402話_side_Sumeragi_黒い森
~"小さいほうの闇の巫女"スメラギ~
「おーいおチビ! こっちに来るがいいッ!」
「はい……?」
遠くからハーティに大声で呼ばれ、私は取り合えずそちらに向かう。呼んでおいて到着を待たずに木立の奥へと消えてしまったハーティを追うと、その先には開けた岩場があって、もうもうと白い湯気が立ち込めていた。
「あ……お湯?」
「うむ! 溶岩ではなく、湯だ!」
このブラッドフォードの黒い森に特有の環境として溶岩流というものがあるが、どうやらその溶岩で温められた地下水か何かが湧出して岩場に溜まっているということらしい。
天然のお風呂というか、所謂温泉というやつだろうか。
「って、なんで脱いでるんですか」
「ひとっぷろ浴びていくだろう! 常識的に考えて!」
常識を身に着けてから言え、とフェンリスだったら言うだろうなと思ったけど私は黙っておいた。
元から布の少ない改造メイド服を躊躇なく脱ぎ捨てて更に身軽になっていくハーティは、私では止められない。だけど、無駄かもしれないが一応言うだけ言っておこう。
「あの、あまり遅くなるとフェンリスが心配しますよ」
「御館様はハーティを心配などしないぞ。何故ならばハーティが強いことをよく知っているからな!」
「えっと、はい。そう、ですね」
頭が弱いことならよく知っていますが、とスコールだったら言うだろうなと思ったけど私は黙っておいた。
なんで私とハーティが二人で行動しているのかというと、大した理由ではないというか、理由らしい理由もない。単純に、周囲の散策に出たハーティがなんとなく心配で私が勝手についてきただけなのだ。私もハーティが強いことは知っているけど、放っておいたら迷子になって帰ってこない気がして。いや、気がするというか、実際度々あるのだ。
セラフィーナが昇格してしまったことで、私達のバッヘル領での活動はあえなく無駄骨に終わった。済んだことは仕方ないと気を取り直して、別の有格者の目星をつけてあったブラッドフォードに再びやってきたのだ。そしていつも通りに黒い森の一角で適当に野営をすることになって、大人しく休んでいるフェンリスやスコールとは違って元気が有り余っているハーティが飛び出して今に至る、というわけだ。
「とうっ」
だっぱーん! と水飛沫を上げてハーティが温泉ダイブを敢行し、私は彼女が脱ぎ捨てた衣服を拾っておく。
人間である私にとっては黒い森は安全な場所であるとは言えないのだけど、フェンリス達と一緒に居る限りは大丈夫だ。彼等は全員が大型種相当の強力な魔物なので、雑多な魔物達は恐れて近寄ってこないのである。こんなに無邪気なハーティでも抑止効果は充分である。
なので私はハーティが見える位置の岩場に座ると、膝の上で彼女の衣服を畳みながら、彼女が満足するのをのんびり待つことにした。
と、そんな私にハーティが声を掛けてくる。
「おチビも一緒にどうだ? いい気持ちだぞ!」
温泉かぁ……。
ぼんやり考える。
実は私はそれなりにお風呂が好きらしい。あまり自覚はないのだけど、おかあさんの世話をしながら『幽家』で生活していた時も、なんだかんだで毎日入浴は欠かさなかった気がする程度には。フェンリス達と一緒に黒い森で活動し始めてからはお風呂になんて入れるわけもないので、魔法で清潔を保って良しとしていたのだが、お風呂があるなら入りたいというのが正直なところだ。
フェンリスには呆れられてしまうようなことかもしれないが、目の前で気持ちよさそうにお湯に浸かるハーティの姿は、ひじょーに羨ましい。
「…………」
私も多少は腕に覚えがあるので、一人で黒い森を歩けないわけではない。その気になれば先にフェンリス達の元に戻っていることも出来る。だけども、ハーティと一緒に歩けばそれだけで魔物を警戒しなくて済むストレスフリーなので、敢えて一人で動くのも非効率だ。
つまり、そうつまりどの道ハーティが満足して湯から上がるまでは私もこの場で待っていないといけないわけで。
どうせここに留まるのなら、彼女と一緒に湯に浸かっていても同じなのでは。
「じゃあ……少しだけ」
「うむ! 来るがいい!」
自己弁護を済ませると、私は畳んだハーティの衣服を横に置き、いそいそと自分の着物の帯を解き始める。ちなみに私が着ている装束はおかあさんが外で活動する時に着る服を借りている。おかあさんは全く同じデザインの着物を無数に持っているので、何か強いこだわりがあるのか、もしくは全くこだわりがないかなのだけど、たぶん後者だと私は思う。
着物を畳んで置き、脱いだ下着もその上に置き、私は湯けむりのほうへと足を踏み出す。
自覚はないけどお風呂好きの私はやっぱり無意識でお風呂に飢えていたのか、湯へと向かう足取りは不思議なくらいに軽やかだった。
だけど、あと一歩というところで私は後ろからひょいと抱え上げられてしまう。
見れば、私の胴の辺りにぐるりと影がまとわりついて、私の身体を持ち上げていた。
変幻自在に形状を変ずるフェンリスのマントであった。
「ふぇんりす?」
「戻って来ねえと思えば、チビラギまで一緒になって何してやがる」
肩越しに振り返ると予想通りに呆れ顔のフェンリスが立っていて、傍らにはスコールの姿もあった。
「ハーティが温泉を見付けたので、折角だから一緒に入ろうかと思ったんです」
「それは見りゃわかるがな。とりあえずチビラギはもう少し慎重になれ」
「?」
「人間が浸かれる温度じゃねえぞ」
言われて温泉のほうを見てみるも、勿論見た目で温度などわかるわけもない。沸騰でもしていればまだしも。ハーティが普通に気持ちよさそうに浸かっているので良い湯加減なのだと思い込んでいたが、そう言えばハーティは強力な魔物であった。だから物理的な耐久力は人間の比ではない高さのはずだ。
スカートの下からサソリの腕を伸ばしたスコールがお湯にちょんと触れて、
「八十度くらいですね」
「あ、死んじゃう……」
「わかってくれたようでなによりだ」
フェンリスのマントが私を解放してくれたので、私はとぼとぼと衣服の元まで戻るともそもそと身に着け始める。
別に温泉に入るためにここに来たわけではなかったのだが、一度入る気になっていただけにそれを挫かれたショックは大きい。
しょんぼりである。
「チビラギは温泉に入りたかったのか?」
何を思ったのかフェンリスがそんなことを訊いてくるので、私は首を横に振って見せる。
するとフェンリスは、私がちゃんと否定したのにもかかわらず、こんなことを言う。
「なら、行ってきたらどうだ。人間用の温泉によ」
「え?」
「ロイエンタールには温泉街があるだろ。……少なくとも俺が知ってる頃はそうだったが、まあ変わっちゃいねえだろう。こんな碌に整備もされてねえ池みたいなもんに入らずとも、もっと上等な風呂がいくらでもあらぁな」
温泉街というワードに心惹かれる自分が居ることに気付いていたが、私は素直に頷くことは出来なかった。
何故って、私はおかあさんの代わりにフェンリスのお手伝いをするためにここに居るのであって、間違っても観光に来たわけではない。百歩譲ってフェンリス達が温泉に繰り出すから一緒に、ということならわからないでもない気がするけど、私一人だけで、というのは違うだろう。
私がそれを理由に固辞しようとすると、フェンリスは若干困ったような気まずいような顔になる。
「いや、つうかよそれ言ったら有格者を見付けるところまでがお前の仕事なんだから、その後は無理して俺達についてくる必要もねえんだぞ」
確かに、それは事実だ。
本当なら、有格者を見付けたらあとはフェンリス達に任せて、私は大人しく『幽家』に帰っているべきなのだと思う。人間の私は黒い森での行動においては足手纏いだろうし、フェンリス達の強さに比べれば実力的にも大した役には立てない。
だけれど、おかあさんが眠っている今、あの家に帰っても一人きりの時間を過ごすだけで、それが私は寂しかったのだ。フェンリスは言葉にすることこそないが、そんな私の心の機微と我儘に気付いていて見ない振りをしてくれている節があった。
私がふるふると首を振ると、フェンリスはしょうがなさそうに溜息を吐いた。
「なら、やっぱりお前は温泉に行ってこい」
「何故です?」
「コンディションを整えるべきだ。お前には休息が必要なんだよ。努力と意地は認めるが、どれだけ頑張っても魔物の俺達と同じ環境には耐えられんだろ」
私は俯く。
人間の身体はフェンリス達とは比べるのも烏滸がましい程に脆弱だ。如何に彼等のおかげで他の魔物の脅威からは守られているとはいえ、連日の黒い森での野営は少しずつ私の身体に疲労を蓄積させている。
私は勘違いに気付いて恥ずかしくなった。
人間用の温泉に行ってこいというのは何も私の欲望を満たしてこいという意味などではなくて、今の疲労したままの状態では邪魔にしかならないから、我儘を言ってついてくるならばせめてコンディションを維持しろという苦言だったのだ。それなのに、温泉というワードにそこはかとなく浮ついていた自分が本当に恥ずかしかった。
「わかりました……私、がんばって休んできます」
「お、おう。……もうちょい気楽に行ってこい?」
「そうはいきません。私は真剣です」
「いいけどよ……」
むんっ、と気合を入れるとフェンリスは何故か困惑していた。
すると、温泉(高温)のほうからハーティの声が掛かる。
「街に行くなら、ハーティはお土産を所望するぞぉ!」
この前のチーズで味を占めやがったな、とフェンリスがぼやくが、私としては別に全然構わない。ハーティが喜んでくれるなら土産を持ち帰ることも吝かではないし、『幽家』に立ち寄った際に換金用の貴金属を持ち出してきたので資金もある。
「なにが欲しいですか」
「温泉と言えば、ハーティはあれが食べてみたいぞ!」
「あれ?」
「そう、温泉卵だ!」
ハーティが元気よく告げた所望の品に、私達は思わず黙り込んだ。
フェンリスはアホを見る目でハーティを眺めているし、スコールはなんだか平たい目をしている。私はというとリアクションに困っていた。
「と、ともぐい……」
「アイツは時々自分が鳥だってことを忘れてる節があるな」
前回のブルーチーズもそれなりに謎だったが、何故よりによって鶏卵を所望なのか。
スコールはハーティを馬鹿にしたような仕草で、肩を竦めて溜息を吐く。
「嫌ですね。野蛮で」
「お前が言うな」
ちなみにサソリは普通に共食いをする生き物である。
「くそばかハーティに私が画期的なことを教えてあげましょう」
「んん?」
「わざわざチビに頼まずとも、おまえが今そこで卵を産めばよいのです。セルフ温泉卵待ったなし」
私はわりと普通になるほどと感心したのだが、横のフェンリスはげっそりしている。
そしてとうのハーティはというと、
「おお! スコールはたまに天才だな! このハーティを以てしてもその発想はなかったぞ!!」
「無くて普通なんだよ。自分が生んだ卵を調理して食べることに疑問を持て。頼むから」
フェンリスの言葉が聞こえているのかいないのか、多分聞こえていないのだけど、ハーティは翼を羽ばたかせて湯から飛び上がった。飛沫を散らしながら湯面に立った彼女は、豊満過ぎるものを揺らしながら堂々の仁王立ちになる。
「そうと決まれば早速産卵しなければ! 御館様、今すぐハーティを孕ませてくれ!!」
ハーティがそう叫んだ瞬間、フェンリスのマントが目にも留まらぬ速度で伸び、巨大な鉄槌となってハーティを上からぶん殴った。凄まじい轟音ととんでもない湯飛沫を噴き上げてハーティの姿は水底へと消えたのであった。
「フェンリスとハーティは子供を作れるのですか?」
「聞くな」
呻くように言ったフェンリスが本気で訊いて欲しくなさそうだったので、私は忘れることにした。
ちょっとよくわからないが、たぶんセンシティブな話なのだろう。
人間の場合はコウノトリが赤子を運んでくれるけど、魔物の場合は違うのかもしれない。
「……ところでチビラギ、人間の温泉には男湯と女湯がある」
「そのくらいは私も知っています」
「混浴というのも、場所によってはある」
フェンリスが何を言いたいのかわからないが、私は取り合えず頷く。
混浴のお風呂は女性でも男性でも入れるお風呂だ。だいじょうぶ。
「お前は女湯に入るんだぞ。混浴はダメだ」
「だめですか?」
「ダメだ。お前にはまだ早い」
そう語るフェンリスの顔はあまりにも真剣なので、私も神妙に受け止める。
彼の言わんとするところがなんとなくわかった。私にはまだ早いということは、つまり今の私では混浴に入るのは実力不足だということだろう。やはり私は未熟だ。今は大人しく女湯に甘んじて経験を積まねばならないということなのだろう。
「あと、サヤみたいに男の前で無防備に脱ぐんじゃねえぞ」
「むぼうび…………あ、常に警戒心を持てということですね」
「なんか俺の意図と違う気がするが、それでいい」
ということは先程フェンリスの前で裸を晒したのも、彼的にはマイナス点だったに違いない。気を付けよう。
考えてみれば当然のことだ。裸というのはつまり物理的な防御が何もないということなのだから、警戒心があれば不用意にそういう姿を晒すべきではない。おかあさんくらいの実力者ならばまだしも、私など。
「それと、サヤは魔法以外は基本的にダメ人間だから見倣うんじゃねえ」
「だめにんげん…………あ、未熟な私にはおかあさんの真似はまだ早いということですね」
「あー。もうそれでいい」
きっと未熟な私が無謀にもおかあさんの真似をしているのが見るに堪えないのだ。
だけどフェンリスはなんだかんだで優しいから、身の程を弁えろと直接的には言わずに、冗談めかして伝えてくれようとしているのだろう。
だって、おかあさんがダメなわけがない。彼はおかあさんと仲良しだからそういう冗談も言えるのだ。
「よし。じゃあ存分に堪能してこい」
「わかりました。がんばります」
「別に頑張る必要は……ああもういいやそれで」
決意を新たにする私と、何故か疲れたようなフェンリス。
ちなみにスコールはぷかぷかと浮かんできたハーティのおしりを鋏でつついて遊んでいた。




