414話_side_Frederica_メルクーシン邸
~"女帝の孫"フレデリカ~
私は動けなかった。
両肩に掛かる冷たい圧力と、背後から聞こえる甘やかな声が、私の首筋にあてられた鋭利な刃を錯覚させるのだ。
自分は今、命を握られている。
「……呼んだ覚えはないがね」
勝手に入るんじゃないよ、と祖母が顔を顰めて私の背後の相手に向かって言うと、苦笑するような気配と共に圧力が消えた。冷や汗を流しながら、堪え切れずに喘ぐように息を吐いた私の視界の端で、祖母の執務机の前あたりに光が収束し、一つの人型を作った。
ほんの数歩分の短距離転移。横着極まりない魔法の無駄遣いだが、それを造作もなくしてのけるということは、術者の尋常ならざる魔法技量を如実に表している。いつの間に背後に立たれたのかまるでわからなかったが、たぶん、本当に私が気付いた瞬間に現れたのだと理解する。祖母は事前に察知していたようだが、まるで察することが出来なかった私の技量では、太刀打ち出来ない相手だということだ。
それは一人の、女性のように見えた。
それは、蠱惑的な顔に童女のような疑問符を浮かべてみせる。
「ほむ……妾の話をしておったのでは?」
「してない」
「ほむぅ……そうか」
にべもない祖母の答えに、そこはかとなく残念そうな彼女はそのまま執務机の上に、むっちりと肉感的な臀部を乗せて腰掛ける。
登場の仕方も普通ではないが、それ以上に異様な風体の人物だ。
色香の権化のような熟れた肢体を、黒い骨格のような意匠の甲冑で覆っている。白い柔肌に食い込む黒い骨のコントラストが、一種の拘束具や拷問器具を思わせて非常に背徳的な装いである。
外見の年齢だけで言えば私よりも少し年上くらいだろう。面立ちは若々しく見えるが、その若々しさには不釣り合いなくらいの色香がどうにもアンバランスな印象を抱かせる。豪奢なブロンドのロングヘアに、瞳の色は蒼穹。容貌は優しげで、芸術的に美しい。
ただし、瞳の蒼穹を囲うのは、漆黒だ。
魔物の瞳である。
「おばあちゃんっ、この人……!」
何故魔物がここに、と私は今更ながらにソファから腰を浮かせて臨戦態勢を取る。いつも使っている得物の円環刀は持っていないので、身構えて魔法を唱える準備をするくらいしか出来ることはないが。
私の警戒を微笑ましそうに見遣った魔物は、傲然と足を組んで口を開く。
「妾の名はベルフェルテという。見ての通りの魔物じゃ。今回の謀の正真正銘説明不要の黒幕である」
悠長に自己紹介をされて、私は対応を決めかねる。
ベルフェルテの態度が普通に温厚というか友好的であるのも気勢を削がれるし、なにより祖母がまるで動じていない。
「そちの名を教えては貰えぬか?」
「……フレデリカ」
「重畳。ではフレデリカよ、そう身構えてくれるな。取って食ったりはせぬ」
のう? とベルフェルテが祖母に水を向けると、祖母は鼻を鳴らして「どうだか」とぼやいた。
そのやり取りを見て、取り合えず祖母とベルフェルテが協力関係にあるのだと察した私は、最低限の警戒を維持したまま元のソファに腰を下ろした。対面したソファに座る私と祖母の、横合いの執務机上にベルフェルテが腰掛けているという、三角形の配置だった。
「おばあちゃんー?」
説明してくれるんだろうね、と意気を込めて祖母を睨むと、彼女は『面倒なことになった』とでも言いたげに胡乱な瞳をベルフェルテに向ける。
「……フレデリカよ、そう責めてやるな。妾が黒幕であると言うたであろう」
「どういう意味ー?」
「そちの祖母とて、なにも最初からこの地を焼こうと考えておったわけではない。もっと真っ当な思想を抱いてここまでやってきたのであろう」
ベルフェルテの物言いに祖母は「余計なことを言うんじゃないよ」と呟くが、強いて制止するつもりもなさそうだった。
なので私はそのままベルフェルテの言葉に耳を傾ける。
「唆したのは妾じゃ。妾ならばオンスロートを起こすことができる。伯爵家への報復を遂げることができるという、仄暗い希望を魅せてしまった。故に、責めを負うべきは妾である」
「フン。見損なうんじゃないよ。アタシは別にアンタに操られてるわけじゃない。アタシがアンタを利用してんだ」
「大人しく妾のせいにしておけばよいものを。しようのない奴め」
彼女達の遣り取りを見て、私はなんとなく思ったことを口に出してしまう。
「もしかして、二人は友達なのー?」
そう言うと、祖母は心底から嫌そうに顔面全部を歪め、ベルフェルテはそんな祖母の反応を見て愉しんでいた。
ベルフェルテが私の背後に現れた時も祖母は攻撃しようとはしなかったし、少なくともベルフェルテが私に危害を加えないと判断する程度の信頼関係はあるということなのだろう。
「でもそんな……私達は討伐者なのに、魔物と友達だなんてー」
私達は魔物を狩ることを生業にしているのだ。ベルフェルテにしてみれば同胞を殺める憎き存在であるはずなのに、何故彼女はこうも穏やかな雰囲気でこの場に居るのだろうか。
「貴女にとっては、私達って食事みたいなものなんじゃないのー?」
「フレデリカよ。『できる』と『したい』そして『せねばならぬ』は違うのじゃ。それは人も魔物も変わらぬ」
「ふーん……?」
ちなみに祖母は小さく「しれっと友達にするんじゃないよ」とぼやいていた。
それから、それこそ仕方がなさそうに言葉を続ける。
「コイツは確かに魔物だ。胡散臭いし鬱陶しい」
「酷い言われようじゃの」
ベルフェルテの茶々を無視して、祖母は私の目を見て言った。
「だがね、人間だから信用できるってわけじゃあない。人間にだってディーターのようなクズの煮凝りが居るんだ」
祖母の言外に籠められた意味を私は察することが出来た。だったら逆に、魔物だから信用出来ないというわけでもないのだ。それを討伐者の女帝である祖母が言うのも、なんだか不思議な話である。
ここで一つ、私は気に懸かることがあった。
「ねえおばあちゃん、この人?の存在を、クルエラさんは知っているの?」
祖母はそれでいいかもしれない。しかしクルエラさんはどうだろうか。魔物の片棒を担がされていると知れば不本意ではないだろうか。あの人が尊敬している相手はあくまでも祖母であって、ベルフェルテではないはずだ。
それとも、それも祖母の望みであれば、と飲み下すのであろうか。
すると祖母はソファの背凭れに深く凭れて、憂鬱そうな面持ちで答えた。
「知っているとも」
「クルエラとは、あの青髪の娘のことだな」
ベルフェルテのほうも面識があるようで、彼女は得心がいったような顔になる。
そしてベルフェルテもまた、どことなく憂うように瞳を伏せて、
「あれも難儀な娘じゃ……あれには悪いことをした」
「言うな。あの子自身が望んだことだ」
歯切れの悪い会話をする二人に私が視線で問い掛けると、ベルフェルテのほうが口を開く。
「『呪詛』じゃ」
クルエラさんにはベルフェルテの『魅了』の魔法が掛けられているのだ。ベルフェルテのそれは効果が強力過ぎて、最早一種の呪詛の領域に至っているほどの魅了魔法だという。
ベルフェルテに魅了された人間は、余程優れた魔法資質を持っていない限りは自力で気付くことが出来ず、無意識下の強制力によってあらゆる行動がベルフェルテに利するように偏向されてしまう。ここでいう余程優れた魔法資質というのは、それこそ祖母とか、黒竜卿とか英雄伯とかそういうレベルの人達のことだ。自惚れながら私も大概優れた魔法資質を持っていると自負しているが、祖母達に比べれば一段下がるのは否めないため、私がベルフェルテの呪詛に抗えるかは微妙なところだろう。
その点、クルエラさんは魔法資質的には至って平凡なくらいでしかない。無論、資質の平凡さで能力の優秀さを単純に推し量ることは出来ないが。
「クルエラさんは自分から望んで呪詛を受けたの? 一体なんで……?」
「……今回のこれはね、アタシとベルフェルテ、そしてクルエラの三人だけで始めたことさ。一枚噛んでる程度の奴は他にも居るが……そもそもアタシとベルフェルテを引き合わせたのがクルエラだった」
その人選に作為的なものはなくて、ただベルフェルテが祖母と接触を図っていた時期に、たまたま黒い森で遭遇したクルエラさんに仲介を頼んだだけということらしい。
本当にそこに作為がなかったのだとすれば、運命の悪戯と言うしかない出来事だ。きっと、クルエラさんが見るからに危険な魔物であるベルフェルテを祖母と引き合わせようと考えたのは、彼女は祖母の腹心故に、祖母が抱く伯爵家への怒りも理解していて、そして聡明であるが故にベルフェルテという存在こそが求めていたファクターに成り得ると判断出来てしまったから。
「そしてアタシ達はオンスロートによって伯爵領を焼き払う計画を立て、クルエラは実働として名乗りを上げた。魔物側をベルフェルテが、人間側をアタシが『煽動』、クルエラが『暗躍』として役割分担をしたのさ」
そこでクルエラさんはベルフェルテに、自分を『魅了』してくれと願い出たのだ。
「なんで、そんなことを?」
「『良心の呵責に耐えられないから』とあの子は言ったよ」
寡黙で、人付き合いに淡白なクルエラさんは他人から誤解されがちだが、本当は優しい人だ。それは私も祖母も良く知っている。そんな彼女だから、いくら祖母の望みを叶えるために必要とはいえ、同じクランの人間の尊厳を踏み躙り、切り売りするような真似をなんの葛藤もなく出来るはずもない。
彼女自身もそれがわかっていたから、だからベルフェルテに頼んだのだ。
魔物の価値観を植え付けて欲しい、と。
無意識下の強制力によって、あらゆる行動を魔物に利するものへと、そのように自分を作り変えて欲しいと。
「そうしてあの子はすっかり変わっちまった。元があれだから表面上は変わりないように見えるが、アタシから見れば完全に別モノさね」
私は立場上クルエラさんと日常的に会うことはなかったから気付かなかったけれど、毎日顔を合わせていたはずの祖母にしてみれば歴然の変貌であったのだろう。
「タガが外れちまって、よからぬ邪心も出てきたみたいだね。もう自分でも元の自分がわからなくなってんだろうさ」
「く、クルエラさんは元に戻るの? 魔法を解けば、」
「戻る。だが推奨はせぬ。あれも望まぬであろう」
悟ったように言うベルフェルテの言葉に、祖母も沈痛な面持ちで無言の同意を示していた。
何故か。遅ればせながら私にもわかってしまった。
だって仮にベルフェルテが魔法を解いたことでクルエラさんが元に戻ったとして、それはつまり呪詛の影響で誤魔化していた良心の呵責が一気に戻ってくるということに他ならない。
優しいクルエラさんだからこそ、きっと耐えられない。
つまり、彼女は最初から引き返すつもりなどないのだ。
命を使い尽くすつもりで、不退転の覚悟で、事に及んでいるのだろう。
「どうして、そこまでして」
思わず零れた私の疑問には、鋼のような声が返ってきた。
「そこまですることだからさ」
告げた祖母は、ゆっくりと立ち上がり、私を見下ろした。
「さてリッカ。アタシ等が馬鹿正直にこうして語って聞かせたのは、ここまで辿り着いたアンタへのご褒美と、身の振り方を考えるチャンスをくれてやるためだ」
「身の、振り方……」
「もう事態は止められないところまで来ている。今更クルエラをどうにかしたところで意味はない。この場でアタシ等をぶちのめすのは一つの解答だが、まあアンタはそこまで無謀じゃないだろう」
実力で祖母に及ばない私が、少なくともその祖母と同格の力を持っていそうなベルフェルテも居るこの場で歯向かったところで、結果は火を見るより明らかだった。そもそもベルフェルテがその気なら、私は危機に気付くことすらなく最初で死んでいたのだから。
私が今日ここで祖母を問い詰めるつもりだと、事前に知らせてきたのは常から私の一番近くでサポートしてくれていたナタリーにだけである。流石にこんな事態になるとは思っていなかったから、特別な備えもしていない。
そんな私の考えを見透かしたように、祖母が言う。
「お友達に伝えるならば、言い方は考えることさね」
知る者を下手に増やせば、その者が死ぬことになると、これ以上ない脅しであった。
私がこの場で命を奪われていないのは、単に私が孫娘であるからというだけの理由だろう。命と尊厳を弄ばれた母のために復讐をすることを決意した祖母にとって、腹心であるクルエラさんすらを犠牲にしてまで伯爵家に報復を望む祖母にとっての、最後にして唯一の例外が、きっと私なのだ。
「アタシはアンタを若輩者と侮っちゃいない。悪いが、事が済むまでは閉じ込めさせてもらうよ」
「…………」
必死に思考を巡らせるも状況を打開する術など咄嗟に出てくるわけもなく、私は唇を噛んだ。
俯いた私は、眼前に置かれたローテーブルの映り込みが目に入る。
磨き抜かれた石材のテーブルには、上下さかさまになったベルフェルテの顔が映っている。
私と祖母の遣り取りを黙って眺めていたその顔が。
とても寂しそうな色を湛えていたのが、なんだか妙に印象に残ったのだ。




