都合上、『忘れる』ということが構造上不可能なナマモノなので、これまで読んだ本の内容も講師の授業内容も全て思い出すことが出来るから。ただし、あくまでも今世の時間魔法の副産物なので、一番覚えていたかった前世の原作知識には適用されないわけだが。
で、なんで知識が継承されていないのかというと、『宵の魔王』や魔公に関する詳細の情報が伝わっていないのと同じ理由だろう。そもそもの戦乱で正確な情報が失われていたのと、その戦乱の反動で魔王関係のあらゆる情報をタブー視し始めた教会によって焚書等の処分が繰り返された結果なのだ。
「概念励起術式とは、簡単に言えば術理空間を展開し、物理空間を侵食する魔法じゃ。一番想像しやすい例を挙げるならば、黒い森がまさしくそれじゃの」
「魔界という術理空間で人界という物理空間を侵食しているという意味ね」
「そーじゃ。これを個体規模で行使したものが概念励起」
「一種の結界魔法のようなものかしら?」
「似て非なるものじゃ。概念励起がどういう発現の仕方をするかというのは、術式の根幹を担う概念に左右されるのじゃ」
イデア、ね。
その言葉は私達が知っている現代魔法学の中にも存在していて、大抵は『未分化の根源的概念』だとか言われることが多い。どちらかというと理論よりも哲学に近しい内容なので私は然程興味もない分野だったのだが、どうやらそうも言っていられなさそうな話の流れだぞ。
私が黙考していると、なにやらルシアが半眼でこちらを見ていることに気付く。
「なに?」
「いや、てゆーかそち、『昇格者』の癖して己のイデアを認識しておらんのか?」
「!」
まさかここでその言葉が飛び出すとは思わなくて意表を突かれたが、そういえばルシアがかつてはベルフェルテと同体であったならば、フェンリスと知り合いでもおかしくないし、同程度の知識や認識を有していてもおかしくない。
この際、それも訊いてしまおう。
「……それ、フェンリスも言ってたけど、なんなのよその昇格者だか有格者だかって」
「ここでいう『格』とは魂のグレードじゃ。有格者はイデアの担い手となるに足る魂を有する者。昇格者はその中でイデアの担い手となった者じゃ」
「フェンリスは有格者を探していたみたいだけど、なんで?」
「わかんないのじゃ。いやそれはマジで知らん」
なるほど。結局よくわからんのが正直なところだが、おそらく私の有する時間魔法に関係しているというか、むしろ私がイデアの担い手とやらなので時間魔法を使えるのだと考えたほうが因果関係としては自然なのかもしれない。
まあ、私のことはとりあえず置いておこう。
「つまりベルフェルテはなんらかの根源的概念を担う存在であり、それを以てして物理空間を侵食することで何かを為そうとしているってことね」
「んむ。慎重にことを進めておるようじゃが、妾の目は誤魔化せんのじゃ! 三百年前に何度も目にしておるでのう」
「具体的には?」
「奴が担うイデアは『受容』なのじゃ。奴の展開した概念励起術式は広域型……既にこの街の全域を呑み込みつつある。その名を――」
見えないものを見るように、ルシアはここではないどこかを見上げつつ、告げる。
「『概念励起・傷付きやすい肉人形』」
「……中々、リアクションに困る名前ね」
「侮ると痛い目を見るぞ。奴のイデアはあらゆる『想衝』を受け入れる無限の包容力よ。使い方次第で救世主にも滅世主にもなれる魔性の具現じゃ」
ルシアの説明によると、ベルフェルテの概念励起は人の精神をターゲットにした魔法であるらしい。
「想衝とは象徴的かつ根源的な、相反する心の作用のことだと思えばよい。奴のイデアが齎す無限の包容力は、ありとあらゆる想衝を肯定し、全力で応援してくれるのじゃ」
「字面だけで判断すると、碌でもない光景しか浮かばないわね」
「や、そーでもないぞ。言うた通り、使い方次第で救世主にもなれる魔法じゃ。全ての人々を幸福にすることもできるし、ただの農民を恐れ知らずの神兵にすることもできる。嘘吐きを駆逐することもできるし、あらゆる人を隣人愛で繋げることもできるであろう」
それなら、と純真なケイさんが表情を明るくするが、私などは自然と顔面を顰めていた。今の説明を聞いて字面通りの素敵な景色を想像出来るケイさんが羨ましい限りだ。これは皮肉ではなく、本心から。どうして私は彼女のように思えないのだろう、とは考えても詮無いことだが。
「私それ、なんていうか知ってるわ。ディストピアって言うのよ」
「外から見ればの。内から見ればユートピアじゃ」
「一理ある」
私は御免だが。
「まあ、使い方次第ではと言うたが、現状はよくないほうのお手本みたいな使い方じゃの」
「心当たりはある。ここ最近、討伐者を中心にやたらとトラブルが増えているのがベルフェルテの仕業ということね」
大きなところで言えば男女間の対立。その中身を紐解いていくと、それは他者への加虐、弾圧、忌避――悪感情の見本市だ。
ええと、と困ったような表情のケイさんが首を傾げる。
「ベルフェルテのイデア?というのは、他者のディヴァーチェ?を受容して応援してくれるもの……なんですよね? それでどうしてトラブルが増えてしまうのでしょうか……?」
「要するに、歯止めがきかなくなるのよね。他人を虐げ、害する感情を有する者に、その感情は正しいものであると認識させてしまう」
「あ……」
「んむ。そちのその怒りは、あるいは恐怖は、妬み嫉みは、嫌悪は……すべてが許される。受容される。『正しさ』という最強の免罪符を与えられるわけじゃ。性質が悪いことに、しかもこれは自覚できん。何故ならば人は自らの正しさを疑うようにはできていないからじゃ」
ルシアの語る理屈は理解出来た私だが、腑に落ちない点もある。
というのも、これでは魔公が打ってくる手としてはあまりにも手緩い。
「不確定過ぎやしないかしら」
「なにがじゃ?」
「だってどういう想衝が発露するかっていうのは、結局個々人の資質によるわけでしょう。勿論、ここには元々対立構造の下地があったみたいだから、それをベルフェルテが利用する形で狙い撃ったのはわかるけれど」
「誰もが他者に害意を抱くわけではない、と?」
根拠はある。私達だ。あるいは『剣の誓い』の面々でもいい。ベルフェルテの概念励起の効果範囲内に長時間滞在しているのに、トラブルを引き起こすでもなく情緒が乱れるでもない人間が、厳然として多数存在しているのだ。
つまり、ベルフェルテが受容したがるような害意を最初から抱いていない人間には、なんの効果もないのだ。善良で理性的な人間でも他者から理不尽な害意を向けられたら反発するし反撃する。そういう意味では、長い目で見れば害意が害意を呼ぶことで全ての人間を対象に取ることが出来るのかもしれないが、流石にそれは私にはなんとも言えない。
「残念ながらウシチチよ、それは違うのじゃ」
「違うの?」
「想衝を持たぬ人間は存在しない。ベルフェルテの概念励起から逃れうる人間もまた然りじゃ。そこに例外はない。妾であっても、あるいはそちのような昇格者であってもじゃ。まあ、只人よりかは耐性があるかもしれんがの。基本的には須らくが影響下に置かれる」
「そうは言うけれど、じゃあこの場の面子はどうなのかしら。私と貴女はともかく、私にはケイさん達やヴァイオラが想衝を剥き出しにしているようには思えないんだけど?」
「無論、程度はある。例えば怒りの想衝――憤怒を引き出されたとして、それが常よりも多少怒りっぽくなる程度の変化で済んでいる可能性はある。……なのじゃが、おそらくこの場の面子はそれとは違うのじゃ」
どういうこと、と先を促すと、ルシアは神妙な顔になって、
「最も厄介な悪しき想衝がなにかわかるか?」
「個人的には淫蕩かしら」
「鏡見てから言え。もとい、それは憤怒ではなく、嫉妬でもなく、もちろん淫蕩でもない。これらは誰しもが有する想衝であるが、しかし誰しもが発現するものではないのじゃ。何故ならば、怒るのも、妬むのも、盛るのも。…………疲れるからじゃ」
つまり、最も厄介な悪しき想衝とは――
「『怠惰』じゃ」
怒りに囚われておらず、無闇に妬むこともなく、他者を誘惑することもない。そういう人間は存在するが、それは想衝を持っていないのではなく、それらを上回るほどの怠惰を発現しているに過ぎない。きっと大多数の人間は、それなのだ。
「ベルフェルテめが最も得意とするところはの、『やらない理由探し』を手伝ってやることじゃ」
ギルド支部に蔓延している異常事態に気付いている者は居るだろう。解決せねばならないと考える者も居るだろう。しかし解決しないのだ。何故か。
ベルフェルテが全力で甘やかしてくるからだ。
自分がやらずとも他の誰かがやるだろう――――。
行動を起こすにしても、もっと情報を集めてからにしよう――――。
自分などよりも上手くやれる人が居るだろうから、邪魔しないようにしよう――――。
そういう、自分を甘やかすための理由をベルフェルテは全霊で肯定し、いいこいいこして、応援してくるのだ。だから誰も行動に移さないし、それをおかしいとも思わない。だって自分は賢くて正しい行動をしているのだから。
おそらく自覚出来ていないだけで、ブラピやハイメロートは勿論、この私ですらも少なからずそうなのだろう。
「一個訊いてもいいか?」
思考の沼に沈みつつあった私の意識を呼び戻したのは、これまで聞きに徹していたヴァイオラだった。
「なんじゃ赤コート」
「イカすだろ? ……ベルフェルテがとんでもなさ過ぎてよくわからんことをしているのはなんとなくわかった。だがよ、結局のところ、だからなんなんだ?」
「だから、とは」
「人間同士を喧嘩させてどうしたいんだよ。内輪もめしてるところに横から襲い掛かるのか? それはそれでヤバいことにはなりそうだが、なんつーか、コストに見合ってるとは思えねんだ」
それは確かにその通りかもしれない。
概念励起とやらが強力無比なものであることはわかったが、ならば行使にはそれなりの代償が伴って然るべきだ。いや、仮にそれが至ってお手軽に使える便利な技法であったとしても、少なくとも時間というコストには見合っていない。さっきも私が言ったように、成果があまりにも曖昧で不確定なのだ。
するとルシアは、当然とばかりに頷いて見せた。
「実は、想衝の発露云々は全部ただの副産物じゃ」
「本命は別にあるということ?」
「そうゆうこと。奴の概念励起の本質は、効果範囲内の知的生命から『エーテル』を奪うことじゃ」
「えーてる?」
「便宜的な表現じゃ。もすこし実態に即した言い方をするならば『心的熱量』とでも言おうかの。つまるところが術理法則の更に上の位層に属しているとしか思えぬ振る舞いをする正体不明の謎エネルギーじゃ」
成程わからん。
おそらく、以前ケイさんが行った『おまじない』によって修道女達の居場所を特定した『なにか』と同質のものだ。便宜上、神とか呼ばれるような高次に属する概念の一例だろう。
「ベルフェルテめの概念励起によって人間の想衝が発現すると、原理も因果関係もわからぬがエーテルが貯まる。ちゃりーん! そしてエーテルがいっぱい貯まると、奴はそれを使った攻撃をしてくるのじゃな」
「どういう風に?」
「臨界に達したエーテルを炸裂させることによる、高次爆撃じゃ。これによって発生する謂わば『心的爆圧』は効果範囲内の知的活動に致命的な損害を与え得る」
わかったようなわからないような、という顔をしている私達の視線を受けて、ルシアは嘆息混じりに言い換えた。
「簡単に言えば、効果範囲内の人間はぜーんぶ廃人と化す」
「!……防ぐ手段は?」
「炸裂を許せば防ぐ手段は存在しない。じゃから炸裂させない、エーテルをちゃりーん! させないことに心血注ぐしかないのう」
からからと緊張感のない顔をしているのはルシアだけだ。
引き攣った顔をしているヴァイオラが戦々恐々と呟く。
「使い方次第じゃ、普通に国でも滅ぼせるんじゃねえのかソレ……」
そりゃあね。防ぐ手立てが存在しないのならば、王都の王宮を効果範囲として炸裂させてしまえば即ゲームセットだ。国家の運営を担う中枢部が軒並み廃人と化し、王国は空中分解することだろう。
そのヴァイオラの呟きに対して、ルシアは小馬鹿にしたような呆れ顔を見せた。
「今更なにを眠たいことを言っておる。そうやって数多の国を滅ぼしてきたのが、魔公という存在じゃろうに」




