410話_side_Sumeragi_幽家
・次回更新から、本作の投稿日を毎週『火、木、土』に固定しようと思います。
・ちょっと短編の作品を書いてみようかなという気分なので、日曜日をその執筆にあてようかと。
~"小さいほうの闇の巫女"スメラギ~
フェンリス達と一時的に別れ、私は単身『幽世』にある自宅に戻ってきていた。
幽世は人界でも魔界でもない狭間の世界で、おかあさんが魔法で生み出したものなのか、あるいは元々存在した異界なのか私にはわからない。ただ、どちらかというと術理法則が支配的な空間であり、つまり人界よりは魔界に近い場所であると言える。そのせいなのか定かでないが、幽世もまた、魔界と同じく日が昇ることがない常夜の世界なのだ。
私の自宅はこの幽世に唯一の家屋。『幽家』とでも言うべきそれは、外観からして幽玄めいた不可思議な建築物だ。人界で言うところの東方風の建築様式に見えるが、その全容は幽世の景色に溶け込むように朧げで判然としない。門扉を抜け、厳めしい石造りの灯篭が左右に並ぶ飛び石の道を歩く。右手に臨む庭園には大きな池があって、水面は空と同じ色をしている。空の色合いが水面に映っているのではなく、幽世の空と水には違いがないのだ。遠くを見れば大地がなく、地平線もなければ水平線もなく、空と水と同じなにかがあるだけ。
それらは須らく『夜』であり、果てのない夜に浮かぶ世界こそが幽世である。
「ただいま、戻りました……」
灯りのない屋敷の中に、私の声が虚しく響く。生憎とおかあさんは今だ目覚めていないようで、屋敷の中はしんと静まり返っていた。いやもしかすると、おかあさんが起きていても静寂さは変わらないかもしれない。私は魔法で照明代わりの鬼火を燈しつつ、見慣れた廊下を奥へと歩く。
今回、私が帰宅したのは主に資金繰りのためであった。つい先日、スコール達へのお土産を購入するために手持ちの金銭を使い切ってしまい、一度ここに戻って資金を調達したばかりだというのに、性懲りもなく私はまたもや素寒貧であった。というのも、フェンリスに諭されてコンディションを整えるために向かった温泉施設の入場料が、それなりに上等だったので。
おかあさん宛てに『教団』の信徒の人達から贈られる献上品をまたいくつか拝借して、換金して私達の活動費に充てるつもりだった。この行為には若干『いいのかなぁ?』と気が引ける思いがないでもなかったが、おかあさんからは好きにしてよいと言われているし、実際私が持ち出さなければ無限に溜まって埃を被っていくだけの物品であるので、有難く有効活用させてもらおう。
途中、おかあさんが眠っている部屋に立ち寄り、一応様子を窺ってみる。
そーっと襖を開けて内部を覗き見ると、畳の上に敷かれた布団が、相も変わらずこんもりと丸くなっていた。
どうやら未だにおかあさんは熟睡中のようだ。
「…………はぁ」
もうそろそろ、起きてくれてもいいのにな、と思う。
いつになったら目覚めてくれるのだろう。この前、ここを訪ねてきたアスタロトという魔物曰く、目覚めるのはそう遠くないらしいが。
私に出来ることは、おかあさんが目覚めた時に褒めてもらえるように、精一杯フェンリスのお手伝いをすることだけということだ。
フェンリス達が現在どこで何をしているのかというと、たぶんいつも通りに黒い森で適当に過ごしているのだと思う。ここ最近の私達はずっとそんな感じだ。ブラッドフォードの地で確保すべき有格者には既に目星を付けていて、いつでも行動に移すことは出来るのだけど、フェンリスはしばらく様子を見る方針のようなのだ。
理由を聞くと、どうやら彼の知り合いの魔物であるベルフェルテという人がなにやら事を起こそうとしているらしく、フェンリスはその邪魔をしないように気を遣っているのだ。まあ、彼自身は下手に邪魔をして睨まれると面倒くさいなどと辟易した顔で言っていたのだが。察するにフェンリスとベルフェルテはあんまり仲が良くないみたい。
まあ要するに、今はそのベルフェルテの行動待ちということである。
そういう理由もあって、時間的な余裕があるので資金調達と同時に一度おかあさんの様子も見てこようと思って、私は帰ってきたということだ。
「あれ……また増えてる」
信徒からの献上品がまとめて放り込まれている部屋を、私は便宜上『倉庫』と呼んでいる――部屋の造りは別段倉庫用ではない――が、少し前にも訪れた屋敷の倉庫を私が覗き込むと、どういうわけかまた献上品が増えている。一体誰がどうやって運び込んでいるのかわからないが、こうして勝手に溜まっていくのだ。
私は手前に積まれていた物品の中から適当に、比較的持ち運びし易そうで尚且つ高価そうな貴金属付きの装飾品をいくつか手に取ると、踵を返して部屋を後にする。なんでおかあさんが微塵も興味を示さないようなものを、こんなにたくさん献上してくるのだろうか。おかげで私は助かっているから、文句もないが、不思議ではある。
おかあさんの様子を見ることと、資金調達をすること。ここに帰ってきた目的を早々に達成してしまった私は、さてどうしようかと頭を悩ませる。フェンリス達と合流するべきかとも考えたが、半端な調子で合流してまたフェンリスを呆れさせないためにはここでしっかりと休んで英気を養い、コンディションを整えてから戻るべきであろうか。
今の私の実力ではフェンリス達の足手纏いにしかならないことは自覚している。なのでもしおかあさんが起きていたら少し魔法を見てもらおうとも考えていた。私が使っている魔法は元から自然と使えたものだが、元をただせばおかあさんから教わったものに違いない。何故か私には過去の記憶がないので教わった事実を覚えていないのだが、だからこそ、なんとなくで使っている魔法を、もう一度ちゃんと学び直すことには意味があるはずだ。
結局、おかあさんが起きていないのではどうしようもないわけだが。
「違う。だったら自分で学べばいい」
おかあさんが教えてくれないから、ではないのだ。
私は甘えた気持ちを叱咤すると、自分なりにやってみることに決めた。
屋敷の中を探せば、おかあさんが魔法の研究に使っている資料なども見つかるはずだ。私には難しい内容かもしれないが、得られるものはきっとある。そう思い、私は屋敷の奥へと足を進めた。
実のところ、私はこの屋敷のすべての部屋を知っているわけではなく、それどころか一度も入ったことのない部屋のほうが多いくらいだろう。とりわけ、私が意識的に脚を踏み入れないようにしていたのはおかあさんが普段使っていた部屋から更に奥の区画だ。おそらくそちらにはおかあさんの私室などがあるはずで、私が求める魔法の資料などがあるとしたらそこだろう。
おかあさんは私に、この屋敷の中の物ならばなんでも好きにしていいと許可をくれているので、別におかあさんの私室に立ち入っても構わないのだろうけど、なんとなく気が引けてこれまではそちらに歩を向けることはなかった。おかあさんは基本的にずっと同じ部屋に居るような人であり、起きていた時も現在寝床にしているあの部屋に四六時中居て、そこでなにやら読書をしたり物を書いたりして過ごしていたのだ。彼女がずっとそこに居たので、私が敢えてその奥を覗きに行く必要がなかったというのも事情の一つかもしれない。
そうして奥へとやってきた私であったが、ふと奇妙な感覚に気付く。
「……?」
既視感。そう、既視感だ。
この内観を、なんとなく見たことがあるような気がする。
とは言っても単なる廊下だ。屋敷の内装はどこも同じようなものなので、特に廊下などはどこも大差ない景色だろう。だから見たことがあるような気がしたのか、あるいは。
「……ここ、知ってる?」
感覚を頼りに、私は歩く。
当初の目的など脇に追いやっても、この感覚の正体を確かめなくてはならない気がした。
見覚えがあるような気がする廊下を奥へと進むと、少しずつ雰囲気が変わり始める。木目調の内観は土を塗り固めた漆喰の壁に代わり、板張りの廊下はひんやりと剥き出しの地面になる。屋外に出たような気配はなかったが、どうやら屋敷から内部で繋がった別の建物の中に移ったらしい。おそらくは土蔵のようなものが屋敷と渡りで繋がっていたのだ。
ここに至って私の既視感は気のせいでは済まされないものになってくる。
何故なら私はこんな土蔵がここにあることすら知らなかったし、覚えている限りでは勿論訪れたこともない。だというのにむしろ強くなる既視感は、私が間違いなくこの場所を知っていることを意味していた。
つまり、私が覚えていない過去の記憶の中で、私はここに来たことがある。
なにもおかしなことはない。私が記憶を失う前からここで生活していたのだとすれば、むしろ知っていて当然だろう。
私は自分に過去の記憶がないことを、然程気にしたことがなかった。ともすれば奇妙な程に、それを知ろうと思ったことがないのだ。しかし今、図らずもこうして手掛かりめいたものを見付けてしまった以上、放置する気にはなれない。
「…………」
無言で、無心に歩を進める。
土蔵の中には照明の類が一切ないので、視界の頼りになるのは魔法で浮かせた鬼火の淡い輝きだけだ。
道中にはいくつかの部屋や閉ざされた扉があったが、私はそれらを無視して只管に進んだ。感覚の訴えるままに。
辿り着いた最深部、道の突き当りには冷ややかな金属の輝きがあった。
「格子……?」
地面からは一段高いところに板張りの床があって、その奥には畳の敷かれた部屋のようなものがある。しかしその部屋を壁の代わりに隔てているのは金属の格子であった。所謂座敷牢というものだ。
座敷牢の中は特に暗くて、私の手元の鬼火だけでは照らし切れない。闇に沈んだそこに、私は何かの息遣いのようなものを感じ取る。ようなもの、というのはそうとしか表現のしようがないからで、音が聞こえるわけでも、気配を感じるわけでもなくて、だけれどそこに何かが居るような気がするのだ。
確かめるべく、私は手元の鬼火を座敷牢の方向へと飛ばそうとした。その時――、
「なにをしてるのか」
「っ!?」
いきなり背後から声を掛けられて、私の肩が跳ねる。
咄嗟に振り返ると、私が歩いてきた道にいつの間にか人影があった。
私と同じ着物に身を包んだ、私と似たような背格好の女性。
おかあさんだ。
「あ、あの……私、」
彼女が目覚めてくれたことを喜ぶよりも先に、私は咎めを受けたような気分になって身を竦ませた。入ってはいけないと言われていた場所に、勝手に入ったことを叱られているような気持ちだった。
土蔵内の闇に溶け込むように、闇に輪郭を沈めたおかあさんの黒い双眸が魔力を燈し、茫洋と煌めく。
熾火のような赤。
私のこの瞳と同じ色だ。
巫眼と呼ばれる魔眼の一種であり、事物の神髄を捉えると言われている『暁月』の眼だ。
赤い視線に射竦められ、私は指一本として動かせなかった。
「なるほど」
おかあさんは私を見てぽつりと一言だけ呟くと、興味を失ったように踵を返した。
私は思わず、その背中に声を掛けた。
「あのっ、ごめんなさい。勝手に入ってしまって」
「構わない。好きにしていいと言った」
歩き去るおかあさんの背を追いつつ、私は言葉を重ねる。
「もしかして、私は以前にもここに来たことが……?」
「ない。私の知る限りは」
来たことがないのなら、この既視感はどういうことなのか。
訊けば答えてくれるだろうおかあさんに、しかし私はどうしても決定的なことを訊くことが出来なかった。
ちらりと背後を振り返ると、闇に沈んで鉄格子すらも見て取れない座敷牢の中に、変わらず何かの存在を感じる。
あれは一体『何』で。
そして、私にとっての『何』なのか。
それを訊く勇気が、どうしても湧いてこなかったのである。




