補完[救い-11(end)]
光を感じ、リンが目を開けると、ぼやけた視界の中に誰かの影が映った。
「…………?」
中々焦点の合わない瞳でぼんやりと見上げるそれが、友人であるケイの顔だと少し遅れて気付く。
「リンちゃん……!」
微かに震える声音で自分の名を呼ぶのは、やはりケイだ。
「じゃあ、これで約束は果たしたってことで」
そう言ったのは、今度は知らない声だ。ケイの他にも誰かが居るようだが、ベッドに横たわっているリンの視界では姿が捉えられない。
「はい……はいっ、本当にありがとうございます!」
感極まったように何度も礼を述べるケイに、そのもう一人は至って軽い調子で応じながら、気配が遠ざかっていった。おそらく、部屋から出ていったということなのだろう。
ようやく明瞭になってきた視界が映すのは、ベッドサイドからこちらの顔を覗き込んでいるケイだ。リンも良く知る最近の彼女の姿で、呪詛の影響で魔物化してしまった容姿だった。
だけど、なんだろう。リンは少しの違和感を覚える。決して悪い意味ではなく、ケイの雰囲気が少しだけ明るい方向に変わっているように思えたのだ。
「リンちゃん、わかる? ケイだよ」
「わからないわけないだろ……?」
いきなり何を言うかと思えば、とリンは苦笑した。
まるで死の淵から蘇った者でも見るかのような調子だ、と考えて、もしかしてその通りなのかと思い至る。リンが覚えている限りの最後の記憶は、寺院を襲撃してきた修道女と戦い、そして敗れて拘束されたところまでだ。拘束を脱するために自らの脚を切断し、部屋の外まで這いずったことは辛うじて覚えているが、そこから先の記憶がないということは、残念ながらそこで力尽きたのだろう。
「兄さんと……リュウは?」
「大丈夫。ちょっと怪我してるけど、皆無事だよ」
「そうか……」
目の前のケイはなんだかとても元気そうだし、兄達も無事であるならば、と取り敢えずリンは安堵の息を吐いた。
「もしかして、私が一番まずい状態だったのか……?」
「もしかしなくてもそうだよぉ! ほんとに、もう、ダメかと」
くしゃくしゃに顔を歪めたケイに、感情の乗った声音で責められ、リンは嘆息する。
どうやら相当心配を掛けてしまったようだ。
「えぅぅ……よかった……よかったよぉ~」
ずびずびと鼻を鳴らしながら『えうえう』言っているケイに、リンは思わず笑ってしまった。
「なんか、えらく久し振りに聞いた気がする」
「うぅ……なにが?」
「ケイの鳴き声。えうぅ~、ってやつ」
リンがそう言うと、ケイはもう一度鳴き声を聞かせてくれた。
昔から引っ込み思案で打たれ弱いケイは何かにつけてよくめそめそしていたのだが、そういう時には決まって『えうえう』鳴いていたものである。いつの間にかすっかり聞かなくなったので、ケイも幼少期の口癖を卒業したのかなと考えてもいたが、そうでもなかったようだ。
するとケイはほんのりと頬を染めて、不満そうな顔をする。
「皆して同じこと言って。私そんなに、その……えぅえぅ言ってるかな?」
「それが口癖というものだ」
どうやらリュウとダイにも既に同じツッコミを受けていたらしい。まあそうだろな、とリンは思う。
状況も経緯もよくわからないが、ケイがなんだか元気になって、昔のように『えうえう』言ってるのが無性に嬉しい。リュウもダイも、気付かないわけがなし、喜ばないわけがない。だってつまり、自然体のケイが戻ってきたということなのだから。
リンが笑っていると、ケイはますます不満そうに膨れていく。
「えぅ~」
「ほらまた言った」
◇◇◇
身体に障るといけないから、と詳しい経緯の説明は明日に回し、ケイから今日のところは簡単にあらましだけを説明してもらった。
驚くべきことに、あれから既に一週間以上の時が過ぎていて、リンはずっと昏睡状態であったらしい。それならばあんな風に死人が目覚めたみたいなリアクションになるのも無理からぬことだ。
ゆっくり休むようにと釘を刺してケイが立ち去った後、照明の落とされた室内で一人、リンは思考を巡らせる。
ここはリンにとってまったく見覚えのない部屋であったが、なんと『剣の誓い』が保有しているクランハウスの一室であるとのこと。紆余曲折あったのだろうが、先の修道女襲撃の件で寺院を追い出され、今はこのクランハウスで全員が世話になっているらしい。リュウとダイにはまだ会っていないが、リンが目覚めたことはケイが伝えてくれるそうなので、明日になれば全員で顔を合わせる機会があるだろう。
片脚を失い、血を流し過ぎて昏睡していたにしては、今のリンの体調は悪くなかった。起き抜けに不調らしいものも殆どなく、脚のほうは麻酔が効いているのかなんなのか、違和感こそあれ痛みもない。おそらくだが、先程リンが目覚めた時に部屋に居た人物――声音から女性であることしかわからなかったが、彼女がリンに治療を施してくれて、その結果として自分は目覚めたということなのだ。
「どうしたものかな……」
考えるのは今後の身の振り方である。
ケイがなんだか元気になっていたのは、長年苦しめられた呪詛を解くことが出来たからだった。流石のリンもその報告には目が点になったが、経緯を聞くに一連の騒動の中で『緑后』と再び遭遇する機会があって、かの魔物の気まぐれだかなんだかで呪詛を解かれたとか。詳しく訊きだすには時間が足りなかったので、また明日以降に詳細を訊いてみるつもりだ。
ただ、だとすればリン達が急いで王都に向かう必要もなくなったわけだ。結局ケイの容姿は変容したままであるし、それを元通りにしようとおもったらやはり時間魔法の力が必要になる。だから当初の予定通りに王都を目指してエンディミオン魔法学院に通うアシュタルテ侯爵令嬢との接触を望むという方針は、一応イエスではあるのだが。
「タイムリミットが撤廃されたのは大きい」
急ぐ必要がないということは、今でなくてもよいということだ。
その分ケイには不便を強いる時間が伸びてしまうことに違いはないが、例えば一年後とかまで待っても構わないのだ。そうすると何が嬉しいのかというと、リスクを負ってゲスロリを頼る必要がなくなる。マルグリットなどの反応を見る限り、どうもアシュタルテ侯爵令嬢ことプリムローズの人物評が、リンの知るそれとは少なからず異なっている気がしてならないが、さりとてアシュタルテ侯爵家自体は安定の外道という風評だし、そうでなくても彼女は高位の貴族令嬢には違いないので接触にはリスクを伴う。
一年待てば、第一部の主人公ミアベル・アトリーが完全な時間魔法を継承してくれるかもしれない。もしそうなれば、ケイの容姿の治療を頼むにしても、ゲスロリに頼むよりは遥かに低リスクで済むだろう。
問題があるとすれば、『宵の魔王』が復活するというイベントをこなさなければならないということだが、それはその期間だけ王都や各地の黒い森から遠ざかっておけばいいだけのことだ。ミアベルと仲間達が魔王を討った後で、つまり原作第一部のエンディング後にミアベルの元を訪ねればいいのだ。
「しかし……」
懸念はある。
先程言及したプリムローズの人物評のこともそうだが、どうにもリンが知る正史とは色々なところで違いが出てきているように思えるのだ。そもそもを言えば、今この時期にマルグリット・ル・ベリエが生きていることがまずおかしい。
無論、なにもかもが原作の展開通りに進むものではないことは、他でもないリン自身が身を以て実証していることだ。
本来、東方の地で死んでしまうはずだったケイの運命を捻じ曲げたのは自分なのだから。
リンと同じように、かつての人生の記憶を有したまま生まれてきた人間が他にも居て、そういう者の行動の結果としてマルグリットが生き残っているという可能性は否定出来ない。人物評が異なるプリムローズこそがその所謂『転生者』とでも言うべき存在である可能性は、まったく否定出来ないどころか普通にあり得る。
つまり、今後の展開がリンの知る物語と同じになる保証などないのだ。
いや、今後どころか、今この瞬間であってもそうだ。
「…………ベルフェルテ」
実を言えば、リンは現在このブラッドフォードの討伐者ギルドで進行している異様な状況に心当たりがあった。
この世界の原作と言える『夜明けのレガリア』という漫画作品。前世の記憶で、所謂『レガリア三部作』を全編読了していて、それなりに内容も覚えているリンにとっては、この支部の状況は第二部こと『レガリアSS』の中盤で描かれた『魔公ベルフェルテ編』に酷似している。
しかし同時に、リンはこれが魔公ベルフェルテの仕業ではまだないと考えていた。おそらく、ここの支部には下地として男女間の対立構造が最初から存在していて、それを三年後に魔公ベルフェルテが利用したことであの事件が起きたのだろう、と。
そう考える最大の根拠は原作知識であるのだが、要するに現時点で魔公ベルフェルテが活動しているはずがないのだ。
何故ならば、ベルフェルテと緑后が同時に存在しているはずがないからだ。
しかし、先程聞いたケイの説明で、リンの認識は根底から覆された。
ケイの口振りではまるで、
ベルフェルテと緑后が同一人物だとでも言わんばかりではないか。
もし、リンの原作知識が覚え違いで、もしくは原作とは決定的に異なる何かが起きていたのだとすれば。
本当にケイが示唆したとおりにベルフェルテと緑后が同一人物なのだとすれば。
そしてそのベルフェルテが今まさにこの場所で暗躍しているのだとすれば。
「既に、始まっている……」
本来であれば三年後に起きるはずであった事態が、今進行している。
この瞬間、既に魔公ベルフェルテの恐るべき術計が発動秒読み段階に入っていたとしてもおかしくない。
そうだとすれば、このまま行けば、おそらく。
「この街が、消える」
三年後の正史にて、魔公ベルフェルテの野望を挫いたキーパーソンが、この場には殆ど居ないのだ。
強いて言えばダンクーガ小伯爵ことルークが居るくらいだが、当たり前だが現在の彼は三年後の彼に比べれば遥かに弱い。
少し前までのリンであれば、間違いなく逃げの一手を選択しただろう。原作知識のおかげで危機を事前に察知出来るので、決定的な事態が起きる前にこの街を離れ、目的地である王都へと出発するようにしただろう。
寄る辺なく、友人四人で身を寄せ合って力を合わせて旅をしていた頃であったならば、その選択肢を選ばない理由がなかった。
しかし、もうそれは出来ない。
こうして『剣の誓い』に世話になっている現実があるし、そうでなくとも少なからずここで結んだ縁がある。
最早、見て見ぬ振りは出来ないのだ。
「…………しかたないか」
明日、話そう。
友人達には勿論のこと、どこまで信じてもらえるかはわからないが、英雄伯にも。
リンの勘違いや杞憂で済むならばそれが一番いい。だが、予想した通りの危機が訪れるのだとすれば、備えるべきだ。
あんなに元気になったケイの様子を見れば、リンが昏睡して寝こけている間に、ケイの周囲の人々が彼女にどれだけよくしてくれたのかは考えなくてもわかる。恩義を返さねばなるまい。そしてケイの笑顔を曇らせたくはない。
「もしかすると、『僕』の記憶はこの時のためにあったのかもしれないな……」
自嘲とも呆れともつかない感情をそのまま笑みに変えると、リンは少し休もうと瞳を閉じる。
部屋の灯りはケイが落としていったので、室内は暗く、すぐにでも眠りに落ちることが出来そうだった。
だがその時、不意に。
こんこん
と扉を叩く音が聞こえた。
室外の廊下を誰かが歩けば足音で気付くとばかり思っていたが、まるで察せられなかったことにリンは自分が思っている以上に衰えているのだと認識する。何日も寝たままであればそれも当然か。
「どうぞ?」
リンは扉のほうへと声を掛けた。
自分が目覚めたと聞いて兄やリュウが訪ねてきたのか、はたまたクランの人間か。ここは『剣の誓い』の保有するクランハウス内なので、関係者以外の人間は居ないはずだ。なので特に警戒することなくリンは来訪者を招き入れることにした。
無論、クランの関係者だからといって全員が信用に値するとは思っていないが、何かあれば抵抗出来ない程に弱っているわけでもないし、よからぬことを考える輩であれば、そもそも扉に鍵などついていないのだからノックなどせずに乗り込んでくるだろう。
リンの声を受けて、部屋のドアが開かれる。
暗い室内に外の廊下の照明の灯りが入ってきて、リンは眩しさに数舜目を細めた。
光が白く縁取る四角い空間の中に立っていたのは、どうやら女性のようだった。
「貴女は……」
何も言わずに扉の所に立ち尽くしているその人物に、リンは怪訝に目を細めた。
逆光になっていて見え辛いが、容姿が判別出来ない程ではない。
そしてリンは、その人物とは間違いなく初対面であった。
しかし、リンは彼女を知っていた。
「何故ここに……?」
半ば呆然と呟いたリンを見詰めて、陰に沈んだその口が、三日月のような弧を描いた。
◇◇◇
翌日、朝からリンの元を訪れたケイに、彼女は徐にこんなことを告げてきた。
「一晩経って思うのだけど、どうも記憶が所々で抜け落ちているような気がするの」
「えっ? ど、どういうこと?」
「ええとね、ほんとに所々なんだけど、思い出せないのよ。昔のこともだし、最近のことも」
ベッドに半身を起こしたリンが思案気に眉根を寄せるが、ケイが彼女本人以上に深刻な顔をしていることに気付いたのか、リンは安心させるように微笑んで見せた。
「心配しないで。彗華のことはちゃんと覚えているし、勿論、劉一さんや兄さんのことも」
「う、うん……?」
「どうかした?」
「あ、ううん。大したことじゃないんだけど、リンちゃんが急に昔みたいに呼ぶから」
ケイ達が今のように愛称だけを名乗り始めたのは、故郷で緑后の一件があってからだ。愛称なので、それまでも互いに呼び合う際には使うことがあったが、自称し始めたのは緑后の目から逃れるために流浪の旅を始めてからである。
例外的にケイは今でもケイカと名乗ることもある。これはそもそもケイの本名の発音は『フイファ』が正規であり、ケイカというのが愛称みたいなものだからだ。なのでリンがケイのことをケイカと呼ぶのはそこまでおかしい話ではないが、リュウのことを劉一さんなどと呼ぶのは、それこそ幼少期の出会った頃くらいだったはずである。
ケイの指摘に、リンは言われて初めて気が付いたみたいに目を丸くした。
「あ、あら? そういえばそうね。私、変かも」
「ううん。しょうがないよ。起きたばっかりだし、まだ混乱してるのかも」
「そうかしら?」
きっとそう、とケイは頷く。
いきなり言われたので驚いてしまったが、実は記憶の欠落などについても事前に可能性だけは聞いていたのだ。陸刀会の寺院に居た頃にリンの応急処置等をしてくれた医者の言うところによると、リンが昏睡状態から目覚めないのは血を流し過ぎて脳への血流が滞ったことが原因の可能性が高く、それ故にいつ覚醒するかの予測も難しく、仮に目覚めたとしても何らかの障害が残る可能性は否定出来ない、と。
障害とは、と質問したケイ達に医者はいくつかの例を挙げ、その中には記憶の混濁や欠落といった症状もあった。
そのことをリンに改めて説明すると、彼女は得心した様子を見せた。
「ねえケイ。私を起こしてくれた人って、そのお医者さんとは別の人なんでしょう?」
「うん。スレイさんっていう女の人だよ。恩人なんだ」
「昨日目が覚めた時に、少しだけ声を聞いたわ。その人には、私の記憶のこと、言わないでいいからね」
「え?」
きょとんとするケイに、リンは申し訳なさそうに眉根を下げて言う。
「こうして起きれただけでも有難いんだもの。記憶のこと言って、そのスレイさんが責任感じちゃったりしたら、本当に申し訳ないから」
理由を聞いて、ケイはほっと息を吐く。
いかにもリンらしい、優しくてこまやかな気遣いだったからだ。
そういうことならば、とケイも彼女の意見を支持する。確かに、リンの記憶の欠落は悲しむべき事態ではあれど、元より医者に警告されていたように、起こるべくして起こったことであるとも言えるのだ。それをスレイの責任だなどと言いたくないし、むしろ彼女のおかげでその程度の代償で済んだのだと思わなければならない。
スレイの治癒魔法はリンの脚の傷を塞いでくれただけではなく、リンを昏睡から目覚めさせてくれたのだ。もっと重大な障害が残っても決しておかしくなかったリンの予後を、軽度の記憶欠損で済ませてくれたことを感謝こそすれだ。
その後、リンの身嗜みを整える手伝いをしながら、昨日伝えきれなかったこれまでのことを語って聞かせる。こうして早朝にケイだけが先んじて訪ねてきたのはこのためだ。説明のほうではなく、身嗜みのほう。
しばらく寝たきりだったリンがそんなことに気を遣えたはずもなく、友人や肉親とはいえ男性と会う前に最低限でも整えたいだろうとケイが気を利かせたのだ。というわけでこの後、リュウとダイがこの部屋を訪ねてくる予定だ。
流石に少なからず傷んでしまっているリンの黒髪に丁寧に櫛を通しつつ、ケイは「そういえば」と呟く。
「なんだかリンちゃん、雰囲気変わった?」
「そう? それを言うならケイこそ、って思うのだけど」
具体的には? と問われてケイは先程から思っていたことを言う。
「今日のリンちゃん、お淑やかというか、女っぽいなぁって」
するとリンはきょとんとして、それからすぐに破顔した。
「ふふっ、なぁにそれ。こう見えても、正真正銘の女なんですけど?」
「そ、そっか。そうだよね。変なこと言ってごめんね」
口では詫びつつも、やっぱりちょっと様子が違うなとケイは思った。
リンという女性は昔から男口調と女口調が混ざったような不思議な話し方をする人物であったのだが、口調だけのことではなく、性自認が若干曖昧なところもあった。基本的に自身が女性であると認識し、女性として振舞うことをしていた彼女だが、その実、必要以上に性別を前面に出すことをしない人物でもあった。
勿論、とはいえリンが正真正銘女性であることは確かだし、おそらくこれも記憶の欠落に関係する一時的な混乱なのだろうとケイは理解し、それ以上言及することをやめた。もしこれが一時的でない症状だったとしても、別に困ることはないわけであるし。
誤魔化すように話題を探したケイは、もう一つ『そういえば』を思い出す。
「ねえリンちゃん」
「うん?」
「もしかして昨日、私の後に誰かこの部屋に来た?」
そう訊くとリンは小首を傾げた。
「いいえ。誰も来てないと思うけど?」
なんで? と逆に訊かれて、ケイは疑問のわけを話す。
「あのね、部屋を出る時におまじないを掛けてたの」
「おまじない?」
「うん。リンちゃんが眠ってた間もずっとやってたんだけどね」
それは本当におまじない程度の魔法なのだが、ケイが退室する時に部屋の扉に施しておいたのは『鳴子』のまじないであった。
このクランハウスの内部の部屋には基本的に扉の施錠を行う鍵は備えつけられていない。関係者だけが生活している場であるし、それでも問題はないのだろうが、昏睡しているリンを鍵の掛かっていない部屋に置いておくのも不安があった。
なにせ、リンは十人中十人が認めるような美人だ。ここのクランの人間を疑いたくはないが、美貌に魔が差す者が居ないとも限らない。ケイが同じ部屋で寝起きするという選択肢もあったが、一人用の寝室でそれは難しいし、あからさまに警戒しているようでクランの人達にも失礼だろうと思った。
そこで、おまじないを掛けたのだ。
効果は単純。外から勝手に扉を開けるとケイにそれがわかるというもの。要するに魔法的な警報装置である。これでケイが寝ていても、夜間にリンの部屋に侵入する者が居れば即座にわかる……はずだ。幸いなことに一度も効果が発揮されたことはないので、実際使えるのかはわからないが、無いよりマシだろうからまさにおまじないレベルである。
ここで言う勝手に扉を開けるというのは、つまり部屋主であるリンの許可を得ず、ということだ。おまじないは一回こっきりで、一度扉が開くと魔法が失われ、再度ケイがおまじないを掛け直す必要がある。
「でね、さっきこの部屋の扉を開けた時におまじないが消えてたから」
しかし夜間に警報は発せられなかったので、それは即ち夜間に扉を開けた者が居たが、ちゃんとリンの許可を得てから開けたということだ。
だが、しかしリンは誰も来ていないと言う。
これは一体どういうことかとケイが真剣に首を捻っていると、リンがおかしそうに笑みをこぼしていることに気付く。
「え、なに? どうしたの?」
「いや、だって貴女それ、さっきこの部屋に入ってくる時に言ったじゃない。『リンちゃん入るよー?』って」
「うん。そしたらリンちゃん『どうぞー』って…………あ」
リンが笑っている理由がわかってケイは小さくなった。
熱くなった頬に両手を当てる。
なんのことはない。さっきこの部屋に来た時にケイが入室の許可を取ったので、それでおまじないが消えただけだ。昨日まではリンが目覚めていなかったのでわざわざ入室の許可を取ったりはしなかった。だからケイが扉を開けるまでおまじないが残っていた。今日になってこれまでと違うことをしたので勘違いしただけだったのだ。
「は、恥ずかしぃ」
「ふふ、これでこそケイって感じよね」
よしよし、と慈しむ手で頭を撫でられて、
「えぅぅ~……」
ケイはますます小さくなるのだった。
・本作が面白いと思ったら、評価をお願いします。
・そうすると作者のモチベが上がって、もっと面白くなります。




