391話_sideout_某所_夜のはじめ
ルークは自分の実力に結構自信があった。
自惚れも多少はあるだろうが、客観的に見ても同年代でルークほどに腕が立つ人間はそうそう居ない。きっと学院に入る前のルークであれば同い年で自分に比肩する者など居ないと言い切っていただろうが、今のルークはその頃よりも少しだけ世の中を知ったので、世間には自分が知らない凄い奴がそれなりに居ることを理解している。
具体的には白くてちっこいアレとかだ。
しかし、大海を知ったからとて自分が弱くなるわけでもない。ルークは変わらずに自身の実力には自信がある。そもそも、血統からして古の英雄の末裔であり、しかもルークは父親ですら成し遂げなかった偉業である『二つ名』を既に持っているのだ。二つ名は即ち戦闘能力を示すものではないが、魔法使いとしての優秀さを示すものではある。国際的に実力が認められている指標であると言っても、あながち間違いではない。
ただし、ルークの実力というのはあくまでも魔物相手に培われたものである。
対人戦闘経験もないではないが、その大部分は形式に則った試合であり、言うまでもなく殺し合いではない。
修道士からの刺客として現れたシスタードルチェを相手に戦端を開いたルークであったが、彼はドルチェを倒すつもりがあれども殺すつもりは毛頭なかった。倫理観がどうのこうのと言っていられる状況ではないのかもしれないが、少なくともルークは人殺しが罪であると思っているし、勿論人を殺した経験などありはしないのだ。しかも今回の相手は幼子だ。その幼子が寺院を襲撃して多くの人間を傷付け、特にリンは一歩間違えば死んでいたし、そうでなくとも一生消えない傷を負わされたことだってわかっている。
しかし、だからとてルークがドルチェを殺していいことにはならないし、部外者のルークが報復を気取るのもおかしな話だ。
故にルークはリュウの姿に倣おうと考えた。ドルチェが危険である理由の殆どは、あの六腕二足の異形極まる義体の性能のせいだろう。リュウが相対した修道女の義体を破壊して無力化したように、ルークもまたドルチェの義体だけを破壊して無力化しようと考えた。
ところがこれが非常に難しい。
まず単純にドルチェの機動力が高い。彼女の移動の基点は足ではなく、基本的には長い六腕である。足を動かして歩くよりも、腕を伸ばして身体を引き寄せるほうが圧倒的に速いのだ。更には寺院で目にしたフェムトファイバー擬きの糸の存在もある。ドルチェは義体の腕の先から細い糸を投射し、魔法的なアンカーで構造物に打ち込み、糸を手繰ることで移動することが出来るのだ。
単純な速度だけであれば『蒼雷』と呼ばれるほどの機動力を誇るルークの独壇場であり、ドルチェに後れを取ることなどありはしないが、この場合は速度というよりも自由度の勝負になっていた。
また、ドルチェの体躯が小さいのも厄介だ。それはそのまま的が小さいことを意味する。ルークの武器は身の丈ほどもある大剣なので、どうしても攻撃は大振りにならざるを得ず、巨体の魔物を相手取るには滅法強い武器であるからこそ、こういう時には命中率的な意味で辛いものがある。
それこそ、速度勝負に持ち込んでしまって大雑把に叩き切ってしまえれば話は早いのだが、小さなドルチェの義体だけをルークの大剣で狙い撃つのは、特に高速度域では難度が高過ぎる。一歩どころか半歩間違えば義体ごとドルチェを切ってしまう。
ドルチェを殺さずに無力化するための試行錯誤は、つまりただの傲りでしかなかったのだろう。
ルークは、明らかにドルチェを侮っていた。
相手が幼子であるから。暴力に目を瞠るものはあろうとも、決して優れた戦闘者というわけではないと思い込んでいた。いや、事実としてドルチェは確かに、戦闘を生業にする者という意味での戦闘者ではあり得ない。何故なら彼女は無垢だ。だからこそ寺院の結界を突破出来た。
即ち彼女は、相手を打倒するために知略戦術を張り巡らせる戦人ではなく、自身が楽しむために楽しむだけの無垢なる子供だ。
しかしそれは、戦いが上手くないこととイコールではないのだ。
ドルチェはまさしく体現者だった。
無垢なるままに、強い。
いわば、生粋の戦巧者である。
「あーあ」
と、ドルチェがつまらなさそうに声を零した時、ルークは自身の思い違いと傲りを、ようやく悟った。
遅過ぎる理解であった。
「おにーちゃん。ちょっと弱過ぎるのだ。もう終わっちゃったのだ」
もしこの戦いを外から見ている者が居たら、突然に両者が動きを止め、そしてわけもなくドルチェが勝ち誇り始めたように見えたことだろう。
だが、現にルークは動きを止めていて、そして自らがドルチェを侮ったが故にしてやられたことに気付いていた。
「止まってたほうがいいのだ。動くとばらばらになるのだー?」
その正体は糸であった。
ドルチェが移動に用いていた糸。寺院でリンを捕えていた、あのフェムトファイバー擬きの糸だ。
その無数の糸が、まさしく結界の如くルークの身体を取り囲んでいた。
確かにルークは油断をしていた。だとしても馬鹿ではない。ドルチェが糸使いであることがわかっていたのだから、リンの二の舞にならぬよう常に気を配っていた。
単に、そんなルークの警戒を、ドルチェは難なく上回ってみせただけのこと。
彼女は移動用のアンカーとして使用した糸を破棄するように見せかけて、巧妙に張り巡らせていたのだ。これに関しては、ルークの油断だけを責めるのは酷と言えるかもしれない。それほどまでにドルチェの手腕は見事であった。
ドルチェは糸を破棄するごとに、それらを複雑に交差させていたのだ。最終的にルークが罠に掛かった瞬間にドルチェが手元の糸を手繰ると、アンカーで両端を固定された糸が張力を得てピンと張り詰め、それに引かれて別の糸が持ち上がり、連鎖的に張り詰めた糸と糸がまるで立体パズルのように、瞬く間にルークを包囲する蜘蛛の巣を形成してしまったのである。
最早、一種の芸術とすら言える光景であった。
ルークを包囲する糸の結界は、しかしルークには全く触れていない。本物の蜘蛛の巣のようにルークの身体に粘着して動きを止めているわけではないのに、ルークは一歩も動くことが出来ない。
それはドルチェの操る糸の性質を知っているからだ。
魔力を流すことで金属すら切断する糸が全身を包囲しているのである。ルークの目にはどの糸とどの糸が連動しているのかさっぱりわからないが、ドルチェがその腕で特定の糸を手繰れば、忽ちルークの周囲の糸がよじれてルークの身体を細切れにするのは考えなくてもわかる。
ルークの大剣であれば糸を切り裂いて脱出することは難しくない。
如何に魔力で切断力を増す糸であろうと、それはルークの大剣とて同じなのだ。強化手段が同じであれば、元々の攻撃力の差で大剣のほうが勝つのは道理である。
問題は、普通は剣を振るためには腕を動かす必要があり、しかしルークは腕一本動かせない程に雁字搦めに包囲されてしまっているということだった。
「さぁおにーちゃん、降参するのだ! ドルチェの勝ちなのだっ!」
高らかに勝利宣言するドルチェに、ルークは少しの疑問を覚えた。
「俺が降参したら、次はどうするんだ?」
「次の遊びをするのだ! これはドルチェが勝っちゃうから、次の遊びはおにーちゃんに決めさせてあげるのだっ」
「……なんで俺をバラバラにしないんだ?」
「う? そしたら、おにーちゃんと遊べなくなっちゃうのだ」
きょとんとするドルチェには本当に他意は見えなかった。
本当の意味で彼女は遊んでいるだけなのだとルークは理解する。彼女にとってはルークは敵ではなくただの遊び相手で、更に言えば彼女に昏倒させられた寺院の人間や、リンに対しても同じ認識だったのだろう。
悪気がない、のではなく。
彼女には善悪がないのだ。
余分なものが入り込む余地がないから、彼女は常に全力だ。
全身全霊で、遊んでいる。
メンタリティを実力の一部として考えるならば、ルークは最初からドルチェに負けていた。ドルチェは自身の実力を発揮することに一切の躊躇がない。悩み、斬ることとを恐れる者と、心の欲するままに牙を振るう者。どちらが強いかは明白だ。
そう。恐れだ。
結局のところ、ルークはビビっていただけなのだと気付く。
人を殺めたことがないルークは、力加減を誤ってドルチェを殺めてしまうことを恐れたのだ。
「ちゃんちゃらおかしいぜ」
自嘲気味な呟きが零れる。
この戦場において、ドルチェは明確な格上だった。
自身の半分も生きているか怪しい小さな幼女に対して、この場のルークは挑戦者でしかなかった。挑戦者の分際で、相手を殺してしまわないように手加減をしようとするなんて、誰が聞いてもおかしいだろう。
挙句、結果がこの様である。
だからルークは考えを改めることにした。
まずドルチェを殺さないようにとかは考えない。自分は挑戦者で、胸を借りる立場なのだから、そんな傲慢な考えは勝ってからすればいいのだ。
というかドルチェのことも考えない。彼女のパーソナリティについては、幼子であるとか、無垢であるとか、教会の人間であるとか、そういうのは一切無視だ。
ルークは早くマルグリットを追い掛けなくてはならないのだ。だからマルグリットのこと以外は全部思考からポイである。未熟者の分際で分不相応にいくつものことを意識しようとするから破綻するのだ。
目の前のそれは、なんか敵だ。
なんか敵だから、倒してしまう。それでいいのだ。
ルークの目付きが、雰囲気が変わる。
それを見て取ったドルチェが、糸を手繰りながら小首を傾げる。
「降参しないのだ?」
「おう。しないぜ」
「ふーん」
ルークの返答を聞き届けたドルチェは、無造作に糸を引いた。まるで遊び飽きた玩具をぽいと放るような、容赦のない動きであった。
ドルチェの手元から連動した糸と糸が複雑に作用しあい、瞬く間にルークの居る空間を絞り上げる。その全てが金属を容易く両断する切れ味を有する凶器であり、人間の肉体はおろか全身鎧で防備を固めていたとしても為す術なく細切れにされることだろう。
「あれ?」
異様に軽い手応えにドルチェが目を丸くした時、その視線の先には既にルークの姿はなかった。
腕一本動かせなかったルークが、腕一本動かすことなく振るった大剣が、なんの抵抗もなく糸の結界を両断して切り開き、解き放たれたルークは蒼い雷となって疾駆していた。
それこそ糸にでも吊られているかのように独りでに踊ったルークの大剣であったが、その絡繰りの正体は結界魔法だ。ルークという魔法使いの最も得意とする魔法は、攻撃魔法でも移動魔法でもなく、結界魔法なのである。
しかしながら、例えば修道士クロスが使っているような結界らしい結界とは様相を異にするのがルークの結界魔法であった。
ルークのそれは、言うなれば『純戦闘能力に特化した結界魔法』なのだ。
結界本来の用途である『閉じ込める』ないし『塞ぎ止める』という使い方をすることは基本的にない。
彼の戦闘スタイルは、二つの結界魔法によって構成されていた。
一つは自身を中心に広く展開する磁力結界。巨大な鉄塊である大剣を磁力のレールで投射し、移動から攻撃までをこなすものだ。腕を動かせない状態でも糸の包囲を切り開けたのはこの結界の効果であった。
これだけでも充分に特異な使用方法であると言えるが、ルークが『蒼雷』と称される所以となったのはもう一つほうの結界魔法である。
これを強いて分類するならば遷移結界と呼ばれるものになる。
遷移結界とは術理的に内外を分断することで、本来物理的に不可能なはずの物質変化等を結界内で実現する技法であり、主に魔界資源の研究開発分野で活躍している専門的な魔法技術であった。
専門性故に一般的な認知度は非常に低いそのニッチな魔法を、戦場に導入してしまったのがルークという魔法使いだった。
勿論、誰にでも出来ることではなく、彼にしか出来ないからこそ二つ名を与えられたのだ。
その魔法の名を『昇蒼転雷』という。
……アヴァターを纏うことなく自身の肉体を術理化して雷そのものとなる、頭のおかしい魔法である。




