390話_sideout_寺院への道_夕方
夕暮れのロイエンタールの街を闊歩するその女は、擦れ違う通行人の目を惹いた。正面から歩いてきた者が自然と道を譲り、通り過ぎた後は振り返って眺めてしまうような、得も言われぬ華があった。
とにかく討伐者人口の多いこの街では女性の討伐者を見掛けることなど珍しくもないし、黒い森の特殊な環境も相俟って薄着で出歩く者もまた然りであった。その女も例に漏れない装いをしていたのだが、それでも視線で追わずに居られないのは、偏にその容姿が非常に美しいからだ。楽しげな笑みを浮かべる蠱惑的なかんばせも、夕日に照らされて艶やかに輝く金髪も、派手に肌を晒した装いがこれ以上ない程に様になっている豊満な肢体も、どれをとっても一級品の美貌と言わざるを得ない。
それともう一つ。美しい女には可愛らしい同行者が居た。
長い脚で堂々と歩く女の歩調に遅れまいと、小さな四足をてくてくと忙しなく動かして歩くのは、これまた夕日の中で艶やかに輝く黒毛の子猫であった。野良猫が餌を求めて纏わりついているという風でなく、飼い猫が健気に主人の足取りを追っているという風でもなく、強いて言えば対等な友人同士が肩を並べて歩いているかのような、奇妙な調和と風格があった。時折、女のほうが揶揄うような表情で足元の子猫を抱きかかえようとするのを、つんと澄ました表情でするりと避ける遣り取りがなんとも堂に入っている。
そんな一人と一匹を見送った通行人は、いいものを見せてもらったと思いながらも、同時に奇妙なものを見たような気持ちで首を傾げるのであった。
「――で、そろそろ喋っていいかなボク」
人通りの多い地区を抜けて、周囲に緑が目立ってきた辺りで黒猫のほうが口を開く。
女は楽しげな顔のまま、猫のほうを見るでもなく「どうぞ?」と適当に返答する。
ギルド支部の外郭から、街外れの陸刀会寺院を目指して遥々歩いてきたスレイとドロシーであった。
「別に街中で喋ってもらっても構わんぞ。保健所には『飼い猫の魔獣です』と言っておいてやるから」
「ホケンジョとやらが何かは知らないけど、ボクがなんでこんな姿してるのか忘れたのかいキミ」
「私に愛でて欲しいからだろう?」
「頭にお花咲かせるのは姉さんだけで充分だよ」
ドロシーにとって、雇い主兼友人兼姉であるスレイことプリムローズの行動が意味不明であることは今更であり、慣れたものであるが、彼女はドロシーが驚いたりなんなり香ばしい反応を示すと喜ぶ節がある。ドロシーとしては無駄にスレイを喜ばせてやるのは癪なので、すっかり彼女の行動に無感動を決め込む癖がついてしまった。
そんなわけで今日もスレイは平常運転であり、いきなり予定変更して修道士にキレ散らかしたかと思えば、ギルドの外郭の上に登って大物ごっこに勤しみ、挙句の果てにはドロシーを飼い猫宜しく引き連れて街中を散歩し始めるときた。一応、目的地は話題の渦中である陸刀会寺院ということなのでドロシーも文字通り黙ってついてきたのだが、理由が気にならないわけではないし、気になったことは訊くのがドロシーの流儀であった。
「修道士クロスを見付けるのは諦めたのかい?」
「まさか。目下追跡中だよ」
「寺院に直接乗り込むつもり?」
そのつもりだからこそ遥々歩いてきたのだろうが、それにしてはスレイの態度はのんびり過ぎる。まるで敢えて時間を掛けているようだとドロシーは思った。
「私が寺院の結界をスルーできている理由は結局よくわからんのだが、それはそれとして寺院の内部でも修道士クロスの存在は掴めていない」
「それは聞いたよ。単純に、彼がまだ身を隠しているというだけの話ではなくて?」
「ところが不思議なことに、クロスがターゲッティングしている東方人の女性もまた、寺院から姿を消している」
「ふぅん?」
「重ねて言えば、寺院に殴り込んでいたほうの修道女だが、これも姿を消した」
勿体ぶるようなスレイの言い方であったが、一から十まで説明されずともドロシーは彼女の思考の筋道を辿って推測を立てる。
「つまり、クロス本人か修道女の能力かはわからないけど、クロスは既に目標を確保していて、それでいてキミの子飼いや寺院の人間の探索網には引っ掛からない手段で姿を隠しているということか」
「ああ。そして修道女のほうは無垢な子供であるからこそ寺院に潜入できたのだと考えれば、まあ搦手的な技能は十中八九クロスのほうの持ち物だろう。オールド・クロスがそういった技能を持っていたということはないのか?」
「たぶんない。ていうか今のクロスは養子だから、そもそもオールドのほうの魔法的素養は受け継いでいないよ。むしろ、そういう特殊な素養を見出したからこそオールドが養子にしたと考えるほうが自然かな」
過去の記憶を思い返してドロシーが所見を述べると、スレイからも「同感だ」と同意が返ってきた。
「状況から考えれば、クロスは寺院の論理結界の中で更に論理結界を展開した、ってとこかな。キミは寺院の結界を通過できるけど、クロスの結界は通過できないから見付けられない」
「そんなところだろう」
「普通さ、論理結界ってそんなポンポン展開できるものじゃあないでしょ。って言いたいところだけど、キミの魔法見てると自分の常識が怪しくなってくるよ」
「まあ実際、私も寮室に論理結界張ってるしな」
しれっとカミングアウトしたスレイに、ドロシーは舌を出した。彼女の寮室には依頼の関係で何度か出入りしているが、そんな結界の存在にはまったく気付かなかったからだ。
論理結界の類が強力かつ高難度で、厄介な理由はだいたいここに集約される。知らなければ、どうあがいても認識出来ないのだ。
「ボク全然気付かなかったけど、どういう結界か訊いても?」
「なに、結界内の時間を逆向きにするだけのちゃちなものだ」
「つまりどういうこと? 若返るわけじゃないよね?」
「時間軸に影響はない。結界に足を踏み入れた瞬間に、結界を出た瞬間からの時間が巻き戻り始めるということだ。結界に足を踏み入れた瞬間まで巻き戻った時が結界を出る瞬間ということだ」
「頭がおかしくなりそうだけど、それになんの意味が?」
「簡単に言えば、結界の外から中身を観測することができないし、私が許可した存在以外はそもそも入れない。何故なら時間ベクトルを随意に観測できない存在にとっては結界に干渉した瞬間が干渉し終えた瞬間に繋がるからな」
つまりスレイが留守の内にこっそり部屋に侵入しようとしたら、認識不可能な結界の境界線を跨いだ瞬間に何故か部屋から出てきてしまうという奇妙なことになるわけだ。
ドロシーにとっては原理がさっぱり不明な魔法モデルをスレイが『ちゃちな』と評するのは、これが論理結界としては然程上等な部類ではないからだろう。何故ならば、少なくとも侵入者は何らかの守りの存在に気付くことが出来る。本当に高度な論理結界になるとそれすら気付けない。例えば件の陸刀会寺院のように、である。
猫なりに辟易した顔をして見せるドロシーに、スレイは嬉し気に目を細めた。
「なにさ?」
「いや、ここで貴様がそういう反応をするのが嬉しくてな」
「ボクが驚くのが面白い?」
「否定はしないが、そうではなくて」
いや、と首を振りつつ、スレイはドロシーがほんの数回かだけ見たことがある、酷く無防備な笑顔を浮かべてみせた。
「私の寮室を探ろうとしたら、少なくとも結界の存在には気付くもの。貴女が結界そのものを知らなかったってことは、私を探ろうとしなかったってことでしょう?」
それは言い換えれば、ドロシーがスレイの背景を調査して弱みを探ろうとしなかったという意味だ。普通の友人関係ならばまだしも、スレイもドロシーも裏の世界にどっぷりつかった人間である。故に、関わることになった相手の背景を探るのは最早職業病というか条件反射のようなものですらある。
ドロシーがそれを、敢えてしなかったのが嬉しい、とスレイは言っているのだ。
それを聞いてドロシーは溜息を吐いた。
心境としては『これだからコイツは』に尽きる。
時にドロシーをすら戦慄させるような冷酷さを垣間見せる癖に、かと思えば夢見がちな童女のような理由で幸せそうに笑んで見せる。本当に予想がつかない振舞いばかりで、振り回される方の身になって欲しいと思う。
「別にキミが期待してるような理由があるわけじゃないよ。単にファーストコンタクトの時点で互いの弱みを握り合ったのだから、敢えて波風立てる意味がなかっただけさ」
「つまり、その対等な関係性を続けることを望んでくれたということでしょう。嬉しいわ」
「何を言っても都合の良いように解釈されそうだから黙るよボクは」
ウフフと微笑むスレイの顔から視線を逸らすのは、所謂図星というやつなのだがドロシーは尊厳に賭けて認めてなるものかと意地を張る。
例えそれがなんかバレバレくさくても、子猫には退けない時というものがあるのだ。
「キミの部屋の話はどうでもいいんだ。問題は、そんな厄介な論理結界をクロスが使っているとしたら、どうやって見破るのかってことだろ」
「まあ、正攻法ではまず無理だろう」
照れ隠しもあってドロシーが早口で問い詰めると、スレイはしれっと降参した。
無理なんかい、とドロシーは呆れるが、実際無理だろうというのはドロシー自身の予想でもあった。クロスが論理結界を用いているとすれば、その結界の肝となる『論理』がわからない限りは、スレイの言う正攻法を考えることすら出来ないのだ。
なお一応言っておくと、クロスが身を隠している手管が論理結界の類であろうと予測する最大の根拠は、あまりにも気配なく忽然と消え過ぎているからだ。
「結界の論理を知るためには、結界の中に引き籠っているクロスの口を割らせなくてはならず、そのためには結界の論理を知る必要がある。まあわかりやすい無理ゲーと言ったところか」
「ところか……じゃないでしょ」
「要は、クロスの領分に立っている限りは勝ち目がないということだな。なので、私は私の領分で強引に攻略させてもらう」
これで対処法ないですとか言ったら顔面引っ掻いてやろうかとドロシーは本気で考えたが、どうやら『黒猫の爪』が火を噴くことにはならないようでなによりだ。
「先の結界の話にも通ずるところだが、私の領分は時間を操作することであり、それも逆向きに動かすのが大得意なのだ」
不穏な爪の気配を悟ったのか、語り出したスレイにドロシーはふむふむと頷く。
先日、バッヘル領での一連の事態を経てドロシーはスレイの使う謎魔法の真実に辿り着いていた。どうせバレてるのだからと開き直ったのか、あれ以来スレイはドロシーに対して自身の時間魔法を隠すことがなくなった。
十中八九、自慢する相手を欲していただけだとドロシーは思っているが。
「なので私は、相手のリアクションを見てから先制攻撃する、ということができる。現在から過去に向けて攻撃を放てると言い換えてもいい」
「真顔で常識粉砕するのやめてもらっていいですか」
「サーセン。何が言いたいかというと、如何にクロスの結界が厄介で攻略の糸口すら掴めないとしても、結界を構築する前のクロスを狙ってしまえば関係ないわけだな」
「簡単に言うけど、それってなんかおかしくなったりしないの? パラドックス的な」
今のスレイが過去のクロスを攻撃して結界構築を妨害したとすれば、クロスの結界はそもそも構築されないので、現在の状況と矛盾が出てしまうではないかとドロシーは思う。
「うむ。なので私の魔法は過去を変えることはできない。あくまでも過去に干渉して現在が変わったことにするだけだ」
「なるほどわからん」
「そうだな……例えば、先日フェンリスとやりあった時に、最後にヤツの魔法に対してそれをやった」
「ああ。ボクが溺れてた時のあれね。そういえば言ってなかったけど、助けてくれてありがとうね」
本当に『あ、そう言えば』くらいの気持ちでドロシーが告げた礼に、スレイはきょとんと眼を丸くした。
それからなんだかこそばゆそうに頬を染めて「ん……」とはにかむ。
「急にガチっぽい反応するのやめてもらっていいですか」
「サーセン。話を戻すが、あの時はフェンリスが攻撃を放つ前の瞬間に割り込んでヤツの腕を飛ばした。これはヤツが攻撃を放つ瞬間に狙い撃てる隙があったから成立したことで、そもそもヤツの過去に一片の隙も無ければ普通に過去のヤツに防がれる」
「また混乱してきたよボク」
「しかし、過去のヤツの腕を飛ばしたところで現在における歴史が変わるわけではなく、現在に現れる変化は、過去にフェンリスの腕が飛んでいた場合の現在という結果でしかない」
「なんか知らんけどフェンリスの腕が飛んで、その分だけ攻撃の威力が減衰して、ボク達は助かった、と」
スレイの説明に則れば、現在結界の中に引き籠っていて行方が掴めないクロスであっても、過去に遡ってクロスが結界を発動する瞬間に辿り着き、攻撃して結界の発動を妨害すれば、現在のクロスが展開維持している結界を破壊することが出来る。
結界の発動を妨害されたので、結界が発動しているのはおかしいからだ。
ただし、スレイの魔法は過去を変えることが出来るわけではないので、歴史が変わるわけではない。
「過去を攻撃することで現在を変える、ね」
なんでもありじゃないか、とドロシーは呆れるも、スレイは意味ありげに苦笑するだけだった。
「つまりキミは、今まさに過去のクロスに攻撃を仕掛けようとしてるってこと?」
「そうだ。ただ、この手段は遡る時間量が大きい程に時間が掛かる。私が『リバーサー』を展開した瞬間を基点に、遡る時間が一時間であれば一時間掛かるし、一日であれば一日掛かる」
「フェンリスの時のように一瞬前に攻撃を仕掛けるならば一瞬で済むけど、今回はクロスが結界を展開してからそれなりの時間が経過しているだろうから、相応に時間が掛かってるってことだね」
「それに、『リバーサー』が稼働している間は常に私の魔力を消耗し続けるから、原理的に遡れる時間量は私の魔力総量によって規定される」
「なんでもあり、って言ったのは撤回するよ」
わりとなんでもあり、くらいだなとドロシーは納得した。
そういう事情なので、急ぐことに意味がないのでスレイはのんびりしていたのだ。全速力で寺院に向かったところで、リバーサーとやらが過去のクロスを捉えるまでは結局待ち惚けになるのだから。
◇◇◇
突然、スレイが足を止めた。
ドロシーが横を見上げると、彼女は視線を鋭くして明後日の方向を見ていた。視線で何かを捉えようとしているわけではなく、遠隔操作で動かしている魔法端末が何かを観測したのだろう。
「どうかした?」
「どうかした」
「は?」
ドロシーが目を丸くしていると、スレイからは冗談のような台詞が返ってきたが、しかしその表情はこれ以上ない程に真剣だった。
唯事ではないとドロシーも察して、スレイの次の言葉を待つ。
スレイはそのまま暫し黙って、おそらくは端末を動かして状況の把握を試み、ようやく口を開いた。
「クロスの結界が打破されたようだ」
「キミ以外の誰かがやったってこと?」
「クロスがあのシスターを投入してきたということは、ヤツにとって予想外の追跡者だった……となるとルークか……あるいはマルグリット嬢か。しかしどうして……?」
ブツブツと思案気にスレイが呟くも、ますますドロシーはわけがわからない。
ルークというのがイザベルの息子であることはわかるが、もう一人の少女らしき名はそもそも誰それ状態であった。スレイに「ベリエ男爵家の妹のほうだ」と言われてようやく思い至る。学院で何でも屋を営んでいたドロシーは、性悪ないじめっ子令嬢からの依頼でミアベル・アトリーの動向を調査したことがあるので、そのミアベルとよく行動を共にしている少女がマルグリットであると知っていた。
それはいいとして、
「なんでその子達がクロスの結界を破れるのさ」
「同じ論理を知っているからだろうな。それしかあり得ん」
ルークはともかくとして、ミアベル・アトリーが現在この街で活動しているならば仲良しのマルグリットがここに居ることもまあいいだろう。なにがどうなってその少年少女がクロスに関わってくるのかドロシーには皆目わからないわけだが、大抵は一人で納得気な顔をしてニヤニヤしているスレイですらも困惑を隠せない様子だった。
「ダンクーガ家の魔法資質は強力だが、性質的にはある意味素直でわかりやすい。歴代の英雄伯が特殊な異能を身に着けていたという話も聞いたことがない」
「となると、結界を破ったのはマルグリットちゃんとやらか」
「おそらく。彼女自身は失礼ながら優れた魔法使いとは言い難いが、ことベリエ男爵家の血筋という意味では少々話が違う」
止めていた足を再び前へと進めたスレイに従って、ドロシーも短足をとことこと動かす。
「ベリエね。騎士上がりの新興男爵家ってくらいしか知らないけど、なにかあるんだ?」
「ああ。あそこの相伝魔法はそれなりに大した魔法だからな」
可能性があるとすればこれだろう、とスレイは告げた。
「――『虹霓閃華』だ」




