補完[こたつむり系ドラゴンガール]
「…………あっついのぅ」
ベルフェルテは辟易と呟いた。視界に映る景色は一面の赤。ベルフェルテの瞳そのものに真っ赤なベールでも掛かっているかの如く、岩肌も夜空も、目に入るあらゆるものが赤い輝きに塗り潰されている。
つまるところが溶岩なのである。
現在ベルフェルテを取り囲む環境の大部分が、灼熱の溶岩であった。
「赤い海を往く船頭の気分じゃぁ」
足場となる地面が無いわけではないが、とても歩けたものではないため、ベルフェルテは魔力で自身の身体と装備を保護しつつ、僅かに浮かんで溶岩流の中心地を目指していた。
強力な魔物であるベルフェルテだからこそクソ暑いとぼやく程度で済んでいるのであって、人間はおろか雑多な魔物種ですら生存を許されない環境である。いかに魔物が物理法則に優位する存在であるといっても、まったくその影響を受けないというわけではないのだ。こと黒い森においては、それ自体が一個の魔物である以上、森内の物理的な悪環境は術理的な意味をも含有せずにはいられないが故に。
ボコボコと煮立つ溶岩の飛沫を気にしつつ、ベルフェルテはふわふわと進む。
少し前までは東方の国で活動していた彼女は、向こうでの配下に仕立てさせた着物を存外気に入って愛用していたのだが、現在その装いは一変していた。
怠惰と媚態を凝縮したような肉感的な肢体の上に纏うのは、漆黒に染められた骨の鎧だ。まるで自らよりも一回り大きな人型の骨格をそのまま着込んでいるかのような印象を受けるが、よく見ればそれは骨格を模して作られた女性用の甲冑であることがわかる。ベルフェルテの白い素肌の上に直接纏ったそれは柔肌に若干食い込むようにして全身を覆い、見様によっては拘束具のようにも思えて非常に背徳的な意匠だ。
「着物は着物で悪うないが……」
少なくともここを訪れるにはこちらの格好で正解だったとベルフェルテは息を吐く。
あの着物とて風通しが悪いものではなかったが、今の装いの風通しのよさはその比ではない。何故ならいかに甲冑を形成していようが骨は骨。隙間は多く、肌面積で言えば半分も隠してはいない。というよりどちらかというと裸で重要部だけを保護しているというべきだろう。
この黒骨甲冑は遥か昔にベルフェルテがこの西方圏で活動していた際に身に纏っていたもので、元々はベルフェルテという魔物の正装とも呼べる装備ではあった。ただ、もう百年単位で使っていないものであったので、久し振りに着てみようかと思って取り出した際には、そのあまりのガードの薄さ(センシティブな意味で)に昔の自分のセンスを疑ったりもしつつ、結局着てみればしっくり来てしまうという始末であった。
ちなみにそういうわけなので、実は装備というよりはベルフェルテの身体の一部であるといったほうが正しいのである。
ベルフェルテの視界に映るのは一面の溶岩であるが、時折、その最中に島のような影が点在している。人間大のベルフェルテと比較すれば、まさしく小島と言うべき大きさの影だ。彼女はそれを避けるようにしてルート取りをしつつ溶岩流の中心地を目指しているわけだが、ある位置に差し掛かった時、唐突に彼女の右手側にあった小島が動いた。
溶岩を波立たせつつ、更に飛沫を巻き上げつつ起き上がったのは、景色に溶け込む赤い鱗に覆われた巨大な魔物。
人間達の分類では『サラマンデル種』と呼ばれているものだ。
ベルフェルテが現在居るこの空間は、同じく人間達の分類では『竜の巣』と呼ばれている区域であり、このブラッドフォードの黒い森においては、否、世界中の黒い森を総浚いしたとしても屈指の危険地帯であった。
「すまぬな。起こしたか」
宙に浮かぶ自分と同じ高さまで頭を持ち上げた巨大な魔物に対して、ベルフェルテはのんびりと応じる。
この『竜の巣』はサラマンデル種の根城であり、一面を覆う溶岩流はサラマンデル種が常時展開している恒常魔法『熱域操作』が幾重にも重畳した結果として形成された超高温環境によって発生したものだ。
なお、ベルフェルテが避けながら進んでいた無数の小島。中には本当にただの地形であるものも存在したであろうが、その大部分は寛いでいるサラマンデル種の身体であった。
寛いでいるところを邪魔されたからか、身を起こしたサラマンデル種は剣呑な瞳でベルフェルテを睥睨する。彼我のサイズ差は絶大で、サラマンデル種が咢を開けばベルフェルテなど容易く一飲みにされるだろう。魔物は同種以外の魔物には普通に攻撃を仕掛けて魔力を捕食する生き物だ。巨大なサラマンデル種にとっては小さなベルフェルテは不遜な侵入者である前に単なる餌にでも見えているのかもしれない。
寝起きの不機嫌さをぶつけるように、サラマンデル種が焔を吐く。溶岩よりもなお高温のブレスである。至近距離に居たベルフェルテは身を躱す暇すらなく、火焔の奔流に正面から飲み込まれた。
「ほむ……小童、格の違いもわからぬか」
しかし、その火焔の中からのんびりとした声が響く。
次の瞬間、ベルフェルテが背後に展開した金色の円環が、轟くような魔力の波紋を広げてブレスを内側から弾き飛ばした。
それまでの剣呑さが嘘のように、凄まじい魔力の波動に怯え、サラマンデル種が咢を引いた。
「友の顔に免じて、一度は見逃してやろう。ほれ、失せよ」
ぺっぺ、とベルフェルテが片手を振ると、サラマンデル種はすごすごと首を窄めて溶岩の海に潜り、そのまま潜行して離れていったようだった。
どうやらベルフェルテのことを知らない個体だったようなので、ベルフェルテが西方を離れた後に生まれた比較的若い個体なのだろう。ベルフェルテは慈悲深く寛容な魔物であるし、テリトリーに侵入している負い目もあるので、一度だけは目下の無礼な振る舞いを寛恕してやることにした。
それに、ここへは友人を訪ねに来たのである。だというのに道中で友人の同種を血祭りにあげてきたとは報告し辛い。
ベルフェルテは後光のように背負った輝きを収めると、移動を再開した。
さて、『竜の巣』の中心部に辿り着いたベルフェルテであるが、その場所の景色はベルフェルテが知るそれと少しも変わってはいなかった。訪れるのは実に五十年ぶりくらいだと記憶しているのだが。
溶岩流の中心地であり、溶岩の海が最も深くなる場所。そして最も高温になる場所でもある。
そこには一つの島がある。文字通りの、地盤としての島だ。半ば以上を溶岩に侵食され、岩肌と黒い土しか存在しない、乾いて枯れた島だ。こんもりと山型になった小さな島の、頂上。即ち中心であり、『竜の巣』そのものの中心地でもあるそこに、ベルフェルテの訪ね人は居た。
まず目には居るのは、シックなダークブラウンの木材で作られた、背の低い正方形のテーブルだ。
テーブルの天板と脚の間には、深緑色の分厚い布団が挟みこまれていて、四方に降りるそれがテーブルのシルエットを台形のそれに変えている。
というか要するに『こたつ』だ。
溶岩の流れる黒い小島の頂点に、素朴なこたつが鎮座しているのだ。
しかしベルフェルテは驚きはしない。若干呆れたように眉を持ち上げはするものの、その明らかにおかしな物体を気にすることなく、高度を落として傍らに降り立った。
驚かない理由は簡単で、ベルフェルテはそのこたつの存在を知っていたからだ。もっと言えば、そもそもベルフェルテ自身が調達した物品に他ならないからだ。
「まだ使っておるのかと呆れるべきか。物持ちの良さを褒めるべきか」
判断に迷うところじゃ、と独り言ちながら、ベルフェルテはこたつを見下ろす。
勿論、こたつには使用者が居た。
至近に降り立ったベルフェルテの存在に気付くことなく、こたつに身体を沈めてテーブルに突っ伏し、幸せそうな寝息を立てている者が一人。
「起きよドラ子。これ、起きんか」
ベルフェルテが声を掛けるも、ドラ子と呼ばれたその人物は、ほんの僅かに身動ぎをしただけで覚醒する気配はない。
敢えて言うまでもないことであるが、当然ドラ子も人間ではなく魔物である。ベルフェルテと同じく人型の魔物であることは見て取れるが、ベルフェルテが成熟した女性の姿をしているのに対して、ドラ子のほうは少々若く見える。とはいえ身体の大部分がこたつの中であり、本人が寝ているので締まりのない寝顔から年齢を推測すればという話でしかないが。
なおドラ子はこたつ布団とお揃いの深緑色のどてらを着ていた。僅かに灼光を帯びた淡い茶色の頭髪に、赤い鱗に覆われた長い耳。頭の上には雄々しく立派な角が並んでいて、こたつ机の天板が矢鱈と傷だらけなのは、こうして寝こけている彼女の立派な角が、いい感じに表面をゴリゴリするからであろう。
声を掛けるだけでは起きそうにないので、ベルフェルテは溜息を吐いて自身の尻尾を持ち上げた。一見して黒骨甲冑の一部のように見えるが、肉付きの良い臀部の少し上から生えている黒く細長いそれはベルフェルテの自前の尻尾である。
ベルフェルテは優しいので、優しく起こしてやろうと思って、伸ばした尻尾の先端でドラ子の鼻を擽ってみた。
「ほぅれ。こしょこしょ」
「ひ、は……ふ、……」
ドラ子の小さな鼻がひくひくと動き、ベルフェルテは「効いておる効いておる」とほくそ笑む。
「ふ、ふぇ……ふぇっくしょいっ!!!!」
そして当然の帰結としてドラ子は盛大にくしゃみをして、
「ぅアっつツぅぅぅぅぅッ!?」
鼻息とともに噴出した魔焔に尻尾の先端を焼かれたベルフェルテは飛び上がった。
涙目を通り越して普通に泣きながら尻尾の先端を一生懸命ふーふーして応急処置をするベルフェルテに、どでかいくしゃみをして爽快に目覚めたらしいドラ子が気付く。
ベルフェルテに向ける瞳は琥珀色で、勿論それを縁取るのは魔物特有の漆黒だ。
「なんやぁベルフェ。忘れ物でもしたん~?」
「ふー、ふー、……はぁ?」
いきなりなにを言っているのか、とベルフェルテは胡乱な視線を向けるが、不思議そうにしているドラ子の顔を見て、まさかと目を瞠った。
ドラ子の反応は久し振りに友人に会ったそれではなく、一瞬前まで一緒に居た友人に声を掛けたかのようではないか。
「まさかとは思うがドラ子、そち、妾と最後に会うたあの日から、今の今まで寝こけておったのか?」
「あれぇ? もしかしてあれなん~? めっちゃ時間経っとる感じなん~?」
「妾がそちと別れたのは、少なくとも五十年は前じゃ」
どうやったら五十年も寝られるのだとベルフェルテは呆れを禁じ得ない。
これは余談であるが、魔物というのはそもそも眠らない種族だ。夜しかない世界で生まれ生きる魔物には、休眠というルーチンが存在しない。ただし眠ることが不可能なのかというとそうでもなく、やろうと思えば出来る。今のドラ子のように。
尤も、ベルフェルテの知己であるフェンリスなどは『それを睡眠とは認めない』と頑なに主張しており、ベルフェルテも実のところフェンリスに同意見だ。その辺は生粋の魔物であるドラ子と、少々特殊な経緯を有するベルフェルテ達の感受性の違いなのだろう。
「あやぁ、ウチちょお寝過ぎやな~」
「流石の妾もドン引きじゃ」
「ひかんといて~。せやかてええことやん。五十年間平和やったっちゅうことやで」
それはそうだろうとベルフェルテは思う。
魔物にとっての平和を脅かす存在と言えば人間、とりわけ討伐者の類に他ならないわけだが、普通の討伐者は『竜の巣』の中心までは入ってこないし、入ってこられない。
「まあ立ち話もなんやし、ベルフェもどうぞ入ってやぁ」
のほほんと笑って自分の隣のこたつ布団を持ち上げて招くドラ子の所業に、ベルフェルテは頭を抱えた。
「そち、妾を蒸し焼きにでもするつもりかえ?」
「せやかて、そこ、寒ない~?」
「現在進行形で全部脱ぎ捨ててしまいたいくらいには暑いがのぅ」
そもそもの適温が違うのだから無意味な問答ではある。
なお、こんな溶岩の坩堝に居ても肌寒いと宣うドラ子に対して、優しいベルフェルテは自身の東方での伝手を駆使して至高の耐寒アイテムである『こたつ』を手配して贈ったというのが目の前のこれの経緯である。ついでに言うとどてらはサービスのオプションだ。
自分の贈り物を大切に有意義に使い続けてくれているのはベルフェルテとしても素直に嬉しいのだが、だからといって一緒に楽しむのはノーセンキューだ。というか干からびて死んでしまう気しかしない。
余談だがこたつとどてらはベルフェルテが手ずから監修した特注品なので、当然術理的な強化が施されている。溶岩の中に突っ込んでも平気のへっちゃらだし、こたつの動力源は大気中の魔力なので黒い森でなら永久的に稼働し続ける。
ベルフェルテを誘い入れるために一瞬ふとんを持ち上げたせいで外気が入ってきたのか、ぶるりと身を震わせたドラ子は一層小さく身体を丸めてこたつに潜り込む。頭だけを外に出した伝統的スタイルへと遷移した彼女を、ベルフェルテは非常に微妙な顔で見下ろす。
このどこに出しても恥ずかしい『こたつむり』が、ここの森では頂点に君臨する最強の魔物であるというのだから変な話だ。
ドラ子は『サラマンデル種』を束ねる大型種――即ち『サラマンデルロード』である。大型種というのは人間の考えた分類であり、魔物内では単に上位の存在であるとして特別呼び分けることをしていなかったが、種族分類名もそうだが結局区別のために便利なので人間の考えた指標を逆に輸入している経緯があったりする。
サラマンデル種という魔物種においては、大型種は一体しか存在しない。種によっては大型種が多く居る場合もあるのだが、サラマンデル種の場合はドラ子が一人だけだ。そしてサラマンデル種はこのブラッドフォードの黒い森で最強の魔物種なので、つまりドラ子が最強なのである。
ちなみに『ドラ子』という名前はフェンリスが名付けたものだ。前述通り魔物は特別に呼び分ける名前というものをそもそも持たないので、フェンリスがいつかに戯れに呼び始めたニックネームがそのまま彼女の名前となった。フェンリスは『それでいいのかお前……』と形容し難い顔をしていたが、とうのドラ子が気に入っているようなのでいいのではなかろうか、とすっかり呼び慣れたベルフェルテは思う。
「ほんで? 五十年ぶりのベルフェはなにしに来たん~?」
「用事というほどのものでもないのじゃが」
「?」
ベルフェルテがここを訪れた理由は、言ってしまえば挨拶と近況報告のためである。
これからことを起こすにあたってドラ子の協力が得られれば願ったりであるが、それはこたつむりを見た瞬間に半ば諦めている。ここですら寒いと宣う彼女が、『竜の巣』の外側になんて出てきてくれるはずもないし、無理を言って連れ出すほど戦力に困っているわけでもない。
「――というわけじゃ。ここに篭っておるそちには関係ないやも知れぬが、少しばかり騒がしくなる故、先に言うておこうと」
どう転ぶかはまだわからない、と前置きをした上でこれからの展望を簡潔に語って聞かせると、ドラ子はこたつむりのまま神妙な顔で聞いていた。
ベルフェルテが口を閉じた後、ドラ子はすぐにこんなことを言う。
「ウチ、手伝おかぁ?」
「気持ちは在り難いが、無理をせずともよい。外は寒いぞ?」
苦笑気味にベルフェルテが言うと、ドラ子はそれを想像したのか情けない顔でまたもやぶるりと身を震わせた。
それから一層こたつに潜りつつ、
「ウチ、邪魔かなぁ?」
「そんなことはない。じゃが、無理を強いとうない」
それに、手が足りなければその辺をほっつき歩いているフェンリスでも動員すればよいのだ。
こたつむりを引っ張り出すのは良心が痛むが、こにくらしいあの男ならば遠慮なく酷使出来るというものだ。
などとベルフェルテが考えていると、こたつむりがじっとこちらを見詰めていることに気付く。
「なんじゃ?」
「やっぱウチにも、お手伝いさせてなぁ」
「いやしかし、」
ベルフェルテが言葉を重ねるよりも先に、ドラ子が言う。
「ベルフェが困ってるんなら、力になってやりたい。困ってなくても、一緒に居たい。ウチ、ベルフェのこと大事やし、大好きやもん~」
邪気のない笑顔でそう言い切ったドラ子に、ベルフェルテはなんとも気恥ずかしいものを覚えて頬をかく。
この子は昔からそうだが、時折こうして他意のない純粋な好意を向けてくることがある。他者を魅了し操ることに長けたベルフェルテは、それが介在しない素直な好意を向けられることに慣れておらず、これに非常に弱かったりする。
「寒いからやっぱ帰る、はナシじゃぞ?」
せめてもの照れ隠しに、若干早口にそう言うと、こたつむりはにっこりと微笑んだ。
「それから、その……なんじゃ。妾も、そちのことは、」
「ええよぉ。わかってる。ありがとうな」
しどろもどろになった姿を優しい眼差しで見詰められ、ベルフェルテは今だけこたつに潜りたい気分になる。
みっともなく紅潮した顔を隠すためだ。
実行に移すと干からびて死ぬのでやりはしないが。
「そしたら、また呼んでな~」
「心得た」
その時は近い。ベルフェルテが頷くと、ドラ子はふにゃりと脱力した笑みで返した。
そして、なんでもないことのように言う。
「頑張って一緒に、ブラッドフォードを火の海にしよなぁ」




