416話_sideout_『剣の誓い』クランハウス
「ミアベルに、話してもいいんじゃないか?」
そのレックスからの提案を聞いた時、ミリティアの胸中は同意を示していた。
なるほど、確かに、いいかもしれない。
そして同時に、とある疑問が降って湧いた。眼前に座るレックスの目には、ミリティアが提案に対して戸惑っているように映っていたのかもしれないが、その実ミリティアの胸中は全く別の戸惑いに満たされていたのだ。
そもそも、なんでミアベルに話さないことにしたんだっけ……?
話題の焦点はミリティアとレックスが共に有する『前世の記憶』について。その中でも、この世界と酷似した世界観を有する漫画作品『夜明けのレガリア』に関する情報――所謂『原作知識』の取り扱いについてだ。
当初の取り決めは覚えている。原作知識によればこれから一年もしないうちに伝説の『宵の魔王』が復活を果たし、この王国は戦禍に見舞われることとなる。この魔王復活は不可避のイベントであり、原作知識を駆使して原作通りの復活を阻止したところで、後の世でいずれ必ず復活してしまう。となれば、少なくとも主人公ミアベルが魔王を打倒するという道筋が用意されている原作展開に則るべきだという基本方針を定めたのだ。
今もその方針自体は変わっていないが、少しずつ事情が異なってきていた。
大きな要因として、ミリティア達以外の転生者の存在がある。しかもあろうことかミアベルに次ぐメインキャラであるプリムローズが転生者であるということは、結局ミリティア達がどれだけ原作展開を遵守しようと拘ったところで無理があるのだ。
いや、仮にプリムローズが転生者でなかったとしても、結局は同じことだったのだろう。
ミリティアも、レックスも、感情を有する一個の人間なのだ。
原作では亡くなってしまうはずの人だから、見捨てる。原作では負傷してしまう人だけど、死ぬわけじゃないから、見過ごす。そんな風にシステマチックに処理することなんて出来るはずもなく。関わってしまえば情が湧くし、知り合った相手なら助けたい。原作のエンディングでは大団円の外側でひっそりと犠牲になっていた人だって、こうして現実で関わってしまったのならば、きっと救いたいし、一緒に笑顔でエンディングを迎えたい。
故にミリティアは決めたのである。
自分は原作展開をなぞって、ミアベル勝たせるのだ。
そしてその上で、救える人は救いたいし、よりよい未来を目指したい。
プリムローズとだって、一緒に笑えるなら笑い合いたい。
いつの日か、彼女と『夜明けのレガリア』の話で盛り上がれたりしたら、それはとても素敵な未来ではないか。
だというのに。
おかしくないか。
そう考えた時に、ミリティアにとって大切な友人であるミアベルを蚊帳の外に置く理由が一切ないのだ。知り合った当初の、まだ信頼関係が培われていない頃であったならばいざ知らず、今ならミアベルにちゃんと事情を伝えて、協力してもらうことだって出来るはずだ。レックスも居るのだし、荒唐無稽な話だとて、友達が真剣に言うことを頭から疑ってかかるような少女じゃないはずだ、ミアベルは。
実際にプリムローズと対峙し、魔王を討つのはミアベルなのだから、彼女が知っているといないとでは結果に雲泥の差が出て然るべきだ。更に言えば、ミアベルの身を案じ勝利を願う一人の友人として、ミアベルの有利になり得る情報を黙っておく意義とはどこにある。
全てを話すことは、出来ない。
ミリティアにはミリティアの事情があって、前世から続く強迫観念のせいで、ミリティアは他でもないミアベルにだけは、自分の前世の惨めな姿を知って欲しくなかった。きっとミアベルは我がことのように慈しみ、悼んでくれるであろう。それがわかるから、ミリティア自身がそれに耐えられないから言えないのだ。
だとしても、話せることはある。
原作知識を伝えるのにミリティアのパーソナルな情報を開示する必要は全くないし、事情があって話せないとなればミアベルは詮索しないでくれるだろう。ミリティアのこの葛藤をなんとなく察している節があるレックスもまた、気を遣って援護してくれると思う。
考えれば考えるほど、頑なにミアベルに黙っていた理由がわからなくなってくる。
なんとか自分の中で整合性を取ろうとしたミリティアは、やがて一つの解に辿り着いた。
きっと、それどころではなかったからだ。
花告祭の最終局面でプリムローズと対峙したあの日からこの方、ずっと急ぎ足で走ってきた。ミリティアは自分が少々無理をしていたのだとようやく気付く。
出来ることをしなければという気持ちだけが先行し過ぎて、自分を労わることを疎かにしていた。あるいは、分を弁えることを怠っていたと言えるかもしれない。ミアベルとは違って凡人でしかないミリティアが、一度で多くの成長を遂げられるわけもなく、一つ一つ着実に積んでいくしかないとわかっていたのに。
少しばかり、前を見ることに一生懸命になり過ぎていたのかもしれない。
「ありがとうレックス。ちょっと考えてみるわ」
そういう意味では、ここでのレックスの提案は良い機会となった。
彼がこうして言ってくれなければ、冷静になる機会を持てないままに走り続けてしまっただろう。ミリティアは自戒しつつレックスに笑みを返すと、彼は安堵したように息を吐いた。
どうやら既に、だいぶ心配を掛けてしまっていたようだ。
もう少し雨の音を聞いていく、と言って談話室に残ったレックスと別れ、ミリティアはクランハウスの廊下を歩く。
彼には考えてみると返したが、実のところミリティアの心は決まっていたのだ。
話そう。ミアベルに。
話せる限り、知る限りを。
だって彼女が一番の当事者だ。
それでミアベルがどういう結論を出すのだとしても、それは彼女の意思だから。
もしかしたらミリティアの方針と対立してしまうかもしれないが、だから最初から教えないというのは違うだろう。対立したのなら、対話をすればいい。そうして互いの納得を探っていくのがあるべき姿だ。
何故ってミアベルは、ミリティアの大事な友達なのだから。
◇◇◇
クランハウスの廊下を一人で歩いていたリゼルは、前方を横切る主人の姿を見付けて目で追った。T字に繋がった廊下の先を今まさに歩いていくのは見間違いようもないミリティアその人であった。
遠目にもわかるほどになんだか思い詰めた表情をしていて、だけれどリゼルが知る限りのここ最近の彼女よりも、どこかスッキリとした顔にも見えた。ミリティアは視線を送るリゼルに気付くことなく、やや足早に歩を進めている。すぐにリゼルの視界の外に出ていってしまうだろう。なにか目的がある者特有の、若干逸ったような前のめりの歩みである。
「んー……」
リゼルはぼんやり考える。
たぶんいいことだ。最近のミリティアを悩ませていた、その悩みの一部でも答えが出たのだと思う。きっとそれを確かめるために、彼女はあんなに強い瞳で、あんなに足早に歩いているのだ。
正直なことを言うと、リゼルは前のミリティアのほうが好きだった。
前の、というのは学院に入学する以前の、という意味だ。
あの頃のミリティアは心配事なんて何もないような顔をして、見るもの聞くもの触れるもの全てにキラキラとした好奇心を示す感受性の高い少女であった。当時から既に情動に乏しかったリゼルは、そんなミリティアの姿を見るのが好きだったし、不出来な護衛ながら、そんな彼女の役に立てるならば本望だとすら思っていた。
ミリティアが高い木に登って自力で降りられなくなったなら、自分がひとっ飛びして救出に行った。
ミリティアが小川で足を滑らせてこけてずぶ濡れになったなら、自分が魔法で乾かした。
ミリティアにせがまれてアヴァターの背に乗せて遊覧飛行などした日には、鬼の形相のトビアスに危険行為をバチクソ叱られもした。
もう二度と来ない日々だ。
今のミリティアは、きっとそんなことをしない。しなくなってしまった。
学院が休暇に入って領地に帰ってきたミリティアを見た時、リゼルは彼女の雰囲気のあまりの変わりように言葉を失ったのを覚えている。勿論トビアスを始めとして、リゼル以外にも彼女の変化に気付く人は少なからず居たが、問題視した者は居なかった。
決して悪い変化ではなかったからだ。
ミリティアは以前よりも思慮深くなり、考え方に芯のようなものが出来ていた。かつてのような、天真爛漫と言えば聞こえはいいがその実破天荒で無軌道だった行いは鳴りを潜め、振る舞いは淑女然として落ち着きが出てきた。
簡単に言えば、成長したのだ。放任主義のきらいがある彼女の両親でもその変化には喜んだし、トビアスは若干心配そうな顔こそすれど、概ね受け入れていたように思う。
でもリゼルは前のミリティアのほうが好きだったのだ。
リゼルがミリティアの前でアホな自分を続けているのは、そんなリゼルなりの細やかな抵抗であった。リゼルがアホなことをして、言って、ミリティアが反応してくれるあの瞬間だけ、リゼルはかつてのお嬢に会える気がしていたのだ。
「そっかー……」
何かを決めたような顔で過ぎ行こうとしているミリティアの横顔に、リゼルはぽつりと零す。
とんと落ちてきたような、素朴な納得感があった。
人は誰だって成長する。生きている限り、否応なく成長するのだ。だからミリティアに訪れた変化は喜ぶべきもので、こうしてまた一つ何かを決めて成長しつつある彼女を、リゼルは言祝ぐべきである。
そして同時に、成長し続ける彼女の隣に居たければ、リゼル自身もまた、過ぎし日の思い出に縋り付くのをやめて、一緒に成長していかなければならないのだ。
何故ってリゼルはミリティアの護衛で、しかも今は専属のメイドですらあって、かつてのミリティアのほうが好きだったけど、今のミリティアも決して嫌いではなくて、というかぶっちゃけ好きには違いないから。
「それはそれとして」
リゼルはぱちくり瞬きをして思考を切り替える。
それはそれとしてリゼルはミリティアの後を追ってみた。
それはそれとして気になるではないか。いそいそと、どこへ何をしに行くのか。
それはそれとしてリゼルは隙あらばミリティアを呆れさせて、ツッコミ待ちをすることをやめるつもりはないのだ。
ミリティアが歩いて行ったT字路まで進んで、廊下の角から顔を覗かせて様子を見たリゼルは、想像よりも近い位置で立ち止まっていたミリティアの背中を見付けて、慌てて頭を引っ込めた。
別に隠れる必要はないのかもしれないけど、とりあえず隠れておけばこっそり色々いらないことが出来るという、日々のアホムーブによって培われた条件反射であった。
見るに、どうやらミリティアは立ち止まって誰かと話そうとしていた。彼女の背の先に垣間見える相手の姿を注意深くこっそり窺ったリゼルは、意外でもない相手の姿を認めて『なんだ』と肩の力を抜いた。
「あれ。ティアさんどうしたの?」
と声を掛けたのはノエルだったのだ。
ミリティアと擦れ違う方向から歩いてきた彼女は、そこでミリティアの様子が普段と少し違うことに気付いての発言だ。
「ミアベルを探しているのだけど、またロイドさんのところかしら?」
「うん。私も今ちょうどそこから来たんだ。ミアベルはまだ居ると思うよ」
ふぅむ、とリゼルは内心で呻る。
ということはどうやらミリティアの用事の相手はミアベルということになるが、最近のミリティアはミアベルに関することで悩んでいたということなのだろうか。
そんなリゼルの疑問を代弁するように、ノエルが訊きたいことを訊いてくれた。
「ミアベルになにか用事?」
「ええまあ。ちょっと話しておきたいことがあって」
「そっか」
ミリティアが敢えて濁したから訊かないことにしたのか、あるいはノエルは友達間で既に内容を知っているのか深く追求することはなかった。知りたいことは知れず仕舞いのリゼルは廊下の角でかっくしと肩を落とす。
「ありがとうノエル。じゃあ私行くから」
人知れず落胆するリゼルを他所に事態は進んでいって、ミリティアはノエルにお礼を告げて立ち去ろうとした。
ノエルは柔らかい微笑みでそれに応じ、ミリティアに道を譲る――
――前に、言葉を発した。
「私は、まだ早いと思うな」
些か唐突な言葉にミリティアは虚を突かれたみたいに「え?」と呟き、リゼルもまた内心でだが『ん?』と首を捻る。
歩き出そうとしたまま動きを止めたミリティアに、ノエルが再度言う。
「ミアベルにそれを伝えるのは、まだ早いんじゃないかな」
そう告げるノエルの表情は、リゼルも良く知る優しげな彼女の見慣れた顔だ。対するミリティアは相変わらずリゼルに背を向けているので表情を伺い知ることは出来ない。
ややあって、ミリティアの声が聞こえた。
「そう、かしら?」
「うん。私はそう思うってだけだけど」
「そう…………そうね。その通りだわ」
ノエルの言葉に納得したように、ミリティアは何度も頷いていた。
リゼルはその光景に然したる疑問を抱くことはなかった。というのも、これまでに何度となく繰り返された光景でもあったからだ。そもそもノエルという少女は友人間での知恵袋的な立ち位置に居ることが多く、ミリティアのみならず、ミアベルやマルグリットもノエルに諭されて意見を翻すことは珍しくないのだ。
ただ、ほんの少し引っ掛かる点があるとすれば、先程リゼルの前を横切った時のミリティアは、きっと何かを決意したような面持ちであった。ノエルの博識さに敬意を払い意見を尊重することが多いにしても、ミリティアとて決して主体性がないわけでも意志薄弱なわけでもない。そのミリティアがちゃんと考えて決意したことを、ノエルに言われたからとて意見の交換すらせずに翻したというのは、少しらしくない気もする。
尤も、核心に触れずに会話が成立している辺り、きっとミリティアとノエルの間では既に議論が交わされた共通認識であるのだろうし、だとすればやはりそれほどおかしい遣り取りでもないのだろう。
「ミアベルに言うのは、もうちょっと考えてみてからにするわ」
「うん。それがいいよ」
「いつもありがとう。ノエル」
「ううん。いいの、お礼なんて」
ノエルはぱたぱたと手を振って、それから今度は彼女のほうがミリティアへと問い掛けた。
「ところで、レックスさんがどこに居るか知ってる?」
「彼なら談話室。さっきまでそこで話してたの」
「ああよかった。実はロイドさんからレックスさんを呼んでくるように頼まれたんだ」
ノエルはミリティアに別れを告げてリゼルが隠れているほうへと歩いてきた。談話室に向かうつもりだろうから、先程ミリティアが横切ったのと逆向きにリゼルの前を通っていくはずだ。
結果的に盗み聞きしていたことになってしまい、なんとなくバツが悪いリゼルは、たまたまに近くにあった部屋の扉の影に身を潜めてノエルをやり過ごすことにした。
足音が近付いてきて、ノエルが近くを通り過ぎる時、小さな、本当に小さな呟きが聞こえたのだ。
「いいのに…………お礼なんて」
感情を噛み殺すような、なにかを必死に堪えるような声音であった。
あまりノエルのイメージにそぐわない呟きだったので、リゼルは暫し困惑してしまった。
ノエルが行った後、リゼルは小走りでミリティアを追い掛け、その背に声を掛けた。
「お嬢」
「あらリゼル。どうしたの?」
とりあえず、リゼルはぺこりと頭を下げて盗み聞きを詫びる。
するとミリティアはあっけらかんとした顔で、
「別にいいわよ。聞かれて困ること喋ってたわけでもないし」
そう言ったミリティアの顔が本当に気にしていない風だったのでリゼルは許されたような気持ちになりつつ、歩く彼女の隣に並んで、折角なので訊いてみた。
「ミアベルに、なに言うつもりだったのー?」
「ん? ああそれね」
ミリティアは、いかにも平然と、こう答えた。
「気にしないで。全然大したことじゃないから」




