382話_sideout_寺院への道_昼前
早朝の討伐者ギルドで教会の司祭達と話した後、その場を立ち去ったダイは未だ寺院へと戻ってはいなかった。帰り道とは少し逸れた場所にある商店街で朝食を食べ歩きしたり雑貨を見繕ったりしながら適当に時間を潰していた。
それは偏に、尾行を警戒してのことである。
ダイが現在滞在している陸刀会の寺院が、ある種の結界魔法によって隠されていることは理解している。陸刀会におけるダイの位階を示す刺青は、身分を保証するものであると同時に結界魔法との連帯を可とするものであった。ダイ自身は魔法の素養を持たないので、肉体に刻まれた紋様が内在魔力を消費して効果を発揮してるに過ぎない。あくまでも魔法の本体は寺院の施設側にあるので、ダイは言わばその端末であると言える。
寺院の結界は所謂認識阻害の一種であり、招かれざる客を遠ざけるものだとされる。故に結界の端末であるダイの認識する限りにおいて、教会の人間を警戒していれば彼等は寺院を見付けることが出来ない。これはダイがクロス達のことを知る以前でも同じことで、対象を個別に認識しなくても効果を発揮するのがこの結界の強い点だ。
ただし、結界の端末はダイ一人ではなく、もっと言えば寺院に滞在している人間もダイの一行だけではなく、当然だが寺院を運営管理している者達は、数は少ないながら王国に点在している陸刀会の信徒などが訪れたりもしている。曖昧性を有する結界は、それらの出入りする人間達の共通認識としての取捨選択を行っているのだ。
結界の効果と、その確かさが理解出来ていながらもダイがこうして尾行を警戒して動いているのは、結局のところダイにはそれが知識としてしかわからないからだ。魔法の素養があるリュウやケイであれば結界に守られていることが実感として理解出来るのだろうし、結界の効果を自身で感じ取ることも出来るのだろう。だが魔法使いでないダイにはそれがわからない。
言うなれば、自分が警戒しているつもりの相手が、本当に結界に弾かれているのかがまったくわからないのだ。
故にダイは自身の後をつけられて寺院の位置を物理的に特定されることを恐れた。同時に、もしクロス達が自分の後をつけてくれば、彼等が完全に黒であると確信出来るので、そうなれば流石に結界の効果を疑う理由はなくなる。
厄介なのは、曖昧性だ。
正直に言えば、現時点ではダイはクロス達を警戒しきれていなかった。今朝の一件で、彼等は丁寧に説明し礼を尽くしていた。端から見れば彼等の誠意をにべもなく斬り捨てたダイのほうこそが、不誠実と誹られて然るべきとすら思っていた。クロス達と接触する前であれば、ただ漠然と警戒心を抱いていることが出来た。だが彼等と実際に会話をした結果、協力の申し出を断った後ろめたさもあわさって、ダイは彼等を警戒しきれなくなっている自分を自覚していたのだ。
「杞憂だったかな……」
適当に街をぶらつき、尾行する者が居ないことを確認したダイは独り言ちる。
故郷であるヒヅチの国を脱する際には緑后からの追手を警戒せざるを得なかったので、そういう手合いに対する方法もそれなりに身に付けてはいる。
結果として警戒が杞憂で済みそうなことに、ダイは安堵していた。
他人を積極的に疑いたくはないし、敵対しないのであればそのほうがいいに決まっているのだから。
これ以上帰りが遅れると流石にリュウ達が心配するだろうと思い、ダイは最後まで警戒は緩めないように自戒をしつつ、徘徊をやめて寺院へ向かうことにした。
そしてその道中で、ダイを待ち構えるように立っている者が居た。
「今朝ぶりですね。ミスタ」
「…………尾行には、気を付けたつもりだったんだが」
背が高く、姿勢よい女性のシルエットは黒髪の修道女ラクサーシャのものだった。
彼女は今朝と同じく無表情で、敵意もないままにダイの前方に立ちはだかった。
「ご安心ください。貴方の後をつけるような真似はしておりません」
「では何故ここに?」
「私どもは陸刀会の寺院を見付けることができませんが、所在のあたりは既につけております」
目的地が凡そでわかっているのだから、その途中で待ち構えるのは難しくないということだ。
既に人通りの多い界隈は通り抜け、この先に進んでも寺院と他にいくつかの施設があるだけという街外れまで来ているので、ここで待てばダイが通り掛かるであろうと予測するのは妥当である。
「俺の警戒は無意味だったってことですか」
「申し訳ありませんが、そうなります」
ラクサーシャは言葉とは裏腹に、微塵も情動を感じさせない無表情のまま告げるが、そうなるとダイの次なる疑問はこの場所このタイミングで彼女が接触してきた意図である。
こんなことをしてもダイの警戒心を強めるだけであり、事実として今朝の時点では不確かだった彼女等への不信感が、ダイの中で急速に形となりつつあった。そして、警戒が確かとなれば、それだけ寺院の結界は頑なに彼女等を拒むだろう。
「ミスタ・シシド。陸刀会の寺院を守る結界のような東方由来の魔法は、人の感情を変数として運用されます。今回の場合は結界が阻む条件を『悪感情』の認識によって設定しているのです」
「俺は今、貴女に不信感を抱いている。だから貴女は寺院を見付けることはできない」
それはなんらかの手段でダイから寺院の正確な所在地を聞き出したとしても同じである。完全に場所がわかっていても見付けられないからこそ強力な守りなのだ。
そんなことは言われるまでもない、とばかりにラクサーシャは話を続ける。
「悪感情の認識というのは寺院を探す側の自覚の話でもあって、例えば寺院やそこで生活する人々へ害為す意図を持っている者は、貴方があずかり知らない人物であっても結界が自動的に弾きます。しかし、ここに構造的な弱点がある」
「弱点?」
「自覚を判断基準にしているので、自覚なき悪意を阻むことができないのですよ」
ラクサーシャの謂わんとするところがダイには今一理解出来なかった。それは言われてみれば確かに、という話ではあるが、だからなんだというのが正直なところだ。例えば、クロス達がケイに接触しようと望む理由が、彼等が説明した通りにケイを救済するためでしかなく、そこには一切の善意しかなかったとしても寺院の結界を越えることは出来ない。
何故ならば、ダイが彼等に不信感という悪感情を抱いているからだ。
ダイの内心の疑問を表情から読み取ったのか、ラクサーシャは緩く首を振った。
「私の申し上げている自覚なき、とは文字通りに自身の機微に自覚的でないという意味です」
「……?」
「それからもう一つ。これは陸刀会に限らず、私どもでも同様ですが、帰依する宗教の施設に、異教の人間が気安く踏み入るべきでないという共通認識がございますね。この茫漠とした共通認識は異教の人間をなんとなく遠ざけます」
この『なんとなく』が曲者であり、結局これも本人の認識によるところが大きいので、異教をガチガチに信仰している人間はガチガチに弾かれるし、逆に異教徒だけど信仰心はなんとなく程度であれば、結界による守りもなんとなくしか発揮されない。
「そしてこれには逆のことも言えまして」
「逆?」
「多くの人がなんとなく受け入れたくなるような存在相手には、寺院の結界もなんとなく開かれてしまうのです」
そこまで言われて、察しの悪いダイも流石に気付く。
自身の機微に自覚的でなく、多くの人がなんとなく受け入れたくなるような存在。
例えば、そう。
幼子だ。
「シスタードルチェ……ッ!!」
歯を食いしばって背の槍に手を掛けたダイを見据えて、ラクサーシャは構えるでもなく言う。
「はい。あの子には善悪も義務も信仰もない。修道女としては由々しきことですが、まさしく無垢なのでございます。寺院の結界でシスタードルチェを止めたければ、貴方が名指しで彼女を拒むしかなかった」
「まさか今、寺院に!?」
「貴方の正解は、脇目も振らず全速力で御友人の元へと戻り、注意喚起をすることでした」
ダイはギルドでドルチェの姿を見て、ラクサーシャの言う通りの無垢な所作に無意識に警戒レベルを落としてしまっていた。故にダイの認識に基く結界の作用ではドルチェを阻めなくなっていた。だが仮に寺院に居るケイやリュウやリンがこの話を聞けば、彼等は警戒を強めるだろう。名指しで警戒された状態では、ドルチェは結界に阻まれてしまう。
「勿論、私の役目はそうさせないように、それとなく貴方の帰路を妨害することでございました。幸いに、私どもには『善意の協力者』がいくらでもおりますので、それと悟らせずに貴方の脚を止めさせることは難しくないのです」
例えば、黎明機関の名のもとに周辺の信徒に協力を要請し、偶然を装ってダイの目の前で事故を起こしたとすれば。ダイはそれが教会の信徒によるものだと判断出来ないだろうし、実際にその状況に直面すれば無視して通り過ぎることは出来ないだろうとダイは自覚していた。
一言で言えばお人好し。妹のリンに言わせれば『気にしぃ』であることをダイは自覚していたのだ。
「くそっ」
最早悠長に会話している場合ではない、とダイは背の槍を抜きつつ走り出す。
道を塞ぐように立つラクサーシャがただで通してくれるはずもないので、ダイは彼女に向けて槍を突き出す。一撃目はただの威嚇であり、彼女が回避のために道を空けてくれればよし、そうでなかったとしても峰打ちで済ませるつもりであったが、
「まだ、お通しするわけには参りません」
「なにっ!?」
大柄なダイの繰り出す槍撃は、そもそも長尺の槍の重量だけでも相当なものであり、それを自在に操れるまでに鍛錬を積んだダイの膂力もあわさって相当な剛撃である。槍に籠められた魔法こそまだ発動させていないが、間違っても女性の細腕で受け切れるようなものではない。
しかし事実として、ダイの槍は穂先近くをラクサーシャに掴み止められていた。
ダイが驚愕を露にしたのはそれだけが理由ではなく、掴まれた槍がうんともすんとも動かないのだ。
デミであるダイは魔力を認識することだけは出来るわけだが、信じられないことにラクサーシャが身体強化の魔力を纏っている様子はない。
純粋な膂力だけで、ダイの一撃を封じ込めているのだ。
「わからないな……っ! 何故こんな回りくどい真似をする必要があるんだ!?」
なんとか槍を引き戻そうと奮闘しながら、ダイは唸るように問い掛けた。
クロス達の目的がケイであるならば、今朝のようにわざわざダイに交渉を持ち掛ける必要などなかった。何故ならば彼女等は寺院の所在を既に認識していて、しかも寺院の結界をなんとなく突破出来るドルチェが居たのだから、秘密裏に潜入してケイと接触すればいいだけだ。
こうしてダイを足止めしてる状況そのものが、全くの無駄でしかないように思えてならない。
「勿論、貴方方と手を取り合えるならばそれに越したことはないからです。悲しむべきことに、こういう結果になってしまいましたが」
恐ろしいことに、あるいは奇妙なことに、この期に及んでラクサーシャの視線にも言葉にも敵意は感じられない。
槍を挟んで凌ぎ合いをしている状況だというのに、あまりにもフラットだ。
そしてその顏のまま、彼女は口を開く。
「何度でも申しましょう。私どもは貴方方を害するつもりなどなく、ただ、お救いしたいだけなのです」




