413話_side_Frederica_メルクーシン邸
~"女帝の孫"フレデリカ~
「一体、なにがあったの……?」
伯爵領を火の海にするとまで言ってのけるほどの恨み、いやこれは最早憎悪だろう。
祖母と伯爵家、そして両親の間になにが起きたのか、並大抵のことではないはずだ。
私達は執務室に置かれた対面のソファに場を移し、向かい合って座った私の問いに、祖母は「全部を話す気はないよ」と前置きして、しかし少しだけならばと教えてくれた。
「始まりは、つまらない横恋慕さ」
「へ?」
「現ブラッドフォード伯爵はオスカーという男だが、これは実は次男坊でね。オスカーの上にディーターという長男が居る。コイツが問題だった」
ブラッドフォード伯爵が先代だった頃、小伯爵であったディーターはとある機会に私の母ヴィクトリアと接する機会があり、母に恋をしたらしい。しかし当時既に母は私の父ローベルトと恋仲にあったため、ディーターからのアプローチを受け入れることはなかった。
「かなりしつこい奴だったが、ヴィクタがロブの子供――つまりリッカ、アンタを身籠ったことを知ってようやく諦めがついたみたいでね。ただ、それまで言い寄って迷惑をかけた償いに、といってクランへの援助を申し出てきた」
それは珍しい話ではない。今日日、商会や職人組合、あるいは名士や貴族などが討伐者クランのスポンサーになるのは普通のことだし、このロイエンタールは国内で最も魔界資源の採掘が盛んな場所であることを思えば、資金援助の見返りとして貴重な資源を入手してもらうというのは至って常套な取引だ。
ただ、その当時といえば『赤原同盟』は総員でも十数人程度の小さなクランでしかなかったので、見返りを求めて援助をする意義は薄く、言葉通りに伯爵令息からの謝罪という意味合いが強かったのだろう。
「ディーター本人からの個人的な援助であれば断ったところだが、それは伯爵家からの非公式な謝罪だったのさ。まあ次期伯爵の醜聞になり得る話だから、言ってみれば口止め料だね」
当時のクランリーダーは祖母だったが、祖母はその時既に娘夫婦への世代交代を考えていたらしい。だからこれからのクランをどうしていくつもりかの判断は娘夫婦に任せることにした。
「援助額は伯爵家にとってははした金だろうが、弱小クランだった当時のアタシ等にとっちゃあ破格だ。援助があればもっとクランを大きく出来るし、今居るメンバーにももっと良い暮らしをさせてやれる。そう考えてヴィクタ達は援助を受け入れることにしたのさ。あの子達の性格上、迷惑な相手でも謝意を見せられれば無碍には出来ないってのもあったのかね」
「それは、そうかもー」
祖母にもしっかりそういうところがあるが、情に訴えかけられると滅法弱いのがメルクーシン家の血筋なのだ。
「アタシもそれでいいと思った。当時のアタシはクランを大きくしようとは考えていなかったが、だからこそそこいらが自分の退き際だとも思ってたしね。なにより、伯爵家からの謝罪を突っ撥ねればそれはそれで面倒くさい」
そこで祖母は一つ、溜息を吐いた。
「で、それが間違いだった」
「え?」
「アンタが生まれてすぐの頃だ。ディーターは再びヴィクタに関係を迫った。頷かなければ資金援助を打ち切ると脅しをかけてね」
悪いことに、丁度その頃はクランの規模増強のために拠点を移し、新規のメンバーも多く迎え入れたタイミングだった。そこで援助を打ち切られてしまうと、一部のメンバーが路頭に迷ってしまう。自分で戦って魔物を討伐出来るメンバーは最悪どうにかなるだろうけど、クランの運営に必要な人員は裏方だって居る。クランの規模増強の一環として、そう言った裏方の人間を採用し始めた矢先の出来事だったのだ。
考えるまでもなく、狙い撃ちされたのだろう。
母が断れないタイミングを虎視眈々と狙っていたに違いないのだ。
「ヴィクタは援助の継続を条件に、ディーターの元に行った。リッカがまだ物心つかない頃の話だから、覚えていないだろうけどね」
「うん……」
「勿論アタシやロブは伯爵家に抗議したが、まあ黙殺されて終わりさ。横暴に感じるだろうが、ここまでならわりとよくある話さね。援助を受けるとそういう危険があるってことはヴィクタ達だってわかっていたし、ヴィクタだって殺されるわけじゃない。次期伯爵の愛人になれば、暮らし自体はずっと良くなるだろうさ」
「でも、ママは帰ってきたよねー?」
少なくとも、私が物心ついた頃には、ちゃんと母は身近に居てくれたことを覚えている。
すると祖母は顔を顰めて「あっちの事情はわからないが、」と説明する。
「大方、伯爵に黙って好き勝手やってたのがバレたんだろうね。伯爵家は長男ディーターではなく次男オスカーに伯爵位を継承することを決めたのさ。表向きは長男は病気療養のためということになってたがね」
「それでー、そのディーターさんが家の中で発言力を失って、ママは解放されたってこと?」
「ああ。それからはアンタも知っての通り、数年は平和な時間が続いた。伯爵家は変わらずに援助を申し出ていたが、流石に信用ならないと断った。それでもクランの人数は実働組だけでも二十人を超えたし、裏方も含めれば三十人以上だから、弱小は卒業さね」
終わりよければ、ではないが結果的には順風満帆とも言える。
だけどそんな日々が長くは続かないのは、他でもない私が良く知っていることなのだ。
「その数年間をディーターがどう過ごしてたのかは知ったこっちゃないが、結論から言えばヤツはまだヴィクタのことを諦めていなかった。あるいは、もうおかしくなっちまってたのかもしれないがね。ヤツはヴィクタを黒い森に誘い出して殺したのさ。助けに行ったロブも諸共にね」
そう語る祖母の顔は、思い出すのも忌々しいと言わんばかりで、流石に私は詳細を訊ねる気にはなれなかった。
ディーターがどうやって現れたのかとか、何故母は誘いに応じてしまったのかとか、気になるところは多くあるのだが。
「そして伯爵家は事件を隠蔽した。アタシ達が最初のディーターの横暴を水に流してやったのは、結果的にヴィクタが元気に帰って来てくれて、本人も前向きだったからさ。今度は違う。あの子達は死んじまった。だというのにディーターの奴は生きている。少なくとも公には全く罪を贖っちゃあいないんだ。奴が今どこで何をしてるのかは知らないが、どうせ伯爵家が匿っているんだろうさ。その結果として、抜け出したディーターが凶行に及んだという事実があるにもかかわらず!!」
「……だから、おばあちゃんは伯爵家に報いを受けさせようと?」
憤る気持ちは勿論わかる。喪った二人は私にとってかけがえのない両親だったのだ。祖母にとってもかけがえのない二人だったはずだし、接した時間は私よりも祖母のほうがずっと長かったはずだ。
しかし、だからといってそれで伯爵家どころか伯爵領を滅ぼそうというのは些か行き過ぎだ。悪いのがディーターという男であるとすれば、復讐の対象はその人だ。その人を庇っている伯爵家が憎いのもわかるが、それとて伯爵家の縁者全員が悪というのは短絡的な論理の飛躍だろう。
「理由はもう一つある」
昂った気を鎮めるように意識的に声量を落とした祖母は、ずっと疲れたような面持ちで告げた。
「ヴィクタがディーターの愛人にされて伯爵家に赴いていたのは二年そこらの期間だけだったが…………そこで一人、奴の子供を産んでいる」
「えっ」
「現伯爵のオスカーには二人の子供が居る。長男のレイヴァンと、その妹で長女のジュリア。二人はオスカーの実子ということになっているが、実は違う。兄のレイヴァンはディーターの子だ」
ということはつまり、
「つまりヴィクタの息子であり、リッカとは種違いの弟になる」
「うそー……」
「嘘なもんかい」
吐き捨てるように言う祖母が嘘を吐いていると思ったわけではない。現実として受け入れるのが難しかっただけだ。祖母は母から直接そのことを聞いた上で言っているのだろうから、真偽を疑う意味がない。
そしてこれが真実だとすれば、そこには一つの悍ましい事実がある。
「わかるかいリッカ。レイヴァンは次期ブラッドフォード伯爵だ。罪人である男の子供を、しかもその男が殺した相手の息子を、素性を偽って、後継者として使おうとしているんだよ」
「でも、それは、そのレイヴァンって子にはなにも」
「もしレイヴァンってのが何も知らない小僧ならば、何の罪もない。それどころか一番の被害者であると言えるかもしれない。だからこそ、どう転んでもブラッドフォードの未来は昏い。こんな家は、存続しちゃあいけない」
おそらく私では、祖母の怒りの本質を理解してあげることは出来ないのだ。
立場が違うから。私にしてみればそのレイヴァンという子に同情してしまうし、実は弟だというのなら会ってみたいとすら思うのだが、祖母は違うだろう。
彼女にしてみれば、愛娘が強引に連れ去られ、犯され、孕まされ、最後には殺され、あろうことか忘れ形見すらを良いように利用されている有様なのだ。最早怒りと表現するのも生温い業火が渦巻いているはずだ。そしてその業火で、全てを焼き払おうとしているのだ。
私は祖母を止めるためにこの場に居るのだが、こんな話を聞かされては感情の面から祖母に訴えかけることが土台不可能な話であると悟らざるを得ない。
だとすれば、もう実現可能性の観点から突き崩すしかない。
「でもおばあちゃん、ブラッドフォードを火の海って言っても、どうやってー?」
正直なところ、その方策が私にはさっぱり思い浮かばない。
現在祖母が、というか祖母の意を受けたクルエラさんがやっていることは、単に討伐者ギルドの男女間対立構造を作って煽っているだけのことだ。討伐者を生業にしている私達からすれば無視出来ない問題に違いないが、ブラッドフォード伯爵領全域で見ればごくごく小規模な話でしかない。
もっと言えば、仮に伯爵領を火の海に変えたところで、それが伯爵家への復讐になるかというと微妙なところもある。無論経済的な大打撃には違いないだろうが、それだけであり、伯爵家の人間が死ぬわけでもない。この領は王国内の物流の要でもあるので、王政府も復興に力を注ぐだろうし、そうなれば音頭を取るのはブラッドフォード伯爵家なのだ。
「リッカ。歴史に倣いな」
「歴史……?」
「ブラッドフォード伯爵家程じゃあないが、それなり以上に有力な伯爵家が、領地を失うどころか一族郎党処分された一件が、最近にもあっただろう」
最近、と言われて首を傾げるが、徐々に歴史を遡っていけば自ずと正解には辿り着いた。
「オークトバーン伯爵領?」
十年前、黒い森からの魔物の大侵攻であるオンスロートを経て壊滅した地域の名前だ。私にとっては半生に値する十年という歳月を最近と言ってしまうのはおばあちゃんがおばあちゃんだからと納得するとして、件の『オークトバーン・オンスロート』では領地を治める伯爵家の初期対応が拙過ぎたということで、領地は黒い森に呑まれ周辺の他領にも夥しい被害を出した。領主本人はその一連の戦闘の中で亡くなっているが、生き残った伯爵家ゆかりの者も連座の責任を問われて断罪され、伯爵家そのものも取り潰しとなった。
文字通り、オークトバーン伯爵家は全てを失ったのである。
つまりは、祖母はブラッドフォード伯爵家をオークトバーン伯爵家の二の舞にするつもりなのか。
「ここの森でオンスロートが起きた時に、討伐者ギルドが機能不全を起こして迎撃できなければ、魔物の侵攻を許し、結果的に領主が責任を追及される……?」
「その機能不全の根源は、伯爵家が後生大事に庇っているディーターであると、奴の所業と共にリークする用意がある。なに、クソみたいな話だが、ブラッドフォード家の凋落を望んでいる貴族なんていくらでも居るからね。協力者には事欠かない」
それはわかる。国内有数の発展を遂げているブラッドフォード伯爵領を妬みに思っている高位貴族は少なくないと思う。例え魔物に侵攻された領地を復興する義務を負うとしても、それを補って余りあるリターンを見込んでこの地を欲する者が居ないはずがない。
それはいいのだ。是非はともかくとして、言っていることはわかる。
だけど、祖母の計画には一番重要で、一番前提となるピースが欠けているように思えてならない。
「オンスロートが起きるまで、ずっとこれを続ける気なの……?」
言うまでもないが、魔物の一大侵攻であるオンスロートの発生時期を人間が操作することなど出来はしない。黒い森を囲む結界の効果で発生予兆を感知することは出来るが、それだって本当に直前のことだ。
まさか祖母は、いつの日かこの地でオンスロートが発生するその時まで、無益な対立煽りを延々続けるつもりだとでも言うのか。
「は、は、は! そんなことしてたら先にアタシの寿命が来ちまうよ」
まだまだ長生きしそうな祖母だが、そう思った人が唐突に命を落とすのが討伐者という世界だ。それを思えば、足の長い計画を実行するにはそもそも向いていない界隈であるとも言えるのだが。
一頻り笑った後で、祖母は呼吸を落ち着けつつ私を見遣る。
「ああリッカ。一つアンタの勘違いを正しておくとしよう」
「勘違い?」
小首を傾げる私から祖母はついと視線を逸らし、少し上のほうを眺めた。ここではない何処かを見ているようにも思えるし、私の背後に立った誰かを見ているようにも思える。勿論、この屋敷の中に居るのは私達と使用人だけだし、人払いがされたこの部屋には私と祖母以外の人間なんて居るはずがない。
「アンタはアタシのことを『元凶』と言ったね。ありゃ間違いだ」
「おばあちゃんが元凶でないなら、誰が」
「諸悪の根源っていう意味なら間違いなくディーターの奴だが……そうさね、『黒幕』って意味じゃあ――」
祖母が言い掛けたその時だった。
誰も居ないはずの私の背後から伸びた手が、ひんやりと冷たい感触が私の両肩にぽん、と置かれた。
そして、蕩けるような甘やかな声が降ってくる。
「黒幕は…………妾じゃ」




