補完[救い-6]
・少し戻って修道女サイド。
ロイエンタールの街の上層部は温泉街として有名だが、その下の下に広がる下層部には浄水区と呼ばれる場所がある。
これはその名の通り、ロイエンタールの街で使用され排出された水を、浄化して再利用ないし放流するための区画となっていた。更にその中で大別して三つのセクションが存在し、所謂下水等の生活排水を処理するセクション、温泉施設から排出される温泉排水を処理するセクション、そして多く点在する工房等の施設から排出される工業廃水を処理するセクションだ。
このうちの二つ目、温泉排水処理区画が現在、二人の修道女の潜伏先となっていた。ここを潜伏先に選んだ理由は第一に人目につかないからであったが、生活排水処理区画は普通に下水処理なので汚くて臭うし、工業廃水処理区画は環境への影響も考慮してとりわけ厳重に管理されており、異常があればすぐに管理者がすっ飛んでくるので潜伏には向かない。その点、温泉排水は基本的にはそのまま河川に放流されるだけのことが多いので、処理区画と言えども大仰な設備など無く、元が温泉なので独特の匂いはあるものの、他と比べればまだしも抵抗感は薄いほうだ。
要するに、潜伏先は消去法で決められたのである。
しかしながら、あくまでも他と比較して相対的にマシであるというだけで、湿度が非常に高く、清潔でもない場所なので、人間が長居するには向かないことは変わりない。
「たっだいまなのだ~!」
そんな一角に、場違いに元気な声が響く。
隠れ家と呼ぶのも烏滸がましい、廃材を適当に配置して壁らしきものを作ってカモフラージュしただけの、粗末な空間に戻ってきたシスタードルチェの声であった。
それを迎えるのは、奥の地面に廃材を寄せ集めて拵えた、これまた粗末な寝床に横たわる四肢のない女性、シスターラクスだ。
「おかえりなさい。一応身を潜めているのですから、もう少し声量を、」
「どーせこんなとこ誰も来ないのだ」
ラクスの苦言を適当に聞き流しつつ、ドルチェは片手に抱えていた戦利品を見せる。
「今日のご飯なのだ!」
ドルチェが調達してきた食事は、こう言ってはなんだが意外なほどに真っ当なものであった。おそらくは下層の浄水区から程近い場所で買って来たのだろう。ここのような階層型の街にありがちなことだが、基本的には裕福なものほど上層に住みたがる。結果的にこの浄水区――つまり最下層から程近い場所に住んでいるのは貧乏な人間か、あるいは脛に傷を持つ裏社会の住人が多くなる。
現在のドルチェの装いはそれはもう酷いものであるが、薄汚れた襤褸切れを纏っただけのようなその装いが、珍しくないのが下層の街である。ただ、それにしたって限度というものがある。
「よく買い物ができましたね」
「む! ドルチェだって買い物のしかたくらい知ってるのだ!」
「いえ、そうでなく」
本当を言うとそうでないこともないのだが、憤慨するドルチェに配慮してラクスはそれ以上言わなかった。代わりにもう一つの意図を口に出す。
「その有様でよく見咎められませんでしたね、という意味です」
ドルチェの装いが浮浪児もかくやなのは前述通りだが、しかし彼女の風体で最も異様なのはそこではなく、擦れた金属の光沢を有する四肢に違いない。ラクスが失ってしまったものと同じ義体化された肉体である。
ただ、英雄伯家のルークとの戦闘を経て大破したドルチェの義体は、人間に擬態するための可変機構を既に失っている。比較的無事なのは右足だけで、左足は半ばで変な方向に折れ曲がっていて歩くのにも難儀するくらいだし、両腕は特に酷い。そもそも彼女の義体は六腕を有する異形のものであったのだが、本来は三対存在するはずの腕は、左右一本ずつしか残っていない。人間としてはそれが普通ではあるのだが、三本をより合わせて一つの腕に擬態するように設計されているドルチェの腕は、そのうちの二本が失われたら単純に体積が三分の一になる。
早い話が、今のドルチェは両肩から細く歪な両腕の骨格だけが生えたような状態なのだ。明らかに、シルエットが人間のそれとは違う。
いかに下層の人間とはいえど、あるいは警戒心の強い下層の人間であるからこそ、そんなあからさまに危険な風体の人間に関わろうとするとは思えないのがラクスの所感であった。
「てきとーなヤツにお金渡して買ってきてもらったのだ」
ドルチェがなんでもないように告げた言葉に、ラクスは驚くでもなく「そうですか」と返した。
そう会話している間にもドルチェはなにやらごそごそとやり続けていて、例によって廃材から探してきた適当な木片を組み合わせて置き、そこに自身の義体から散る火花を使って器用に着火していた。それが済むと今度はその辺に落ちていた缶のようなものを、近くを流れる温泉排水で洗い、そのまま汲んできた水を火にかけて沸かせる。
調達してきた食材の中からいくつかを見繕って、ドルチェは義体の腕力で粉砕して缶にぶち込み、火をかけながら水分と混ぜ合わせて即席の病人食のようなものを作っていた。
ラクスは、調理とも呼べない調理に勤しむ小さな背中を、ちらちらと揺れる炎が映る瞳で、静かに眺めていた。
「でーきたのだ! さあラクス、食べるのだ!」
完成した食事を持って、ドルチェはラクスの傍らに座る。
四肢を失ったラクスは自力ではなにも出来ないので、全てをドルチェに任せるしかない。ドルチェは傷付き歪んだ片腕でラクスの背を支えて身体を起こさせると、もう片方の腕に辛うじて残った鉤爪で器用にスプーンを持ち、息を吹き掛けて冷ましながら食事をラクスの口へと運ぶ。
「ふーふー、あーんなのだ」
「…………」
「ラクスが作る味のしない変な料理よりおいしいのだ?」
「……そうですね。美味しいです」
食事を終えた後はドルチェはラクスの衣服を脱がせ、沸かしたお湯と、食事とともに調達してきた清潔な布でその身体を丁寧に拭った。ドルチェの両腕の状態が許す限りの丁寧さではあるが。
白い癖っ毛も、白い肌も、襤褸の衣服も、なにもかもが薄汚れて見る影もないドルチェとは対照的に、そんなドルチェが献身的に世話を焼いているラクスのほうは四肢がない以外は身綺麗な姿を保っていた。
身体を拭き終えたラクスに再び衣服を着せて満足気な顔をしているドルチェに、ラクスは遂に、思っていたことを口に出してしまう。
「もう、いいのですよ」
「う?」
首を傾げたドルチェに、ラクスは告げる。
「私を置いて、どこへなりとも行ってよいのです。貴女一人であれば、ここを脱することも不可能ではないでしょう」
ラクスはこれまでずっと、ドルチェの教育係を自負して様々なことを教え、世話を焼いてきた。しかしドルチェという少女は学ぶことに不真面目で、いつだってラクスの言うことを聞かなかった。何度言っても同じ間違いをするし、集中力が乏しく、わがままだった。
だから、ラクスはこう考えていた。
ドルチェは一人では何も出来ない少女なのだ、と。
とんだ思い違いであった。
この数日の逃避行と潜伏で、ラクスは自らの勘違いを思い知らされていた。
建前上とはいえ教会に属する修道女ということで、魔物との戦闘で傷ついた者への補助や介護は職務の一環である。当然ラクスはその技能を身に着けているし、ドルチェにも根気強く教えた。ラクスの認識では終ぞ実を結ぶことのなかった教育であったが、その実、ドルチェは教わったことをしっかりと身に着けていたのだ。
無論、こうして必要に迫られなければ実力を発揮しようとしない不真面目さは否定出来ないままであるが。
先程の食事だってお世辞ではなくちゃんと食べられる味になっていたし、今ここで出来る精一杯に内容物のバランスも考えられていた。
買い物の件もそうだ。一人で買い物をするどころか、金銭の数え方も知らないと思っていたのはラクスばかりで、ドルチェはそれどころか他人と交渉して目的を達成することすらしてみせた。ラクスの前では一度だって見せたことがなかった社交性を持ち合わせていたということだ。
明確に、二人の立場は逆転していた。
ラクスは最早一人では何も出来ず、ドルチェは一人でも生きていける。
故にラクスは思ったのだ。
もういいのだ、と。
「なに言ってるかわかんないのだ。ラクスが一緒じゃないと意味ないのだ」
「貴女はもう一人でも生きていけます。ここに留まれば二人とも死にます。ならば貴女だけでも生きるべきです」
ドルチェがどこまで理解しているかはそれこそわからないが、ラクスは自分達が置かれた状況のまずさを理解していた。というより、修道士クロスという庇護者を失った時点で、殆ど詰んでいるといってもいい。
公的には死人であり、クロスの私兵扱いでしかなかった自分達には頼れる伝手などないし、クロスを追い詰め絶命させた者達が自分達を見逃す道理もない。実際、当初考え得る脱出路は全て押さえられていて、逃げ惑った挙句に辿り着いたのがこの場所だった。
ラクスというお荷物を抱えたままでは絶対に逃げられない。だが、まだ若干ながら義体の能力を行使可能であろうドルチェだけであれば、強行突破の可能性がないわけではないのだ。
「あーあーきこえないー。のだー」
「何故、そこまで私に拘るのです?」
ラクスは真面目に不思議だった。
どれだけ考えても、ドルチェが自分を助けんとする理由がラクスにはわからなかった。何故ならば、ラクスは自分がドルチェに嫌われているという自覚があったからだ。
それはそうだろう、とそこには疑問も抱かなかった。
教育係とは嫌われてなんぼであるとすら思っていたので、ラクスは時に実力行使をしながらもドルチェに教育を施してきたのだ。そのせいでドルチェと口論になったことや、時に乱闘になったことも一度や二度ではない。
するとドルチェは実にあっけらかんと言う。
「たしかにラクスは口やかましいし、変な料理たべさせるし、毛糸のぱんつ穿かせるし、寝てる時の歯ぎしりがうるさいのだ」
知りたくなかった新事実を若干暴露しつつ、ドルチェは言葉を続ける。
「でもドルチェはラクスのこと、嫌いになったことはないのだ」
「…………そうなの?」
「なのだ! 好きでもないけど」
しっかりとオチを付けつつ、ドルチェは薄汚れた顔に満面の笑みを浮かべた。
「でも、居たらいいなと思うのだ」
「…………」
「だからラクスは早く元に戻って、また味のしない変な料理を作るのだ! ドルチェは、もう一度くらいはあれを食べたい気分なのだ!」
そう言うと、ドルチェは立ち上がって外へと向かうような素振りを見せる。
ラクスが視線で『どこへ行くのか』と問うも、ドルチェは答えずに出ていってしまった。
それがラクスの問いに気付かなかったが故なのか、わかっていてはぐらかしたのか。
ラクスには正解がわからなかった。
◇◇◇
数時間後。
「ただいまなのだ~……」
ドルチェが声と足音を潜めて隠れ家に戻ってくると、予想通りにラクスは寝息を立てていた。
……シスタードルチェは知っている。
彼女の同僚にして口やかましい教育係のシスターラクスは徐々に弱っていることを。四肢を失った影響がないとは言い切れないが、それ自体は実は然したる問題ではないとドルチェは考えていた。失った四肢は結局のところただの義体なので、元々なかったものが元通りにないだけなのだ。痛覚も遮断してしまえばなんのことはないし、不便なだけで人は死にはしない。
だけれど、しかし確実にラクスが弱りつつあるのは、たぶん生きることをやめてしまおうとしているのだと、ドルチェはなんとなく悟っていた。
もともと、ラクサーシャという女性は義務感だけで生きている節があった。彼女はドルチェよりも先に修道士クロスの元に居たので、彼女が何故今のようになったのかはドルチェの与り知らないところではあった。しかしながら、おそらく、ラクスは修道士クロスに対する何らかの義理があって、そのためだけに生きていたような存在であった。
「ここも、もうだめなのだ……」
追手が迫っている圧を感じていた。
それは下層の住人の態度や視線なんかで、なんとなくわかる。直感的なドルチェだからこそ、より顕著に感じられるのかもしれない。
穏やかな顔で寝息を立てるラクスを、ドルチェは静かに見守る。これまで地味にドルチェを悩ませてきたあの地味にうるさい歯ぎしりがないのが、ラクスの弱り方を示しているようでなんだか嫌だった。
……シスタードルチェは知っている。
感情を失って義務感だけで生きていたラクスが、ドルチェを叱る時だけは、少しだけ人間に戻るのを。
先程告げた言葉の中で、歯ぎしりは嘘じゃないけれど、ラクスが好きでもないと言ったのは嘘だ。
ドルチェはラクスが好きだった。彼女を怒らせるのが好きだったし、彼女に叱られるのが好きだった。それ自体が嬉しいわけではなくて、そうする時だけ、彼女が感情を見せてくれるのが好きだったのだ。
ラクスがドルチェを通して誰か別の人間を見ていることには気付いていた。彼女の過去は知らないけど、きっと既に亡くしてしまった誰かに重ねている。もしかしたら、娘とか妹とかが居たのかもしれない。
だけどドルチェはそれでよかった。
「それでも、よかったのだ」
ドルチェは外で調達してきたものを握り締めていた。
不格好に歪んだ義体の鉤爪で掴むのは、誰かが捨てたのであろう薄汚れた書物の一部と、ゴミの中に埋もれていた罅割れたペンだった。ドルチェは書の汚れた部分を破って捨てると残りをバラシて紙束にし、ラクスを起こさないように少し離れた所で、木箱を机にしてペンを執る。
……シスタードルチェは知っている。
自らの命が、幾ばくも残されていないことを。
修道士クロスが死んだ時点で避け得ない運命であった。四肢だけを義体化されたラクスとは異なり、ドルチェの肉体の義体化は胴体の重要な臓器や頭部の一部にも及んでいる。定期的に、それなりに高頻度でクロスによる調整を受けなければ途端に機能不全に陥る身体なのだ。これは現在の技術では避け得ない問題であり、同じく全身を義体化していたクロスが平気で生きていられたのは、単に魔法で自分自身のメンテナンスを行うだけの知識と技能を有していた、というだけのことだった。
ドルチェ自身にも多少は知識があり、義体には自己を保全する機能も備わっているのだが、それとて気休めに過ぎず、そして今となってはその気休めすら不可能だ。
何故なら、ルークとの戦闘でドルチェの身体は既に致命傷を負っているからだ。
襤褸布を巻いて隠しているが、ドルチェの身体の損傷は、四肢よりもむしろ胴体のほうが重大だ。ルーク戦でまさしく最後の一撃を食らったのがそこであった。ここ数日、ラクスが寝た後に食事をしているのだと彼女には説明していたが、実は既に消化器官の大部分が根こそぎ存在していないので、食事など出来ないのである。
現在ドルチェが行動出来るのは、肉体の殆どを義体化していた恩恵だ。
そしてその恩恵も、残すところあとわずかだろう。
ドルチェは無言でペンを動かす。
灯りなどない下層の隠れ家で、ちかちかと明滅する義体の視界を頼りに。
壊れかけた義体の鉤爪で、全然上手く握れずペンを取り落としながら。
元々決して上手いとは言い難いお粗末な字で。
書き損じた紙を取り換えながら。
何度も。
何度も。




