384話_sideout_陸刀会寺院_昼
こんこん、と部屋の扉が叩かれる音がして、ケイの肩がびくりと跳ねる。
リュウがダイを迎えに出ていって暫く経った頃であった。ケイは不安を紛らわせるために昼食の簡単な下拵えをして、それも済んでしまったので室内の掃除などをしていた。とにかく何かをしていたかったのだ。寝室で休んでいるリンはやはり疲れが溜まっていたということなのか、起きてくる様子もない。
「…………」
ケイが声を押し殺して動きを止めていると、再度扉を叩く音がした。扉の外から『シシドさん?』と呼び掛ける声も聞こえた。
この寺院の維持管理に関わっている中年男性の声だった。陸刀会の信徒には違いないが、僧職ではなく一般の者で、雇われて主に施設のメンテナンスや滞在者の管理などの雑務を請け負っている男性である。名前は初見時に紹介されたが、普段は管理人とだけ呼ばれていることが多いのでケイ達もそれに倣っている。
ケイ達一行は僧職であるダイとその連れという名目で部屋を借りているので、扉の外の彼はシシドと呼び掛けたのだろう。彼が所用で部屋を訪ねてくることは珍しくない。毎日というほどではないが、二日に一回くらいはある印象だ。なので今回もただの雑務的な用事なのだろうが、ケイは申し訳なく思いながらも居留守を使わせてもらうことにした。呪詛のことがあるので、ケイは基本的に来客対応もするなと友人達に口を揃えて言い含められてもいる。
後で誰かに頼んで用件を訊きに行ってもらおうと思って居ると、部屋の外の様子が少々変わってきた。
「…………?」
なんだか、誰かと話しているような声が聞こえるのだ。こちらに呼び掛けていた時とは違うので、扉越しの声は殆ど聞き取れず、廊下に反響する感じが伝わって来るので何かを話しているということがわかるだけだった。
ケイの身が強張る。今までになかったことだからだ。
一体誰がそこに居るのか。扉に近付いて耳を澄ませば会話を聞き取れると思うが、鍵が掛かった扉越しとはいえ不用意に近付くのは恐ろしい。それに万が一居留守がバレたりでもしたら、どう考えても良くない展開になる。
なのでケイは部屋に元々あった調度品を拭いている変な体勢のまま、動くことなく居ない振りを続けていたのだが、結果的には扉に近付かない選択をしたのは極めて正解であった。
次の瞬間、とんでもない轟音を立てて何かが扉にぶつかり、木製の分厚い扉がへし折れながら室内に転がってきたからである。
「ひぃう!?」
ケイは思わず悲鳴を上げ、その拍子に調度品を棚上から落としてしまった。
扉に続けて室内に転がり込んできたのは、先程扉を叩いて呼び掛けたであろう管理人だ。ケイは直接応対したことがないが、顏は見知っている。
彼は誰かに押されたように、半ば倒れるようにして現れたのだが、よく見ると動作そのものが少しおかしくて、どうやら身体のどこかを痛めているようであった。
そして、その後ろから更にもう一人。
「おじゃましますのだー!」
溌剌と声を上げて入ってきたのは、教会の修道服を纏った幼い少女だ。修道女らしく顏以外の露出なく全身を覆う衣服は、サイズが大きくて布が余っているのか若干ダボついている。ウィンプルの下に覗く頭髪は癖っ毛気味で雪のように真っ白。同じく肌の色も、日に焼けたことなどないかのように真っ白。爛々と輝く猫目気味の双眸は白に近いグレーの虹彩だ。全体的に色素が薄く、繊細な色彩の印象を溌剌な雰囲気が裏切っているような、白毛の子猫を彷彿とさせる幼女である。
彼女は部屋の隅で震えているケイを見付けると、無邪気な笑みを深めた。
「お! おねーちゃん見付けたのだ! これであってるのだ?」
ケイを指差した彼女は、倒れ込んで蹲っていた管理人に問い掛けた。問われた彼は幼い修道女から逃れるように後退りながら必死に答える。
「く、詳しくは知らないっ! だけど今滞在してる若い女性はその人達だけだッ!!」
「ありがとなのだ。もう行っていいのだ!」
礼を述べた幼い修道女がぺいぺいっと手を振ると、管理人は身体を庇うような不格好な姿勢で、殆ど這いずるようにして部屋を出ていった。
「あの人に、何をしたんですか……?」
「おねーちゃんのところに案内してほしいってお願いしたのだ。でもなんかむつかしいこと言って案内してくれなかったから、叩いたのだ!」
思わずケイが問い掛けると、幼い修道女は何でもないことのように言う。
「叩いた……?」
「そうなのだ! ドルチェが叩くと半分くらいは言うこときいてくれるのだ。もう半分くらいは……動かなくなっちゃうけど」
不思議そうに言う幼い修道女――ドルチェの言葉にケイは寒気を覚えた。
何故って、状況から考えて部屋のドアを吹き飛ばしたのは彼女の仕業でしかあり得ない。どうやってやったのかはわからないが、仮にそれが身体強化による純粋な打撃であったとすれば、そんな力で叩かれたら、当たり所によっては人なんて簡単に死んでしまう。
ドルチェは興味深そうに室内を見回している。その様子は微笑ましい幼子のものなのに、ケイにとっては理解不能な怪物に見えて仕方がなかった。
「私に、なんの用事ですか」
「んー? あのね、修道士様が呼んでるのだ。ドルチェはおねーちゃんを修道士様のところまで連れていくのだ!」
ケイの思考が目まぐるしく回る。修道士様とやらはほぼ間違いなく、以前からケイ達の道中に出没していた例の人物だろう。マルグリットから聞いていたのも同一人物に違いない。
この寺院には侵入者防止の論理結界が張られているので、おそらく修道士本人は入ることも、そもそも寺院に辿り着くことも出来ないのでドルチェを尖兵として送り込んできたのだ。ここの論理結界は『招かれざる者』を弾くが、つまり『招かれた者』を選んで通過させるという意味ではない。強いて『招くべきではない』と認識された者をこそ弾くのである。
そういう意味では尖兵としてドルチェが選ばれたのはわからない話ではない。純粋無垢な子供であれば、入ってはいけないと言われた場所に入り込んでも『しょうがないな』で済ませてしまう者も多かろう。その『しょうがない』という認識が結界を脆弱なものにしてしまう。
「私は行けません。ごめんなさい」
ケイはそこに一筋の希望を見出した。
相手が子供であれば、なんとか言い包めることが出来るかもしれない。お菓子でもなんでも振舞って時間を稼ぐのだ。リュウが戻ってくるまでもたせられればそれでいい。扉が壊された轟音でリンが目覚めていないとは思えないので、おそらく今は身を隠して様子を窺っているのだ。ドルチェの能力は未知数で、子供相手だからと安易に実力行使に出るのは悪手だ。寝室からの出入り口は一つしかないので、今出てこようと思ったらどうあがいてもドルチェに先に見つかってしまう。
ケイが一緒には行けないと告げると、ドルチェは一瞬考えて、輝くような笑顔で頷いた。
「わかるのだ! でもドルチェはおねーちゃんを連れてくるように言われてるのだ」
「じゃあ、お姉ちゃんのお友達が帰ってくるまで待ってくれませんか? 勝手に部屋から居なくなったら、お友達がびっくりしちゃうでしょう?」
相手を刺激しないようになるべく優しい表現を心掛けて言うと、ドルチェは一瞬考えて、輝くような笑顔で頷いた。
「わかるのだ! でもドルチェはおねーちゃんを連れてくるように言われてるのだ」
「じゃ、じゃあこうしましょう。ドルチェちゃんは一回修道士様のところに戻って、少し待って欲しいと伝えてきてください。修道士様がお許しになれば大丈夫でしょう?」
「わかるのだ! でも――」
薄ら寒いものを感じつつも、なんとか口先で誤魔化せないかとケイが試みるも、ドルチェはちゃんと言葉を聞いて理解している反応を示すのに、返ってくる言葉が変わらない。
案の定、ドルチェは輝くような笑顔で頷いて、言うのだ。
「――ドルチェはおねーちゃんを連れてくるように言われてるのだ」
ああダメだ、とケイは嫌でも悟る。
呪詛のおかげと言いたくはないが、ケイの言葉は間違いなくドルチェに通じている。言葉が通じているのに届いていないのだ。あるいはこのまま押し問答を続けていられたら時間を稼げたのだが、そうはさせないとばかりにドルチェはケイへと近付いてくる。
家具を盾にしてドルチェから逃れるようにケイが移動すると、ドルチェは幼い顔に楽しそうな笑みを浮かべた。
「逃がさないのだっ!」
ドルチェは楽し気に笑ってケイを追うが、逃げるケイは勿論必死である。
幸いなことにドルチェの動きは速くない。子供らしくすばしっこい挙動ではあるが、何分身体が小さいので、歩幅も小さい。ケイは勝手知ったる部屋の中を立ち回って、家具を障害物にして巧みにドルチェから逃れ、そのまま廊下への出口を目指す。部屋から出ても寺院の中にさえいれば結界に守られる。だから今ケイがすべきは、なるべく長くドルチェを引き付け、そしてリンが寝室から出て来られるように、廊下に出て寺院の内部を逃げ回ることだ。
そのケイの目論見は早々に頓挫することになる。
ドルチェに扉を破壊された出入り口を目指して精一杯の速度でケイが駆けると、その瞬間だけドルチェとケイの間に障害物がなくなる。家具を回り込んで充分に距離を稼いだので直線距離で即座に追い付かれることはないとケイは踏んでいたのだが、ところが間に障害物がなくなった瞬間、ドルチェの身体が跳ねた。
「残念でしたっなのだ!」
後ろを振り返る余裕などなかったケイにわかったのは、背後でドルチェが床を蹴る音と、直後に自身の背中にぶち当たった凄まじい衝撃だけであった。
あまりの衝撃に一瞬たりとも耐えられず床に突っ伏すことになったケイは、先程破壊された扉の残骸でも降ってきたのかと本気で思った。そのくらいの衝撃があったし、しかも今もってケイの背中に乗っている重量はどう考えても幼女のそれではない。
「ドルチェは追いかけっこで負けたことがないのだ」
だが、背後から聞こえてくる声は、ドルチェがその小さな身体でケイの上にのしかかっていることを伝えてくる。俯せに倒れたケイはそれを確認することは出来ないし、倒れた際に強かに胸を打ち付けて、痛みを堪えるのに必死だった。肋骨の一本くらいは折れているかもしれない。
ケイが背中に感じるドルチェの身体の感触は、幼子らしい柔らかさとは無縁で、まるで金属のような冷たい硬質さであった。信じられないことだが、ドルチェはその布が余った修道服の下に鎧を着こんでいるのだ。そうでなくては説明がつかない感触と重量である。
「うぅ……けほっ、うぇ……」
「ドルチェの勝ちだから、おねーちゃんは一緒に来るのだ!」
胸の痛みと背中の重量のせいで真面に喋るどころか呼吸すら怪しいケイの窮状を一顧だにすることなく、ドルチェは同じ調子で告げるのみだ。
するとその時、ほんの刹那の風切り音が響いたかと思えば、ドルチェのウィンプルを掠めるように飛来した一本の矢が、破壊された出入り口の横の壁に突き立った。
「――動くな」
背後から聞こえた声音はリンのもので、おそらく彼女は弓を引き絞ってドルチェに照準しているのだろう。
出入り口に向かったケイを阻止しようとドルチェが飛び掛かったので、彼女は室内に対して背を向けることになっていて、その隙をついてリンが寝室から出てきてくれたのだ。
「今のは威嚇よ。妙な真似をすれば頭を射抜く。この距離なら絶対に外さない」
リンの射の腕前は確かだ。彼女が使っている弓は魔法が籠められた代物なのだが、武器の魔法を抜きにした単純な技量でもリンは達人の域にある。勿論、武器の魔法を使えば更に強い。
彼女の言葉はブラフではなく、ドルチェがどんなに速く動こうとも、背後を取って照準を合わせた以上はリンが射抜く方が早いだろう。勿論、ドルチェは自身の下にケイを組み敷いているのだから、ケイの存在をリンに対する人質とすることは出来るが、位置関係でリンのほうが有利だ。
形勢逆転してピンチに陥ったはずのドルチェは、ケイの背に乗ったまま、緊張感のない声で言う。
「あれ? おねーちゃんが二人になっちゃったのだ。ドルチェはどっちを連れてけばいいのだ?」
修道士から聞いていないのか、それとも忘れてしまったのか、ドルチェは本気で迷っている様子だった。彼等の狙いは十中八九自分の身柄であるとケイは判断していたが、ドルチェは『おねーちゃん』としか言っていないので、実はリンが狙いだったという可能性もないではない。
背後を取られているドルチェにはリンの顔が見えていないはずだったが、声だけで『おねーちゃん』であると判断したのだろうか。
ややあって、ドルチェは彼女なりの結論を出したらしい。
「まあいいのだ。両方連れていけばいいのだ!」
「もう一度言うけど、動いたら頭を射抜くからね」
まるきり無視されているとしか思えないリンが焦れたように再度告げるが、ドルチェはちゃんと彼女の存在を意識していたようで、リンに対してあっけらかんと返した。
「撃てばいいのだ。そんなおもちゃがドルチェに効くわけがないのだ」
「あらそう」
リンには容赦などなかった。言うが早いか再びの風切り音が響く。ケイは俯せに組み敷かれた状態から、胸の痛みを堪えてなんとか背後を振り仰ぎ、信じられない光景を目にする。
背後を向いたケイに、乗っかったドルチェはにっこりと笑って見せたのだ。
おそらくリンはドルチェを行動不能にしようとしたのだろう。容赦なく放たれた矢は脳天ではなくドルチェの肩甲骨のあたりを狙っていた。ケイのほうを見ながら笑っていたドルチェには、背後のリンの動作は見えていなかったはずなのに、彼女はいとも容易く片手で矢を掴み取って止めてしまった。
実際のところ、それだけならば出来ないことではない。例えばリュウくらいの遣い手であれば、相手の呼吸から矢が放たれる瞬間を読んで、飛来する風音を頼りにほぼ反射の領域で矢を切り払うことが出来るだろう。明らかに幼いドルチェがその域に達しているとすれば驚くべきことであるが、そうであったほうがケイの驚きはまだしも少なかっただろう。
信じられないのは、背後を見ないままにドルチェの片腕が関節構造上あり得ない動きをして、まったく別の生物のように背後の矢を掴んだからだ。不自然を通り越して不気味としか言えない光景であり、おかしな方向に折れ曲がってなお自在に動く片腕には生理的な嫌悪感を禁じ得ない。
そしてドルチェはその動作と並行して、自身の下に倒れているケイの外套のフードを後ろから鷲掴みにし、引き摺るようにして引き上げる。幼子の外見からはまるで想像出来ない剛力で、ケイは人形のように振り回されてドルチェとリンの間に割り込まされた。
「ッ!!」
即座に次の矢を放とうとしていたリンの顔が苦渋に歪み、咄嗟に彼女が狙いを逸らしてくれたおかげで矢はケイの頭の横を飛び抜けた。
ドルチェはそのままケイの背に手を添えてリンのほうへと押し飛ばす。ケイには抗う術はなく、頽れるようにたたらを踏んでリンを見ていることしか出来ない。
リンは迷った。ケイの身体が遮蔽物になってドルチェを撃つことが出来ず、そして自身に向かって倒れ込んでくるケイを助けるべきかと逡巡した。その一瞬を突いて、ドルチェはまたもや異常な跳躍力を持って飛び上がっていた。
盾にしたケイの頭上を一息に飛び越え、室内の天井すれすれを通ってリンの頭上から躍り掛かったのである。
「舐めるなっ!!」
リンは辛うじて反応した。落下の勢いを乗せてドルチェが繰り出した飛び蹴りを、自身の愛弓で以て受け止めたのである。リンの弓には魔法的な強化が施されているので、必要な撓りを備えながら、同時に鋼鉄以上の強度を誇る逸品だ。それがドルチェの蹴り足とぶつかり合った瞬間、まるで剣戟のような金属音が響き渡る。
結果的にリンはドルチェの一撃を弾き返すことに成功したが、代償として弓は真っ二つに割れてしまった。
「くっ、生身じゃないのか……!?」
毒突きながらも、リンは愛用してきた弓の残骸を惜しげもなく放り捨て、腰の後ろに装備していたサブウェポンの小太刀を抜き放つ。
「ケイ! 離れていろッ!!」
吼えるように告げて、獣のような低姿勢でドルチェへと肉迫するリンを見ることなく、言われるまでもなくケイは駆け出していた。自分がこの場に居ても邪魔にしかならないのだ。
先程逃げ出した管理人の男性以外にも、寺院には滞在している人間が居るはずだった。今のケイに出来ることがあるとすれば、誰かに助けを求めることくらいしかない。ドルチェに掴まれた際に脱げてしまった外套のフードを被り直しながら、ケイは痛む胸を押さえて部屋を飛び出した。
後ろからは、激しい剣戟の音に混じって。
きゃっきゃ、と。
童女の楽しげな笑い声が廊下まで響いていた。




