408話_side_Miabel_温泉施設『U.B.』_別館露天風呂
~"主人公"ミアベル~
小ぢんまりとした露天風呂に、スメラギちゃんと肩を並べて浸かる。
ちょっと距離が近過ぎるかなと心配しながらもなんとなく身を寄せてみたのだが、スメラギちゃんは少し不思議そうな顔をしたものの、避けたり離れたりはしなかった。
施設そのものの標高が高いところに位置しているだけあって景色はそれなりに遠くまで見通せるのだが、たぶん外部からの視線避けも兼ねているであろう木々が周囲に茂っているので、景色がいいかと言われると若干首を傾げるところだ。ただ眼下に広がる街並みの灯りと、その向こうの黒い森のあれは溶岩流の光だろうか、最低限見るべきものは見えるので文句はない。
それに、今日は頭上を見上げれば、薫る湯気のベールに紛れてとっても明るい黄金色。
「月が綺麗だね。スメラギちゃん」
「……そうなの、かな」
ぼんやりとした返事が気になって隣をみると、スメラギちゃんは言葉と同じくぼんやりした顔で頭上を見上げていた。特徴的な黒い長髪は、入浴のためにアップに纏めているので、これまで見えなかったうなじの白さが際立つ。温泉の熱気でほんのりと上気した桜色の首筋がどうにも扇情的で、わたしは何故か恥ずかしくなって、誤魔化すように口を開く。
「お月様の形とか、明るさとか、気になったりしない?」
「言われてみれば、気にしたことがない」
「そっか。わたしはたまにこうして空を見上げて、月が綺麗だとなんだかラッキーな気持ちになるんだ」
わたしが言うと、スメラギちゃんは「そう」と気のない返事をくれた。
「それにね、わたしのお母さんも、好きなんだ。夜空見るの」
「おかあさん……」
「うん。だからこうして月を見上げるとね、きっとお母さんもどこかで同じように見てるんだろうなって。遠くに離れていてもなんだか繋がってる気がして、嬉しい」
むしろそんな母親の影響で、きっとわたしも上を見るようになったのだと思う。
以前、ギルドで会った時にスメラギちゃんの大切な人が『おかあさん』であると言っていたので、母親についての話が出来ればいいなと思ってこちらの話をしてみたというのもある。
スメラギちゃんの『おかあさん』もどこかで月を見てるのかな、と訊いてみようとして、わたしは口を噤んだ。横目でちらりと窺ったスメラギちゃんの瞳が、とても寂しそうに揺れていたからだ。
「私のおかあさんは、少し前から眠ってる。いつ起きるのかもわからない」
「そうなんだ……」
「でも、代わりではないけど、一緒に旅をしている人達が居る」
スメラギちゃんが頭上の月から視線を外して、ついと向けたのは遠くに見える黒い森の方角だった。
「彼等は今、黒い森に居るんだ」
「…………」
「フェンリスも、同じ空を見ているのかな」
ぽつりと呟くように言って、スメラギちゃんは再び空を見上げた。
わたしも倣って、しばし無言のまま、二人で月を眺めた。
スメラギちゃんがまた、呟くように言う。
「キミは、訊かないんだね」
「なにがー?」
「私はきっと、ギルドで討伐対象に指定されているはず」
「…………そうかもね」
少し前にバッヘル男爵領で発生した事件。討伐者界隈どころか王国政府にまで波及したとされる『人型魔物出現』の報。わたしはその時詳しい情報を知れる立場には居なかったけれど、『剣の誓い』からはシリウスさんやクレメンスさんが連日ギルドに出向いて緊急会議に参加していた。
そして後日になって一般の討伐者にも共有された情報によると、出現した人型魔物の首魁は『フェンリス』と呼ばれる男性体で、彼等には教団関係者と見られる人間の協力者が同行している。スメラギちゃんの名前自体は出ていないけど、公開された外見特徴からして彼女のことであると、わたしにはすぐにわかった。
「むしろ、こんな場所で堂々とお風呂入ってていいの? スメラギちゃん」
「普遍的な魂の持ち主では私の存在を認識することができないから。キミが例外なだけ」
「もしかして、お金払わずにお風呂入ってる?」
「払った。でもそれを払ったのが私であると人は認識できない」
真面目なのかズルっこなのかよくわからないことを言う。
わたしが話を逸らそうとしている気配を感じたのか、スメラギちゃんが赤い視線を向けてきた。
わたしは観念して話を戻す。
「フェンリスさんっていう魔物の協力者がスメラギちゃんなのは、たぶんそうだろうなとは思ってた」
「うん。だから私はキミの反応が不思議」
何故警戒も通報もしないのか、と問う彼女に、わたしは苦く笑いながら答える。
「何故かって説明するのは難しいんだ。たぶん自分でもよくわかってない」
「…………」
「ただ……わたしはここであなたに会えた時、嬉しかったんだ」
たぶんそれが答えなんじゃないかな、とわたしは思う。
あの日ギルドでスメラギちゃんに会ったことを、わたしは誰にも話していない。その当時はまだバッヘルの事件の前だったから、スメラギちゃんに手配が掛かっていたわけではないけど、それでも心のどこかで彼女がそういう存在であると察していたのだと思う。だけどそれを誰かに告げればスメラギちゃんと交わした会話が嘘になってしまう気がして、わたしは誰にも言わなかった。
一緒にスメラギちゃんに会っていたはずのティアやリゼルちゃんは、後で話を聞いたらスメラギちゃんのことを認識出来なくなっていた。わたしと一緒に居たから彼女を認識出来ただけで、それを記憶として認識し続けることが出来なかったのだ。護符職人のトーリさんもきっと同じだろう。だから、結局スメラギちゃんを知っているのはわたしだけなのだ。
「キミは討伐者だ。私の存在を秘する行為は、キミの周囲の同胞すべてへの裏切りになる」
「そうかな?」
「敢えて秘するのは、自覚があるから」
後ろめたいことをしていると、自覚があるから黙るのだと、スメラギちゃんの指摘は御尤もだ。
だからとて、わたしは考えを改める気など少しもなかった。
「今、私がキミに敵対的でないことは理由にはならない。私や私の友人が、もしかしたら明日にでも、キミやキミの友人の命を脅かすかもしれない。その時キミは、今この瞬間を後悔せずに居られる?」
「後悔するに決まってるよ」
考えるまでもない。わたしは即答した。
そして、同時に、
「でも、後悔する前に、その時はわたしがあなたを止めるよ」
「……それは、キミが決めたこと?」
「そうだよ。決めたこと」
決めていたというよりは、こうして予期せず彼女と再会して、自分の心に気付いたと言ったほうが正しい。
善とか悪とか、正義とか大儀とか、どこかの誰かがこうあるべきだと決めたこととか、そういうもので世の中が動いていることは理解しているけれども。
しかしわたしはそうは思わない。ただそれだけのことだった。
ここで彼女のことを知ろうとせずに、然るべきところに突き出したりしたら、それこそわたしはその行いを悔い続けるのではないか。
スメラギちゃんはしばらくわたしの横顔を眺めていたようだったが、ふと視線を切り、緩く息を吐いた。
「なら、しかたないね」
「うん。しかたないない!」
話しているうちにのぼせてきたのか、スメラギちゃんはざばりと湯から上がると、今まで背凭れにしていた縁にお尻を乗せた。足だけを湯に浸した彼女の太腿が、ちょうどわたしの肩の横にくるくらいの高さだ。
「スメラギちゃんさぁ」
「……なに?」
「意外とずぼらだよね」
なんとなく思っていたことを口に出すと、彼女は「そうかな?」と呟く。
「意外もなにも、キミと会うのはこれが二回目だ」
「だから第一印象と比べて、って意味で」
第一印象が『綺麗な子』っていうイメージだったから、性格も几帳面だったり綺麗好きだったりするのだろうっていう、わたしの勝手な願望というか偏見でしかないのだが。
「脱いだ服を畳んでたのは偉いけど、畳むのへたくそだし。髪洗うのだって男の子みたいに適当だし」
「へたくそ……」
なんか若干ショックを受けている様子のスメラギちゃんだけど、事実は事実だ。ここで言葉を飾っては彼女のためにならない。ギャップというか一生懸命さが可愛いな、とは思った。
「ていうか、あんな適当に洗ってるのに、なんでそんなに髪綺麗なの?」
「なんでと言われても、そもそも意識したことがない」
スメラギちゃんは、日々ヘアケアに悩んでる世の中の女性諸姉にちょっと詫びるべきだと思うの。
かくいうわたしも、女子として最低限レベルではあるが、一応身嗜みということで気は遣っている。わたしの場合は生憎の貧乏なので、最低限以上に掛けられるお金がないという事情もあるのだが。
わたしはこれまでずっと頭髪はショートボブくらいにしてきた。髪が長くなると煩わしいし、お手入れも大変だし。
ただ、実は最近ちょっと宗旨替えして髪を伸ばしてみようと思ってる。今はショートボブがようやくボブに変わるかどうかというくらいだ。わたしの友人達と比較すると、ノエルよりも少し短いかな、くらいの長さ。ちなみにサイドテールのスタイルがトレードマークのティアは下ろすと胸元くらいのロングヘア。そしてイメージ的にはショートカットが似合いそうなリタは、髪を下ろすと実はティアよりも若干長いくらいだったりする。リタはヘアースタイルに強いこだわりがあって、たぶんお姉さんの影響なんだと思うけど、編み込みアップスタイルは女騎士のフォーマルなのだとかなんとか。
「ねえスメラギちゃん。わたし、髪伸ばしてみようと思うんだけど、似合うかな?」
「キミは美人だから、どんな長さでも似合うと思う」
「えへへ、ありがと」
お世辞でも嬉しいなぁ。
スメラギちゃんって結構淡々と思ったことを言うイメージだから、普通に「似合わない」とか言われちゃう気がしてたんだけど、訊いてみてよかった。結局これもわたしの勝手なイメージだっただけで、彼女もちゃんと気を遣ってくれるのだ。
なお彼女の言葉がお世辞であるのは疑いようがない。だってスメラギちゃんにしてみればわたしなんぞより余程美人な自分の顔を毎日鏡で見ているのだろうから。
あそうだ。鏡で自分の顔を見ると言えば、
「そういえばスメラギちゃん、笑顔の練習はどう?」
言うまでもないが、今日出会ってからこれまでの間、スメラギちゃんは一度も笑っていない。
そのことからなんとなく想像は付くが、わたしの問い掛けにスメラギちゃんはこちらを見て、
「えがおー」
「うーん。十点!」
「じってん満点ちう?」
「ひゃくですぅー」
まずはその指で無理やり作った表情を笑顔と言い張るのを止めるところから始めようか。
やる気は認めるのでお情けで十点だ。
こうして考えると、スメラギちゃんと同じくらいには難儀してそうだったクルワッハさんから笑顔を引き出して見せたジュリちゃんって凄かったんだな。いやむしろ、彼女等くらいに拗らせた人達を笑顔にするためには、ジュリちゃんレベルの劇物を投与する必要があるということか。
「…………」
つまり、発想の転換だ。
わたしがジュリちゃんになればスメラギちゃんから笑顔を引き出せる?
試してみる価値はある。今のところ無責任なアドバイスくらいしか出来ていないし。
「ミアベル?」
訝しげなスメラギちゃんの視線を浴びつつ、わたしは無言で湯から上がると、腰掛けている彼女の背後へと回り込む。
ほんのりと色付いた華奢な背中を見下ろして、その場に屈み、神妙に両手を構える。
そして、彼女の両脇から腕を差し込み、一息に――――
「…………………………この手はなに?」
たっぷり十秒くらい経ってから、平然としてるスメラギちゃんに問われ、わたしは手を引っ込めた。
何も言えずにすごすごと湯に浸かり、元の場所に戻った。
温泉の熱とはまったく関係ない理由で、メチャクチャ顔が熱い。
いや何やってんだわたし。流石におかしいぞ。頭がおかしい(言い過ぎとは思わない)ジュリちゃんの真似をしたんだからおかしいに決まってるじゃんなるほどそうか。
「ごめん。忘れて……」
「私もキミのを触ったほうがいい?」
「ッわすれてくださーい!」
一方的にやらかしておいて卑怯な話だが、今スメラギちゃんに触られたらわたしの頭はオーバーヒートして死ぬ自信がある。
口元まで沈んでぶくぶくするわたしを、スメラギちゃんは不思議そうに眺めていた。
「そろそろ、上がろうかな」
わたしが言うと、スメラギちゃんは「私も」と同意を示した。
先程と配置は入れ替わり、外気で涼んだスメラギちゃんはもう一度湯に浸かっていて、自爆して発熱し過ぎたわたしは縁に腰掛けて頭を冷ましていた。手足もいい感じにふやけてきたので、そろそろ上がっておくべきだろう。
「スメラギちゃんはこの後どうするの? 泊まっていくの?」
「ううん。私は仲間のところに戻る」
「そっか」
ということは、黒い森に向かうのだろう。
今から向かえば森が閉じる前には充分間に合うはずだ。
「ちょっと残念だな。泊まるんなら、朝も一緒できるかもって思ったのに」
「朝?」
「うん。朝風呂。折角だから」
この『折角だから』は折角温泉に来たのだからという意味ではなくて、折角スメラギちゃんに会えたのだから、という意味だ。先にも言ったようにわたしは他人と共に入浴するのが好きではないので、強いて朝風呂を楽しもうとは思っていなかった。でもスメラギちゃんが居るなら一緒に入ろうかなと思っただけだ。
「まあ、気にしないで」
「…………あまり、想像ができない」
「ん?」
スメラギちゃんは頭上を見上げ、月の明かりを遮るように片手を翳してみせる。
「太陽は、月よりもずっと明るい。直視ができないくらいに」
「えっと、うん。そうだね」
彼女が言わんとすることがわからなくて、わたしは取り合えず相槌を打つことしか出来ない。
「そんな太陽の光の中で、キミは眩さで目がくらみはしないの?」
「いや別に、そこまででは」
「私は、きっと眩んでしまうと思う」
え、とわたしの口から零れる。
スメラギちゃんの口振りは、まるで、
「私は、太陽を見たことがないんだ」
「い、一度も……?」
「一度もない」
絶句するわたしに構わず、スメラギちゃんはぽつぽつと語る。
「魔界の夜は明けない。私の棲み処は魔界ではないけれど、幽世にも朝は来ない」
「…………辛くはないの?」
「辛くはない。私にとって、世界は最初からそういうものであったから」
「そう言い切ってしまうのは、少し寂しいよ」
「かもしれない。でも私は知ることが必ずしも幸福ではないと思う。禁断の果実は人間に遅効性の毒を含ませた。知識という名の毒。知識は人間を不幸にする。この毒の特効薬は死しかないんだ」
彼女は湯から出て、わたしの横を通って脱衣所へと向かって歩いていく。
わたしはその場から動くことが出来なかった。
背中越しに、彼女は一つだけを言い残した。
「キミは朝を迎え、私は夜に帰る」
その言葉が、わたしには決別のように聞こえた。
彼女が立ち去った露天風呂で独り、わたしは空を見上げた。
なんでこんなに彼女のことが気になるのか、朧気ながら、わかった気がする。
黄金色の月光の下で、呟く。
「――――だけどわたしは、あなたの笑顔が見たいんだ」




