400話_side_Marguerite_回想
~"騎士の卵"マルグリット~
『ヒドゥンロード』が襲来したあの戦いから暫くの間、姉が情緒不安定だったのを覚えている。死にかけたのはあたしのほうだったはずなのに、わりとすぐに立ち直ってしまったあたしよりも、姉のほうが長く引き摺っていたように思う。
あたしが医務室に厄介になっている間も、姉は日に何回も訪ねてきて、講義の休み時間を使って可能な限りあたしの様子を見に来てくれた。勿論、あたしとしては大好きな姉が気に掛けてくれて嬉しくないはずがなかったのだけど、流石にちょっと過剰な気がして、姉の心身に何かがあったのではないかと逆に心配になってしまったくらいだ。
だから、何がそんなに気になるのかと姉に問い掛けると、姉は言葉少なに告げるのだ。
『リタが死んでしまう夢を見たの』
悪夢を見たくらいでそんな大袈裟な、とその時のあたしは思わないでもなかったが、それを口に出すには眼前の姉の雰囲気があまりにも真に迫り過ぎていて、あたしはとりあえず自身の健在をアピールして姉の不安を払拭することに努めるしかなかった。
その後、あたしは姉のメイドであるマーヤに、悪夢云々についてそれとなく確認してみた。あの姉のことだから、本当はもっと深刻な悩みを抱えていて、あたしに心配をさせないために嘘の理由を言っただけかもしれないと考えたからだ。だけど、あたしの予想に反してマーヤは姉が見た悪夢に心当たりがある様子だった。
あの戦いがあったまさに当日の夜中のことだったらしい。寮の寝室で休んでいた姉が、突然大声で叫びながら飛び起きたのだという。声を聞いて駆け付けたマーヤが宥めようとするも、夢見が悪かっただけとはとても思えない憔悴しきった状態であったそうだ。そんなことになっていたとは少しも知らなかったあたしは驚いたが、ただマーヤが言うには姉が悪夢に魘されたのは、その時はその一回だけで済んだ。
『その時は?』
マーヤの説明の中にあった表現が気になってあたしが訊くと、マーヤは少し迷ったようだが、教えてくれた。
実は、姉がそういう様子を見せるのは初めてのことではないのだという。姉が幼少の頃から世話をしているマーヤは、これまでにも何度か、悪夢に泣く姉を宥めたことがあると言った。
あらゆる意味であたしのお手本だった姉にも、当然人間としての弱い部分があって、しかし彼女はそれを妹には見せないようにしていた。あたしはその事実を知ってより一層姉のことが好きになり、尊敬を強めたのである。
…………でも。
今なら、わかる。
度々姉を悩ませていた悪夢とは、ただの夢などではなかったのだ。
あの日、姉が夢で見た『マルグリットが死ぬ光景』とは、ここではないどこかの世界で現実に起こっていた可能性の姿に違いなかった。
ベリエ男爵家に伝わる相伝の魔法『虹霓閃華』は術者が使っている刀剣の類を魔力で以て複製する魔法だ。それが聖剣でも魔剣でも、まったく同一の性能を有する複製を創り出せるという規格外の魔法である……と先祖代々伝えられていたわけだが、実のところそれを本気で信じていた者は少なかったと思う。何故って、そもそも歴代ベリエでそんな大それた刀剣を使っていた者が居ないのだから、いつ誰がそれを実証出来たのだという話なのだ。もっと言えば『虹霓閃華』は習得の難度が異様に高く、そもそも使用出来る者が歴代でも僅かにしか居なかったというのだから余計だ。
尤も、逆に言えばそれだけ高難度の魔法なのだから大それたことが出来てもおかしくない、という発想もないではない。
結論から言えば、言い伝えは大言壮語でもなんでもなく、『虹霓閃華』は本当にそれが出来る。
この世に一本しか存在しない伝説の聖剣であっても、全く同一の性能を有する複製を七本までなら創り出せるのだ。
いや、創り出すという表現は厳密には違う。
正しくは、借りてきているだけだ。
この世界にただ一本しかない刀剣を増やすためにはどうすればいいのか。
答えは、この世界ではなく、隣の世界から借りてくればよい、である。
ベリエ家が継承しているものの本質は、強力無比な謎魔法ではなく、それを操る素質なのだ。
それは確率分岐世界、平たく言えば並行世界を観測する力である。
かつて、いつかの時代に『虹霓閃華』を生み出したご先祖様や、その魔法を引き継いだ姉なんかは、並行世界を観測し、自らの存在を起点として関連する事象を顕在化する能力に秀でていたのだろう。
あたしの素質はそれとは少し方向性が違っていて、だからあたしは『虹霓閃華』を使うことこそ出来なかったのだけど、代わりに並行世界の自分と相互に認識をすることが出来た。姉のように隣から物を借りてくることは出来なくても、あたしは隣のあたしと経験や技量を共有することが出来た。
この素質はもしかすると、今回あたしが戦ったクロスという修道士の素質と近しいものかもしれない。あまり嬉しくないことだが。それに、もしかするとクロスとベリエ男爵家は過去のどこかで縁があるのかもしれない。この特異な素質を受け継ぐ血筋がそうそういくつもあるとは思えないので、源流が同じであると考えるほうが自然な気がするのだ。
まあ、それはあたしにとってはどうでもよいことだ。
ともかく、つまり姉は並行世界を観測する力で以て、どこかの世界で死んでしまうあたしの姿を見たのだ。
姉は『虹霓閃華』の本質を理解しているわけではなくて、本人も何故か使えてしまうのだと言っていた。つまりあたしやクロスのように明確に並行世界の存在を認識しているわけではない。だから姉は悪夢に見た光景をあくまでもただの夢だと思っているようだが、実際はここではない世界で起きた紛れもない現実の姿なので、そのリアリティーを問うまでもなく、だからこそ姉はあれほどまでに心乱されてしまったのだろう。
あたし達の素質は並行世界の観測を可能とするが、恣意的に視たいものを選ぶことが出来るわけではなかった。確率分岐の数だけ存在するはずの並行世界は、無限に等しい数がある。探せばどんな世界でも存在している、と言っても決して過言ではないはずなのだ。そんなものを把握しきれるわけがないし、そんな中から特定の世界を探すこともまた不可能だ。
あたしが出会ったもう一人のあたしは、あたしよりもこの力を使いこなしていたようだが、そんな彼女でも全容を理解して制御下に置いているとはとても言えないのだ。
あたしが自分の力を理解した時、あたしは無作為に様々な可能性の姿を垣間見た。
もう一人のあたしが言っていた『マルグリットは死にやすい』という言葉も成程確かにという感じだった。殆どのあたしは『ヒドゥンロード』を越えることが出来ず、あの戦いで命を落とす。それこそ、姉が悪夢で見た光景と同じように、である。
殆どのあたしがそこで死ぬ、というよりは逆に、稀にそこを生き残るあたしが居る、と表現したほうがいいくらいかもしれない。
もう一人のあたしはこうも言っていた。『あんたは生き残ったマルグリットの中で最も幸せだ』と。
今が幸せかと訊かれたら、自信を持って肯定出来るほどにあたしは人生というものを経験してはいないのだけど、だけれど自分が不幸だとは少しも思わないし、今がこのまま続けばいいなとは思う。それはきっと、紛れもなく幸せであるということなのだ。
数居るあたしの中で何故あたしなのか、という疑問に意味があるのかはわからないが、考えれば答えらしきものはあるのだ。
稀に生き残ったあたし達を比較した時、この世界のあたしだけが持っている要素とはなんだろう。
そう考えた時、おそらく一番最初に答えがある。
即ち、何故生き残ったのか、である。
あたしが観測出来る限りでは、どこの世界でもあの戦いは発生するし、あたしは参戦する。『ヒドゥンロード』がそもそも攻めてこなかった世界とか、怪我や病気であたしが参戦出来なかった世界というのは一つもない。既定路線のように、あの大型種は現れて、あたしは戦いに参加し、そして食われて死ぬか稀に生き残るのだ。
生き残るパターンは色々だった。
例えば、常駐騎士団とかマリア部長の救援が間に合って一命をとりとめたパターンもあれば、あたしの代わりに誰かが死んでしまうパターンもある。それはリーダーであったり、タナカ先輩であったり、あるいはあたしが知らない誰かであったりもする。
そして、姉が犠牲になる世界もあった。
いくつもの可能性と、苦難と慟哭を垣間見たあたしだけど、それらの可能性の中に、居るはずなのに一度も登場しない人物が一人だけ居るのだ。
アンジュ様だ。
アンジュ様がどこにも居ない。
あの戦いにアンジュ様が現れて、そして彼女に救われたあたしは、あらゆる世界の中であたしだけだった。
だから他のあたし達との明確な差異として考えられるのは、まずそれだ。
無闇矢鱈に死にやすいあたしが死に瀕するのは、なにもあの戦いだけのことではない。稀に生き残ったあたしの中でも、無事に大人になれたあたしは果たして何人居たのだろう。並行世界の観測に時間という概念は絶対的なものではないので、あたしが視る景色には過去のものもあれば未来のものもある。ただし、あくまでもあたしが観測出来るのはあたしが存在する世界、そして時代の光景だけだ。どうやらその世界のあたしが直接認識していない事象でもある程度は視えるみたいだけど、やはり意図して視る対象を選択することは出来なかった。そうして一方的に無作為に視える景色の、大部分が子供時代のそれであるという時点でお察しである。
実際、この世界でも、あたしはあの戦いの後にも既に何度か死にかけている。
だけど、その度にあたしを救ってくれたのはいつもアンジュ様だった。
他の世界のあたし達がなすすべなく命を奪われていく事態を、あたしだけはアンジュ様に守られて生き残ってきたのだ。
つまりは、あたしが特別幸せなのだとすれば、それは殆どアンジュ様のおかげであって。
言い換えれば、あたしにとっては同じ世界にアンジュ様が存在してくれたことこそが幸せだったのだ。
今回もまた、結局あたしはアンジュ様に命を救われてしまった。
『夢で逢いたければ、眠りなさい』
そう告げたアンジュ様の優しい微笑みに、絶対的な安心感を覚えたあたしは容易く意識を手放してしまった。
あたしは仕方がないことに、アンジュ様に後を任せておけば、すべてが上手くいくことを疑っていなかった。あたしが次に目を覚ました時、きっとルークは元気にピンピンしていて、ケイさんとリュウさんも無事で、それどころかなんかケイさんの呪詛も解けちゃったりして、ついでに言うとクロスはどこかに居なくなってくれているに違いないのだ。現実にはそんな美味い話があるわけがないと理解していても、そう信じたくなるくらいには、あたしはアンジュ様に心酔しているのだと自覚した。
いつだってあたしを助けてくれて、あたしがたくさんの幸せを手にするきっかけを作ってくれたアンジュ様。
あたしは彼女にどうやって報いることが出来るのか、と考えた時、ふと過ったことがある。
――ところで、果たしてアンジュ様は幸せなのだろうか?
知らない。あたしは知らないのだ。
彼女がアヴァターであることは理解していても、アヴァターを解いた彼女がどこの誰なのかも知らない。
恥ずかしいことに、あたしはここで初めて、自分がアンジュ様のことを殆どなにも知らないのだと気付いたのだった。
一度自覚してしまえば、あたしは知りたい欲求を抑えることが出来なかった。
もっと彼女のことを知りたいのだ。
知ってどうするのかと言えば、きっと――
あたしは彼女に幸せの恩返しをしたい。
アンジュ様が今、既に幸せであるならばあたしが出る幕なんてないけれど、もしそうでないならば。
あたしは彼女が幸せになれる手伝いをしたい。
だからあたしは知りたいのだ。
アンジュ様がなにを思っているのか。
どうすれば、彼女を幸せにしてあげることが出来るのか。
…………そして。
もしかすると、覚醒したあたしの力が、無意識にあたしの願いを叶えようとした結果だったのかもしれない。
あるいは、アンジュ様の言葉通り、あたしの逢いたい想いが彼女の姿を夢で見せただけかもしれない。
とにかくあたしは、それを視た。
それはいつかの時間、どこかの場所での出来事だった。
あたしが観測する景色の中で、アンジュ様は居た。
彼女は、その背の金色の羽根を舞い散らせながら、天を見上げて、地へと落ちていく。
彼女の胸には、一振りの剣が突き立てられていた。
あたしは直感的に理解を得ていた。
これは、アンジュ様が命を失う瞬間の光景だった。いつかの時間、どこかの場所で、彼女は心臓に剣を突き立てられて死ぬのだ。その剣を突き立てたのが誰であるのかはわからない。その場にその時のあたしが居たのかどうかもわからない。あたしに視えるのはアンジュ様の姿だけで、恣意的に行使することが出来ないあたしの力が、あたしの願いに応えてアンジュ様の姿だけを見せてくれているのだ。
アンジュ様の外見は現在とまったく変わらないが、アヴァターである以上は外見から年月の経過を判断することは出来ない。
わかるのは絶望的な未来の事実だけで、あたしにはそれを防ぐための手掛かりすらも与えられない。
アンジュ様を救いたい一心で、届くわけも触れられるわけもないのに、必死に手を伸ばしたあたしを嘲笑うように、命を散らせながらアンジュ様は落ちていく。
『……あの剣は、』
だけどあたしは、一つだけ気付いた。
アンジュ様の胸に突き立つ一振りの剣。
まるで光そのものが刀身を形作っているような、鮮烈な片手剣。その柄の部分は、どこかで見覚えのある色彩のロザリオから成っていた。
あたしはそれを知っている。
間違いない。シスターレイチェルの剣だ。
ただ一つの手掛かりを得た。
アンジュ様はシスターレイチェルの剣で死ぬ。
アンジュ様を殺すであろう人物は、シスターレイチェルなのだ。
その結論はあまりにもしっくりくるものだった。なにせ、件のシスターには言い逃れようもない前科があるのだから。
ただし、これは確定していない未来の事象でしかなく、現時点では可能性の一つでしかない。これを視ることが出来るのはあたしだけだし、誰かに信じてもらうための証拠を用意することも出来ない。もし共有出来る可能性があるとすれば姉くらいだけど、将来的にはともかく現時点ではそれも難しいだろう。
この未来を実現させないためには、あたしが自分でなんとかするしかないのだ。
あたしがこの手で、シスターレイチェルを止めて未来を変えるのだ。
もう一人のあたしと約束をした。
あたしに『強さ』を示してくれた彼女のために、あたしは彼女に『幸せ』を示してみせる。
そのために、この悲劇の未来を回避することは絶対条件だ。
あたしに幸せな今をくれたアンジュ様。
あたしの幸せな未来があるとすれば、そこにアンジュ様が居ないなんて嘘だ。
あたしがアンジュ様を殺させはしない。相手がシスターレイチェルであっても、他の誰であっても。例えそれが世界の意志であっても。
あたしはアンジュ様を守る。
故に。あたしは――
――アンジュ様の騎士になるのだ。




